ココアが涙を誘ってる
停まる止まる留まるトマル事が出来ない無い『時』
過去に様々な『疫病神』が姿を変え、人類史に別れと絶望の傷跡を遺している。暗黒に包まれようとも勤勉に、1秒1秒コチコチと進む時。
涙に暮れようと、悔しさで歯ぎしりしようと、拳で大地を叩き身を屈めようと、日は昇り沈み夜が来て、日が昇る。
立ち止まる事無く進む世界。流れは決して留ってはくれない。例えどうかこのままでと彼が神に祈っても……。
彼はこのままで居たいと願っていた。るるぅが好きだった時が、これ迄の時の中で一番花開き甘く、いちばん幸せだったから。変わりたくない。周りが進んでいても、じっとうずくまり、過去の甘い世界に浸り動きたくなかった。
停まる止まる留まるトマル事が出来ない無い『時』
――、風が吹き上がる。めろこの前髪を煽り耳を切る様な冷たさを残して通り過ぎた。彼女は駆けて追った最終車両が過ぎ去ったホームの先端に立つ。
足元のコンクリートはその先には無い、線路だけが先に先に続いている。ゴロゴロゴツゴツとしたバラスト。闇にとろける目の先。
バカ野郎とマスクの下でポツリ。その場で、手にしていた紙袋からガサリと音立て取り出したのは四角い箱。それは電車に乗り去っていった、先輩に渡す筈だったバレンタインタインのチョコレート。
紙袋を落とすと飛んで行かぬ様にスニーカーで踏む。用無しとなったそれに躊躇すること無く、グッと力を込め踏みしめた。
ビリビリと赤いチェックの包装紙を破り、ゴミと化したソレを、パーカーのポケットに、ガサリと突っ込む。
グイっとマスクを押し下げると、箱を開け田の字に収められているトリフをつまむと、口に放り込むめろこ。
モゴモゴとチョコを口の中で転がしながら、彼女は儚く敗れ去った恋心もまとめて飲み込む。ココアパウダーの苦味が膨れ上がり目に届き涙を誘う。
スン……、スン……、ツンと氷の温度が鼻に、ウッとした熱が目に。ゴシゴシと手の甲で拭う。
独り……。めろこは思う、悪い男に引っ掛かったと。4つのチョコは残り3つ。もうひとつ、口に入れる。粉砂糖がペタリと甘く舌に広がる。別れ際の覚えていたくない言葉が脳内でリピート。
ピロロロロ、ピロリロリーン発車のメロディに被さり所々しか聴こえなかった言葉が、繰り返し繰り返し……。3つ目のチョコを頬張る。誰もいないホームでチョコのヤケ食い。トロリとした甘さに癒やされる事は無い。
無性に悔しかった。口の中でチョコが蕩けて、クタリと潰れる。塩気の涙が頬に張り付きピリリとひきつれる。
停まる止まる留まるトマル事が出来ない無い『時』
――、駅のホームで、街中の自販機で、ファーストフードの店舗前で、バイト先のコンビニの休憩室で。決まった場所にミルクティーのボトルを置き、一歩引いて写メを撮る先輩。
アート?とめろこは見かける度にそう思っていたのだが、それならばカメラぐらい手にして撮影するだろうし、スマホで撮影……、色々考え腑に落ちない彼女は節分の夜、役目を終えた恵方巻のポスターをまだ剥がしちゃ駄目かな……と思いつつ問いかける。
どうしてあちこちフォト撮るんですか?と、恵方巻、全部売れるかな、店の時計を見る先輩にマスク越しで、モゴモゴフゴ……、くぐもる声で問いかけためろこ。
「あ?写メの事?心霊写真を撮りたいんだ、ミルクティーはお供えね」
真面目な目をして、こちらもモゴモゴフゴと、答えた彼。
あっさりと予想の上を行く答えが返ってきた。はっ?気持ち悪!怖!と、ドン引きしためろこ。しかし何故か引っ掛かってしまっためろこ。
さっき休憩室を撮ったけど……、と店内に客が居ないのを確認し、取出し開くめろこの先輩。横目でちらりとお伺い。そして……。
