落ちこぼれの『劇薬師』と吸血鬼
その巨大樹を二十人のハンターが囲んでいた。
意思を持ち、人に恵みを与える精霊樹──人類の営みを支えてきた木々の一つが、魔物の核である魔石を取り込むことで暴走していた。
「魔法師は下がれ! こいつに属性攻撃は効かない!」
枝をしならせ、鞭のように振るう悪魔の樹。
音速を超える打撃が、号令をかけるリーダーの声をかき消し、盾を構えて前線を守る戦士たちの体力を削っていく。
「魔法師は回復と支援を徹底しろ! 低ランクパーティは側面補助! 移動急げ!」
早い者勝ちの討伐クエストだった。
事前情報を聞いた時には、「でかい魔石を持った的だ!」と中級ハンターたちが沸き立っていたのに。
「クソったれ、バケモノが……!」
数時間に及ぶ攻防で、唯一幹に傷をつけることができた大剣士の男が吠える。
「誰だこいつをCランクモンスターなんて言った奴はぁぁああ!!」
弾丸と化した木の葉が、大剣士の脚を切り裂き、刺し留めた。
続けざまに四方から迫る枝の斬撃。
その勢いを流しきれず、大剣を弾き飛ばされた男は、継ぐ二撃目に人生の最期を垣間見た。
「──退いてなさい。有象無象」
銀糸が宙を舞った。
その一瞬に、誰もが息を呑んだ。
モンスターである悪魔の樹ですら、戦いの最中であることを忘れるほどの煌めき。
一人の少女が、大剣士の背中を飛び越した。
枝という枝が切り飛ばされ、膠着していた前線が動き出す。
「あんたは……アイズか! 助かった!」
リーダーが素早く陣形を組み替え、戦力を各所に集中させる。
空いた側のスペースには、一組の男女が立っていた。
両名共に齢十六といったところ。
少女の妖艶な緋色の目が、銀色の前髪に見え隠れする。
その背後に控えている眼鏡の男に、アイズと呼ばれた少女は手のひらを差し出した。
「ミストル、薬を」
「わかったよ。でも、これ一つで仕留めてくれよ」
「黙ってなさい」
少年、ミストルが手渡したのは一粒の丸薬。
アイズはそれを口に放り投げると、歯の奥で噛み砕いた。
直後、突風と共にアイズの姿が消える。
ゴッ、と鈍い音が空気を震わせ、樹の幹が大きく削り取られたのが、それとほぼ同時だった。
「Bランクハンターの救援だ! 核を引きずり出すぞ!」
戦士たちは安全圏を保ちつつも挑発を繰り返した。
当たれば強力な一撃を秘める重戦士に注意を払いつつ、アイズの猛攻を捌き切るのは至難のわざ。
ときに銃士が迫る枝の威力を殺し、重力魔法を操る魔法師が地面に縛り付ける。
魔石が削り出されるのも時間の問題だった。
「やれる……やれるぞ……!」
勇み逸るハンターたち。
勝利の一端を掴んだとき、心の隙に生じる僅かな油断。
いや、それはたとえわかっていたとしても、避けられなかったのかもしれない。
地を揺らすほどの轟音の後、地面から飛び出してきた樹の根に、魔法師たちが一斉に捕らえられた。
魔力ごと魔法師の養分を吸い尽くしていく悪魔の樹。
膨大なエネルギーが集められた樹の幹は元の太さ以上に膨れ上がり、より強固に形成された枝は盾を構える戦士たちを易々と薙ぎ払った。
「チッ……回復型か……!」
アイズも距離を取ろうと地面を蹴る。
左右から襲い掛かる枝をはたき落とし、体勢を立て直そうとしたその肩を、第三の枝が突き刺した。
「ぐあぁ──ッ!!」
幹から枝が飛び出していた。
切られた枝から再生されたものではない。
新しい枝が、いくつも樹の幹から伸ばされていた。
アイズに襲い掛かる無数の樹の鞭。
致命傷になる攻撃を優先的に払い落とし、残りの枝を覚悟で固めた体で受ける。
めり込み、抉り込む、想像以上の威力で腹部を叩いた枝が、アイズの肋を軋ませる。
飛んでしまいそうな意識の中で、アイズは腕と脚を巧みに遣い、五箇所の連撃を受け止めて吹き飛んだ。
「アイズ!」
駆け寄るミストルに、薄めを開いたアイズが、か細い声を漏らす。
「これだから……昼間の戦いは……嫌いなのよ……」
ボヤきながら手を伸ばす。
アイズは、その先にあるミストルのポーチを掴んだ。
「アイズ、ここは引こう! 奴に機動力は無いから、緊急用の薬だけでどうにか……」
「ふざけないで!」
血を吹き出し、叫んだアイズが咳き込む。
「私たちに失敗は許されないの……これを打ちなさい……!」
アイズがポーチから取り出したのは一本の注射器。
薄透明の青い液体で満たされたそれは、見ているだけで不安を煽られる寒色をしていた。
「これはまだ、前に使った時からインターバルが……」
「いいからやりなさいッ!!」
