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群盗編(3)


 読者諸賢の世界でいえば真夜中と呼ばれる時刻、投網川に二(そう)の小舟が浮かんでいた。どちらも灯火の種火を小さな囲いに()け、万一片方が沈めばもう片方が灯りで位置をさらして、無事なほうに全員を載せて逃げる用意をしていた。そして飯綱領に近い側の舟には、弥助がいた。


「岸辺近くに見張り番らしき者、十を越えない。内陸にかけ、村の外にまとまった人数なし」


 口調は丁寧で冷静だったが、弥助の額は冷や汗でいっぱいだった。波読みの接近を察知する罠が張ってあれば、かかるしかなかった。儀次郎が短く命じた。


「舟を戻せ」

「敵に動きあり」


 弥助の緊迫した声が続いた。そして聞き違えようのない矢切り音が断続的に聞こえ始めた。空は闇夜に近く、十橋領側の岸に立てた焚火(たきび)は遠い目印になるだけで、矢がどれくらい近く落ちているのか、誰にもわからなかった。


「気取られましたな」

「弥助のことは飯綱にもおおよそ漏れておった。すでにその程度のこと、飯綱の者から吐かせておろうよ」


 精一杯頭を下げたまま、儀次郎は弥助に言った。


--------


 少し時間をさかのぼる。早馬が兵吾に知らせてきたのは、常盤一家を名乗る群盗が飯綱領を襲い、一時的にせよ制圧したという凶報であった。全転の情報網を通じて秋葉屋に伝わり、中村の龍吾たちから早馬が来たのである。全転の者が何のために、どれほどの陣容で飯綱領に目をつけていたのか、もちろん教えてはもらえなかった。


 群盗は転生者などの術師が率いたり、術師を囲っていたりすることがあった。逃げ足の早い群盗であれば、領主たちが貴重な術者を加えた討伐隊を送り込んでくる前に、姿をくらますことができるわけである。巨大な勢力になれば大君主たちが示し合わせて包囲してくるから、脅威になりすぎないよう加減ができる賢い群盗だけが長く身を保てた。


 そして夜を待ち、弥助たちが危険な偵察を行った。変事を聞いた太刀谷家がすぐ村落奪回に出ておれば、飯綱領の内外で人の激しい動きがある。人の集中も、往来もないのだから、太刀谷家は飯綱家存亡の危機に様子見を決め込んでいる。そう判断するしかなかった。


「常盤一家には霧氷(むひょう)の銀二という氷術者がおります。鋭い氷の破片を飛ばしますので串刺しです。()の者[=それ以外]は群盗ですから多くが徒士武者(かちむしゃ)か、農民崩れで、飛び道具の修練を積んだ者たちは今までの行状(ぎょうじょう)記録には載っておりません。ただ統制は取れておるようで」


 坂本屋が言った。坂本屋は新村と兵吾身辺に関する防諜のため、秋葉屋が雇ってくれた男で、荒仕事がそろそろきつくなってきた山忍びだった。積極的な追討(ついとう)をせず、怪しい動きがないか見張る仕事は、こういう経歴の者によく任される。そしてどこの転生者組合も、群盗に関する基本的な情報は集積し、無償で共有するのが原則であった。群盗はどの街にも村にも公敵だからである。


「大輪様も戸塚様も、はっきりした返事をよこされぬ。(あん)に、急には人数を出せぬということだろう」


 術者と正面から戦えば、一般兵に大きな損害が出る。まだ自分の勢力下に火がついていないうちから、手を出したくないというのは、こうしたときによく見られる反応であった。そして救援をしないのは、飯綱家の寄親である太刀谷家にとって大きな政治的失点になり、他の小豪族の離散を招きかねなかったが、内部事情が十橋家に分かるはずもなかった。


「堅く守るのが常道でございますな」


 藤庵はさも当然のように口にしたが、その視線は会合全体を見回し、「役儀により口火を切り申す」と言わんばかりで、異論百出を予想しているようだった。そして沈黙が続くと、はっきりとした苦笑がその顔に浮かび、その視線は龍吾に向いた。


「みな大人だのう。感じ入った」


 龍吾の言葉に、控えめな笑いが一同から漏れた。年長の者たちは、若手の誰かが飯綱荘の村人救出を言い立てると思っていたのである。荘全体としては、近隣でこのようなことが起きた経験は一の御方以来の何十年かで、二度ほどあって、どちらも他の荘を見殺しにして生き延びた。若い者も知識としては聞かされているはずであった。


 そして多くの者が、兵吾の方を見た。事実上、護提兵吾の率いる小さな組が、このところ術者と戦い、少なくとも追い払っていた。兵吾ができぬというなら、積極的な群盗討伐ができるという者は十橋荘に誰もいなかった。


