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山葵小屋編(1)


「旗を立てぬにしては、弓が多いではないか」


 十橋厳斎は走り込ませた馬をなだめて止めると、直截に呼びかけた。ぎろりと厳斎を見上げた十橋護堤兵吾の返答も、負けず劣らずぶっきらぼうだった。


「家中にも声をかけたが、見知った者はおらぬようです。飯綱の者ども、張り込みましたな。術者ほど高直(こうじき)[=高値]ではないにせよ」


「中途半端は銭失いよ」


 馬蹄の音が厳斎の返答をさえぎった。後続が追い付いてきたのだ。無造作に一番良い馬で早駆けし、危険にさらしてしまう武士は少なくない。厳斎は兵たちに下馬を命じた。さらに後ろを走ってきた軽装の郎党たちが、手綱を引き取って大事な馬たちを不詳の敵手から引き離す。


 大挙武装して村を囲めば、それは宣戦も同じことであった。どの程度やる気かだけが問う価値があり、それは言葉で尋ねるものではない。まあ、見知らぬ武装集団の往来を黙って許す領主はいないから、隣領の飯綱(いづな)家が差し向けた連中と見て間違いなかった。


 弓も高いが、消耗する矢はもっと高い。農兵も軍歴が長くなると短弓を教えられるし、猟師の子弟で短弓の名手もいるが、領地持ちの一族だけが幼少から長射程の長弓を仕込まれる。戦乱で故郷を追われた射手たちが、長弓ごと雇い入れられることは珍しくなかった。だが槍働きの雑兵よりも高給とはいえ、妻子を養えば余裕はなく、着の身着のままの暮らしになる。一代限りの使い捨て戦士から土地持ちに戻る道は、狭かった。


護堤(ごてい)様、弥助が参りました」


 十橋兵吾の通名は護堤である。治水担当者の官名らしいが、私称である。人を呪い、害する術のある世界で、身分のある者が本名を明かさないことは基本だった。新村の村長である兵吾には小者も入れれば十人ばかりの郎党がいて、伝令などには村の若衆を動員する。異変を知らされて、当主の住まう中村から厳斎の騎馬隊が駆けつけてきたところである。兵吾は当主の三男、厳斎は当主の弟であった。なお厳斎も通名である。


 弥助は眠そうな顔、整えようとする気すら感じさせないざんばら髪の若者である。いや、そろそろ若者ではなくなりつつある。術者は転生者のことも、その子孫のこともあるが、血筋に関わりなくこの世界で生まれる術者もいるだろうと言われている。隔世遺伝もあるから、誰にも本当のことはわからない。弥助は自称を信じるなら、転生者であった。紛争があると呼ばれるが、普段は猟師として身を立て、村で重宝がられていた。十橋家も郷民千人いるかいないかという土豪だから、武人であることにこだわらず、毎日いくらか稼いでくれるなら、ありがたいことであった。


 弥助は軽く頭を下げただけで、すぐ不審な一党がいるらしい木立に目を向けた。防衛上、新村に近い樹木は優先して()り払われているが、残った木立も深く、目視で人数の見当が付けられるほどではない。


「木立に十五人、すべて徒士(かち)でひとかたまりでございます。森の向こう、投網川(とあみがわ)の岸辺に馬が三頭、人がいくらか。見聞役でございましょうか」


 目を向けてはいるが、目で見ているわけではない。弥助は「波読み」を得意とする術師だった。人や生き物の気配を感じ取ることができた。だから猟師を兼業としているのである。刀槍は苦手だし弓矢もうまくはないが手先は器用で、網と罠で小獣と鳥を捕まえた。兵吾が小屋を覗くと、一心に網を編んでいることが多かった。田畑を荒らす害獣にもよく気が付くから、近所から豆や野菜のもらい物も多かった。


「嫌がらせにしては大仕掛けで、金もかかっておる。見聞役とやら……術者かもしれぬ」


「たしかに。我が術者を探っておるやも」


 兵吾は答えた。「武技はまずまず程度だが、駆け引きの知恵は回る」というのが兵吾の三人兄弟の中での立ち位置だった。厳斎が兵吾の眼の底を探るような視線を向けているのは、いずれ一族の番衆頭を譲る候補として、おのれの息子たちと天秤にかけているからでもあった。


