嫁取り編(1)
水車の設置に適した場所を探し回っている鳳吾が新村に来たので、兵吾はその案内を口実に書類仕事を抜け出して、早春の濃厚な草葉の匂いを堪能しながら、投網川の支流に沿った林道をひとめぐりしたあと、新村に戻るところだった。鳳吾が連れてきた部下ふたりが護衛である。
転生者が概念や知識を伝えても、すぐ実現できるものと、総合的な科学文明の基礎が足らずに実現しないものがあった。窒素肥料や火薬の原料を合成する方法などは、例外的に優れた術者が高温高圧状態を作れば実現できるのだが、その作業に英傑を張り付けるわけにもいかないので、産業としては成り立たなかった。頑丈で均質な合金を作り、複雑な形状の容器を鋳造し、釘打ちや溶接、あるいは標準化されたねじで継ぎ合わせ、必要最低限をあまり超えない圧力をかける工業技術が何百年もかけて、ゆっくり進んでいるのであった。
水車と風車は、その中で比較的容易に実現できる動力装置で、あちこちで使われていた。穀物を粉にできれば加工や保存の幅が広がるし、糸をつむぐのにも使えた。十橋荘には水車はなかったが、穀物粉や糸を安く自給できるのは魅力的だったから、新しい物好きの鳳吾が検討に入ったのだった。
「嫁御寮か。よい話ではないか」
「まだ、我がことと思えぬ」
「ものの本によるとな。異界には、'ごつごうてんかい'なるものがあるそうだ。こういう話をしておるとな。都合よく若い娘が、食いかけの食い物などを口にしたまま、辻の角から急に曲がってくるのだ」
「一本道の農道で、ぶつかるも何もないわ」
「違いない」
「どろぼう!」
女性の怒号に追われるように、若い娘が新村を走り出て、こちらに向かっているのが見えた。
「ほら賛丸、来たじゃないか。ぶつかりに行け……」
賛丸は兵吾の幼名である。鳳吾がからかう声は、途中でしぼんだ。真剣な顔になった鳳吾と兵吾は腰を落としてかかとを上げ、左手を打刀の鞘に添えて早足で進んだ。だがそれを押しのけるように、二人の部下がその前に出て走った。
若い娘はひざから下の素足をさらし、典型的な「転生したばかりの恰好」をしていたのである。とすれば、何の術者かわからない。取り押さえなければ危険だった。
だが、行く手から向かってくる四人を見た娘は膝をついて座り込み、上を向いて大声で泣き出したのだった。村から追いかけてきた女衆は村長兄弟を見て、吊り上がった目じりを下げてぺこりと頭を下げた。
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山田花。娘はそう名乗った。兵吾たちは顔を見合わせて「偽名だよな」という認識を無言で共有した。もちろん偽名であるが、この世界で娘の本名が呼ばれることはないであろうから、それは記さずに置く。
中村まで歩いても一刻(二時間)もかからないから、新村には宿屋はない。最近、行商人を装った来訪者が急増したこともあって茶店ができ、あまり甘くない草餅を出していた。どうも転生直後の一文無しであった花は、匂いにつられて草餅を盗んでしまったようなのである。
兵吾は代金を払って、一件を村役場の預かりとし、村人を役宅から去らせた。そして鳳吾や儀次郎とともに、聞きにくいことを花に尋ねた。
「そなた、どのような術を使う」
「私の力は、雷……です」
花は、一気に重くなった空気を感じ取ったのか、声を小さくした。一般に術者は、'すていたす'と呼ばれる力があって、自分が持っている力がわかるものらしかった。
攻撃力のある術を持つ者は、抜身の武器を下げている存在であり、味方とならないならば敵に渡してはならなかった。
兵吾は呼吸を整え、村長になった時から教え込まれている決まり文句を口にした。こういうとき、どの領内でも扱いは似たようなものだった。
「其許にはふたつの道がある。人を殺めるほどの力を生涯封じると心に誓うなら、只人としてどこぞで生きる算段をしてやってもよい。もし力を鍛え、振るうのであれば、術者の集まりに属して、守り合わねばならぬ。術者が徒党を組んで、手段を選ばず巻き添えにも構わず、はぐれ術者狩りをやれば……少々優れていても命は長くない。優れたはぐれ者ほど、傍目には物騒なのだからな」
兵吾はもう一つの道を口にしなかったし、周囲の者もそれを当然とした。誘拐同然にでも花を押し込めて、戸塚家なり大輪家なりに引き渡して点数稼ぎをするのは、世間によくあることだったが、短期間で使いつぶされるのが目に見えていた。術が心の技である以上、信頼と意欲を欠いては力が発揮できるわけもなく、そのことはこの時代の武士ならば、他人事ではあっても知っているものだった。
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女性を拘留し、尋問する機会は多くないが、村を治めていれば避けられないことでもある。普段から登紀のもとで、村役経験者や古老の家族から肝の座った女衆を選び、男性には任せづらい客人や囚人の世話を任せられるようにしていた。だいたい、新村の茶店も怪しい旅人しか利用しないのだから、その女衆は村役たちに人選され、異常を見逃さないよう仕込まれているのである。
