16.予期せぬ遭遇
「――――!」
相葉は跳ね起きた。どうやら気を失っていたらしいが、それほど長くでもないはず――壁を爆砕されたときに生じた土煙が、まだまだ色濃く晴れていない。
……戦場は、どうなった。久坂は。
しかし、やや離れたところにいた相葉ですらこれほどの衝撃を受けているのだ。その真正面にいた久坂らがどうなったのかなど、想像に難くない。
自分の身を確認する。多少の傷は負ったが、四肢に問題はない。どうやら倒れた際にサブマシンガンを手放してしまったようだが、腰裏に備えた拳銃は無事だった。
周囲を見回すが、白濁した土煙が淀んでいてとても見通せない。風もないため鎮まるにはまだかかるだろう。これでは動けない――と思い、手近な瓦礫に背を預けたとき。
不意に、誰かが隣にしゃがみこんできた。
「いた。大丈夫? 無事?」
聞き覚えのある声ではないが、少女だった。お互いの顔もやや見にくいが、知った顔でもないようだ。違う班の兵士だろうか。彼女も武器を失ったらしく、手には何も持っていない。超能力者であるのなら、相葉は見つかった瞬間に殺されているはずだ。だから味方だろう――そう判断して、一応の警戒は解く。
「……俺は大丈夫。そっちは?」
「あたしも大丈夫よ。ねえ、何が起こったかわかる? ここに入った途端にいきなりこうなったから状況がわかってないの」
隣に相葉と同じように座り込みながら、声を潜めて少女は言う。通信を聞いていなかったのだろうか、と思いつつも相葉は答える。
「爆砕の能力者が隣から壁ごと壊して入ってきた。こっちでも敵と味方が戦ってたんだが、全員どうなったかは不明だ」
「爆砕……タケシタか。あいつまた見境なく……ここにはミヤジマとタナベもいたはずなのに」
ぶつぶつと、少女は毒づく。タケシタ、というのは敵の名前だろうか。初見ではないようだから、他班で追っていた相手ということか。ミヤジマとタナベとは恐らく、先程久坂とともに戦っていた誰かだろう。
ひとしきり毒づいた少女は、やがて切り替えるように首を振って相葉を見た。
「文句言ってても仕方ないね。この分だとタケシタはともかく、他の皆が無事かどうかもわからないし……どうしよう。逃げようか。逃げた方がいいよね」
ん、とわずかに相葉は怪訝に思った。誰だかわからないがこの少女も、生存のための非戦主義者なのだろうか。そうとすれば思いのほか、潜在的非戦者は多いのかもしれないが……しかし。
何か、違和感がないか。
「何でここがバレたのかはわからないけど、バレちゃったんじゃ仕方ない、拠点を移そうって、ハルカさんも言ってたし。――ああ、ハルカさんたちは大丈夫。あいつらが攻めてくる寸前に辛うじて脱出できてるはずだから、あとで例の場所で合流できれば――」
相葉が黙り込んでいる間にも、少女はあれこれと話してくる。しかしそこまで聞いていれば、さすがにもうはっきりとわかる。
会話がすれ違っている。
ハルカというのは誰だ。
『あいつら』が攻めてきた?
何の話をしている?
