幽霊列車(仮)
寝過ごした。
トンネルを通過している轟音で目を覚ます。景色は見えないが間違いなく知らぬ街までやって来てしまった事だろう。なんせ帰り道にトンネルなぞ存在しないのである、相当遠くに来てしまったに違いない。
現在地を確認しようと思いポケットから携帯を取り出すも、あいにく電池切れであった。これでは自分が何処にいるのか見当がつかない。
腕時計を見ると時刻は23時を回っているところであった。反対方向へ向かう終電はまだあるだろうか?
そう思っていると、トンネルの轟音と共に車内に車掌のアナウンスが響いた。
「ご乗車ありがとうございました、まもなく新H田、新H田です。車内に落とし物お忘れ物なさいませんようご支度ください。本日も……」
新H田駅、聞いたこともない駅名だった。とは言え寝過ごしている身である、とにかく降りて反対方向の列車に乗って帰ろう。そう思い荷物をまとめて席を立ち、ドアの前へと向かう。
列車は徐々に速度を落としトンネルから抜けると、小さな駅に停車した。ここが新H田駅か。
列車から降り辺りを見渡す。ホームに人の姿は無い。先ほどの列車から降りたのも自分ひとりだけだったようだ。
普段乗っている列車が長距離を走っている事は知っていたが、都会から一本の列車でこんな辺境な駅まで来れるのか。と思うと少し感心してしまったが、こう乗り過ごすとなると悲惨である。
とにかく、反対方向の列車の時刻を調べよう。そう思い駅に備え付けられている時刻表を見る。
既に反対方向の列車は終了していた。そして、降りた列車がこの駅を通る最終列車だったようだ。
駅員に事情を説明して乗り越しの清算をしよう、そして駅前に停まっているタクシーで帰ろう。高い出費になるがまぁ勉強代だと思えばしょうがない。
そう思いながら駅舎に向かうも、駅舎に人の姿は無く薄暗い蛍光灯が無人の待合室を照らしているだけだった。
駅前に出てみるとそこにはタクシーの姿どころか車一台さえおらず、建物さえ無かった。
まさか無人駅で降りる事になるとは……頭を抱える。今までも何度か寝過ごしたことはあるが、ここまで途方に暮れたのは初めてである。
何処か泊まれるような施設はないだろうか?と思い駅に備え付けられている地図を見る。しかし、近くに小さな集落があるだけで他には何一つとして無い。隣の駅までも5キロ以上は離れており、また山越えとなるので到底夜中に歩けるような距離ではない。
なんでよりによってこんな駅で降りてしまったのだろうか。
今更後悔しても仕方がない。とりあえず今日はこの駅で一晩明かして明日の始発電車で帰る事としよう。幸い始発は5時台とそれなりに早く、これなら一度家に帰ってからでも明日の出勤に間に合いそうだ。
待合室にあるベンチに横になって目をつむる。こんな田舎の駅なのだから静かだろうと思ったが、意外と周囲の環境音が聞こえる。少し離れたところに国道があるようで、トラックらしき車の音が聞こえてくる。また、どうやらこの路線は夜中に貨物列車が何本か走っているらしく、駅のホームは既に消灯しているのに駅構内にある踏切の音と貨物列車の轟音が響く。
こんな中で寝れるだろうか……?と最初は思ったが、思っていたより身体は疲れていたらしく、気付けば眠りに就いていた。
目が覚めたのは3時を回った頃で、駅には踏切の音が響いていた。
また、貨物列車がやって来るのか。そう思ったが、どうやら様子がおかしい。
始発列車まであと2時間以上あるというのに、ホームに灯りが点っていたのである。そしてホームには、客らしき人の姿がまばらに見える。いったいこの人達は何を待っているのだろうか……?
そう疑問に思っていると、駅の自動放送が鳴り響いた。
「ま…もなk、1ばn乗…り場に……時…分…発ののの……急、行。き……に。、ゴショウ行kが…gが…が参ります。大、変危険ですので……」
聞くに堪えない程、ノイズにまみれた放送であった。この駅を何時に出発するのかも分からなければ、列車の種別も満足に聞くことが出来なかった。唯一聞き取れたのが行先であったが、ゴショウなんて駅名に聞き覚えは無かった。
列車がやって来るならホームで見てみよう。どんな列車か見当がつかないが、地元へ帰れる列車ならラッキーだ。もし優等列車で特急券が必要だったとしても、車内で精算できる筈だ。
そう思ってホームに上がる。するとホームの端に黒い影が見えた。
その影が自分にはまるで大きな怪物に見えてしまい背筋が凍り付いた。無数の目がコッチを見ている。影にしか見えないが間違いなくコッチを見ている、それだけは分かった。
逃げなければ。そう思うもあまりの恐怖に足が動かない。なり続ける踏切の音とノイズまみれの接近放送に耳を支配されながら、考える。
そもそも、こんな時間に旅客列車がやって来ること自体がおかしい。この現代に、時刻表に載っていない列車なんて存在しないのである。時刻に載っていないのは、貨物列車か回送列車。客扱いを行わない列車だけだ。それならば、案内放送が鳴る事なんてあり得ない。そして行先の、ゴショウという駅名。もし、これが後生行だとしたら……。つまり、これはあの世行の「幽霊列車」なのではないか???と。
そう思うといよいよ発狂しそうになる。自分はとんでもない世界に足を踏み入れてしまったのではないか?
