赤いコーヒーと顔
「ケン〜ケン〜」
「うるさいなぁ」
その女の声は、ソプラノボイスなのに更に猫なで声で呼んでいるもんだからとても甲高く耳障りだった。
「ケンー! 聞いてよ〜また上司がさぁ――」
「分かったよ。分かったからはーなれーろって…」
よく愚痴も聞かされた。やれ上司がとかやれ同僚がとか言いながらぐりぐり頬を擦り付けてきやがる。
「ケン……私やっぱりドジだよねぇ」
「確かに色々忘れるもんな」
自覚があるんだろうが治せないと、よくヘラヘラ笑っていやがった。でもそんなよく知っている女の顔が出てこない。多分これは夢なんだ。景色の周りがモヤモヤとしていて全体ではなく真ん中しか見えない。
「ケン……私、やっぱりドジだよね」
「……」
床にゴロンとうつ伏せになりこちらを見ながら女は、彼女は笑い泣きしていた。この時の俺は何も言わなかった。いつも相づちだけはちゃんとする従僕のような存在のくせになんで……。
「黒井君! ちょっと黒井君!」
うるさいなぁ。今考え事をしてるってのに。もう少しで何か思い出せそうなんだよ。
「黒井君。 黒井君」
「うるっせぇなぁ、何だってんだよ!」
俺は考えるのを止めて思いっきり頭を上げた。するとそこには見覚えがあるオオトカゲがこちらを睨んでいた。うーん、これは怒ってる目だな。ぐるりと周りを見てこちらをクスクス笑いながら見る奴や隣では溜息を吐いて反対側を向いてる奴がいる。ふむ、理解した。
「オオトカゲ先生!」
「わ、私は大戸ですよ。黒井君」
「そんな眉間にしわ寄せないでくださいよ。顔にシワまでついちゃったらもうホントに爬虫る」
「後で先生の所に来るように!」
やらかしたらしい。こめかみに青筋が入ったと思ったら踵を返して黒板の方に帰っていった。軽い顔ジョークにも付き合えないなんて不遜な教師だ。
「大我もそう思うだろ?」
隣にいる俺を起こしてくれた親切で親友である小嵐大我に話を振る。そっぽを向けていたき真面目に学ランの1番上のホックを止めたこれまた黒縁メガネ顔がこちらを向く。ちなみに眼鏡の下の縁はせめてものファッションという事で無い。ファッション、ファッションかねぇ?
「お前が何に対してどういう意見を持ってボクに同意を求めてきてるのか、話してないのに伝わると思うか?」
「それは、ほら、テレパシーとか以心伝心とかテレポーテーションとかさあるじゃない?」
「はぁ……」
「黒井君。とても話したいみたいだから教科書を読んでくれるかしら?」
「ほら無駄話してるからまた目を付けられた」
楽しく寝起きの頭を働かせられるように舌の運動をしてただけだってのになぁ。
「大戸先生、今僕とてもお腹の調子が支離滅裂な感じで痛――」
「明日も居残りたい?」
「――いきがしましたが、気のせいでした。何ページを読めばよろしいでしょうか?」
大戸の目がとても冷たくなった。ドライ、ドライだ。あのチベットスナギツネみたいな目はヤバい。ホントにヤバいので大人しく従っておこう。
「それでは3ページの1番上から、読んでちょうだい」
「うっす。えっと、2000年3月。この時期にはその時の私達の暮らしを変えるような出来事が起こるようになった。それは『前世戻し』である。『前世戻し』はその人の前世の記憶が戻るだけ。それだけであるがそれにより罪人だったもの、とても優秀なもの、また有名人であったものの記憶を突然思い出す、というより記憶が戻ってくる現象の事である。尚、『記憶戻し』は前世の人の記憶であって、動物は今のところ前例はなく、必ずしも皆が皆『記憶戻し』を起こすわけではない。これで大丈夫っすかね」「結構、席に着きなさい」
「うっす」
長ぇ。なんてもん読ませやがる。爽やかな春の風が窓を素通りして入ってきて眠るように耳元で囁きかけてくるからついついうたた寝してその後小中高と幼なじみと楽しく談話してただけだってのに。
「そう思うだろ?」
「……お前には付き合いきれん。2度は言わん」
「冷てぇなぁ」
大我に振られてしまったので俺は1人寂しく窓際の席から外のグラウンドをぼんやりと見ている事にした。それにしても、さっきの夢、気持ち良いようなイライラするような悲しいような楽しいような、喜怒哀楽全部ぶち込んだような夢だった。あんな夢初めて見た。モヤモヤするからもう、良いか。今は進級出来て高校2年生になれた、事を、だな……。……。ううん……。ったあ!?