「何でこんなことになっちゃったのかなあ……やっと、静かに暮らせると思ってたのに。私たち何もしてないのに、どうしてあいつらは殺しに来るの? あいつらは一体何なの? ねえ――」
嘆くように頭を抱え、同意を求めるようにこちらを見てきた少女が、ふと動きを止めた。す、と表情が抜ける。
対して、相葉も明らかに様相を変えていた。
全身に走る悪寒。脳裏にけたたましく鳴る警報。耳にはめ込まれた通信機は依然としてノイズしか伝えてこない――しかし。
気が付いたのは、同時であったらしい。
「ねえ――あなた」
明らかな警戒を滲ませ、じり、とわずかに身を引きながら、少女は問うてくる。
「あなたは、誰? 私たちの仲間、なんだよね?」
私たち。
それは、どちら側だ。
爆砕によって生じた混乱の大きさを、相葉は一面的にしか捉えていなかった。翻弄されていたのは機関七課側だけではなかったのだ。少女も初めに言っていたではないか。状況がわかっていないと。超能力者は武装を必要としない。だから一般人と見分けがつかない。そして相葉は先の衝撃で目に見える武器を失っており、防具を備えていない身はやはり一般人と相違ない。
互いが互いを、勘違いしたのだ。
そしてそれを今、ふたりともが自覚した。
瞬間的に相葉は、腰裏に装備している拳銃を思った。それを抜いて、彼女を撃つか。
いや、既に遅い。彼女はこちらを完全に認識している。彼女が敵の一員であれば十中八九超能力者であり、超能力者の異能の行使は例外なく一瞬だ。こちらが不穏な動きを取れば、彼女はすぐさま相葉を殺害するに違いない。むしろまだ相葉が生きていることの方が不思議なくらいだ。
一瞬で自分の取れる行動と、その予想できる顛末を考えて、相葉はゆっくりと両手を上げた。
無抵抗の合図だ。
「お――俺は、機関七課は七班、相葉・瀬音だ。だけど」
名乗りから間髪入れず、相葉は続ける。
「戦う意志は、ない」
そんな言葉を、果たして信じてもらえるかはわからない。相葉は今、限りなく死に近づいていることを自覚した。だが、即決で彼女を殺しにかかるよりは、まだしも生存可能性が高いと判断しただけだ。
呼吸が浅く、早くなる。鼓動がうるさい。頬を冷たい汗が伝っていく。
少女は身構えを解かない。能力の発動に予備動作は必要ないのだ、相葉を殺そうと思えばそれだけで殺せるはず――しかし、相葉に死は訪れなかった。
「あたしは、白井・円佳」
短く名乗り、白井は後退動作を継続しながらも、相葉に問うてきた。
「戦う意志がないって、どういうこと。あんたたちは、あたしたちを殺しに来たんでしょ」
それは、否定できない。否定しようがない。相葉自身がまだひとりも殺していないことなど、この状況では関係ないだろう。
それでも、相葉は言う。
「俺は、戦うつもりはない――死にたくない、から」
戦場にいながらにしてあまりにも弱気な発言。それを聞いた白井も眉根を寄せる。
「でもあんたたちは、あたしの仲間を殺した。あたしの親友を、カオリを殺した!」
カオリというのが誰なのか、当然のこと相葉は知らない。だが、これまでの作戦のどこかで殺されたということだけは確かだろう。
徐々に声音を荒げながら、白井は最後には怒鳴るように言った。
「あんたたちは、どうしてあたしたちを殺しに来るの! あたしたちは何も、何もしてなんかいないのに!」
「……超能力者は、一般社会を脅かす危険がある、から」
苦々しく、相葉は答える。何十と反復させられ、暗記させられた言葉だ。
全ての戦闘を行う題目。けれど、
「あたしたちは何もしてないって言ってるでしょ! あたしたちがいつどこで社会を脅かしたって言うのよ!」
答えられない。そんなことを、相葉は知らない。末端の兵士は戦う機械であり、命令に従うだけで、機動する理由は必要としない。
「……あたしは、あんたたちが大嫌いだ」
きつく相葉を睨みつけながら、白井は言った。
その両の瞳からは、堰を切ったようにぼろぼろと涙があふれ出る。
「あんたたちのせいで、カオリは死んだ。ユウマも、ココミも、クワハラさんも死んだ。皆殺された。あんたたちが殺した。あんたたちのせいで死んだんだ。皆、何も悪いことなんてしてないのに。普通に生きていきたかっただけなのに……あたしだって」
奥歯で噛むように、生々しい感情を込めて、白井は言った。
「あたしたちだって、死にたくなんかない……!」
その生のままの言葉は、剥き出しの、悲鳴のような言葉は、深く相葉の中に響いた。だから、何か言おうと相葉は口を開き、
しかし、果たされなかった。
銃弾。
タン、という軽い音とともに、白井の身が浅く揺れた。そして、こちらへ向けて崩れ落ちてくる。
何が起こったのかは、すぐにわかった。
撃たれたのだ。
思わず抱き留めた白井の背、左腹からじわじわと、しかし確かな勢いをもって紅が広がっていく。
