第1撃【拳は魔法より強し】
――どうしてこうなった
目の前に迫り来る拳を眺めながら、ラヴィオスはそう思った。
その拳の主が女性であることだとか、その女性が自分好みの強気な美人であるだとか、そんな美人に殴られている自分は何なんだとか、思うところは沢山あったが今はどうでも良かった。
というよりも、考える余裕が無かった。
このまま何もしないでいたら、直後には顔面に彼女の拳がとてつもない威力を伴って突き刺さっていることだろう。
こんな風に冷静に分析できていることが、そもそも彼女の動きを見極められていることから、自分が異世界への転生を果たしたことを実感する。
いきなり蹴りかかってきた彼女をいなし、突き飛ばすという、反射的ではあったが超人的な動きができた時点で疑っているわけではなかったが。
避けるべきか否か。
話し合いに持ち込んで誤解を解くという結果からすれば、そのまま殴られるというのが正解であった。
だが、この戦闘が人生初の戦いである異世界転生者が『痛いそうだから殴られるのは嫌だ』と思ったのを誰が咎められようか。
「風・72!」
魔法の起動式を吐き捨てるように声に出すと、自分を中心として風の渦が発生する。
二人を分け隔てるように渦巻く風を見て彼女は後退する。
元々ダメージを与えることは考えていた訳でもなく、狙い通りであったためラヴィオスは魔法の自然消滅を待たずして解除する。
初撃こそ手を加えてしまったが、女性に危害を加える様なことはラヴィオスは望んでいない。
「70番代の構築を破棄するか。それに先程の魔力密度……。それほどの実力なら名が聞こえていてもおかしくないのだが……」
女の疑うような目つきは一層強くなったが、ひとまず戦闘は中断された。
ラヴィオスはなんとか話し合いに持ち込めそうだと判断し、あたかも強者の立場を気取って交渉を持ちかける。
断じて初心者であることを悟られてはいけない。
いろいろあってこの状況になってしまったが、目の前の相手が本来なら初戦で戦うような相手ではないというのは、なんとなく肌で感じている。
「もう一度問う。貴殿はどこの所属か? 帝国か? 教国か?」
この世界に関する知識が乏しい身からすれば、相手から情報をもたらしてくれたのは大きい。
この世界には少なくとも三つの国が存在する。
帝国と教国と彼女が所属する国。
恐らくここはその国の中なのだろう。
明らかな敵対心を含んだ彼女の物言いからして、三国の関係は芳しくないようだ。戦争でもしているのだろうか。
それはさておき、彼女の質問にはなんと答えれば良いのだろうか。
よもや『神』を名乗る存在の手によってこの世界に送り込まれたとはいえない。
だが、このまま黙っていても埒はあかないので、あくまで嘘をつくことはせず逆に探りを入れる。
「なぁ。神っていると思うか?」
「どういう意味だ。それは教国の者だと言っていると受け取っても良いのか?」
ラヴィオスの言葉を聞いて、女の澄んだ碧眼が僅かに細まる。
その反応からしてラヴィオスの発言の真意を理解したというわけではなさそうである。
教国という名前が出てきた時点で薄々感づいてはいたが、こればかりは確かめずに居られない。
今後の進退、もといこの世界における身の振り方に関わるのだ。
一人に聞けば済む話である。
頭がおかしいと思われようと聞く価値はある。
「神によってこの世界に送り込まれたって言ったら信じるか?」
言い終わった瞬間、ラヴィオスは自分の選んだ選択肢が間違いだったことを本能的に悟る。
相手の纏う雰囲気が一変したのだ。
言うならば敵意。
女がラヴィオスを疑いから完全に敵として認識した瞬間であった。
「神教に相当心酔しているようだな。安心しろ、殺しはしない。――『邂逅』」
女が構えをとり、その言葉を呟いた瞬間に女の体から眩い赤色の光が放たれる。
光が収束した時には、赤光が全身に纏わりついていた。
変わった点はただ身体が赤い光を発するという一点だけ。
ただそれだけなはずなのに、漂う雰囲気はまるで別人。
エルヴィスの脳の片隅で警鐘が鳴り始め、危険を訴える。
「『エルヴィナ・ユルギデンヌ』参る」
刹那、エルヴィナの姿がぶれる。
かろうじて目の端で捉えていたが、追うことはを諦める。
完全に見極めていた先の動きとは比べ物にならない。
