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鷹狩り編(3)


 弥助と勢子たちが多くの獲物を見つけて、正午になるかならぬかで兼治の狩りは終わった。霜風がすっかり満腹した様子で、肉片に興味を示さなくなったからである。近侍がてきぱきと動いて幕舎がしつらえられ、野外で軽食の用意が整えられた。


「どうじゃ、我らの狩りは」

「見たこともなきものでございました」


 兵吾は当たり障りなく答えた。


「そうであろう。地図が連絡(つなぎ)のありようを変える。測量が進めば、戦もいずれ変わる。弥助のちから、地図と組み合わせれば何倍にもなろう」

「御意」

「そこでだ。我らに仕えぬか」


 来た。戦の始まりである。


「ありがたきお申しつけながら、それがし、幼少より生まれ育った一族朋友と、今後も苦楽を共にしとうございます」

「その一族一荘も、負け戦ひとつで水の泡。天下の戦乱を()ましむることは、すべてに通じるのだ」

「もとより、興る荘あらば滅ぶ荘もございましょう。そのとき遠方で知らずに過ごしとうございませぬ」


 会話に集中する兵吾は、自分の流す冷や汗に気づかなかった。ここで不興を買って兵吾が刑死すれば、弥助は「いつ旧主の怨みを持ち出すかわからぬ奴」ということになり、大輪兼治の役には立たなくなる。理屈ではそうであったが、自分の今立っている足元の刃を見下ろす勇気は、兵吾にはなかった。斜め後ろにいるはずの弥助がどんな顔をしているか、確かめる余裕もなかった。


「大国の仕置きともなれば、大身にもなれる。一族に栄達を分けてやれるぞ」

「我が荘は窮乏した民が流れ着いて立てたもの、十橋はその筆頭に過ぎませぬ」

「その仲間びいきの心を捨てよというのだ」


 兼治のいらだちは声にはっきりと乗っていたが、兵吾は逆に、圧迫を感じなくなってきていた。おそらくそれは心の自衛が働いて、単に鈍感になっていたのであろうが。


「誰でも守るということ、我らの今日までの生きざまではございませなんだ。飯綱と争い、太刀谷をはねのける日々にて、誰彼なく守るなどとは、なかなか」

「力があれば、異界の者共が伝えた科学の業、成し遂げ広めることができる。それは誰もが新たに受け取る恩恵ぞ。徒党を捨て、大公儀(おおこうぎ)に仕えよ」

「それは過去の大戦で試されてきたことでございましょう。ひとつの正義で天下を染め上げることは、どこかでほころびを生むもの。いつか正義は、我慢を強いる押さえつけに変わりまする」


 兼治の目が大きく開いた。短い沈黙は、心を鎮めているようにも、言葉を選んでいるようにも見えた。


 兼治が何かを言いかけたとき、鷹匠の腕にいた霜風が「ぴいい」と鳴いた。ふたりの息詰まる会話……口論を包んでいた空気が、再び循環を取り戻した。だが霜風は、静かに控えていたひとりの侍に向けて鳴いたことに、数瞬遅れて皆が気づいた。


「おぬし、どこの家の者か。今日の印はどうした」


 大声で呼ばわる者があった。後日になって兵吾が聞いたところでは、左腕に巻いた青と白の布ひもは、大輪家が定めた今日の鷹狩り要員の印であり、その侍は布ひもをつけていなかった。自分への印象を薄れさせる力を持った術者が、隠密行動の訓練を受けて、狩りの様子を探っていたようだった。霜風の声が、皆にかかったその術を解いてしまったのである。


 進退窮まり、ふところから侍が取り出したのは、棒手裏剣であった。それを投げつけた先には、大輪兼治がいた。


「太守様っ」


 叫んだ近侍はひとりではなかったが、兼治から遠く控えていた者たちは何もできなかった。唯一、棒手裏剣の軌跡をさえぎれる位置にいたのは、兵吾だった。だが兼治のそば近くで供奉するため、刀は持っていない。


「ぬうっ」


 そしてその軌跡に飛び出し、兵吾は胸に手裏剣を受けた。兵吾の視界に、斬り伏せられる術者の姿が映った。


--------


 駆け寄った弥助が、手裏剣を抜いて兵吾の上衣をはだけた。太吉がふところに持っていた白布を差し出すと、弥助は兵吾の傷に当て、胸をぐるりと縛った。兵吾も少年のころから戦場を往来して、多くのけが人を見てきた。呼吸が漏れる感覚はなく、肺の臓は無事なようだったし、大きな血管が破れたらこんな出血では済まないはずだった。兵吾は幸運を感じた。