そして、銃声はその一発にとどまらなかった。
チュン、という音を立てて、相葉から少し離れたところで跳弾する。相手が誰だかわからない、けれど銃を使うのならば味方かもしれない。しかしその味方はこちらを銃撃してくる。
現状に対する判断は、しかし意識の上ではなされなかった。
まだ死ぬわけにはいかない。
言葉としてすら認識されることのない、ただその一念だけが、相葉を動かした。咄嗟に腰裏のホルスターから拳銃を抜き、銃声の方向へ向ける。
初弾は白井に命中した。致命傷だ。しかし続く二撃、三撃はほとんど狙いが定められていない。こちらの生存を予想してはいるが、正確な場所までは特定できていないのだろう。フィールドは先の爆砕で天井まで崩落しているが、瓦礫の陰にいる相葉の姿は光にさらされていない。
対して襲撃者の姿は、未だ収まらない粉塵の中においても明白だった。
穴の開いた天井から射し込む陽光が、相手のシルエットを粉塵に投影する。
その人影へ向けて、一瞬の躊躇いもなく、相葉は射撃した。
機械的に繰り返し続けてきた射撃訓練が、初めて役に立った瞬間だった。訓練通りの手順を踏んで放たれた銃弾は、過たずシルエットの頭蓋を撃ち抜いた。
一瞬、わずかに震えるように硬直したシルエットは、一拍を待たず崩れ落ちる。その倒れ方に生気は全くなく、即死したことは明らかだった。
「…………」
ふ、と伸ばす速い呼吸音が自分のものだと気付くのに、しばらくの時間がかかった。ようやく構えたままだった銃を下すと、自分にしなだれかかるようにして倒れ込んだまま動かない白井を見る。
「おい、おい、大丈夫か」
急ぎ脈をはかると、まだ生きていた。呼吸もしている。だが、仰向けに裏返して確認した相葉は、思わず言葉を失った。
銃弾は貫通。そして間違いなく内臓を貫けており、あふれだす血は失血量だが止血のしようもない。
絶対に、助からない。
顔色を失って呆然とする相葉を、ぜいぜいと荒い呼吸をしながらうっすらと目を開けた白井が見上げて、わずかに笑った。
「な、に……してんの」
声には水っぽい音が混ざっており、げほ、と噎せた白井は血を吐いた。しかし相葉には対処の仕方がわからない。
「いま、あんた、が……撃ったの、あんたの……みか、味方、じゃ、ないの」
途切れ途切れに白井は言う。相葉だってわかっている。半ば以上わかって撃っていた。ただ、自分が生き残るために。
バカだね、と白井は笑った。
「あたしの、心配じゃなく、て……あっちの、心配、すればいい、のに」
そうは言っても。白井はまだ生きていて、相葉が撃った誰かは、死んだ。
その白井とて、もう長くないが。あと、何分か、何秒か。
それだけ残された白井の猶予を前に、相葉は半ば以上凍り付いた頭で必死に考える。救命は間に合わない。ならば、できること、すべきことは。
「――言い残すこと、は」
え? と見返してくる白井に、相葉は繰り返す。
「言い残すことは、あるか」
それくらいしか、相葉にできることは思いつかなかった。
敵、超能力者、討伐対象でありながら、看取ることになった相手への、せめてもの手向けとして。
相葉の言葉を聞いた白井は、今度こそはっきりと笑みを形作った。吐いた血で口元は汚れており、銃創の激痛で脂汗も浮いて、凄惨な笑みではあったが、確かに、笑った。
本当に変な奴。そう掠れた声でつぶやく。
「それじゃあ――頼もうかな」
既に目の焦点が合っていない。もう相葉の顔を視認できていないのかもしれない。けれども唇だけは、まだ動く。
今際の際に迫ったためだろう、舌に絡むこともなく、滑らかに。
「ハルカさんに会ったらさ、伝えてくれないかな。有り難う、楽しかったよって。ケーキ、作ってあげられなくて御免ってさ――」
消え入るように、白井の遺言は終わった。
「…………」
最後まで聞き取った相葉は、静かにその光を失った両目を閉じさせ、そっとその場に横たえる。
少女の亡骸を見下ろして、はっきりと言う。
「――確かに、伝えよう」
ハルカというのが誰だか全くわからないし、ましてや会うことなど夢の果てへ向かうような話ではあったが。
相葉は、そう応じた。
黙祷するように静かに瞑目した後、相葉はそのまま、白井と自分を銃撃してきた、そして相葉が射殺した相手の方へ向かう。ようやく粉塵が晴れつつあるが、戦いの音はもうどこからも聞こえてこない。通信機は依然として沈黙しているが、もしかしたら筧あたりが終わらせたのかもしれない。
そして、徐々に見えてくる銃撃者の、力なく倒れ伏した者の姿を視認して、ああ、と相葉は吐息した。
その少年の名を、相葉は何の因果か知っていた。
この一連の戦闘の中でたった一度だけ相葉が引き金を引き、たったひとりだけ殺害した相手は。
機関七課に拘束された相葉を取り調べし。
作戦直前に初めて名乗った。
長島・譲だった。




