諜報竜として送り込まれましたが、竜に寝返ることにします
人間が“チキュウ”を捨ててから、三十年が経つ。
大昔にはチキュウも緑が生い茂り、青い海が無限に広がっていたそうで、とても生命に富んだ惑星だったらしい。
ちょうど、今私たちが居るDG–550みたいな場所だったのだろうか。
「おい貴様、聞いているのか」
小さな窓越しに外の景色を眺めていると、ふいに怒りを孕んだ声が聞こえる。
おそるおそる正面に向き直ると、壇上で説明していたスキンヘッドの男……リーズヘッジ総統と、周囲の他の隊員たちが私のほうに注目していた。
しまった、何度も聞いた説明だったからつい。
「あー……聞いてましたよ」
「そうか。だったらこいつを見てみろ」
総統は不機嫌な様子のまま、私目掛けてあるものを投げつけてきた。
慌てて立ち上がってそれを掴み取ると、少し観察してみる。シャープペンシルのような金属容器で、中には淡く光る紫の液体が封入されていた。
「貴様、所属とコードネーム、それからその手に持っているものの名称を答えろ」
「はい。私はDG–550生物化学研究所副所長、コードネーム、リュエラです。これは竜化薬ですね。最近開発された第二世代のものでしょうか」
私は指示に従い、もはや言いなれた自身の身分と竜化薬のことを答えた。
コレについては今まで何度も説明があったし、少なくともここの隊員らは全員知ってないとおかしいだろう。
なぜなら私たちは“諜報竜”として現地に赴く部隊なのだから。
「ほう、貴様はBラボの副所長だったか。ならば、優秀な貴様にもう一つ質問しよう。その第二世代の竜化薬の特徴を、第一世代と比べてこいつらに説明してみろ」
「えっ……わかりました」
総統の面倒な指示に、私はぼーっとしていたことを後悔しながら渋々と竜化薬を掲げる。
そんな私の意図を汲み取った周囲の隊員らは、総統ではなく私の方に注目した。
「えーっと、これは竜化薬なんですけど、血液中に投与することでその名の通り私たちの身体を竜に変える……正確にはリオワイバーンへと“擬態”させることができます」
どこからどこまで話せばいいのか、停滞している思考をフルに使って考えて話していく。
私はこういう発表みたいなことは苦手なのだ。かといって適当にやってはまた何か言われそうだし……とても面倒である。
「第一世代の竜化薬は身体への負担が大きく、効果時間も短く、さらに竜の身体に慣れるまで時間が掛かっていました。ですが、竜星石粒子純度の高い第二世代ならより簡単に、長い時間、安全に竜になることができます。まあこっちは純度が高い分、三日おきに解毒剤が必要ですが」
私は一通りの説明を終えるとチラリと総統の方に視線を送って、もう終わりたいという意思を必死に伝える。
すると彼の気分もようやくおさまったようで、大きく頷きながら満足そうな笑みを浮かべていた。
「さすがだな、十分だ。退屈だとは思うが、きちんと説明は聞いておけ、いいな?」
「はい」
総統が座るように手で合図したのを見て、私は息を吐きながら座席に座り込んだ。
それから数分の間は壇上の彼に注目していたが、やがて視線は強化ガラスの向こうの景色へと吸い込まれていく。
“諜報竜”の本来の目的は、リオワイバーンに擬態して彼らの住処に眠る希少鉱石竜星石を調査することであるが、私はあまり興味はない。
それよりも私はこの星の生き物たちを直接見て回りたいのだ。間近で生きた動植物らを観察して、その生態を見極めたい。
だから私は“諜報竜”の作戦に志願したのだ。リオワイバーンの身体なら外部環境にも適応できるし、蔓延る原生生物らの中でも天敵などそうはいないはずだから。
「では隊員番号910から920はβ班とし、ハッチに向かえ。それから隊員番号──」
「っと、いかないと」
気がつけば退屈な説明は終わり、特殊外部ハッチまでの案内へと変わっていた。
私は慌てて座席を立ち、指示に従ってβ班のハッチへと向かう。
手に持っていた竜化薬は総統に返そうかと迷ったが、声を掛けると面倒そうなのでそのまま腰の道具入れに放り込んでおいた。
◇◆◇
「では、竜化薬を投与するわ。身体の力を抜いて」
「はい」
専属竜化マネージャーのラングさんの声掛けに身を任せて、私は大きく息を吐いた。
ハッチに到着した私は女性スタッフらの指示に従って全裸になり、白いベッドの上に寝かされている。ここは諜報竜の隊員のために用意された専用のハッチで、出撃する隊員の竜化が行われる場所だ。
「うっ……」
ふと横を見れば、肘の裏に刺さった針から紫の液体が注入されていくのが見える。
それに伴ってじんじんとした熱さのようなものが身体を駆け巡り、私の身を内側から焦がしていった。
