37.御礼
「俺は……どれくらい、気を失っていた」
まだ動揺の抜けきらないままに問うと、氣境は愛想なく「五分程度だな」と応じた。
「危ないところだったが、間に合ったようだ。あれはこっち側でも特に危険な奴でな。言ってみれば、お前たちの想定している超能力者そのままの奴だ」
つまり、機関七課が敵として兵士たちに教え込んでいる超能力者像。
「自分の能力を好きに使って、殺戮の限りを尽くす。異能なんてなくても犯罪者になっていたのは間違いないような人間で、過激派の筆頭だ。それが、とうとう我慢できなくなって前線に突っ込んできたってわけだ」
説明しながらも、反応の薄い相葉に不信を覚えたのか「おい、大丈夫か」と声をかけてくる。
「……あんたは、どうしてここにいる」
氣境は、確かあの天城・遥風の護衛だったはずだ。それがここにいるということは、
「天城・遥風も、いるのか」
「いいや、まさか。遥風さんはここからずっと遠く、安全なところにいる」
「それなら、なぜ」
「遥風さんからの言伝だ。お前にこれを届けろと」
不服であることを隠しもしない仏頂面で、氣境は拳を突き出してきた。思わず手を出すと、そこに何か軽いものを落とす。
何だ、と見ると、それは首飾りだった。とはいえ簡素なデザインのもので、紺色の紐に水晶がひとつ下がっている。氣境を見返すと、「かけろ」と短く命じてきたので、よくわからないながらも首にかけてみる。戦場で、それも超能力者から装飾品を渡されるなど、何が何だかわからない状況だ。
頭から通して首元に落とす。しかし何が起こるわけでもない。本当に何なんだ、と相葉は口を開きかけ、
『――聞こえますか?』
声が聞こえた。
いや、正確には『聞こえた』わけではない。一度だけだが、しかし確かに覚えのある感覚に、相葉は口をつぐむ。
『よかった、氣境さんは間に合ったんですね。ひとまずほっとしました』
頭の中に、直接声が響く。こんなことができるのは、
「……天城、さんか」
『呼び捨てで構いません。突然のことで驚かせてしまったかもしれませんが、今はお許しください。――もっと早くこれをお渡ししていればよかったのですが、思ったよりも状況が早かった。私に繋がった縁を通さなければ、距離のある相手との念話はできないので……とにかく、ことは一刻を争うのです』
天城の言葉は、やはり感情を伝えてこない。しかし、その語調には確かな焦りが感じられた。
一刻を争う、とは。
『機関七課内部でのクーデターが勃発したことは、こちらでも把握しています。戦場全域に渡って混戦状態にあり、そちら側――保守派の呼称するところの旧派は、壊滅を余儀なくされております。数人の実力者によって多少散発的な交戦を行っておりますが、全滅するのも時間の問題――しかし、最も危険なことはそれだけではありません』
いいですか、と天城は前置いた。
『こちら側の過激派、その中でもとりわけ危険度の高い数人が、とうとう戦場に飛び出してしまったのです』
「……その数人っていうのは」
眼前にある巨大な轍を見ながらつぶやいた相葉に、そうだ、と背後で氣境が頷く。
「奴もそのひとりだ。異能は見た通り、自分の周囲を材質に関係なく粉塵と化する能力。そして気質も一級の危険人物だ」
『彼だけではありません。他にも広域爆砕の異能者と、酸の異能者の出動も確認しています。――その戦場はもうダメです。機関七課の命運もこれまででしょう。彼らはそれぞれに、手当たり次第に殺戮しながら機関七課本部を目指している。機関七課がどれほどの対策を敷いているとしても、彼らの誰かひとりが到達してしまった時点で終わりです』
「それを、俺に伝えてどうする」
『逃げてください』
きっぱりと、はっきりと天城は言った。
『そのまま戦場に残っても、遠からず死ぬだけです。機関七課は壊滅。勿論こちら側もただでは済んでいませんが、組織、勢力同士の事情などはあなたが斟酌する必要はないのです。幸いにしてそこは戦場の末端。脱出路はそちらの気境さんが示しますから、どうかあなただけでも』
「……どうして俺だけにそんな手配をしてくれる」
氣境もそうだ。そんなどうしようもない戦場にわざわざ危険を冒して出向いてきて、そこまでしてなぜ相葉を逃がそうとする。
だが、相葉の問いかけに――天城は、笑った。
笑ったのだ。
『その答えは、以前にも一度お答えしていたはずですよ』
「……そうだったか?」
ええ、と頷きの声が返る。
『御礼、ですよ。これは――白井さんを看取っていただいた、御礼。それだけ白井さんは私にとって、私たちにとって大切な人ですから、これくらいのことは当然なのです』
天城の言葉は、優しかった。喪ったことを受け止め、そして忘れない声だ。
「……俺は――」
そこまでの、それほどまでのことをしたわけではない。相葉は、思わずそう応じようとした。しかしそのとき、
大気と大地が激震した。