最早交渉などと言ってはいられなくなり、自らの生存本能のなすがままに魔法を紡ぐ。
「水・64」
「遅い」
全方位を覆うように形成しかけていた水の壁を、左手の一突きで破壊する。
ラヴィオスの魔法の起動が遅かったわけではない。エルヴィナの方が早かったという単純な原理。
60番代の魔法であるため決して生易しいものではなく、ある程度の防御と攻撃を兼ね備えたものであったが、エルヴィナには何の変化も見られない。
「クッ――次元・77!」
自らの予想以上の変化に驚いたが、間髪入れずに次の魔法に移る。
その魔法はいわば転移魔法。
任意の地点に移動できるという本来なら優れた効果を発揮するものであるが、転移先の指定に意識を集中させる必要が有る上、転移の直前と直後には魔力が高まるので敵にもバレやすいので、戦闘にはあまり向いていないというのが全ての使い手の共通認識であった。
実際ラヴィオスも距離を稼ぐために起動させたのであり、意識はあまりそれに割かなかった。
そのため魔法が起動したのもつかの間、目の前に相変わらずエルヴィナの姿があった時、魔法の起動に失敗したと錯覚した。
「魔法を起動する速度には眼を見張るものがある。だが、それだけだ」
「ふざけやが――」
腹部に重い一撃をもらい、ラヴィオスの言葉は途中で閉ざされる。
体感したことのないような衝撃と痛みが全身に走りラヴィオスは思わず地面に崩れてしまう。
ただのパンチとは到底言いがたい威力にラヴィオスは自分の認識の甘さを痛感させられた。
なんとかなると思っていた。
神に授けられしこの力があれば大抵の相手に負けることは無いと思っていた。
だが現実はそんな甘くなかった。
腹パン一撃で地に伏しているザマである。
異世界の転生を果たし、魔法などという夢の様な力を手にして、少なからず舞い上がっていたのは事実である。
だが、そのツケがいきなり回ってくるとは誰が考えようか。
「神様どうにかしてくれよ……おい」
「まだ意識があったか。だが神に助けを求めても何ら変わらんぞ」
独り言のつもりであったが、上方から返された言葉にラヴィオスは多少驚きつつも、顔を上げただ淡々と言葉を返す。
もう抵抗も逃走も諦めている。
エルヴィナに勝てる見込みが思い浮かばないのだ。
「別に助けを求めてるってわけじゃねぇんだけどな……。むしろ理不尽にさえ思っているくらいだ」
「なに訳のわからんことを……。まぁいい。これから貴様を拘束する。そこで洗いざらい吐いてもらうぞ」
むしろこっちが教えてほしいくらいだっつ―の、とラヴィオスは心のなかで悪態をつく。
それを見たエルヴィナはラヴィオスが心痛から顔をしかめたのだと思い、ため息を吐いた。
「安心しろ。帝国と違って我が国は捕虜に対する人権も保証する。命の危険はないだろう」
「でもどうせ尋問とかはすんだろ? いきなり最悪だ……」
ラヴィオスがそう言うとエルヴィナは僅かに顔を歪ませた。
そして、どこか言うのをが憚れるかのごとく口を開いた。
「この戦時下では敵国の人間である以上そうなるのは仕方ないだろうな。だから素直にこちらの言うことを聞いてくれると助かる」
「別に抵抗なんぞ鼻からする気は無かったけどな」
ラヴィオスが避難するような目つきでエルヴィナを見つめると、エルヴィナも睨み返す。
「それで、これからどうするの? どっかに連れてかれるんでしょ?」
しばらく睨み合った結果、ラヴィオス先に降参するとそう切り出す。
現在ラヴィオスとエルヴィナが居るのは、木が生い茂る森林のなかにある少し開けた広場のようなところである。
いきなり森に放り出されて、エルヴィナと遭遇し戦闘に発展したラヴィオスからすれば、ここがどこかなど皆目検討もつかない。
王国の領内といったことは理解しているが。
「そうだな……。もう仲間とも遠く離れているし魔法で帰るのが無難だろう」
「エルヴィナさん仲間が居たんだ」
「あぁ、任務の帰りでな。任務の帰りにこの森に差し掛かったところで膨大な魔力を感知し、私だけ残り他は王都へ急いだのだ。その時の魔力といい貴様の得体は計り知れないな」
エルヴィナはそう言ってラヴィオスに疑いの目を向け、ラヴィオスも当然それに気づいていたが、それ以上に今の発言には気になる文言が含まれていた。
――膨大な魔力……?