「寝るな、黒井」
「う、うっす」
くっそ頭にとても鋭い痛みを感じたんだが何なんだよ一体。俺は机の下でキラっと光ったものが見えたのでよく見て見た。が、画鋲じゃねぇか。ってかこんなもんどうやって投げたんだよおい。俺はその後寝る事をせず如何にバレずに寝るかを学校が終わるまで考える事にしたのだった。
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「終わった、やっとやっとまた長い拷問のような日が終わった!」
時刻は午後3時半。日が少し傾きブルーハワイにカルピスを足したような、うんそんな空だ。大戸の授業がラストだったが廊下に勢いよく出ると大戸の上腕二頭筋が厳かに俺の首をお迎えしてくれ、そのまま職員室へ連行され昔話、私の時はああだったこうだった三角定規でと色々と聞かされた。なにか書かされるよりは楽だ。ただ気持ちは念仏を聞かされている馬のような気分だった。全然耳に入っておりません! ようやく解放された時は1時間も経っていた。部活に入ってはいない。髪の毛にこっそりワックスを塗ってもいるし眉毛も剃っている。そんな俺だ。そんな俺だが、いつもは大我と帰っている。もう流石に待ってはいないと思うけどな。
「だいぶ絞られたな」
校門を出て青く繁るイチョウ並木へ向かおうとすると斜め右から聞き馴染んだ声がした。振り返ってみると図書室で借りたのだろう。シールの貼られた本から顔を上げ呆れたような顔をしたマブダチ君が校門に背を預けて待っているじゃないか!
「1人じゃ帰れなかったのか?」
「そうか、お前はそういうやつだったんだな。ボクが1人で帰れるよなやつだと、本当にそう思ってたんだな?」
「あー、いや。待っててくれてありがとう」
「素直に言えってのに。まあ、ボクも好きでお前を待ってたわけじゃないから」
「うん? なんかあるのか?」
照れ隠しを冷たくまたもやあしらわれて悲しく思っていたら何やら用事があって待っていたらしい。俺の感謝を返してもらいたいんだが。まあ良い。
「で、行きたい所ってどこよ」
「お前コーヒーって黒いのは知ってるよな?」
「もちろん。苦いのも知ってる」
「所がよ、赤いコーヒーを出す雰囲気の良い店が近くにあるんだとよ」
「なあ、赤いコーヒーってのは珍しいと思う。思うんだが、それがどうしたんだよ」
「一緒に来てくれ!」
「嫌だよ。俺はこれからゲーセンでオンラインにいる格ゲー猿共を倒す指名を帯びてるんだから」
まあ、ようは雰囲気の良い店に1人で行きたくないから着いてきてくれという話なわけだ。そんな店1人で行きゃあ良いじゃねぇかと言いかけたが、1時間。1時間コイツは俺を誘うが為に待っていてくれたわけでだ……。
「そこを何とか!」
「分かった」
俺が行くと言う事が意外だったのか顔を未確認生物を発見したような顔で見てきやがったがスルーだ。スルー。さっさと終わらせてゲーセンだ。
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高校から歩いて20分の所にレンガ造り風のオサレな喫茶店があった。オサレだ。どこがどうオサレかってオサレなもんはオサレだろうが。窓際に草が置いてあって、茶色のレンガと白の壁が何処と無く洋風な雰囲気を出している。
ドアを開けると上から低いベルの音がした。こういう所は来るの初めてだから俺も大我もビックリしちまった。中はカウンター席と、いやカウンター席しかない。変な店だな。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥の方から小柄なオバサンが出てきた。白髪染め等していないらしく、後ろで小さいポニーテールのようにしてる髪からは白髪がチラホラしている。俺は、この時あの顔を見た瞬間にとても頭が痛くなった。