画面を眺める視線が優しいと気がついた。
駄目かと画面を見る目が寂しそうに笑う。
その横顔が目に心に宿り、やがてめろこの身体内のおくの奥に、ふうわりとした甘いモノが灯った。
それは恋、こい、という、一歩通行の甘くて淡い夢。
「撮れました?」
「うお!ってめろこちゃんかぁ……、うーん、無理だった」
胸の中に蕾が宿っているめろこ。気持ちは大きく膨らみ紅に染まる。表向きは平気を装っているせいか、ぶっきらぼうな自分。バカバカァもっと、こう……可愛らしく聞けないの!と涙が出てくる想いをしている。
ファーストフードの店舗前、ベンチに座るキャラクターの人形。その側にはミルクティー。
「撮れました?」
「めろこちゃん。うーん、駄目かな……」
好きになったからだろう。めろこは以前はちらほらとしか気が付かなかった存在が、今は向こうから、目の中に飛び込んでくる。
休憩室の机の上。椅子に座り確認をしているめろこの好きな相手。
「撮れました?ああ、友達はみんな、めろこって呼び捨てだから、先輩もそれでどーぞ」
「あ?ああ、なかなか撮れないな」
「撮るなら有名処に出向くとか、ほら!3丁目のビルって出るって話ですよ、それとか、自然公園に行く途中のトンネルとか……」
「へえ、めろこはオカルト好きなんだ」
「嫌いです、怖い場所に近づきたくないから、知ってるだけです」
数回やり取りをしている内に、距離が少しだけ縮まっためろこと先輩。街角で、ファーストフードの店舗の前で、休憩室で……、やり取りする事が増えたのは、若い男女として自然な流れ。
……、トクントクン進む、めろこの恋心。時はバレンタインが近い。
バイト先では、商戦根性たくましい、バレンタインコーナーが出入り口付近に出来上がっている。商品の補充、レジに立つと、どれにしようかと、恋するめろこは密かに選んでいる。
ガラスの向こうには、外を掃除をしながら写メを撮る先輩の姿。入ってきて誰もいないタイミングを狙い、聞くめろこ。
「撮れました?」
「撮れてない!めろこもやっぱ幽霊見たいんだ」
「ええ!こんな街中で幽霊出たら怖いです、休憩室に出たらどうしよう、先輩が真剣だから気になるだけですよ」
「うーん、僕としては出てほしいんだけどな」
「やっぱりトンネルですって!先輩。バイトあがりに行ってきたらどうですか?」
「はい?ググったけど、あのトンネルヤバいだろ?」
「はい、怖いですぅ!首なしライダーがブォ……でしたっけ?でも絶対!心霊写真撮れるスポットですよ……」
キィ、ドアを開け客が入ってきた。二人のモゴモゴ、フゴ会話は終わり。そしてその日の帰り、チョコを買っためろこ。へえ、誰に渡すの?ニヤニヤと聞く先輩。
「秘密です!そういう先輩だって……、彼女さん居るんですか?」
うきゃぁ!地雷的な質問をしてしまっためろこ、頭はクラクラ、胸はキリキリ。後輩の抱えるものなど知らぬ先輩の彼。
「秘密」
そう言うと、明日から休み取ってるから頼むな、無慈悲な言葉をめろこに投げた。
「ええ!バレンタインに休む」
「うん、休み」
「……、彼女とお泊り!」
「違うよ、ちょっと野暮用」
良かった、とホッとしためろこ。手に持つ袋の中には、甘い夢色がふくふくと詰まっている。今度シフトが一緒になったら……、甘い甘い夢を見た。
ところが、それきりふっつり……、めろこと先輩の接点が途切れた。バイトのシフトが変わったらしい。夜の時間帯に入るめろこは他のバイト仲間に、昼間にシフト変わってるよと教えて貰った。
めろこの手の中に、宙ぶらりんなチョコレートがある。どうしようかチョコレート。たまに話しかけるめろこ。
