勇者様、ただいま修行中!
一寸先は闇だった。
ここが街中ならば、街灯の一つや二つあるだろう。しかし、生憎とここは人里離れた森の奥。
もちろん、昼間は多少なりとも整備された道だ。そこら辺に草は生えているが獣道ほど険しくないし、魔物出没区域にしては道幅も広い。
ああ、明るければ余裕で歩けるし、逃げることができただろうさ!
ところが、ランタンを落とした今、もはや何も見ええない。頼みの綱は月明りだけなのに、厚い雲のせいで下界を照らしてくれないのだ。
しかも、おまけに妙な巨大生物に追いかけられている始末。
「とことん、運がないぜ!」
――暗闇の森を走る。
――暗闇の森を走る。
――とにかく、暗闇の森を走る。
「……くそっ! こんなの、あんまりじゃねーか!」
オレは悪態をつきながら、懸命に足を動かした。
一度でも止まってしまったら、その時点で奴に追いつかれてしまう。いや、いくら走ったところで助けが来るとは思えなかったが、諦めたらそこで終了だ。わずかな可能性を求め、ここは逃げ続けるしかない。
「安全な――初任者、研修じゃ――なかったのかよ――!!」
オレの悲鳴は、夜の闇へと吸い込まれていった。
大勢の受験者を皆振り切って、ごぼう抜きで、やっと「勇者養成事務所」のマネージャーの座を勝ち取ったのだ。
幼い頃から、ずっと勇者の傍で働きたいと思っていた。その願いがついに実ったのだと、心を弾ませながら挑んだのに――
「この、くそったれが!!」
こんな状況では、文句の一つや二つ叫びたくなる。無論、誰も返事はしてくれない。いや、一匹だけ返事をしてくれる存在があった。
「――――ッ!!!!」
悲鳴のような金切り声を上げて、オレを追跡してくる魔物だ。
オレの問いかけに応えるというよりか、「おとなしく喰われてしまえ!」とでも叫んでいる気がする。
「ったく、オレなんか食べても美味くは――っ!!」
視界がぐらりと揺らいだ。
魔物に気を取られたせいで、足元が疎かになっていたのだ。木の根に爪先が引っかかり、地面に倒れこんでしまう。すぐに体制を整えなおそうとしたが、足首に激痛が走った。
これでは走るどころか、立ち上がることすら絶望的だ。
振り返ってみると、暗闇に2つの金色に光る眼玉が浮いて見えた。
オレを追いかけてきた魔物だ。
「くそ、来るな!!」
オレは腰に下げた錬金銃に手を伸ばした。
頼みの綱だが、肝心の弾丸に込める魔力が少ない。これは最後の手段として温存していたが、今となってはぐだぐだ言っていられない。渾身の魔力を込めると、力いっぱい引き金を引く。
だが、現実とは非常だ。
オレ渾身の一撃は、魔物の鎌に弾かれてしまった。
万策、尽きた。
「……うぁ……」
もう死ぬ。
死が目前に迫っている。
魔力も底をついて一歩たりとも動けそうにない。
死の鎌はオレの脳天から股まで引き裂き、骨までしゃぶりつくされる。
先ほど死んでいった、先輩たちのように。
冷たい感覚が背筋を凍らせた。オレは少しでも恐怖を和らげようと、瞼を固く閉じる。無駄な抵抗かもしれないけど、これができる精一杯だった。
風を切る音が聞こえる。
数秒後に来るであろう痛みに備え、歯を食いしばった――
――そのときだ。
「私が通りかかって幸運だったわね、少年」
頭蓋骨を割られる衝撃は来ず、代わりに凛と透き通った声が降って来る。おそるおそる瞼を開けてみれば、夕焼け色の髪が揺れていた。
「安心して」
夕焼け色の髪の主は、少しだけ顔をこちらに向ける。
オレは息を止めてしまった。すれ違う人が二度見てしまうくらい、美しい顔立ちの少女だった。凛と煌めく紺碧色の瞳が、呆然とするオレを映し出している。
「もう大丈夫だから」
少女は口元を綻ばせた。その全てを包み込むような微笑みを見たとき、心なしか安心した。
オレは、助かったのだと。
※
金。
この一文字ほど、恐ろしい言葉はない。
なにせ、生まれてから死ぬまで、この言葉がついて回る。
食べるために金はいる。服を買うにも金が必要だ。落ち着いて眠る場所を確保するためにも、金が必要になってくる。金と無縁な存在は、霞を食って生きている仙人くらいだろう。
「勇者も無縁よ」
オレの話を遮るように、少女が口を挟んできた。
「金銭的な誘惑に負けない力を持つ者が、勇者になるのだから」
少女は薄い胸を張って答える。
確かに、一理あるかもしれない。
誰もが恐れる脅威に対し立ち向かい、それを打ち倒す者――それが勇者だ。