 術者の所在と能力が知れれば、相性の悪い相手をぶつけて消すこともできた。所在を隠すか有力者の庇護を求めるか、あるいはいっそ、能力を使わず秘め通すか。それは常に難しい選択だった。弥助が小豪族の里で、目立たぬように力を使って暮らしているのは、ひとつの答えだった。珍しいことではないだけに、隣領がそれに気付き、謀殺か拉致を企てることも、十分あり得た。飯綱の当主はにこやかだが、その相貌を崩さぬまま、酷薄なことも命じてのけると噂されていた。


 弥助におびえた様子はない。十橋家が弥助を守る意志も能力もあると、信用してくれているのだろう。愉快になった厳斎は兵吾を見て、その表情から深い懸念を見て取って渋面に変わった。少しの油断が敗亡につながるこの時世、同情の深さは危険な甘えに見えた。気付いたのか、兵吾は柔らかい微笑を厳斎に向けた。


「どうします。寄せ手の内情が読めすぎていると、こちらに波読みがいると知れますが」


「だからといって身内を危険にさらすのは、本末転倒」


 厳斎はきつい口調で言いながら、視線を弥助に向けた。恨むなら恨め。そういうつもりだったが、何の感情のうねりも読み取れなかった。


「若衆に印地を打たせますか。修練させております」


「弓相手だぞ」


「幸い風上が取れます。煙を立てましょう」


 歴代の番衆頭の力量が同じということはなかったはずだが、兵吾が戦場に出るようになってから、当主はいつも兵事を厳斎に任せきりにしていた。だから今回の指揮権が誰にあるのか、兵吾は尋ねなかったし、厳斎は念を押さなかった。だから兵吾の言うことは、すべて提案である。


「良いだろう。任せてよいか」


「はい」


 厳斎は連れてきた騎馬武者から、番衆副長格の名和龍三郎を頭に五名を選び、ありったけの矢を持たせた。燃料を集めて煙を立てるには時間がかかる。敵の弓衆が何を企んでいても、放置はできなかった。ゆっくりまばらに射たり、五張りで斉射したり、敵を考えこませて時間を稼ぐのはよくあることだったから、指示は短くて済んだ。そして残った騎馬武者十名、徒士(かち)十五名を率いた厳斎は、兵吾の後を追った。


「ほう」


 村の周囲に目立たぬよう起伏をつけて、身を隠しながら都合の良い方角に回り込めるようにしてあった。時日が経ち、自然に草も生えている。村の古老が兵吾に知恵をつけたのであろう。だが、敵の物見(ものみ)迂闊(うかつ)である。ほころんだ厳斎の顔は、すぐ締まった。


「目立つな」


 作業する者たちを守るため、表面に竹を並べた置き盾が掲げられ、おそらく敵方から見えていた。色はすっかり黄色くなってはいるが、自然のものには見えない。


 だがもうどうしようもない。厳斎が無言でうなずくと、兵吾の手振りで枯草と木切れに火が付いた。ありあわせの生木だから煙は白っぽい。


「盾ごと押させてよろしいか」


「頼もう」


 成人したて、あるいは直前の少年たちが(ひも)を回して印地(石つぶて)を放ち始めた。放つ瞬間だけ盾の陰から出る。かん! と矢が盾に当たる乾いた音がした。大人たちがじりじりと盾を進めている。


「武者ども、奮いそうらえ」


「おうっ」


 厳斎の番衆が、獲物を手に走り始めた。煙が流れると目が開けにくい……程度の効果しか期待できない。あとは命のやり取りであった。


 番衆の喚声に交じって、少年のものらしい悲鳴が聞こえた。今は、祈ってやることすらできなかった。


--------


 煙が上がると、龍三郎たちも弓をしまって斬り込みに加わった。木々は斬り合いの邪魔にはなっても身を隠せるほどではなく、人数の差で飯綱方にふたりの負傷者が出た。ひとりが背中を向けて走り出すと、われ先に続いた。弓を持参した五人はその背中を撃って、ふたりを仕留めた。


