07.選べ
「成程ォ、いつも通り登校している途中で、私のライフルが見えて、それに気を取られているうちに気が付いたら結界に入っちゃってたと」
少女の言葉に、相葉は頷いた。結界というのが何なのかは未だ定かではないのだが、とにかくそういうことなのだと、彼は頷いた。
「で、君の名前は相葉・瀬音。都内の高校に通うどこにでもいる十七歳。高校二年生。――へえ、じゃあ私と同い年だ。私は高校行ってないけど。あ、私は九坂・読。よろしく」
よろしく、と言いつつも握手などはしない――というか、できない。そんな友好的な状況ではない。彼は現状、狭い個室に入れられ、パイプ椅子に座らせられ、加えて両手をひとまとめに手錠で後ろ手に括られていた。握手したくてもできない状態だ。室内には今のところ、彼の他に彼に話しかけてくる少女――名前は久坂と言うらしい、彼が初めに見たライフル少女――と、もうひとり少年が壁にもたれかかるようにして立っている。そちらの少年は、部屋に入ってからも一言も喋っていない。名前もわからない。
「んー……思ってたよりも冷静だね。ま、無闇に暴れられるよりもマシだけど」
変わってるねえ、と小首を傾げながら、久坂は言う。相葉としては別に変わっているつもりはないのだが、しかし考えてみれば確かに、この状況下で平静でいるのは奇妙なのかもしれない。狭く、薄暗く、殺風景。そのまま、刑事ドラマなどでしか見る機会のないような、取調室という奴にそっくりだ。口は自由になっているが、手足はしっかりと拘束されている。まして、久坂も奥の少年も、腰から下げたホルスターの拳銃を隠しもしないのだ。そんな中で平然としているような人間は、確かに変わっていると言えるだろう――そんなことを他人事のように考えている相葉は、確かに久坂の言う通りに、変わっている。
「うーん、やっぱりどう見ても、ただの一般人だよねえ。少なくとも、超能力者じゃない……でも結界を抜けたわけだし。何だろう、結界の不具合だったのかな?」
「結界に不具合はなかったそうだ」
とっくりと相葉を眺めていた久坂に、初めて奥の少年がそう答えた。だよねえ、と久坂も少年の方を向いて頷く。
その隙に、久坂が自分から視線を逸らした隙に、相葉はふたりを見る――久坂は、確かに先に言っていたように彼と同じくらいの歳なのだろう、細身の少女だった。身長はそこそこ高く、ぴったりとしたタンクトップの上半身は、はっきり言って薄いのだが、ホットパンツから伸びる素足は健康的に長い。黒髪は肩に届かないあたりで切りそろえられており、その黒瞳には意志の強さが垣間見えた。
未だに名乗らない少年の方は、年齢的には相葉や久坂よりは年下に見えた。こちらは簡素なシャツにズボンで、飾りのない出で立ちだ。
「うーん……君の処分はコヒメちゃん待ちだけど、どれくらいかかるかな」
「さあね。また総長と副長が言い争っていれば、大した時間はかからないと思うけど」
だよねえ、と久坂は頷く。ふたりの会話に、相葉は全くついていけない。
端々の単語を拾ってみても、わからないことだらけなのだ。
超能力者? 結界? 総長や副長? 一体何の話をしているのか。
先の戦闘についてもそうだ――あれは何だったのだ。男や、女子高生は一体何をしたのだ。さらには、どうして彼らは殺されたのだ。今自分の目の前にいる連中は、何者だ。
けれど、それを訊こうと口を動かすことはない――そもそもどこから訊けばいいのかもわからない、ということもあるが、実のところ、あまり興味がない。
剣呑な状況に置かれている、というのは変わりなく確かなのだ。このあとで殺されるかもしれないのだから、そんなことを聞いても何にもならない。
だから、訊かない。
「でも、どうなると思う? この人」
何を言っても大した反応をしない相葉に飽きたのか、久坂は奥の少年に問いかけた。少年は軽く肩をすくめる。