 人影が覆いかぶさり、抱きかかえられたと思ったら、大輪兼治であった。


「なぜ、さほどの縁もない我を助けた」


 抱き起こされた兵吾は、苦笑いを浮かべた。けが人への第一声にしては火急の問いとは思えなかった。当惑が少し、苦笑いに漏れ出した。


「……十橋は生き残らねばなりませんので」


「たわけ。とっさにそのような天秤を操れるものか。そなたは目の前の者なら誰でも救うたのだ。里が大事とか言いおって」


 大輪兼治は叱っているようで、どこか上機嫌だった。


「誰に対しても働く共感、異界では怵惕惻隠(じゅってきそくいん)の心というそうな。……おい、どうした」


 兵吾の息が乱れた。話そうとしても、言葉が口から出なかった。浅い傷と思ったが、何か塗られていたに違いなかった。


 兵吾は気が遠くなった。「誰かある、誰かある」という早口の叫びが、耳に残った最後の言葉だった。


--------


「おおお、気が付いたか婿殿。我が家の福の神よ。ようやった。ようやってくれた」


 親ほどの年齢の佐賀江西大尉に首を抱かれて、兵吾はじたばたと自由を求めた。だんだん落ち着いてきた佐賀江西大尉の言葉をつなぎ合わせていくと、兵吾にも事情が分かってきた。今回は兵吾の面接のような狩りだから、設営から実施まで佐賀家が主に担った。つまり警備責任者でもある江西大尉は、手裏剣が大輪兼治の身に及べば家中で面目を失い、佐賀家も無事では済まないところであった。


「しびれ薬の類が塗られていたらしい。もっと強い毒でのうて幸いであった」

「あの、身共はどういうことになりましたか」

「こたびは国へ帰すが。また話を聞かせよと(うけたまわ)った。言うまでもないが、このたび見たこと他言無用と心得よ。ああ、太守様をお守りした褒美、何が良いか言うてみろと(おお)せであった」

「……されば、まことに申し上げにくきことながら……」


 兵吾は、願いをひとつ述べた。


--------


 大輪兼治の帰路は、人と馬と荷車が連なり、騒がしいものになった。だから小声の会話は他人に聞き取れなかったであろうが、この会話は音声ではなかった。


≪あの若者、太守どののそばにとどめなくて、良かったのでございますか≫

≪兼治くんには、ああいう子が必要なんだよ。ひとつの正義で国を染め上げると、国の命が縮むか、長く続く間に国が弱るんだ。ぼくたちもそれは三度の大戦で学んだ≫


 神々は三度目の大戦の後、転生者たちに直接支援したり、逆に危害を加えたり、情報を与えたりしないよう申し合わせた。それは結局、神々の代理戦争であると同時に、複数の大義の正面衝突になると認めざるを得なかったのである。もちろん神々の約束には、神々自身へ強制力を働かせる仕組みがあったが、人がその細部を知っても仕方がないであろう。


≪でも今、あの子を兼治くんのそばに置いたら、すぐに押し負けて染め上げられてしまう。だからいちど帰ってもらうんだ≫

≪いずれまた、太守どのの下で仕えさせるのですか≫

≪それはまだ、わからないな。離れたままで音信を交わす方が、ふたりのためかもしれない。都合よく、他国の牒者(ちょうじゃ)がいてくれて、うまく利用できた。あの子がああ出てきたのは、びっくりしたけど≫

≪猛毒の手裏剣でなくて良かったですね≫

≪暗殺が狙いじゃない。情報を取りに来た術者の自衛用だからね。死体は目立つし、かさばるものさ。寝ていれば怠業にも見える≫

≪よくご存じですね≫

≪長いこと人間と接して、たくさん見てきたよ。今日の出来事で兼治くんは、違う意見を聞くことを新鮮に感じたはずだ。それはきっといいことだよ≫

≪あの若者には、ご加護を与えるのですか≫

≪家の神社が違うのだろう。そういうわけにもいかないから、人の間で噂があったら気を付けておいてくれ≫


 大輪兼治の短気もあって、行列の速度は徒歩の者には速かったから、みな遅れまいと懸命であった。行列に混じって歩く鷹匠が、鷹に向かって無言で一礼したところを見とがめた者は、誰もいなかった。


--------


「それで、太守様をお救いしたご褒美に、そんなお願いをされたのですか」

「まずかったであろうか」


 真顔で心細げな顔をする夜着の兵吾に、松は頭を寄せた。


(たの)うだお方がそのようなお方で、松はうれしゅうございます。少し……呆れますけれど」

「それが大切なことだと思うたのだ。近い方から順々にせよと、老臣(おとな)どもにやかましゅう言われた」

「そう言われても、本当にそうする殿方は、なかなかおられませぬ」


 兵吾は佐賀に対し、松の実父母と松や兵吾が対面し、交流することを黙認するよう願って、容れられたのであった。


鷹狩り編 了

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