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鷹狩り編(2)


 少し梅雨が長引けば雨の婚礼となるところ、強行された日程だったが、兵吾は無事に松姫を迎えた。小身の家に嫁げばもう公式には姫様呼びではないから、これからは松と書く。


 新婦の実家たる佐賀家からは重臣が当主の代人としてやってきた。家格の違いから、そんなものだろうと誰も気にしなかった。度数の低い濁り酒が振舞われて、中村の村長公邸は宴の場となった。主だった一門衆と数えるほどの老臣は厳吾の屋敷で膳を囲んだが、花婿花嫁は村長公邸のほうにいて、ときどき奥へ下がって休憩した。しばらくして泥酔者が増えると、ふたりとも席をはずしていても、誰も気にしなくなった。


「松。護提兵吾だ。せわしないところだが、よく参られた」


 松が下がったのを見計らって、兵吾は松の控室を尋ねた。見合いめいた席があったとはいえ、ふたりきりで話す機会などなかったから、挨拶が他人行儀から始まるのはどうしようもない。


「松でございます。不束者ですがよろしくお願いします。わたくしのことは、お調べになったのでしょうか」

「……済まぬ。その話はできぬのだが、多少存じておる。父上母上と、弟御がおるのだな」


 すらすらと会話をとぎらせなかったことを、兵吾は我ながら上出来に感じた。まだ松は十橋にとって「部外者」の域を出ていない。諜報や防諜の機微に触れさせるわけにはいかない。だが兵吾は律義に、調べていることは認めて見せた。


 若いふたりに苦笑交じりの遠慮を見せて、下女たちも遠慮して距離を取ってはいるが、大輪家の諜者も混じっているのだし、そう突っ込んだ話もできない。そう思っていた兵吾の耳元に、大胆にも松が口を寄せたから、周囲にはこらえきれない忍び笑いが漏れた。


「里の父母は佐賀様に操を立てまするが、私と弟は一心に旦那様におすがりしろと言われております」


 ささやきの内容が持つ深刻さに、穏やかな表情が崩れなかったか兵吾は心配であったが、なんとか理性を立て直して松の手を取り、大きすぎない声で言った。


「相分かった。続きは今宵だ。もそっと休んでおれ」


 そのまま席を立つとき、周囲で聞き耳を立てる女たちから笑い声の波が伝わってきたので、ごまかしきれたことを兵吾は期待した。


--------


 兵吾がいくらも松と語り合えぬうちに、出立の日は来た。馬は四頭。馬上には兵吾、儀次郎に譜代若手の伊賀三次。三男ゆえ遠慮して官名を私称しないが、番衆にいたころは機転が利く男と見なされていた。弥助と太吉、そして番衆上がりの……といってもだいぶ経った老農夫ふたりが、駄馬一頭とともに徒歩で従う。もし断り切れず大輪家に仕官となれば、三次が農夫と馬二頭を連れて十橋荘に復命し、以後の段取りを相談することになっていた。


 かつて大戦を率いた王家の勢威は陰りつつある半面、この数十年は大戦からの復興の日々であり、いったん激減した人口は戻り始めていた。未開墾の野原はまだまだ残されていて、農繁期のすぐ後に鷹場を設定しても、人家や田畑を避けることは可能であった。しかし、伐採され尽くした丘陵地でところどころ切り株があり、指定された陣幕に着到を告げると、あたりは人と馬が踏み荒らして泥だらけであった。木があったころの杣道(そまみち)は、数百人の往来に耐えられないようであった。


「十橋護提殿か。江西大尉(こうせいだいじょう)である。ようよう顔を合わせること、かなった」


 男は壮年をやや越えているが筋骨たくましく、鷹狩りの供奉で軽装とはいえ、防具も使い込まれていた。口調はいかめしいが、武将としてはまだ温和な表情というべきか……と兵吾は感じた。義父になった佐賀江西大尉である。挙式に不参の詫びもなく、だからといって侮りもせず、丁重な客人への扱いであった。大輪家の内輪が集まったここでは、兵吾一行は佐賀の一門衆であり、その下知を受けるのであった。


「太守様は忙しい御方だ。明日からは狩りの合間にいきなり呼び出されると思うておけ。今宵はささやかながら身内の宴とする。其許(そこもと)の祝いよ。それまでは休んでおけ」


 どうやら昔の木こり小屋に大輪家が陣取り、佐賀家はその近くに持ち込んだ木材と葉つきの木の枝で仮陣屋を築いたようだった。木の根を掘り起こして整地もしたようで、先乗りの普請衆が大勢必要だったに違いない。案内された区画にはいくらか格子窓もついていた。


 宴は和やかだった。松の容姿は評判であったようで、陽気に悔しがる若侍がひとりやふたりではなかった。そして話題は自然に、太刀谷勢と飯綱城を巡って争った晩冬の戦い[雲雀編]に移った。むしろ一族の老臣たちは、兵吾が弥助の機微を口にしないで済むよう口を添えてくれたが、兵吾は「方々をお身内と見込んで、ここだけの話でございますが」と断って、弥助の働きについて話した。老臣たちの表情が他人行儀なものから、柔らかく緩んでいくのが兵吾には感じられた。