 兵吾がじっと黙っているので、龍吾が口を開いた。


「運に頼る者は、運に(そむ)かれる。それでは……」

「お待ちくだされ」


 兵吾がついに口を開いた。


「飯綱荘より仮に受け入れた術者がおります。力を出し()うて氷術者をさばききれるや否や、談合させていただけませぬか。見込みありとなったとき、再び皆様にお(はか)り申したく」

「次の(さい)の目は、二の揃目(ぞろめ)かもしれぬぞ」

「押し出す[=出撃する]こと先にありき……ではございませぬ。我等の村が襲われたときの対処も含めて考え、そのうえで飯綱荘で一戦することの是非を判じまする」

「その術者、信じられるのか」

「その見極めも、合わせて」

「ぬるい」


 皆が発言の主を見た。藤庵であった。ほんの少し声音が変わっただけだが、先ほどとは別人のように厳しく聞こえた。


「長いこと付き()うて、表も裏も知り尽くしたつもりでも、なお分からぬのが人の心というもの。まして年端もゆかぬ女子ではないか。飯綱に返り忠[=裏切り]したばかりでもある」

「あの者の力、誰にも知られておらぬ様子。術者と手合わせして生き延びるには、意表をつくしかござりませぬ。その種となるかもしれぬ者、ぎりぎりまで試しとうございます」

「護提にやらせてみては頂けませんか」


 謙吾が口をはさんだ。


「このままでは、我等の村を守る算段もないまま、それこそ群盗の次の行く先を賽の目に託すだけになってしまいます。この苦境から出口を探すことは、いずれにせよ誰かがやらねばならぬでしょう」


 藤庵の視線がゆっくり横にずれて、龍吾をとらえた。龍吾は苦い顔をして、黙ったままの厳斎を見た。厳斎は声を立てず、くつくつと笑った。龍吾は誰にもわかるようにため息をついて、言った。


「やってみよ」


--------


 ひかりの能力は、珍しいものであった。鳳吾のところにある術師の能力解説書に、「遥操(ようそう)術」という名でおぼろげな記述があり、それだろうという話になったのは、少し後のことである。


 物を触れずに動かせるのである。ただ軽いものでなければならず、ひかりから見えていなければならず、ふわふわとゆっくりしか動かせなかった。つまり敵の死角をついて短刀を動かすことはできても、深く刺す前に気づかれ、避けられてしまうのだった。夜にこっそりというわけにも、行かなかった。火でもついているものは別であろうが。


 じつは兵吾たちには決め手となるような力はなく、毎回かろうじて生き延びているのだと知らされたとき、ひかりは明らかに驚き、失望していた。「こんなはずではなかった」という顔であった。


「異界で私の上司となった方は、若い私たちにこまめに話しかけて、みんなで成果を挙げる雰囲気を作るのが上手な方でした。でもある日、上司が別の人になって、部門全体の成果が落ちました。個人は同じことをしていても、成果が下がったのを私たちのせいにされました。新しい上司が誰よりも、そういうことを非難がましく言ったのです」


 弥助は何が起きたのか、心当たりがあるようだった。兵吾には理解しきれない話であったが、一緒に話を聞いている年長の譜代や一門衆の何人かは、ひかりが何を言っているのか思い当たるようだった。長いこと戦い、あるいは民政に携わっておれば、こちらの世界でも似たようなことは見聞するのだろう……と兵吾は見当をつけた。


此度(こたび)は勝ち馬に乗りたいと思うたに、当てがはずれたか」


 兵吾とひかりの話し合いに同席していた年かさの譜代衆が、気づかわしげに言った。


「……お恥ずかしゅうございます。されど、乗れるものなら乗りとうございます。馬上の景色が見とうございます」

「我等も心の中では思うところがあるが、言上げ[=口に出すこと]はせぬのだ」


 年かさの譜代衆は、諭すような口調で言った。控えめな失笑が一座を巡った。確かに目上の者が少し短気を起こせば、重い処罰もありうる不平の表明だった。ひかりが恐縮した風を見せたのは、その危うさが伝わったのであればいいが……と願いつつ、兵吾が続けた。


「我等、負け馬になることもあるが、死に馬になりとうはない。今まで何とかしてきた。此度も何とかしたい」


 兵吾は言葉を切って一同を見回し、いくつかのうなずきを得た。その熱心さにはだいぶ差があったが、譜代の当主たちが立場の軽い者ほど気分のままに振舞えないのは、もう若い兵吾にもわかっていた。


「たまたまこちらに拾うて頂いた日が、村の襲われた日でございました。すでにこの命、一度皆様に救われてございます。精一杯努めまする。生き残りのご相談、ぜひ加えてくださいまし」

「互いに生殺与奪を握り合うのだ。すべてを、我がことと思え。良いな」


 兵吾がちらちら周囲をうかがうと、疑心がにじむ顔もまだあった。だが兵吾は、たとえ'おとり'で終わるとしても、新しい能力が欲しかった。術者に対しては、意表をついてゆくしかないのだ。


