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人斬り吟味編(2)


「死後、半日……いや、もっと日が経った(むくろ)にも思えます。毒や急病の兆候は見当たりません。出血によるものか、先に傷の苦しみで心臓が止まったものかは、なんとも」


 中村にひとりだけ住んでいる医師は、用意された桶で手を洗いながら鳳吾に告げた。砦の周囲に溝を構築する工事のため、中村に人足(志望者)を集めて組分けしていたところ、そのひとりが胸を刺され、死体で見つかったのである。傷は刀で刺したようであり、そうだとすれば最もありふれた武器と言えた。


「佐八はこの冬から皮職人の住み込み徒弟でしたが、力自慢でして、砦の人足のほうが割が良さそうだといって親方に詫びを入れておりました。それも確かめましたので、次の組に入れて溝掘りに出すことにしておりましたので、はい」


 文官は鳳吾には丁寧だった。殺された佐八はまだ正式な村民ではない。人として全く保護されていないわけではないが、十橋家の視点から見れば、捜査して割に合う相手でもなかった。中村の村役は、「喧嘩でもしたものと思われる」といった粗雑な取扱いにしたがっているようだった。


 そこに鳳吾が首を突っ込んでいるのは、昨年から十橋荘を盛んに出入りする近隣勢力の手先たちのことが頭にあるからだった。佐八が何か村の秘密をつかみ、あるいは村のためにならぬことを企んでいたのであれば、後々の害がないように対処する必要があった。佐八を殺した何者かが、そうした工作にかかわっていることも十分に考えられた。そうなると、下役の者に捜査をしろというのは無理である。逆に戸塚家や大輪家が敵対勢力を成敗したのであれば、別の意味で十橋家としては手を出せず、それも当主一族が判断するしかなかった。


「冬から村に来たところが、いかにも最近もぐりこんだようにも思えます。だが珍しくもないことでもありますな。皮職人のところに行ってみますか」


「そうだな」


 外敵が潜んでいるとしたら、鳳吾が襲われるかもしれない。心配した謙吾が個人護衛の壮次郎をつけてくれた。日頃なじみのない鳳吾に対して、壮次郎は丁寧な態度で接していて、鳳吾はそれを修正するのも面倒なのでそのままにしていた。


--------


 皮職人の親方は迷惑そうな顔をしていたが、時折やってくる仕事上の問い合わせにも同じ顔で応じているから、いつもそういう表情なのかもしれなかった。


「腕のある奴とは思いませんでしたが、よく働きました。一本立ちするのは難しいでしょうが、工房にはああいう奴もいた方がいいのです」


 亡くなった者を惜しむ感情が、親方の言葉に欠けているように鳳吾には思えた。出たり入ったりする使い走りのすべてが部下ではなかろうが、十人ばかりを工房で使っているようで、少年も多く、ひとりひとりをじっくり育てる職場ではないのかもしれなかった。


「言われたことは言われたようにやる男で、何かを尋ねるところはあまり見かけませんでした。そこが腕が上がらなかった理由と思っております」


「親しかった者はおるか」


「同輩の三吉にお尋ね下さい。おい、三吉を呼べ」


 手近の若い衆が声をかけられ、走っていった。心服させているのだろうと鳳吾は思った。村の規模を思えば大企業である。売るにせよ買うにせよ、こことの取引に生活がかかっている村人も、村外の商人も多いのではないか。親方が示す一種の非情さも、それに応える若者たちの真剣さも、理解できる気がした。


 あらわれた三吉は、面倒そうな表情だった。この受け身で不活発な連中の中に、死んだ佐八はいたようだった。


「佐八は誰ともあまり話しませんでした。そういう奴はたいてい言いつけを守れなくなるのですが、あいつは人を見て真似るのが得意で、ぼろを出すことがありませんでした」


 三吉本人もぼそぼそとした口調だったが、決して魯鈍ではないと鳳吾は見た。先輩に下手(したて)に出て教えを請わねば、仕事は覚えられない。その不可欠なはずの交流を、佐八は最低限で済ませて、観察力と頭の回転で補っていたことになる。ここにいることだけが密偵任務の中心であるなら、それは目立たずここにいる良い方法のように思えた。何かを探るのでなく、何かを待ち受けていたのであれば。


--------


「どうでもよくなったような顔をしておられますな」


 工房を出ると、壮次郎はそっと鳳吾に話しかけた。


「わかるか。荘の不利益になることを、知っておったわけではなさそうだ」


 何か起これば、知らせる。そのための男だったのだろう。軍勢の動員。外敵の襲撃。誰かの来訪や通過。いろいろな可能性があった。荘の秘密が漏れたり、悪意の仕掛けを施されたりしたわけではなさそうである。


「もし、失礼いたします。萌吹社の安東介さまでございましょうか」


 呼び止める者がいた。若い痩せた護衛を連れた、小太りの男である。それほど高価そうな衣服ではないが、この世界では肥満は富貴の印(もちろん太らない貴顕もいる)だから、地位のある者に見えた。ここなら鳳吾に会えるとみて、ずっと待っていたのだとしたら、何をどれだけ知っているのか底が知れない。


「萌吹大社から参った者でございます」


 鳳吾が状況を飲み込むのに少しかかったが、萌吹大社が乗り出してきていたなら、いろいろと辻褄の合う話であった。鳳吾は言った。


「お話は村社で伺いましょうか」


 壮次郎の無表情は、苦り顔を押し殺したものだろうと鳳吾は見当をつけた。十橋家と萌吹社に両属している鳳吾に、十橋家から壮次郎がつけられているのは、こういうときのためもあるに違いなかった。