 佐賀家でも、自分たちの情報収集に十橋が神経をとがらせていることが、おぼろげに伝わっていた。そして佐賀家一同は今宵、自分たちが一介(いっかい)武弁(ぶべん)であり、諜報戦に関心はないのだと印象付けたい様子だった。それを額面通り受け止めるかは後で考えるとして、大輪家との緊張の高まりを踏まえ、兵吾は何とか大輪家の中に味方を求め、佐賀家にすり寄って見せたのであった。ここまでは十橋本家の面々と話し合って助言をもらえていたが、以後は兵吾の外交的初陣ということになるのだった。


--------


「狩りの合間にいきなり」という説明だったが、兵吾と弥助が受けた呼び出しは、ほぼ朝一番であった。差し出された水入り竹筒と握り飯を立ったまま朝食にして、兵吾たちは大輪兼治の引見を受けに行った。


「大儀である。潟西府君(せきせいふくん)は見たこともあるまいが、(おもて)を上げて見知りおけ」


 自然に下がった頭を、兵吾は上げた。覇者の風とでも呼ぶのだろうか。人を従わせる雰囲気があった。甲高い早口だった。奇異なほど、兼治の周辺には人がいなかった。


「本日の狩りだが、これなる霜風(しもかぜ)に働かせる」


 地味だが高価そうな皮甲をつけた鷹匠の右腕に止まり、黒っぽい背中と白い腹を持った鷹が、値踏みするように兵吾を見た……ように見えたのは、兵吾の孤立無援な心理状態がそう見せたのかもしれなかかった。


「さて十橋護提。朝から呼び出したのは余の儀ではない。弥助なる者、暫時わしに貸せ。獲物を探せるのであろう」

「御意。弥助」

「はっ。うさぎ、鳥などでよろしゅうございますか」

「これ」

「弥助、直答許す。それでよい」


 側近の制止を、大輪兼治が甲高く(さえぎ)った。身分と礼節のまだるっこしい面は嫌いらしい。もちろんこの種の人間が、すべての無礼を許すわけではないことを、兵吾もよく知っていた。


 うつむいて集中していた弥助は、やがて顔を上げ、ひとつの方向を差した。


「あちらの方角に、ほどほどの大きさの獲物らしきものを感じます。距離はおよそ千米から千二百米」


 数少ない近侍の一人が走り寄ると、弥助に板上に広げた紙を差し出した。それを見た弥助は、うろたえるほどの驚きを示した。兵吾の記憶にないことであった。


「これは……測量図でございますか」


 そろりと動いたが制止されないので、兵吾も紙をのぞき込んだ。うねうねと線が()った、見たこともない図面だが、どうやら付近の地図であった。


「潟西省全図の完成にはまだまだ遠いが、このあたりは測量組の者が歩き回っても目立たぬゆえ、版木もすっかりできておる」


 言われてよく見ると、地図一面の細い筋は木版画であった。すでに活字印刷とともに、各種の版画印刷も異界の知識を加えて、一部地域で実用段階に達し、その成果物は広く利用されていた。


 弥助が兵吾に耳打ちした。


「これは等高線と申しまして、同じ高さの地点をつないだ線です。異界の知恵で、地面の起伏をこのように表すのでございます」


 ようやく兵吾にも、この地図の持つ重大な意味が分かってきた。大輪家の版図で戦う限り、大輪軍は正確な地形情報を利用できるだけでなく、木版印刷された地図によって味方同士で共有できる。報告や指示は早く正確なものになるし、平時には道路や防御拠点、そしてもちろん農地の開発も計画的になる。


 方位磁針のことは、広く知られていた。近侍が手際よく地図の方位を磁針に合わせ、弥助の述べた獲物の位置に針を刺した。針は色のついた"こより"を通してあって、何本もあっても区別がついた。


「では、参ろうか」


 鷹匠が地図を持つ近侍に従い、大輪兼治が続いた。いくらも歩かぬうち、兼治が手振りで兵吾たちを制した。鷹匠のみが慎重な足取りで、獲物に近づいた。茂みや灌木を利用しているらしい獲物の姿は、兵吾に見えなかったが、弥助は足取りの方向が正しいことを感じ取っているらしかった。


 鷹匠が無言で腕を突き出し、鷹の霜風が羽ばたき去った。そして茂みに突き入ると、中から鋭く短い獣の声、次いで格闘らしい物音がした。それが止んだので一同が近づくと、鷹匠が茂みからうさぎを取り出したところであった。霜風は鷹匠から別の肉片をもらってねぎらわれた。


「申し上げます」


 大輪家の侍が走ってきた。軽装で、青と白の布ひもを左腕に巻いている。獲物を見つけ、追い立てる勢子(せこ)が別の場所で獲物を見つけ、伝令を送ったのである。その手には、やはり板の上に広げられた地図があった。


「では参ろうか。大輪の衆の仕事ぶりを見ておけ」


 兵吾たちに告げる兼治は上機嫌に見えた。


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