第二世代の竜化薬は、負担が小さい。だから大丈夫な……はず。
「う、あがっ、はっ!」
突然、それは襲い掛かってきた。
熱さが一気に痛みへと代わり、私は声も満足に上げることもできないまま身体を跳ね上げた。
そりゃあ身体を作り変えるわけだから、痛くないはずがない。分かってはいたが、予想を遥かに超える地獄の苦しみに、私は一瞬にして気が狂いそうだった。
「かっ、アッ……うぅぅ!」
「血圧、脈拍ともに上昇、竜気反応プラス60」
「想定負荷限界、近いです」
「リュエラさん落ち着いて。大丈夫よ」
身体が激痛で強張って呼吸すら満足にできないまま、身体から何かをへし折るような嫌な音が聞こえるのを感じていた。慌ただしい声や、機器の警告音がぼんやりと遠ざかっていく。
これは……大丈夫なのだろうか。私、ここで死んでしまうのではないだろうか……。
第一世代の竜化薬の不適合死者が八割を超えていた理由が、この時なんとなく分かった気がした。
「リュエラさん……リュエラさん、目を覚まされましたか?」
気がつけば身体の痛みはどこかに吹き飛んでおり、視界には先ほどのスタッフらが慌ただしく動き回っているのが見える。どうやら少しの間だけ気絶していたらしい。
それにしても、私の身体はどうなっている? ちゃんと成功したのだろうか。
「グォ……」
そんな疑問を口にしたつもりだったのだが、私が発したのはなんと獣の唸り声だった。
慌てて視線を下げれば、そこには白い蛇腹のような腹と銀色の鱗に覆われた翼腕。ゆっくりと手を上に掲げれば、自分の身体と同じく自在に動かすことができ、感覚もちゃんとある。
「グルル……?」
「うん、身体への定着も問題なし。拒絶反応も出てないわね。おめでとう、あなたは竜化に適応したわ」
実感が湧かない私に対して彼女はそう言うと、手元の書類に何かを書き込んでいく。
そうか……ちゃんと成功したのか。私、ついにリオワイバーンになってしまったのか。
「最初の竜化はこんなだけど、次からは痛みも少なくなるはずよ。……それから、疲れているところ申し訳ないんだけども、ハッチの外で身体を慣らさせるように言われてるの。日暮れまでにはちゃんと惑星探査基地本部に戻ってくるのよ」
「グォ」
私はゆっくりと上体を起こし、ベッドの外へと這い出た。それから四つ足でしっかりと地面を踏みしめて、身体の扱いを確かめていく。
目線の高さは大人の人間より少し高い程度で、ギリギリ成体かどうかと言ったところ。また、お尻から生える尻尾は私の身体一つ分ほどの長さで、バランスを取るように無意識に揺れている。
そうして自らを観察しながら二層になっているハッチまでなんとか辿り着くと、ラングさんが内部密閉ドアを閉めてくれた。
続いて空気が抜ける音とともに外部密閉ドアが開き、眩しい日光が降り注いできた。生身の人間であれば有害となりうる低圧や日差しも、この身体ならなんともない。
私は期待と興奮に胸を膨らませて、一歩外に踏み出してみた。それから、ゆっくりと周囲を見渡す。
「グ、グルァ……」
思わず感嘆の息を吐いて地面を凝視し、それから視線を森へと向けていく。
何とも言えない、生い茂った草の感触。湿った土の匂いや、飛び交う微小な羽虫たち。
どれもこれも、Bラボの観察カプセルでしか見たことのない試料らばかりで、実際に現地で生きている姿を観察するのは初めてだ。
「グルル、グァ」
私は楽しくなって、脳内の知識と比べながら植物や昆虫を観察していく。途中、竜化した他の隊員が見えたが、リオワイバーンの試料ならば私自身で十分だ。
それよりも今は、現地に築かれる生の生態系の方が興味がある。
まるで夢の中にいるかのような感覚に陥りながら、私はいつのまにか森の中に入り込んで観察を続けていった。
漂ってくる森の匂いには獣臭のようなものも混じっているのを感じる。これは身体が変化したことで、感覚もそれに対応したということか。
進行方向を変えながら、私は薄暗い森の中を突き進んでいく。一歩歩けば既知の植物が実際に根付いているのが見られ、もう一歩歩けば未知の小動物が草木の合間を駆けていくのが見える。
ずっと閉じ込められていた私の好奇心は、ほとんど暴走するようにして私を酔わせてしまっていたのだ。
「……グォ?」
そして私が正気に戻った頃には、暗い森の周囲には他の隊員らの気配はすっかり無く、惑星探査基地も確認できない。
木々の隙間から見える空は琥珀色に染まり、刻一刻とその輝きを失っていく。
まずい、そろそろ戻らないと……!
そう思って慌てて一歩を踏み出した私の背後から、殺気のこもった獣の唸り声が聞こえてきた。