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悲願シリーズ

電話悲願

作者: 吟野慶隆
掲載日:2020/02/17

 ひどい緊張に襲われているといつも、非現実的な心配が頭をよぎる。例えばこの、公衆電話のダイヤルボタンを押した時に鳴る、ぷっ、という電子音。電話ボックス中に響き渡っているように感じ、ひょっとすると扉を閉めているにもかかわらず外に漏れ、半径数キロメートルの範囲内に轟いているのではないか。そんな馬鹿げた杞憂だ。

 しかし神経が張り詰めるのも仕方がない。なにせ、今からかける電話はただのお喋りではない。「お宅の娘さんを預かった」「返して欲しければ身代金を寄越せ」という脅迫だ。いくら、攫われたことになっている女子大学生――同じ部活の後輩――と協力関係にある、いわゆる狂言誘拐とはいえ、息苦しくならないわけがなかった。

「……ふうー……」

 十数秒後、ようやく入力が終わった。後輩女子が暮らす実家――都心の一等地にそびえる大豪邸――の固定電話の番号だ。受話器を耳に当てると、ぷるるる、という電子音が聞こえてきた。いよいよだな、と唾を呑み込む。

「はあい」

 しわがれた女の声が聞こえてきた。おそらくは後輩女子が同居しているという祖母だろう。

 よし、言ってやるぞ。小さく息を吸い込んでから声を発した。「お宅の娘さんを預かった」

 祖母は何も言わなかった。絶句しているのだろう。おれは続けて身代金の件を伝えようとした。

 しかしその前に返事があった。「ああん? 何だってえ?」

 なんだと、聞こえていなかったのか。おれは唖然としたが、すぐに我を取り戻した。祖母が「なんだい、なんもないなら切るよ」と言ったためだ。

「待、待ってくださ、待ってくれ」つい敬語を使いそうになった。「いいか、よく聞けよ」心持ち大きく息を吸い込んだ。「お宅の娘さんを預かった」

「なっ、なんだってえ! そりゃあ、本当かい!」

 祖母は泡を食ったように叫んだ。やれやれ、やっと聞こえたようだ。

「本当にアメリカとソビエトが核戦争をおっ始めたのかい!」

 ずっこけそうになった。誰がそんな壮大なことを伝えた。

「違う!」大声を上げた。即座に声量を下げ、「いいか、もう一度言ってやる、今度こそよく聞くんだ」と言った。「お宅の、娘さんを、預かった」

「ああん!? てめえ、今、なんつった!?」

 いきなり祖母が怒鳴ったので、咄嗟に受話器を顔から離した。すぐに再び耳に当てる。よかった、さすがに今回は聞こえたらしい。

「てめえっ……よくもそんな、ふざけたこたあほざけるもんだ! こっちが老いぼれだからってからかってんのかい!」

 なにやら悪口の類いと聞き間違えられてしまったらしい。「あ、いや、違――」

「けっ! 舐めやがって! もうかけてくんな!」

 そう祖母が喚いた直後、ぶつっ、という音がした。それからは、つー、つー、という電子音が聞こえるだけになった。電話機の液晶画面に「通話終了」と表示された。

「ふざけやがって……!」

 おれは衝動的に電話ボックスのガラスの壁を蹴りつけた。壁に立てかけるようにして捨てられていた新聞紙が、ぱたん、と倒れた。

 すぐに我に返り、きょろきょろと周囲を見回した。しまった、目立つような真似をした。誰かに目撃されてはいないだろうか。

 このボックスは東西に伸びる車道に沿う歩道の上に設置されている。現在は平日の昼間で、今のところは辺りに人の気配はなく、自動車の一台すら目にしていなかった。ここから東に数十メートル離れた所の路肩には道路工事の現場がある。工事を請け負っている業者は、後輩女子の父親が会長を務める大規模企業グループの関連会社だった。

「あの現場は……今は無人のようだな。ちょうど休憩時間中なんだろう。とにかく、誰にも見られていないようだ。よかった……」

 少し俯き、安堵の溜め息を吐いた。床の新聞紙が視界に入る。数日前の夕刊で、その日の昼に近くの町で起きた通り魔事件の記事が載っていた。犯人はまだ捕まっていない。

 おれは受話器をフックにかけ、再び持ち上げた。ズボンのポケットから財布を取り出し、数枚の十円玉を掴む。それらを電話機に投入し、ダイヤルボタンを押し始めた。

「今度こそ言ってやる……!」

 受話器を握る手に力がこもった。またしても祖母が電話に出るのではないか、という恐れはあった。しかしかといって、こちらの思ったとおりの人物に応対させる、というようなことができるわけもない。他の家族、あるいは使用人が出てくれることを祈るしかなかった。

 数秒後には番号の入力を済ませた。受話器を耳に当てる。

「はい」

 さきほどよりは若い女の声が聞こえてきた。これはおれにも覚えがある、後輩女子の母親だ。よかった、祖母じゃない。

 小さく息を吸い込んでから声を発した。「お宅のむす――」

 がががが。がががががががが。

 突如として大きな音が鼓膜をつんざき、台詞をかき消した。思わず息が引っ込む。音の聞こえてきたほうに視線を遣った。

 工事現場にいつの間にか数人の作業員が立ち入っていた。休憩時間が終わったのだろう。そのうち二人は大型機械のハンドルを握り、地面に対して使用していた。その稼働音が鳴り響いてきていた。

