50.戦いの終わり
ひゅうひゅうと、風の抜けるような音だけが聞こえる。いい加減耳障りだと思う頃に至って、ようやくそれが自分の呼吸だと気が付いた。
ふ、と吐息する。もう立ち回る必要はない。そのことを改めて認識して、筧は肩の力を抜いた。
見渡す限りの戦場に、動くものは皆無。転がり、打ち捨てられた人影は、全てが死に尽くしている。それも、五体満足に死んでいるものもひとりもいない。そこら中に、誰のものとも知れない腕が、足が、四肢が転がり、ぶちまけられた血だまりが赤黒く変色している。
ひひ、とかすかな笑い声が聞こえた。気だるげにそちらへ首を巡らせると、そこにも転がる人体がある。
「ひひっ……マジでよォ、化けモンだなあ、お前は」
人体、と呼んでもいいものか危ぶまれる、ただものを言う物体に近いそれは、粉塵の能力者だった。
男は嘲笑し、筧へ向けるでもなく言う。
「マジで、あれだけの乱戦で、てめえの同胞も、こっちの超能力者も、全滅させやがった。たったひとりで」
ごぺ、と水っぽい音を立てて、男は血を吐く。もう長くない――長いわけがない。
両の腕を肩から失い、さらには腹から下もなかった。四肢どころか半身を失った姿は、もはやどう手を施しても助かる見込みがないことは明白だった。
それでも、絶命間際の最期の余力で、男は筧をせせら笑う。
「まァ……てめえもこれで最後だがなァ」
男の言葉に、筧は答えない。それはそうだ。筧は今、この戦場で立っている唯一だが……それも、満足に立っているとは決して言い難い。
左腕を粉塵に変えられただけでなく、側頭に擦過傷、右肩に裂傷、左腹部貫通創、左大腿を中ほどまで損失し、右脚に至っては腿から下を失い、右脇に挟んだライフルを足代わりにして身体を支えている状態だ。
満身創痍に、違いはない。もう、戦える身体ではなかった。
敵はあまりに多かった。新派の兵士に超能力者。粉塵の能力者だけでも持て余すというのに、それ以外にも数百からの敵がいて、それと互角以上に渡り合うということだけでも十分に人間離れしているのだ。最後の最後にこうして立っているというだけでも、偉業。
「へ……先に逝ってるぜェ化け物女。せいぜい苦しんで死ねよ。散々殺しまくったんだ、お互い地獄落ちだぜ――」
萎むようにして声は消え入り、今度こそ戦場は死に絶える。唯一残った筧も、右手から滑り落ちた刀が音を立てると同時、がく、と左膝から崩れ落ち、受け身も取れずに仰向けに倒れ込んだ。
近くからも、遠くからも、人の音など一切ない。ただ緩やかな風が頬を撫でるばかりだ――見上げた空は、皮肉なほどに高く、青く澄み切っていた。
……ここまで、か。
血を失い、ぼんやりとした頭でそんなことを思う。
痛みは既に感じていない。失った四肢も、辛うじて繋ぎ残った手足も等しく感覚がない。そもそも戦闘の最終局面において既にそんな状態だった。それでも動き続けたのは、戦い続けてきた自分への意地だった。
今際にあって、しかし脳裏によぎる思い出は少ない。薄っぺらい人生だ、と自嘲するも、笑みを作る気力すら残っていない。
思えばずっと、戦い続けてきた人生だった。生き残るため、生き延びるためとは言い続けてきたものの、その先に何があるのかを見いだせたことは、一度もなかった。
誰かを殺して、生きてきた。
生きてきただけだ。
……地獄落ち、か。
そうだろうな、と思った。誰も傷つけてなどいない、ただ超能力者かもしれないというだけの人間を、命じられるままに殺戮してきた。
悪はどちらだというのだろう。
大義はどちらにあったというのか。
……それも、もう、何でもいいか。
目を閉じる。視界が薄闇に覆われる。それでも構わない。どうせ、霞んでしまって何も見えたものではない。
不思議と、安らかな気分だった。ひょっとすると自分は、生き残るため生き延びるためと言って戦いながら、無意識のどこかで死を望んでいたのかもしれない。
そんなことを思った。
どのみち、もう自分だって助からない。
……何もない人生だった。
ただ、血に塗れていた。
違う人生があったら。久坂はときにそんなことを言っていたが、筧はそんな考えはするだけ無駄だと切り捨ててきた。でも、もし、今なら。終わりに迫った今の自分なら、何を思い描くだろう。
……いや、やっぱり、何もないな。
何も描けない。何度繰り返しても、きっと自分はこの道を歩いていただろう。そう結論して、苦笑した。
だが、生まれ変わるなら。
……もう少し、穏やかな人生がいいかな。
年相応に得られるべきものを何ひとつ手にすることのなかった少女は、内心に吐息する。
……ああ。
何も得られず、何も残せなかった人生だったけれども。たったひとつだけのことを、為せただろうか。
相葉と久坂。あのふたりの背を守るということ。
あの愛想のない少年も、思えば妙な奴だった。久坂が運んで来たときには面倒な仕事を増やしてと若干腹が立ちもしたが、彼が来てから、少しだけ、日常が面白くなった。
七課に毒されず。
小憎たらしいほど淡々と生きていた少年。
生にも死にも、危ういほど執着を見せなかった――何かと彼に構っていたのは、その危うさが心配で、同時に妙に気に入っていたからだったのかもしれない。
ああ、と筧は吐息した。これが最後だな、とどこかで思いながら。
……あのふたりは、生き延びられただろうか。
そんなことを、思った。




