人斬り吟味編(3)
術者に対応するために、術者は高くて雇えない。それはここ何百年、中小勢力共通の立場だった。藤庵が目付を張り付けたと言っても、それはせいぜい忍び、悪くすれば「心利いた士卒」だから、術者を制圧することはできない。
だから鳳吾と壮次郎は、緊張せざるを得なかった。まあ藤庵も戦えとか勝てとか命じたわけではない。何か不味いものを見つけたら全力で逃げる。それしかなかった。
「それにしても、当てがありませぬな。佐八は目と口をふさがれたのだとすれば、その周辺を張ってみても甲斐はないでしょう」
「異界では人殺しの下手人が挙がらぬとき、吟味の者たちは現場百ぺんと言うそうな。例の丘の上、登ってみぬか」
「御意のままに」
五月の陽光はいささか強かったが、うららかと言っていい日だった。ふたりは新村を経て山葵小屋への道を上った。草がすぐ伸びる季節だというのに道ははっきり刈り込まれていて、人が通り、手入れしている者もいるようだった。風が運ぶ草の香りが濃厚だった。
「もうし、安東介さまでいらっしゃいますか」
ずいぶん遠くから、のんびりした声がかかったのは、警戒されるのを避ける意図だったろう。声の主は丘の下から近づいてきた。行商人の風体で、いくらか荷物を負っている。暑そうにしている。
「小間物の行商をしております、坂本屋と申します。新村のことで、秋葉屋様の御用を申し付かっております」
鳳吾は失望が自分の顔に出なかったことを祈った。坂本屋は道中差しを佩き、筋肉もしっかりついていて、日用品の行商として道中の身を守れる程度の風体だった。つまり徒士か忍びであり、術者には見えなかった。まあ仁左衛門が万一の脱出先を確保しておくためだけの人員である。敵の術者をねじ伏せられる者を配置するわけもない。佐八同様、通報役なのであろう。
「やはり中村の佐八さんのことでごさいますか」
「何か知っておるのか」
「新村のうわさで聞いた程度でございます。砦の普請人足に移る予定であったとか」
にこやかだった坂本屋が、いつの間にか真顔になっていた。
「今まで無事だった佐八さんは、なぜ消されたんでござんしょう。見られて困るものがあったんでやしょうか」
「ふむ……そなたの考えか」
「へえ、まだ誰にも話しておりやせん」
鳳吾は、それが仁左衛門の示唆ではないことを念押しした。そして苦笑した。
「そなたひとりで嗅ぎまわって、万一があっては困るのだな」
「へえ、武芸は……とんとからっきしでございます」
言うほど駄目ではないのであろうが……と壮次郎も思ったのか、不機嫌そうな顔をしていたが、鳳吾は首肯した。
「御忠言、痛み入る。秋葉屋殿に、良しなにな」
深く辞儀をする坂本屋を残して、鳳吾と壮次郎は丘を降りた。
「思惑に乗って、よろしいので」
「坂本屋とやらについてしまった監視の目を、こなたになすりつけたいのかもしれぬ。自分の仕事はあるのだからな。あとは……」
鳳吾はぐるりと四囲を見回したが、見慣れぬ者は誰もいなかった。まだ坂本屋は視界の隅にいた。
「藤庵様が、我らを逃がす算段くらい、つけてくれておればよいが」
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「おう、兄上。どうなされた」
番兵が誰何するより先に、兵吾が気付いて鳳吾に声をかけた。砦は雑木を片付けて街道から砦までの道を広げ、空堀の側面を固める予備工事中だったが、そこで守備隊長予定者の兵吾が長い時間を過ごしているのは当然と言えば当然だった。
兵吾のそばには向田甚太もいて、鳳吾に会釈した。弓職人兼矢職人としてこの砦に関わることはすでに聞いていたが、棟梁たちと絵図面を囲んで何か話していて、老練な射手として矢狭間の視界や虎口の縄張りに意見を求められているようだった。今まで甚太のことが兵吾に任されていた経緯から、兵吾が砦の弓衆として甚太を加えたいと言えば龍吾は認めるであろう……と鳳吾は思った。村に加わってからの日数が短いが、妻と太吉を村に残しているのであれば、強いて反対する者もいないであろう。
「中村のほうで、ちょっとな。変わったことはないか」
鳳吾の下手なごまかしで、兵吾は思い当たった様子で近づいてきた。声を潜めて話すためである。
「さっき坂本屋から聞いた。兄上を探すと言うていたが、会ったか」
「会った」
「こちらでは、棟梁たちの気づくような異状はないそうだ」
手詰まりを感じながら、鳳吾は空堀を見回した。川方向の灌木が切り払われて、高い木は投網川の川原にあるものくらいしか視界になかった。
「御免」
