つづら師編(2)
「これはまた、大軍勢にございますな。ですが通すしかありますまい」
中村の当主館で、厳斎は書状から目を上げて龍吾を見た。敦馬国王の神社への代参人として、沖田権弁令が十橋領内を通過するので便宜を図られたいとの依頼書……というより丁重な通告書であった。その護衛と荷駄を合わせ、馬三十、供奉する人数五十というから、十橋が無警戒なら攻め落とせそうである。
龍吾は淡々と、しかし意見を求める顔で老臣たちを見た。
「これだけの費えをかけて、人ひとり送るというのが、どうも解せぬ。恐れ多きことながら、王室の御内証[=財政状態]に良い話は聞かぬ」
「つづら師が供奉の者に混じっておるやもしれませぬ。となれば警護の術者も二、三人」
十橋藤庵の答えに、複数のうめき声が上がった。つづら術とは、異空間を作り出して多くのものをしまい込む術であり、商業でも軍事兵站でも珍重される異能である。様々な勢力に属して働いていたが、当然、殺されれば輸送は失敗するゆえに、その存在は何としても秘匿しなければならなかった。そしてそれが荷物とともに移動するとなれば、つづら師の同行は様々な口実で隠蔽されたのである。
「御王室もどなたかに使われておわすのだろうな。おいたわしいことよ」
龍吾はつぶやくように言った。
--------
「麿が沖田権弁令におじゃる。出迎え大儀」
龍吾以下、十橋の老臣数名が膝をついてあいさつするのを、輿の引き戸を開けただけで沖田権弁令は受けた。そして甲高い早口で最低限の名乗りをすると、黙った。供奉の主だった者が、名乗りもせずに告げた。
「権弁令さま、発たっしゃいます。控えられませい」
龍吾たちは立ち上がって数歩、道の脇へ後退した。しゃらんと鈴が鳴って、行列が動き出した。変事に備え、謙吾と厳斎が村の建物の陰に軍勢を伏せていたが、何事もなく収まりそうであった。
謙吾の位置では話し声は拾えないが、やりとりが極端に短かったことは見て取れた。
「会話を避けた……とも取れます」
「ぼろが出ては困る……となれば、輿の中味がつづら師かもしれぬな」
「守るには最も良い位置ですが、思い切ったことをしますね」
本物の沖田権弁令は、じつは一行に加わっていないとすればまだわかるが、あからさまに嘘の公文書を王室が出して通過容認を強要するのも、有力な領主のところでは問題になりそうである。とすれば高位貴族が部下か臨時雇いの術者と入れ替わり、槍をふるって重装騎兵の働きをするか、ほこりをかぶって馬の横を歩いていることになる。厳斎は鋭い目を行列から離さなかった。
「歩く体力だけでも相当なものが要る。油断のならぬ御仁よな。役方[=文官]におわすこと自体が目くらましか」
「王室に猛者がおわすとなれば、それだけで波風は立ちましょうな」
「厳斎様、申し上げます」
弥助が口をはさんだ。
「空から五、六。とても速い」
謙吾と厳斎は上空を見回した。鳥のように見える黒点は、みるみる点ではない大きさになった。八羽いた。大きな烏の足に、人がしがみついているようだった。
--------
誰がつづら師かはひた隠しに隠すのが、こうした隊商共通のやり方だった。荷主かつづら師にとって大事な人質でも取るか、あるいは全滅させてつづら師の死体から荷物が吐き出されるのを待つしか、荷物を奪う方法はない。だから当然、襲撃者はまず沖田権弁令の身柄確保を狙う。
もちろんそれは、打つ手が限定されて守りやすくなることでもあった。襲い来る二人の術者が雷と風を浴びせたから、歩兵と馬子たちは逃げ惑った。術への備えのある騎馬武者たちは馬を降りて輿を囲んだ。
護衛の中には土術者もいて、ところどころに土塁を盛り上げ、弓兵はそれを盾代わりに戦った。歩兵の一部もその土塁に身を寄せた。土術者と組んだ水術者が反撃したが、襲撃側が輿に接近するのは止められなかった。そして輿の中から、豪奢な衣服の男が自分から転がり出て大声を出した。
「待て。待ちゃれ。何が望みでおじゃる。お命[自敬表現で自分の命のこと]の代価は望むがままでおじゃるぞ」
それは印象的な光景であったから、襲撃側の二人の術者はつい気を取られた。そして致命的な一撃を、逃げまどっていたはずの歩兵から受けた。
「この行列の警護役はな」
歩兵の掌からはまだ火術の余熱が漂っていた。なお術を放とうとする雷術師は、警護の者が弓で仕留めた。歩兵の顔は、よく見ると輿の中にいた男にそっくりであった。
「麿でおじゃるよ」
歩兵が目をぎょろつかせて笑うところは、どこか嗜虐的であった。
---------
「我らが割って入っても、いくらも助けにならんであろう。いかがする、御曹司」
「我らの荘に入るのを待ちかねたように襲ってまいりました。何もせぬのでは、今後が心配かと存じます」
「悪くても番衆壊滅程度のことか」
厳斎は周囲の軍勢を見回して大声を上げた。
「聞けや、者。我が荘で暴れる慮外者に一矢を加える。弓矢ある者は黒い大鳥とその一味を狙え。おそらく気を引く程度の助勢しかできぬ。生き残ること第一に戦え。弓矢のない者は馬を連れて戦場を逃れよ」
人が動き出した。
「御曹司、何をしておられる」
謙吾は背中の矢筒から矢をすべて抜き取り、従兵に渡していた。
「身共では当たりませぬゆえ、撃てば当たりそうな者に、矢を分けます。この場で身共の役目は、逃げぬことのみにて」
「割り切られたな」
厳斎は謙吾を逃がすつもりでいた。だが、先だっての兵吾同様、自然に上に立つ者の態度を示しているようにも思えた。眼光の鋭さを和らげないまま、厳斎は言った。
「よきご当主よ。皆、弓矢、構えい。……放て」
--------
十橋勢の加勢は面子を保つ以上のものではなく、それがなくとも襲撃者の全滅は目に見えていた。つづら師を使った輸送では、つづら師の正体を秘匿するため、誰も生かして返さないのが通例だからである。もし捕虜が出たら、別の術師によって秘密を守る誓約術をかけられ、一生こき使われることが多かった。
沖田権弁令がぎりぎりまで火術を秘したのは、襲撃側にどんな術者がいるか見ていたのであった。そしてその術者を不意打ちで倒した今、一方的に撃たれ、落とされているのは襲撃者であった。つづら師を襲う側にも情報を明かさない術などの準備はあろうから、捕虜を残そうともしなかった。
村に身を潜めていた龍吾たちが、厳斎たちより先に戦場に現れ、戦闘で汚れた衣服のまま沖田権弁令は形式的に助力の礼を述べた。
「やはり権弁令さまを狙ったものでございましょうか」
「つまらぬいざこざでおじゃるよ」
つづら師なのですか……とも尋ねられないから、不得要領な会話に終わった。沖田は龍吾に何の情報も渡さなかった。龍吾たちが驚いたことに、一行には貴重な治療師も加わっていて、わずかな死者は遺髪を取られたあと、中村近くに葬ることになった。旅程の途中である沖田は気前良く、襲撃者の高価な武具一式(多くがかなり特殊ではある)と希少な大烏の羽根を十橋荘に譲ったから、迷惑料を出せとも言えなかった。わずかな休息を終えて一行は発った。