 おかしい。厳斎の勘がそう告げた。奴らは何をしに来たのか。なぜ引き揚げを誰も号令しないのか。そう思った瞬間、叫んでいた。


「引け。走るのだ」


 向けた背中に追いすがるように、熱がむくむくと盛り上がった。兵吾の集めた村人たちは盾を捨てて走っていた。敵兵が集まったところに、火やら雷やらの術をかける。よくある戦場の手筋であった。村と村の小競り合いに術者が出てくることも少ないから、油断があった。後方に弥助が感じていた少人数の不審者は、その術者だったのであろう。


 狙われたのは、十橋家自慢の準常備兵である番衆。終わって見れば、そう言うことであった。


--------


 死人は三人であった。矢で倒れた二人と、手負いのうちひとり。助かるかどうかは、着ている鎧で分かれた。領地を追われ、傭兵になってから日の浅かったほうの男は、まだしっかりした鎧を着ていて助かった。鎧はだめになったが、背中のやけどの面積がまるで違っていたのである。


 村の少年が矢傷を負ったが、浅傷であった。敵の武具は黒焦げで使い物にならず、口には出さないがみんなむっすりとした顔をしていた。兵吾は補修のために置き盾を回収させていたが、表面の竹は張り替える必要がありそうだった。また目立つ青竹からやり直しである。


 飯綱方はあきれるほど用心をしていた。傭兵たちに決して自分たちの名や所属を明かさず、飯綱領は夜に通過させて、誰とも会話をさせなかった。生き証人として突き出しても、何の値打ちもなかった。


「よくそれで雇えたものだ。食い詰めていたか」


「悪かったな」


「さて、お前さんをどうするかだが」


 厳斎は心細げな顔で押し黙る捕虜を見ながら、言葉を切って兵吾を見た。捕虜は向田甚太と名乗ったが、やけどの手当てのあとで半裸であった。どんな小さな村もひとつの家族で始まったりはしないから、名字のある家はいくつかあるものだが、近場の村で有力な名前ではなかった。もちろん差しさわりを感じて、この男が偽名を使っている可能性はあったが。主家の名もためらわずに話したが、確かに敗亡と聞いていた。対策を話し合うほど近くでもなく、厳斎も兵吾も詳しい事情は知らなかった。


 村に住まわせるかどうかとなると、兵事だけの問題でもない。兵吾から当主の十橋玄武尉龍吾(とばしげんぶのじょうりゅうご)に伺いを立てることになろう。発言を求められた兵吾は、やわらかく言った。


「何分、出会い方がよろしくなかった。いきなり弓と刀で働いてもらうのでは、皆も納得すまい。矢は作れるか」


「矢竹があるなら。……最初から作れとおっしゃるのか」


「最初の矢竹が乾くまでの仕事は、世話しよう」


 矢竹は乾くまで半年はかかる。遠回しに飢えさせる意地悪ではないと知って、甚太の表情から緊張が抜けたが、兵吾も愛想の上乗せはしなかった。負傷した少年にも父母がおり仲間がいる。村に定着できるか、あまり分の良い賭けではない。


 だが捕らわれてなお、体面や意地のために命を捨てる様子がないのは好い兆候だった。兵吾は当主一族の村長(むらおさ)として、壮年の働き手を冷徹に歓迎する気持ちがあって、それは兵吾自身が体面や意地を気にする気持ちと一致しなかった。それを抑えて兵吾は言った。


「矢作り職人として村になじめるようであれば、武辺働きなり、猟師働きなり考えてやってもよい」


奴婢(ぬひ)に落とされても仕方のないところ、努めさせていただく」


「殿様のお考え次第だが、願ってみよう」


 甚太は中途半端に平伏したが、まだ皮膚にひきつるところがあるようだった。兵吾が立ち上がると、厳斎も続いた。中村の龍吾に報告に行かねばならなかった。


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