邪悪な誘惑に負けない意思を持ち、己の正義と理想を貫き通す。その姿は誰よりも眩しく、誰しもが憧れた。当然、子どもがなりたい職業ランキングでは、常に頂点に君臨する。
だが、現実は非情だ。
「でもさ、勇者だって金の呪縛を倒すことはできないんだよ」
オレは彼女を説き伏せるような口調で言った。
勇者だって、生きている。
勇者自身の生活費を始め、凶悪な魔物を倒すための遠征費、武具を新調するための資金、仲間の給料……金はいくらあっても足りない。凶悪な魔物を倒した報奨金で、これら全てを賄うのは無理な話である。
ゆえに、どんな勇者であったとしても、最初は後援者を死に物狂いで探すことから始まる。
自分の理想を語り、純粋な剣技で貴族や商人の興味を惹こうと努力した。
すべては、己の正義を貫くために――。
「まあ、それは理解できるわ」
「だけどさ、その流れは変わったんだ」
オレは溜息を吐いた。
数十年前――とある貧しい女性勇者が、この流れを変えてしまった。
彼女は後援者が主催するパーティーの余興で、歌舞を披露した。
もともと、彼女は他の勇者よりも剣技が劣っていたらしい。だが、勇者であり続けるため、後援者の機嫌をとろうと得意な歌や踊りを見せだけだったに違いない。
しかし、この歌に後援者は惹かれた。
そもそも、後援者たちの多くは「勇者の掲げる正義」に対し、そこまで興味がなかった。
彼らは、ただ「勇者の後援者」という見栄が欲しいだけだったのだ。
つまるところ、「勇者を支援している」とは、莫大な富を持っていることの証明であり、その勇者が高名であればあるほど、家としての格も上がる。勇者を上手く使えば、政敵を合法的に排除することだったできた。
無論、悪事に手を染めすぎて、勇者に見限られる後援者もいた。
さて、ここで質問しよう。
「剣技は卓越しているが、自分に牙を剥ける可能性のある理想論者」と「剣技は劣るが、歌と踊りが上手く、自分に親しげに接してくれる美少女」。
裕福な後援者たちは、どちらを応援するだろうか。
当然、後者である。
貧乏女性勇者の生活は一転した。
きらびやかな衣装に身を包み、後援者に請われるがままパーティーで歌い踊る。その合間を縫うように遠征をおこない、脅威を打ち負かす。しかし、それも時が経つにつれ、遠征も地方ワンマンライブに姿を変わり、武具よりも爪の手入れをするようになった。
他の勇者たちは彼女に異議を申し立てた。
「お前の所業は勇者としてなっていない!」
と。
だが、その声も次第に小さくなり、彼女のように振る舞う勇者が増えてきた。
勇者の大多数は、やれ魔物の脅威だーなんだーと叫び正義感を掲げたてはいるが、その実、誰よりもプライドが高く、他者から認められたい欲求が高い者たちだった。
身を汚し、命の危険を冒してまで魔物と戦うよりも、歌って踊るだけで金と名声を手に入れることができるのであれば、それに越したことはない。
そんな意識の勇者が大多数を占めるようになれば、人々の勇者意識も変化してい来る。
いつしか、庶民たちまで勇者の武勇ではなく歌や踊りに惚れ、金銭や数多の贈り物を貢ぎ始めるようになっていた。
依然として魔物の脅威は続いていたが、勇者のファンや親衛隊が一丸となって脅威に立ち向かうので問題はない。
勇者は、自分を命がけで守ろうとする親衛隊を鼓舞する存在へと変化を遂げていく。
かつて勇者とは、勇猛果敢に脅威に立ち向かう正義の執行者だった。
それも今は昔の話。
勇者とは、歌って踊れて剣も使える偶像――すなわち、アイドルである。
「違うから!!」
そんな業界に一石を投じる勇者がいた。
「マネージャー!! 何を言ってるの!?
勇者はね、正義感を貫く愛と勇気が大切なのよ!!」
夕焼け色の髪をした少女は拳を掲げると、高らかに宣言する。
顔だけは可愛らしく、庇護欲をそそるのだが、勇者平均値よりも遥かに平たい胸囲、やや筋肉がついた手足のラインがもったいない。
「だから、歌のレッスンよりも剣の修業をするの!」
少女は紺碧色の瞳を爛々と輝かせながら、こちらに詰め寄って来た。
「……いや、オレの説明聞いてたよね?」
「でも、私のおかげで貴方は命を救われたでしょ? 剣の修業中だった私に」
「……それは、そうだけどさ」
「じゃあ、修行してくるから!」
説得失敗。
見習いの少女は、走って部屋を出て行ってしまった。
オレは大きく肩を落とした。
時代錯誤な彼女を売れっ子の勇者に育てる無茶ぶり。
それが、命からがら生還したオレに与えられた最初の仕事である。