--------


 転生者たちはすでにこの世界で茶の木を見つけていたが、どこでもうまく育つ木でもないので、鳳吾は来客に()った穀物の茶を出させた。村社には神職である鳳吾の執務室も、客間もある。


 男は萌吹大社の手形を鳳吾に示した。村社に保管されている割符をかざすと、青い光が漏れた。ときおり偽の手形が見つかり、対策を施した割符が届けられるから絶対確実というわけではないが、十橋荘をだますためだけに偽手形が作られ、大社に露見の危険を冒すとすれば驚くべきことであった。各務嶺北大尉(かがみれいほくだいじょう)と手形にあった。官位を示した途端、各務の口調は居丈高になった。


「麿が出向いたのは外でもない。年の初めまで近辺にいたという、死霊術師の一味のことや。御厳(みいつ)を汚す所業、おやしろの(かしこ)きあたりも憂慮されておじゃる」


 宮廷公家や官吏の次男坊以下が神職となるのは珍しくないが、この男の場合は職掌柄、個人の出身地などを明かしたくないから王都の公家言葉をまねているのであろう……と鳳吾は思った。


 死霊術師は神が占有すべき生死の管理を侵すので、原則的にどの大社も見つけたら覆滅(ふくめつ)を図った。その原則は神職として鳳吾も心得ていたが、死霊術師は滅多に現れるものではなかった。仁左衛門の推測も推測でしかないから、十橋の神社方として「死霊術師を見つけた」とは大社に報告していなかった。


「佐八はな。異端審問司(いたんしんもんのつかさ)がここに置いた細作(さいさく)やった。それがやられたのは、やはり死霊術師の手の者が、まだおるのと違うか」


「十橋としては承知しておりませぬが、この様子ではそれもありうることかと」


「十橋の殿には、合力(ごうりき)頂けような」


「我が家は明神様を厚く崇敬しております」


 男はふっと笑った。いやな微笑をする……と鳳吾は感じたが、自分の顔に出ていないことを祈った。鳳吾は十橋を代表して何も約束できない。だが目前の男は、大社と十橋の長期的関係を損なってでも、自分の仕事で成績を挙げる姿勢で、担当者の鳳吾に圧をかけたのである。よくあることなのだ……と若い鳳吾も神社方の短い経験で身に染みていた。


--------


 鳳吾は各務の部下が死霊術師一味を捜索するのを黙認するよう強いられたが、その部下には会わせてもらえなかったから、何が起きても目を閉じていろと言われたに等しかった。新村の兵吾周辺には仁左衛門の密偵がいるはずだが、嫁入りに関連する大輪家と佐賀家の諜報活動を警戒するのが第一の役目だから、今回の件を手伝わせるわけにはいかない。密偵どうし角突き合わせることのないよう兵吾に短い手紙を出して、鳳吾と壮次郎は十橋藤庵のもとへ向かった。忍びの里との取次だから、里の防諜責任者といえば藤庵であった。そんな仕事を本務としている者が村にいるとは、鳳吾も思わなかったが。


 日頃一緒に相談している謙吾はともかく、鳳吾も兵吾も藤庵がどうも苦手であった。喜怒哀楽がおよそ見えない。だが事情を話さないわけにもいかないから、鳳吾は藤庵を尋ねた。前触れなしの訪問だったが、すぐ会ってもらえた。


 藤庵は鳳吾の説明をじっと聞いた。各務嶺北大尉と会った話を終えて、ようやく質疑かと思ったら、藤庵の問いは斜め上のものであった。


「その各務某(かがみなにがし)の人となり、介殿(すけどの)はどう見られた」


「は……」


 鳳吾は言葉に詰まった。まるで試験である。だが実際、この一件は領内で武力闘争が始まりかけているに等しく、非常事態であった。一族の若手として視野を試されるのも仕方がない。鳳吾は口を開いた。


「体つき、所作の速さから武辺の方とは思われませぬ。またご自身の望みを達せしめることにためらいがなく、身共の立場を察するところを感じませんでした。御家来衆との面通しはかないませんでしたが、方々の心服を得るには、武でも情でも難しかろうと拝察いたしました」


 藤庵ははっきりと笑っていた。鳳吾が初めて見る表情だった。愉快な笑いなのか、喜んでいるのか、初めて見るので区別がつかなかった。


「介殿の言葉で得心が行った。じつはな。最近村に入った怪しき者、当方で目星をつけておる。目付(めつけ)もつけてある」


「なんと」


「だがな、介殿。その者が各務殿に連絡(つなぎ)を取った様子が、まったくないのだ。察するところ、各務殿は十橋に言い訳をするための使い走りだな。大社の乱波(らっぱ)がどれほどの乱暴を働くつもりであろうと、そのことは知らされてもおらぬのだろう。荘内で何ぞやらかして、十橋が抗議でもすれば、返事は各務殿の首であろう。そういう役回りだ」


 話し終わった藤庵の顔には、先ほどの笑顔はかけらもなかった。


「では、当方はこれにて手を引きまする」


「いや、ついでのことだ。おそらく各務殿は気づいていまいが、乱波のほうはそなたにすでに気付いていようし、ここに来たことも知っておろう。しばらくあちこち探りまわってくれぬか。そなたがこの件の吟味を任されているように振舞うのだ」


「いや、それは」


「ご当主様には、話しておく」


 鳳吾はもう頭を下げるしかなかった。

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