コチコチ、時だけ重なり過ぎていく……。相変わらず街中で写メを撮る姿を見つけるが、二人の間に深い溝が掘られた様で前みたく、気軽に声を掛けることが出来ないめろこ。
勿論、溝を掘ったのは先輩なのだが。彼は自身に起こった変化に戸惑い、それから身を守る為に大きな堀を創り上げた。
あっという間に過ぎていく、月火水木金土日……。昼間に店に行くのも気が引けて、宙ぶらりんのチョコレートはそのままめろこの部屋に居着いてる。
停まる止まる留まるトマル事が出来ない無い『時』
「やめた?」
めろこの世界の天井が、ガンガラガッシャンと音立て落ちた。仲間から聞いた話。
「うん、今晩最終の急行で、何処だっけ?実家に帰るってさ、めろこ。仲良かったのに知らない?」
知らないし!それに仲良く無かったし……モゴモゴ話すめろこ。
「ふーん、てっきりようやくアイツ、亡くなった彼女さんから卒業するのかなぁって思ったんだけどな」
めろこの世界の壁が、ガラガラガラガラと崩落していく……。そうか、それで写メ。めろこは合点がいった。
「へ、へえ……、その彼女さんって、ここでもしかしてバイトしてたとか……」
思いっきり強がってみせる。そうだよ、休憩時間は仲良くミルクティー飲んでたな。仲間の返事に……、
めろこの世界の床が、グズグズグズグズと崩落していく……。心霊写真ってそういうことか。
――、決められたシフトが終わる午後10時。ここから駅まで自転車を飛ばせば……、行くかどうしようかと愛車に跨ぎ考える。前カゴの中には鞄。その中には毎日出し入れしたために、くしゃっとなった紙袋。
何故か逃げられた感がするめろこ。スマホを取出し時刻表を調べる。間に合うかどうかは分からない。それは神様だけが知っている。だから……
ジャッ!自転車を漕ぐ!力強く前に前に進む!駅に向かって突き進む。空にはポチポチと星、地上にはペカペカとイルミネーション。都会の夜は明るい。
めろこは眠る街路樹の枝を揺らす風の様に、ヒュイと空気を切り駅に向かう。
停まる止まる留まるトマル事が出来ない無い『時』
生きてる私を見てほしい。ただ、それだけだったのだが……。受け取って貰えなかったチョコレート。わけのわからない言葉をめろこに残して、急行列車に乗り込んだ好きな相手。
追いかけた。ガタンと動いた車両を……、ちゃちな恋愛映画のワンシーンの様に追いかけた。長方形のガラスの向こうには二度と逢うことの無い先輩の姿。
さよならも言ってない、好きですも。受け取って下さいとそれだけだったのに……、マスクが邪魔をする。大声で何かを叫びたい!走りながら胸に宿った蕾が、大きくおおきく膨らみすぎて、何時しか風船になっている。
風船ははち切れそうにパンパンになっている。割らなければ……、苦しくてたまらない。
――、風が吹き上がる。めろこの前髪を煽り耳を切る様な冷たさを残して通り過ぎた。彼女は駆けて追った最終車両が過ぎ去ったホームの先端に立つ。
4つ目のチョコは最初と同じ、ココアパウダーがまぶされていた。苦味が胸一杯につまる。手の中の空箱を思いっきり足元に叩きつけた。それを見下ろす。口の中はとろりと甘い。
カサササ……風が箱を運ぶ。
フウフウと涙が出てくる。
「めろこが眩しいんだ。眩しくて心霊写真が撮れないよ、だから、るるぅと育った町に帰るよ、チョコは受け取れない」
さっさと行きやがれ、めろこは胸の中の風船を割ることにする。汗と涙と鼻水とでグショグショに湿って気持ち悪いマスクを外すと、大きく深呼吸……、それから。
「先輩のバカ野郎!大ッ嫌い!二度と帰って来んな!」
パァン!叫んだ言葉が膨れ上がった風船を刺して割った。チリリチリリと身体の奥のおくが鳴く、北風にさらされ、凍えた時のようにそこは痺れて、ピリリピリリと痛んだ。
終。