やって来る幽霊列車と駅の端にある影を前に何とか意識を保つことは出来たが、恐怖で足が動かない。
するとトンネルの向こうから光が見えた。いよいよ列車がやって来る。
やって来たのは、見た事もない程古い機関車だった。そしてその後ろには何両もの客車が繋がれていた。客車も見たことが無い程古い客車で、茶色と青色の車両が規則性も無くバラバラに繋がれていた。
その列車はゆっくりとホームに停車し、まるで自分を待ち構えているかのように、目の前で扉が開いた。
絶対に乗り込んではいけない。この列車の正体が何かなど全く見当もつかないが、乗ってはいけない事だけは分かる。
その時、いつの間にか後ろに立っていた人に、「失礼。」と声を掛けられた。今の今まで後ろには誰としていなかった筈である。確かに、ホームにはまばらな人影はあったが、近くには誰としていなかった筈だ。その人は迷惑そうに自分を避けて列車の中へと消えていった。
ただただ恐怖に怯え、列車からも影からも目を逸らす。しかし、逸らした側にもいつの間にか人がいてこちらを不思議そうな顔で眺めていた。
この空間でこの列車に疑問を持っているのは自分ただ一人であった。いよいよ足にも力が入らなくなってしまい、ホームに座り込んだ。
すると、車内から車掌と思しき人が降りてきた。まだ秋口だというのに真冬に着るような分厚いコートを羽織り、顔が一切見えない程に帽子を深く被っていた。そしてコッチを見て、「切符ヲ拝見シマス。」と、呟いた。
「いえ……乗りません。すいません。」涙声で返答する。
それでもその車掌は、「切符ヲ拝見シマス。」と呟くだけであった。
「いえ、ですから切符は持っていません。」そう言って顔を逸らす。逸らした方向は影がある方だったが、車掌も乗客の顔も見たくない。そして、薄ら目で影の方を見る。そこにいたのは、
無数の、カメラを構えた鉄道ファンだった。
その瞬間、口から乾いた笑いがこぼれ出た。なんだ、ただの臨時列車だったのか。
あまりにも人が多いからそれがそうやら一塊に見えたようである。そして無数の目は列車に向けられたレンズだったのだ。
正気を取り戻し再度列車の方を見る。するといつの間にか車掌は車両に戻ったようで、不思議そうな顔をして眺めてきた乗客もどうやら列車に乗り込んだようだった。
足腰の力を入れて立ち上がり、列車から離れる。すると、大きなホイッスルの音と共に客車の扉が閉まった。そして大きな警笛が駅にこだまする。どうやら発車時刻となったようだ。
その列車の発車をホームから見送ろうと思うが、しかし中々列車が発車しない。どうやら駅の端で運転士と鉄道ファンが何か揉めている様である。
かなりの時間経ち、どうやらようやく揉め事が収まったようで、ゆっくりと列車は動き出し、闇の中へ消えていった。
……今の列車は何だったんだ?そう思い撤収準備をしている鉄道オタクの中で一番まともそうな一人に声を掛けた。
「すいません、今の列車は?」そう問いかけるとそのファンはまるで再生速度の間違えたかのように早口で解説してくれた。
「今の列車は急行きたぐにと言って、大阪から新潟を結んでいる列車なんですよ。ここら一帯が直流電化されたことによって、今は敦賀までEF58という機関車が牽引するようになりまして。それがもうレアでレアで仕方がないんでみんなこうして深夜に集まっているんです。」
「あ、そうなんですか。」言っていた事の殆どが理解できなかったが、どうやらレア物だったらしい。そりゃ集まるか。そう思うと恐怖に陥っておりまともに列車を見なかった事を後悔しそうだった。
しかし、ここで疑問が残る。大阪から走ると言うなら、見た事があってもおかしくない筈だ。ここを夜中3時に発車するのなら、大阪を発車するのは恐らく1時前、ギリギリ終電が残っている時間だ。終電なら何度も利用しているが、見た記憶がない。
そしてもう一つ、何故そんな長距離列車がこんな無人駅で停車するのだろうか。
疑問に思っている事が顔に出ていたのだろうか?そのファンは相変わらずの早口で言葉を続けた。
「この列車は、ここでしか見れないんです。そして、もう見ることも出来ません。僕たちが、発車を遅らせようと策を尽くしましたから。」
…つまりどういう事だろうか?妨害したからもう二度と走らなくなる?そういえば、ファンの態度の悪さに愛想を尽かして、臨時列車の運転を取りやめる事があったという事象を聞いたことがある。恐らくそういう事だろう。なんと迷惑な奴らだ。
街まで送りましょうか?と言われたが、そういう人間に借りを作りたくなかったので丁重に断り、始発列車を待った。もうこの頃には始発列車の到着まで1時間ちょっととなっていた。
ホームのベンチで白んでいく空を眺めて始発列車を待つ。そしてやって来た列車に乗り込んで、ここ新H田駅を後にした。
家に着き充電の切れていた携帯電話を充電し、そして昨日見た臨時列車を調べる。
しかしいくら調べても、そんな列車が走ったというプレスも記事も、そしてツイッターの呟きも無い。
調べていて唯一引っ掛かった記事は、未明に新H田駅の隣駅にある使われていない留置線で、謎のボヤ騒ぎが起きたという事だけだった。
長良川長柄です。なろうでは2作目ですね。
この作品は、都市伝説である「新疋田の幽霊列車」と怪異である「偽汽車」のオマージュとなっております。
この都市伝説が生まれる遠因である「北陸トンネル火災事故」を揶揄する意図はございません。
また、この場を借りてこの事故の犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。
また、作中では鉄道ファンを滑稽に書いておりますが、これは自分自身が鉄道愛好家であるが故の自虐となっておりますのでご留意下さい。
また、きたぐにの新疋田通過時刻は午前3時ではない。や、EF58の北陸線入線実績は無い。きたぐにの旧客時代の組成は云々。新疋田終電は長浜発だから長時間の乗り過ごしは有り得ない。などの様々な矛盾はあるかと思いますが、フィクションとしてお楽しみいただければ幸いです。