「さあね。こんなことがあったのは初めてだから何とも……でもまあ、普通なら処分じゃないかな」
「だよねえ」
そりゃそうか、と久坂は笑った。そうなのか、と相葉も思った。つまり何なのか、処分とは何だというのは、訊くまでもなく、自明だ。
やっぱりか。
その程度の感想しかない。
「君も運が悪かったねえ」
しみじみと、憐れむような視線をこちらに向ける久坂。だが、その視線を受けた相葉は、ここで初めて思わず息を呑んだ。
久坂の瞳の奥には、憐憫の情など微塵も見えなかった。それどころか、何もない。
彼女はその『処分』とやらに対して、これから相葉がたどるであろう命運に対して、一切の情を動かしていない。
そのことに、その冷徹さに、戦慄した。
「まあ、人なんていつ死ぬかわかんないもので、死ぬときはそれはもう本当にあっさり死んじゃうんだから……君だって見たでしょ? それがちょっと早く来ちゃったってわけで……」
久坂としては、どうやら慰めとして言っているようなのだが、全く慰めになどなっていない。見たでしょ、と言われれば確かに見た、あの光景を思い出してしまう。
どのような力かはわからないが、いともあっさりと潰れて死んだ。
その直後に、こちらは実にわかりやすく、銃弾の斉射で、弾けて死んだ。
せめて願うなら、できるだけ痛くない方法を選ばせてもらいたいものだが――
「――おい、久坂。そう脅すものじゃない」
と、口を挟んだのは、この場にいた誰でもなかった。
新たな人物だ。
「え? いや、脅してないよ。ちょっと慰めてあげようと思って」
「逆効果だ。お前のそれは、ただ徒に恐怖心を煽っているだけだったぞ」
その人の言葉に久坂は、そうかなあ? と首を傾げた。やはり自覚はなかったらしい。
少年がもたれていた壁から背を離し、その人物へ言う。
「報告は済んだのか。総長たちは?」
「いつもの通りだ。例によって、方針についての口論……殉職者については一言もなし。まあ、仕方のないことではあるが」
それから、とその人はとうとう相葉を見下ろした。その人は――彼にも見覚えのある人物だった。
先の戦闘の最後に女子高生を刺し、指示を出していたらしい少女。
何より、腰から下げた長刀を、見間違えるはずもない。
「君の処分だが……相葉・瀬音といったな」
ふん、と鼻を鳴らす。
「久坂ではないが、運が悪いという点については同意せざるを得ないな」
「えー、コヒメちゃんだって脅してるじゃん」
「私は慰めようとも思っていないからな。事実を言ったまでだ」
淡々と、長刀の少女は言う。それから、しばしの間、とっくりと相葉を眺める。
「……ふん」
「コヒメちゃん?」
「私の名は筧・小姫だ。歳は十八。それ以外の細かいことは、今は面倒なので教えない――相葉・瀬音」
「……何か」
見下ろしの視線を、見返す。
筧の双眸には、感情が窺えない――それは、先程垣間見た久坂以上に、乾いている。ただわかるのは、その視線の含んでいる意味だ。
品定め。
「君の処分だが、拾ってきたのが久坂だったせいで、私たちの班の預かりということになった」
「え、私のせい?」
「迷惑な話だね」
「全くだ。――それで、私たちの班の預かりということはつまり、君の処分は私たち次第、ひいては班長である私の胸三寸ということになった」
「……そうか」
「煮るなり焼くなり……生かすも殺すも、な」
言って、また数秒、筧は相葉を眺める。観察するように。そして、口の端をわずかに歪めた。
「随分と落ち着いているな。怖くはないのか?」
「……いや、怖い」
端的に、相葉は答える。
そう、怖い。恐怖という感情は確かにある。ただ、あるだけなのだ、というだけで。
相葉としては本音なのだが、内心の機微までは伝わらない。筧は小首を傾げた。
「とても、そうは見えないけどな。私でも感心するほど落ち着いているように見える……軽く調べたところ、君は本当に運の悪かった一般人のようだが。普通なら、人が目の前で惨殺される様子を見るだけでも錯乱しているところだろうに……なんだ、君は頭がおかしいのか?」