花の返答には一日の猶予を与えた。
花をそうした女たちに預け、鳳吾たちが中村へ帰り、書類の山に兵吾が取り掛かろうとすると、別の訪いが告げられた。
「村長様には初めてお目もじします。ご相談がございますのや」
日に焼けてくたびれた大黒頭巾の男は彌右衛門と名乗った。門番には旅の薬売りだと名乗ったというのだが、山葵小屋騒動以来、中村や新村に増えた行商人たち……どこぞの雇った里忍びか、悪くすると影忍び、あるいは術者のように思えた。
果たして、門番が下がって兵吾と儀次郎だけになると、彌右衛門はふところから木札を取り出し、神社札のように押し頂くと、無言で差し出した。表面は所持者の安全への配慮を願う、典型的な道中手形の文面だった。
だが裏返すと、そこには所持者の所属と、大輪家重臣の花押が黒々と墨書されていた。会ったことはないが、兵吾も十橋一族の行政官として、通知文や要請文で何度かお目にかかっている人名と花押であった。
「秋葉屋さんには、わてら全転(全転生者組合)がなにかとお世話になってますのんや。しばらく新村に気ぃつけてくれと言わはりましてな。わてが詰めてました」
「騒ぎになったのを、聞き及んだか」
「大きな声を……出さはりましたさかいな」
「かなわんな。餅は餅屋か」
「草餅は扱うておりまへんわ」
彌右衛門は無言でぺこりと頭を下げ、にかっと営業用の笑顔を見せた。
確かに、花の行く末を相談できる相手は秋葉屋くらいしかなく、話が早くて助かることであった。
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中村の龍吾にも人をやって大急ぎで話を通し、翌日、この世界の着物に着替えた花が兵吾たちと向き合った。何をどのように話すのか、ずっと考えたのであろうと思えた。
「全転にお世話になりたいと思います。この世界は私たちの住んでいたところと比べると、危険がいっぱいです。攻撃できる術を持っていると狙われるというお話は、彌右衛門さんからも伺いました。でも普通に暮らしていても、無事が約束されているわけじゃないと聞きました。それなら精一杯力をつけて、何だかまだわからないけど、何かできるようになりたいです」
兵吾は「俺か。俺が答えるのか」と言いたげに周囲を見たが、誰も口をはさんでくれないので、呼吸を整えた。そして正しいことよりも、場にふさわしいことを心がけて、言葉を選んだ。
「何だかわからないものを、できるようになりたいというのは、異界の者らしい考えだ。ここに生まれた我らは、そのような考え方はせぬが、止めもせぬ。息災であれ」
「私たちがおびえずに眠れる日が、私が生きているうちには来ないかもしれませんが、その日のために頑張ります」
「弓の上手は戦に強いが、謀りごとで殺し尽くすには多すぎる。術者もそのようなものになれば、普通の武士ほどには安んじて眠れるのであろうな」
花は柔らかい笑顔を見せた。
「なんだか希望が出てきました。では、彌右衛門さんをお引止めもできないので、早速に出立したいと思います」
花はこの世界風に、深く頭を下げた。村長役宅に仕える者たちの所作を見て、覚えたのであろう。こういう柔軟さは、この世界になじんでいくために良い兆しであった。
彌右衛門が村松にある全転の教導場まで、花を伴ってくれることになっていた。村長役宅に顔は出していないが、すぐに連絡のつく部下も連れてきているようだった。術者たちを抱える広域組織にかかれば、土豪の警備など紙のようなものである。
兵吾は彌右衛門との話を思い出した。紹介の報酬を払うことは本人の(例えば、全転への)前借りにつながり、まだ能力の強さや伸びしろもよくわからない転生者に悪い圧力になるし、それを目当ての転生者誘拐や虐待を助長することになる。だから全転は十橋に対して何の支払いもしないが、本人が後日、自分の稼ぎから心ばかりの礼を持参するのが普通だという話だった。
「ああ、俺は海老が好きなんで、よろしく」
儀次郎が噴き出した。出世したら干し海老の詰め合わせでも持って来いというつもりらしかった。だが、花は赤くなって、もじもじしたそぶりをした。
彌右衛門が儀次郎に「大丈夫でっか」と言いたげな視線を送り、儀次郎はとても大丈夫に見えない渋面をしたが、背後なので兵吾には見えなかった。「好き」という言葉だけが都合よく耳に刻まれてしまったらしかった。
何かとんでもない誤解をしたまま花が修行に向かい、帰ってくると兵吾に嫁が来ていて、錯乱した花が兵吾に電撃を浴びせる様が……
「見えるようだっちゃ……」
儀次郎の語尾が雷術の影響で変わっていることに、本人も気づいていなかった。