「……あのう、すみません、よく聞こえなかったんですが……」

 母親の声を聞き、我に返った。そうだ、とにもかくにも、お宅の娘さんを預かった、と伝えなければ。

「お宅のむ――」

 どがががが。ずがががが。

「おた――」

 がががががががががが。

「――」

 どがががずがががどがずががどがずが。

 ええいもう、ちょっとは静かに作業できないのか。おれは工事現場のほうを睨みつけた。

 直後、ぶつっ、という音がした。それからは、つー、つー、という電子音が聞こえるだけになった。電話機の液晶画面には「通話終了」と表示されている。どうやら、投入した金額分の利用可能時間を過ぎ、強制的に切断されてしまったようだ。

「鬱陶しい……!」

 電話機を殴りつけてやりたい衝動に駆られた。まったく、またしても肝心なことが言えないとは。いやしかし、慌てる必要はない。深呼吸をした。こんなこともあろうかと、財布には大量の十円玉を用意してある。まだまだ電話ができるのだ。おれは受話器をフックにかけた。

「そうだ、念のために狂言誘拐の今後のプランを再確認しておこうか?」

 左手を後ろに回し、リュックサックを撫でた。クリアフォルダの中に、詳細な計画を記した冊子が入っている。大学のミステリ研究会の部室で後輩女子と一緒に練り上げたものだ。リュックサックには他にも、彼女の親に見せる動画で使う予定のナイフや手錠といった小道具――もちろん本当に怪我をさせるわけではない、その振りをするだけだ――がしまわれていた。

 おれたちの企みはまさしく完璧で、ミスさえ犯さなければ警察に捕まることなく大金をゲットできる。しかし準備にかかる費用は莫大で、まともな消費者金融では賄えないため、闇金融から借りる羽目になった。計画が成功すれば負債を清算しても数億円が手元に残るが、失敗すれば返済できずに殺される。今晩にはヘリコプターの予約を入れているため、別の日にやり直すこともできない。

「……いや、やっぱり確認するのはよそう」左手を前に戻し、受話器を持ち上げた。「ここに入る前、さんざん読んだじゃないか。きりがない」右手をズボンのポケットに入れ、財布を取り出した。

 背後から、がちゃっ、という音が聞こえてきた。背中に微風を浴びる。誰かが勝手に扉を開けたのだ。

「――!?」

 おれは跳び上がりそうになるくらい驚き、ばっと後ろを振り返った。開けたのは年配の女だった。両目を全開に、口を半開きにして、はっ、はっ、と浅い呼吸をしていた。

「すっ、すみません、あのっ!」女は大声で喋りだした。耳を塞ぎたくなるくらいの声量だ。「救急車、呼んでくださいっ!」

 思わず露骨に怪訝な表情を浮かべた。「は?」

「救急車です救急車! ほら、あれ!」

 女は西方を指した。おれもそちらに視線を遣った。

 数十メートル離れたあたりの歩道の上に、人が仰向けで倒れていた。がっしりとした体格の、サラリーマン然とした壮年の男だ。左の脇腹には細いナイフが突き立てられていた。

「通り魔です!」女は唾を撒き散らして叫んだ。「見たんです! 若い男が向こうから来て、あのサラリーマンとすれ違おうとした時、いきなりナイフを取り出して、刺したのを! 犯人は走ってどこかへ逃げていきました! だから早く呼んでください救急車、あと警察! わたしのスマホは電池切れで、今日はモバイルバッテリーも持ってないんです!」

「え、えっと、あの……」

 おれは女と電話機を交互に見た。よその犯罪に構っている暇などもちろんない。しかし今、通報を拒んで別の所に電話をかけるのは、不審にもほどがある。もしかしたらその行動が原因で、おれのことがこの人の記憶に残ってしまい、それが狂言誘拐における致命的なミスと化すかもしれない。だいいち、喋る内容を聞かれてしまうだろう。

「……どっ、どうぞ!」

 おれは電話機の前から跳び退き、壁に背をつけた。女は半ば飛び込むようにしてボックスに入ってくると、左手で受話器を引っ掴み、右手でダイヤルボタンを強打し始めた。

 その間に外に出た。早足で東方――サラリーマンが倒れている地点とは逆方向へ立ち去る。工事の関係者たちは別の作業をしていて、騒音はやんでいた。事件には気づいていないようだ。

 交差点を曲がったところで歩く速度を下げた。まったく、まだ幕が開いてすらいないというのにこう苦労をしていては、先が思いやられるなあ。溜め息を漏らした。

 それからは辺りをきょろきょろと見回しながら町中を歩いた。しかし電話ボックスはなかなか見つからなかった。狂言誘拐を開始する前にこんな目に遭うとは想定外だ。スタートした後の計画は完璧に組み立てているのだが。

「……そうだ、ネットで調べれば電話ボックスの場所を検索できるサイトくらいあるんじゃないか?」

 おれはそう閃き、ポケットに手を突っ込んだ。しかしスマートホンに触れた時、後ろから「ちょっとすみません」と声をかけられた。焦りを隠している余裕もなく、露骨に迷惑そうな顔をして振り返った。

「わあっ!」

 叫び声を上げてしまった。話しかけてきたのは壮年の男性警官だった。眉間を険しくして口元を引き締め、厳しい視線を向けてきていた。

「少し前にこの近くで通り魔事件が発生しました。犯人は逃走中で、そのため周辺地域をパトロールしています」警官はおれを睨みつけながら言った。「ご協力をお願いします。まずはそのリュックサックの中を見せてください」


   〈了〉

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― 新着の感想 ―
タイトルを見た瞬間、「一体どんな話なんだろう」とワクワクしながら読み始めました。 公衆電話から脅迫電話をかけるという、予想もしていなかった面白い切り口から物語がスタートし、最後の展開には思わず笑ってし…
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