飾りなくはっきりと言ってくる。相葉の反応を見たいのかもしれないが、しかし別段思うところもない。軽く肩をすくめて返すだけだ。
そんな相葉の目を、筧はじっと見据えてくる。
奥の奥まで、見通そうとでもいうかのように。
「……成程。訂正する。君はただ落ち着いているわけではないようだな……まあ、いい」
言って、筧はずいと相葉に顔を寄せてきた。近い。
「規定通りなら、部外者乱入者闖入者は見つけ次第即刻殺害することになっていたのだが、生憎と今回は久坂が君を拾ってきてしまった」
「あれ、そんな規定あったっけ」
「やっぱり忘れてたのか」
「まあ、あのときは作戦開始まで時間もなかったからな、一概に久坂が馬鹿だったとも言えない。――で、繰り返すが、君の処分は私たちの預かりとなった。そこで、だ。私は君に選んでもらおうと思う」
「……何を」
相葉は問う。当然だ。気になるだろう。自分がこの後どうなるのか……あるいは、
「死に方を、か?」
「それも悪くはない、というか、君がそれを選びたいのなら選んでも構わないが――とはいえ、それほどバリエーション豊かな処刑方法は残念ながら用意しかねるがな――それより一足手前の話だ。――君は、生きたいか。それとも死にたいか」
「……?」
「Dead or Aliveという奴だよ、相葉」
筧は顔を離さないままに言う。そろそろ居心地が悪い……なまじ筧が端正な顔立ちをしているだけに、そんなときではないとわかっていながらもどぎまぎしてしまう。
だが筧は相葉の内心に全く構うことなく、続ける。
「一切の説明はしない。長くなって面倒だからな。だからふたつにひとつだ。君は生きたいか、死にたいか」
筧はにこりともせずに滔々と続ける。それに対し相葉が何か言おうとするも、その口を塞ぐようにさらに言葉を重ねる。
「ただし、だ。説明はしないにしても、言わなくてはならないことがある。ひとつ、例え君が生きることを選んだとしても、君はもう二度と昨日までの日常に戻ることはできない。近づくことすら許されない。そして、ふたつ――生きても、地獄だ」
冗談、を言っている雰囲気はまるでない。久坂も、少年も何も言わずにこちらを見ている。
筧の黒瞳は小揺るぎもしない。
「今ここで死んだ方が楽かもしれない。この場を凌いでも明日には死ぬかもしれない。明日でなくとも、明後日かも、その次の日かも、その次の日かもしれない。それは全く君次第だ。きっと楽には死ねないだろうが、遠からず、確実に、死ぬ」
口調は、軽い。そのせいか、言葉も、軽く聞こえる。
どうする? と筧は問う。選べ、と命じる。
「悪いが、君にいつまでも時間を取っていることはできないのでね。この場で、今すぐ、決めてもらおう。今死ぬか、もう少し後に死ぬか? さあ、どうする」
選択肢が変わっている、とは言える空気ではない。
相葉は、考える。
つい先程、久坂が言っていた言葉を思い出す。
人はいつ死ぬかもわからないし、死ぬときは本当にあっさり死ぬものだ――
「……質問」
「何だ」
「ずっと生き続ける方法は、ひとつもない?」
「言っただろう、それは君次第だ。あるいは運次第、だな」
「今を生き延びたとして――俺には、何かできることがあるのか? 何か意味のあることができるか?」
「思春期めいた問いだが……それも君次第だと言っておこうか」
「…………」
「決まったか」
「もうひとつ」
「言え」
相葉は、至近距離にある筧の黒瞳を見返して、問うた。
「あんたなら、こんなときどうする」
「生きる」
筧は、即答した。
「意味もなく、価値もなく、理由もなく――だがどうせそのうち死ぬのだから、もう少し生きておきたい」
「…………」
「決まったか」
再度、重ねられた筧の問いに、相葉はとうとう、頷いた。
ああ、と。
「俺も、もう少し生きてみる」