鬼気迫るアイズの命令に、ミストルは躊躇いながらも、注射器を手に持つ。
「どんな副作用が出るかわからないよ」
「覚悟はできてるわ」
覚束ない足で立ち上がるアイズ。
その腕に、ミストルが薬液を流し込んだ。
「た、助けてくれぇ!」
悲鳴を上げ、武器を捨てて逃げ出すハンターたち。
その足を絡めとり、悪魔の樹は殺すでもなく引きずっていく。
絶望が大樹を中心に渦巻いていた。
剣を手放し、膝をつく戦士が、また一人。
「もうダメだ……死ぬ……嫌だ……死にたくない……ッ!!」
──轟、と空気が爆ぜた。
爆心地から円状に木の葉が飛び散り、遠くの鳥たちが飛び去っていく。
魔力の展開。
身体強化魔法を使う戦士なら誰もが覚える初歩技術。
アイズが構えたことによる衝撃に、悪魔の樹が呻き声を上げた。
悪魔の樹は全ての枝を螺旋状に捻り込み、殺傷力を高めた突きでアイズの急所を狙う。
アイズは水平に、手を振り抜いた。
銀色の髪が揺れ、緋い瞳が射抜くその視線の先が、まるで空間ごと削り取られたかのように消え去った。
歩み進めるアイズの視界には、半分ほどその表面を露出させた魔石が捉えられている。
足を踏み出し、小規模なクレーターを残して飛び去ったアイズの手に、魔石が握られたのはコンマ数秒後だった。
背後でバラバラと崩れ去っていく、邪悪に染まった精霊樹。
生き残ったハンターたちの歓声が、アイズの耳に遠く、遠く響いていた。
「──イズ……アイズ……!」
強く肩を揺らされてアイズは目を覚ました。
霞む視界の中で、見慣れた男の情けない顔が歪んでいる。
四方を囲む窓のない壁。
その狭い部屋におびただしく残る、爪の痕と血の赤色。
次第に鮮明になっていくアイズの意識が、この室内で絶叫し、のた打ち回っていた自らの姿を思い出していく。
内蔵と血管が破裂し、呼吸は五分に一度しかできなくなった。
脳をナイフでかき混ぜられるような頭痛と吐き気に襲われて、彼女がもし人間であったならば、二十時間にも及ぶその苦痛に耐えることはできなかっただろう。
「生きてたか」
「当然よ。ヴァンパイアである私が、人間の毒などで死ぬはずがないわ」
アイズは口元の血を拭い、酷く痩せ細った足でよろよろと立ち上がる。
「もういい。しばらく休もう」
「バカを言わないで。こんなところで止まっていたら永久にBランク止まりよ。秘薬の素材なんて夢のまた夢だわ」
「だからってクエストを受け過ぎだ! 復讐って、そんなになってまで遂げなきゃならないものか!?」
ミストルはアイズの肩を抱いたまま声を荒げた。
その言葉に、アイズはギッと目を剥いて頬を叩く──その手を、ミストルは軽々と受け止めた。
勢いを失くしたアイズは苦々しい顔で舌打ちする。
「あなたも一族に追放された名家の落ちこぼれでしょ。私には、そうやって平静でいられる方が不思議でならないわ」
誇り高き最強の種族、ヴァンパイア。
生まれながらの才知に加え、血を吸うことで能力を高めることのできる彼らは、愉悦を趣味とさえしていなければとっくの昔に世界を支配していただろう。
それほどの力を持つ種族の中でも、最高位の血を有する名家に生まれたアイズには、あろうことか吸血のスキルが備わっていなかった。
「俺はいいんだよ。人々の希望だった医薬師の家系に、人を殺す劇薬しか生み出せない役立たずが生まれたんだから。恨まれても仕方ないさ」
「挙げ句に虐待されて、生きる道もなく捨てられたのに?」
その問いに、言葉を詰まらせたミストルは口を一文字に結んだ。
アイズはミストルを突き飛ばし、血に濡れた服を脱ぎ捨てる。
歯を軋ませ、右手で引っ掻くように擦るその下腹部には、ハート型を模した紋様が刻まれていた。
「私は許せない。この私に淫魔として生きろと言った姉を。石を投げつけたあの一族を、皆殺しにしなければ」
目が充血し、ドス黒い力が漏れ出す。
名門の生まれとしてアイズが引き継いだものは、その魔力の純度だけだった。
「俺には、わからないよ」
黒く縁取られたレンズの奥で、ミストルの目が視覚を拒むように伏せられる。
「わからない? あなただって同じでしょう?」
アイズは朱に塗れた銀髪を揺らしながらミストルに詰め寄った。
「知っているのよ。人間が得るスキルはその人格で決まるって」
ジリジリと壁際までミストルを追い詰めるアイズ。
「ヴァンパイアすら毒するあなたの劇薬……」
その胸を、人差し指で突いた。
「いったい、ここにどんな化け物が潜んでるのか。拝める日が楽しみね」
押し込まれた指先に、ミストルの心臓がドクンと拍動した。




