つづら師編(3)
十日ほど経って、一行は目的地に着いた。
水の神、清冽明神をまつる敦馬清冽大社の門前町は、荷物の受け渡し場所でもあった。神社のおひざ元とはいえ、交通の要地で悪所のたぐいも揃っていたから、宿舎から抜け出す従者がいても目立たなかった。
沖田権弁令に供奉していた歩兵の権助がのれんをくぐったのは、高くもないが安くもない旅籠のひとつだった。どこかの組合から割符をもらわないと泊れず、大事な証文を抱えた商人などが使う宿であった。権助がそんなものを持っているわけではない。宿泊客を訪ねたのである。
「大儀でおじゃったな」
やはり歩兵として、襲撃時には逃げ隠れていた犬丸は、上等には見えないがさっぱりとした下級武士の服装に着替え、湯上りなのか、くつろいで団扇を使っていた。
「ご指定の旅籠にて、無事に受け渡してまいりました」
権助は懐の書付を差し出した。荷物の受取証には荷主と受取人の決めた符丁が書かれており、後日の証拠となるのであった。この旅籠は沖田家がいくつかの貴族家・領主家と共有しているもので、門前町に入った時から沖田家の護衛が権助についていたから、本人は道中差し程度の武装でも重要書類を持って歩けた。
この権助、術者としての通名を羽根弥といい、長いこと沖田権弁令と組んでいるつづら師であった。
「筑後は、今回のつづらの中味を知っておったのですか」
犬丸はかすかに笑った。
「もちろん知らんのや。適当なことを十橋の衆に言うておったような。まあ実際、つまらん物やけどな」
もうおわかりであろう。本物の沖田権弁令は、ここにいる犬丸である。全転から臨時に雇った火術師の筑後の姿を、沖田権弁令の異母弟である化粧[=変身]術者、顔焼きの与五郎が真似た。王都の高位貴族の顔など旅程の誰も知らないのだから、与五郎が筑後の顔で輿におさまっていても何の矛盾も生じない。そして筑後は雇われたときから、与五郎が沖田権弁令であり、しかもつづら師なのだと聞かされていた。供奉の歩兵に混じって一行を護衛し、機会があればじつは本物の沖田権弁令であるという「芝居をしろ」と命じられていたのである。筑後は沖田家の求めで全転が見つけてきた人材で、かつて貴族子弟として教育を受け、素行の悪さで勘当された人物だった。だから王都貴族のふりもできたのである。
都合よく貴人に似た術者など雇えるわけもない。だから火術者を雇って、化粧術者がその火術者に化けるという二段構えを敷いたのである。
いまごろ一行が泊っている宿では、与五郎が筑後の顔に少しだけ化粧をしてふんぞり返り、筑後を客分として酒食を楽しんでいるであろう。それも役得であり、この輸送を巡って動く巨大な金銭に比べれば些細なものであった。少数の近侍だけが、それが本人ではないことを知っているが、生母の身分の関係で本家に残れなかった実弟だから、不当な扱いとも言えないのである。
「その中味を狙ったのは、誰なのでございましょう」
「見当はつかんでもないが、もちろん証拠などおじゃらぬ。今回のことだけでは騒ぎにはできんのや」
それきり犬丸は悔し気に黙ってしまった。王室に売り上げのいくらかを渡して共謀しているとはいえ、これは沖田家の事業である。一方的に疑いをかけるには、強大すぎる相手であった。
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大輪潟西府君兼治は大輪家の当主である。大輪家の版図はだいたい昔日の潟西省に当たるが、かつての省都は大規模魔法の応酬によって瓦礫しか残されず、寒村になり果てていた。
魔法のある世界ゆえ、日本風の天守閣に重要人物が住めば四方から狙い放題である。居館を囲む壁の四隅に矢倉が張り出し、弓兵や術師が壁に群がる敵兵を撃てるようにはしてあったが、当主の居室はむしろ下層階にあった。
「無事に着いたか」
すでに通信文を持ってきた家臣は下がらせ、ついでに人払いをしていた。清冽大社の門前町から荷主である兼治に宛てて、遠方の大領主への進物となる茶道具が無事に届いたと知らせてきた。
「思うたより、手ごわい」
そして、はぐれ傭兵に落ちた術者や忍びを使って、襲撃を手配したのも兼治であった。成功したつづら師の正体や護衛方法を知れば、それを材料に脅して言うことを聞かせることもできる。当然、十橋荘には見届け役の忍びが入っていた。龍吾たちが見聞した程度の情報は既に報告されていたが、兼治は
「うまく、ごまかされた……」
と見ていた。兼治は王室で勤務する沖田権弁令の絵姿程度は手に入れられる立場だったからである。一行の旅程を知らされ、正確に襲撃場所を選べた容疑者として、沖田権弁令の脳裏には兼治が浮かんでいるかもしれなかった。表立って難詰[=問い詰めること]するほど証拠はつかめていないにしても。
そして、もうひとつの狙いも失敗した。
「運は良い奴らよの」
兼治はつぶやいた。最近の十橋一族は大輪家に利のある成果を挙げてはいるが、予測を外れた行動が多く、兼治としては小癪であった。茶道具が失われれば、領主としての警備責任を言い立てて圧迫し、言われるがままの小さな駒としてやるつもりであったが、それもできなかった。
「まずは、焦ることもなかろうか」
心を鎮めるように、兼治はつぶやいた。塀に囲まれた小さな庭で、池の鯉が水音を立ててはねた。
つづら師編 了
活動報告にあるとおり、しばらく『士官稼業』外伝・ディエップ強襲作戦1942(仮称)の準備を優先しますので、こちらの更新はおそらく5月以降になります。申し訳ありません。ブックマーク・評価等ありがとうございます。