無論ラヴィオスに該当する自覚はない。
ラヴィオス自身の魔力が尋常じゃない量であるという可能性はあるが、こちらの世界に来てから調整に気を使ったこともないし、今もその状態であるので、エルヴィナの警戒度からしてもその線は薄いだろう。
そこまで考えてラヴィオスはふと一つの答えを思いついた。
――神による転移の魔力残滓といったところか
場所の移動ではなく、世界をまたいで移動してきたのだ。
魔力の量が大きくとも不思議ではない。
もっともそれはラヴィオスの憶測に過ぎず、何一つ真実は分かっていないのだが。
「それでだな」
「ん、どうかした?」
この時ラヴィオスは多少なりともエルヴィナに対して気を許してしまっていた所があった。
ラヴィオスの処遇を保証するとは言いつつも、警戒は一切怠らなかったエルヴィナからすれば、甘いにも程があるとしか言いようが無い。
そのため、エルヴィナがとった次の行動に対しては驚きというよりも失望という感情を抱いていた。
「あらかじめ謝っておこう。すまない」
「何を――」
「光・37」
エルヴィナの起動式に呼応して、ラビオスの身体の首、肩、肘、手首、腰、膝、足首といった十二箇所の関節に、十二本の光り輝く剣が一斉に突き刺さる。
ラヴィオスももちろんこの魔法がどんな魔法かは理解していた。
殺傷能力のない拘束用に特化した魔法である。
エルヴィナが魔法を起動させた時はゾッとしたが、その魔法を食らった瞬間にエルヴィナの謝罪の真意を理解したので、ラヴィオスは喚き騒いだりエルヴィナの手間を掛けさせるような事はせずにおとなしくしていた。
「理解が早くて助かる」
その言葉にラヴィオスは何も返さずににただ瞳を閉じる。
その行為の意味を悟ったエルヴィナは地面に横たわるラヴィオスにゆっくりと手をかざし、首筋に手刀を当てる。
普段からそれに手馴れている者の一撃に、ラヴィオスは痛みを感じることなく鮮やかに意識を刈り取られた。
エルヴィナは眠るように横たわるラヴィオスの表情を見てある種の申し訳無さを感じながらも、ラヴィオスが本当に意識を失っていることを確認する。
そして、それを済ませると辺りに目をやり、周囲に異常がないかどうか気を配る。
全ての事項のチェックを終え、後は魔法の起動式を構築するだけとなった時にエルヴィナは再びラヴィオスの顔に目を向けた。
「貴様は一体何者なんだ……」
エルヴィナはラヴィオスの素性に関して様々な推論を立てていく。
――複数の属性の魔法を、しかも高位序列のものを平然と起動式の構築を破棄しながら自由に操る様。
加えてそれらの魔法の起動速度と放たれた魔法の魔力密度。
どれも常人が見ても非凡な者だとわかる代物であった。
かなりの実力を伴った者であるというのは間違いないのだが、このような容姿の人物は聞いたことがない。
不可解な点は幾つもある。
神を崇拝している神国の者のような発言をすれば、そうではないと言う。
かなりの実力者でありながら、戦闘慣れはしていない。
捕虜という立場にも関わらず、深刻そうな様子を一切見せない。
それどころか警戒せずに、こちらの指示に素直に従う。
会話の端々からこちらの情報を少しでも得ようとするのが伝わってくる。
何より、身体強化魔法を使わなかったこと。
使えなかったのか、使わなかったのか。どちらか定かではないが、最大の疑問はこれである。
「決め手に欠けるな……」
少し立った後にどうやっても推論の域を出ないと結論づけたエルヴィナはそう呟くと、諦めて魔法の起動を始める。
転移先は王都も中心部、王国の核ともいえる場所。王城。エルヴィナは普段そこを拠点として暮らしている。
王国序列第三位の魔法使い。
それがエルヴィナ・ユルギデンヌであった。
空白の使い方とか、見づらいとか、こうした方がいいよってあったら教えて下さい。