緊迫した声が背後に響いた。向田甚太が矢をつがえて、川の方向を見ていた。金属の矢じりを使った、戦闘用のいい矢である。
ひょう。放たれた矢は、川原の高い木の一本に向かった。葉が揺れて、その下に何かが……いたような気がした。矢も落ちてこなかった。鳳吾には、何も起こらないことが、かえって不自然に映った。
「いやいや驚き入りました。ようなされましたな」
「何奴」
川原を見つめる鳳吾の背後から男の声がしたのと、壮次郎が抜刀したのは同時だった。振り返ると、旅姿の壮年男がいた。およそ荒事が似合いそうではなく、上品でさえあったが、どこか不自然だった。それは村の外なのに何の旅荷物も持っていないせいだと、鳳吾は少し遅れて気づいた。
だが、何も持っていないわけではなかった。左手に持つ矢は、いま甚太が放ったもののようだった。矢の先には、黒くどろりとしたものがついていた。それを右手の指ですくい取った男の表情は、ほとんど陶然といってよいくらいだった。人前であることを思い出したように、男はすぐその表情を消した。
「これは申し遅れました。わたくし、二郎三郎と申す者にて、大社の異端審問司から参りました」
左手の矢を右手の空いた指に移すと、二郎三郎と名乗った男はふところを探り、各務のものと似た萌吹大社の手形を差し出した。すぐに手形は青く光り始め、あらかじめ神職として術を施されている鳳吾には、ある種の音楽が聞こえた。各務のものより格上で、術者が魔力を込めて用いる手形である。
「死霊術師の血糊をご覧になるのは、初めてでしょうなあ。奴らももとは人間ですが、死人の体を借りておりますと、体の中は人のものではなくなります。これはとても役に立つのです。ああ、まずは呪具を作って進ぜましょう。あの者が村に近づけば反応するものです。自分の血で作れば、間違いはありません」
男は初めて笑った。印象が薄い……というより、いま会っているのに、その印象が消えてゆく感覚があった。心に何かの操作を受けているのだろうと鳳吾は思った。
「わたくしの呪具は、買えばお高いものでございますよ」
だから佐八の無断潜入も許せと言うのであろう。鳳吾はうなずいた。他組織の術者など、一刻も早く村から帰ってもらいたい。そのためであれば、龍吾はたいていの譲歩を許すはずだった。
「それにしても、よく気づかれました」
二郎三郎の視線は甚太に向いていた。甚太も容易ならざる相手と察したか、目に見えて緊張していたが、ぼそりと言った。
「因縁のある相手です。ただの探る視線でなく、殺気が乗っておりました。でなければ気付けなかったでしょう」
「それはきっと、わたくしを探しておったのです。奴の血が私の役に立つように、奴はわたくしの体が欲しかったのです。ああ、順を追ってご説明した方が良いですね」
兵吾はずっと口を開かなかったが、明らかにその説明を求める顔だった。
「おそらくあの死霊術師は、十橋様の中村と新村を水場にしておりました。死霊術師のように人里に住みにくい術者が、入り用のものを買い求める場所を、我々は水場と呼んでおります。大きな街にはああいう手合いへの備えがありますからな。私どもは死霊術師の噂を聞いて、佐八を中村に入れました」
二郎三郎はわずかに会釈して、十橋への詫びとしたようだった。
「邪魔な佐八を始末しようとした死霊術師は、少し細工をして、こちらの砦にわたくしどもの注意を引きました。まだ失礼ながら、周囲に人気がございません。事情を調べに大社の術師がやってきたら、罠にかけて体を奪おうと思ったのでしょう。こちらの人足に志願したとき、すでに佐八は死人として操られておったかもしれません。気の毒なことをしました」
二郎三郎は左の手のひらを立てて、束の間だが佐八に片合掌を手向けた。
「幸いであったのは、奴に信用できる仲間がおらず、距離を取って見張っていたことです。術者は手の内を見せたらおしまいですからなあ。それではこれで。各務もすぐ引き払わせます」
どうやら高い官位とは裏腹に、異端審問司では各務が下役らしい……と鳳吾が微笑する間に、二郎三郎は一礼して自然に立ち去っていた。壮次郎は、自分がまだ抜刀したままであることに気づいて、あわてて納刀した。それほどの時間は、まだ経っていなかった。
「兄上」
兵吾は鳳吾に近づくと、声を潜めた。
「どうやって二郎三郎どのが死霊術師から矢を抜いて持ってきたか、聞きそびれたな」
「それこそ、聞いてはならぬのであろうよ。術者の能力など聞くと、後戻りできんぞ。神社方に替わるか」
兵吾は首をすくめて、ぷるぷると横に振った。
人斬り吟味編 了