--------


 飯綱荘の変事が知らされてから三日が過ぎた。龍三郎に率いられた祝田衆の弓隊は、ひかりと組んで何やら修練に余念がなかった。弥助はと言えば、連日投網川を警戒していた。


 そしてようやく、太刀谷家が術者を雇って兵を起こしたという情報が入った。全転から雇われたわけではないが、群盗に関することは組合が違っても情報共有がなされ、十橋にも坂本屋経由で、そして近隣のことゆえ大至急で伝えられた。


 厳斎と番衆主力は新村に集結し、兵吾の祝田衆(編成途上)が川沿いの前衛という配置になった。そして兵吾と龍三郎が協議のため新村に呼ばれた。厳斎は軍議の冒頭、口を開いた。


「群盗のことゆえ、三々五々[=少数ずつ分かれること]に落ちのびるのは慣れたものだが、そうするとは限らぬ。太刀谷の陣立て、十分な数の術者をそろえておるようだが、豪族はおろか一門の集まりも悪いとのことだ。おそらく戦場での軍令に素早く応じることもできまい。方々はこの先、どう見る」


 龍三郎が厳斎に長年仕えた側近として、発言を引き取った。


「川向こうから立ち退いてくれればまずは重畳。しかし常盤一家が十橋に仕掛けてくるなら、太刀谷はあえて追いますまい。これまでの動きが鈍かったことと、配下に戦意のないことは表裏一体……重い負担を押し付けられぬほど信望が揺らいでおるのでしょう。守りの戦には恩賞も旨味もございませんし」

「来るとして……護提は戦えるか」

「多分に運頼みにございますが、形にはなっております。むしろ長引きますと、気を張り続けている弥助が保ちません」

「ならばよい。おそらくは、我らが矢面(やおもて)に立つこととなろう」


 兵吾は軽く頭を下げた。龍三郎も頭を下げながら、厳斎をちらりと見た。酷薄な命を何度も下してきたところを龍三郎は見てきたが、いやに今回の言葉は軽いように思えた。


--------


「黒杖衆は配置についたか」

「お指図の通りに」

「ならば、細作(さいさく)どもに仕掛けさせよ。十橋の若造、我のもとに来ずとも、仕事はさせてくれるわ」


 大輪兼治はわざわざ指揮と検分のために、大輪領のうちでは飯綱荘に近いところに布陣し、急造の陣屋を構えていた。そして大輪家の最も貴重な術者部隊である黒杖衆を投網川上流に待機させると、忍びたちに十橋勢を装って飯綱荘の常盤一家を攻撃させ、十橋領への渡河を誘うことを命じた。


「霧氷の銀二を討ち取っておかねば、徒党は何度でも周囲に集まるゆえ、その災いはなくならぬ。太刀谷ずれに任せておっては逃げられよう」


 十橋が壊滅したときは黒杖衆を放って、消耗した常盤一家を粗々(あらあら)に蹴散らし、霧氷の銀二を狙って仕留める。そう兼治は決意していた。兵吾たちを好ましく思わないわけではなかったが、術者を含む群盗は君主たる大輪兼治にとって、非情な殲滅戦を仕掛けるべき相手であった。


 簡易な床几に腰掛ける大輪兼治の傍らで、鷹の霜風は静かにそのやり取りを聞いていた。


--------


 十橋荘も自身の出費で、中村の防諜を中心任務として、坂本屋のように異変に気付ける程度の元忍びを何人か雇っていた。それらを投網川沿いに進出させて、大輪家の忍びの動きは正確につかめずとも、「誰かが挑発行為をして常盤一家を十橋荘方向に攻め込ませるよう誘っている」ことには気付いた。だが、それをどうすることもできなかった。


「群盗が村ひとつ陥れる成功は、なかなかございませぬ。気を大きくして、なお獲物を求める者が、必ず仲間内におりましょう。嫌なことを仕掛けて参りますな」


 こうなると指揮官たちは夜も眠れない。交代で仮眠しながら、祝田砦予定地に仮囲いされた陣屋は現地対策本部として、城壁無き不夜城となっていた。


「だが、我らがこの警戒を際限なく続けることもできぬのは正直なところだ。どなたの悪戯かは知らぬが、ありがたく思う心もある。厳斎様はこれを見越しておられたか」


 ぼやく儀次郎を、兵吾はなだめた。


「夜がそろそろ白みます。来ますかな」

「おそらくはな」


 鳳吾が書物から得た知識として学校で伝えたところでは、異界の兵たちは川や海から上陸するとき、その日全体を使うために払暁を選ぶことが多いそうであった。群盗がその知識を持っているかは怪しいが、理屈の通った話であった。


「舟が見えます」


 見張りの者が急ごしらえの望楼から怒鳴った。


「手筈通り、迎え撃て」


 兵吾の下知(げち)で、兵たちが一斉に動き出した。


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