第三十話 西部の情勢と彼女の事情
「ミーニャさん。買うものは決まりましたか」
「…ん…決まった…」
「そうですか、では私は、セレナさんを呼んできますね」
「…了解…」
3人旅の途中、食料等の調達のために立ち寄ったとある街の、とある露店にて。
私は、3人が同じ金額だけ持っている自分が自由に使えるお金で、表題に目を引かれた、一冊の本を買うことにした。
…これは、中々興味深い内容だ。
封印した精霊達を2人の巡礼官へ預けて、アルミレーダの町を出たのが1か月くらい前。
私達は、この1月の間に2つの村を回り、そして今、物資の補充のために2日ほど滞在した小さな町を出るところだった。
この1か月間で私は、直接見て、或いはカナエから話を聞いて、精霊教に関する事、そしてカナエ自身の事を、たくさん知る事ができた。
精霊教。
レゾナから聞いていた通り、やはり人大陸の西部地方では、精霊教が非常に大きな力を持っているようだった。
まだ西側の中では東寄りの地域を回っているため、巡礼官とはそれほど頻繁に遭遇したわけではないものの……辺境の小さな村にすら精霊教を信仰する人は少なからず存在し、町ともなれば必ず一軒は教徒達が集う精霊教会が建っているとの事。
西部に住まう人間とエルフのほとんどは精霊教の信仰者であるらしい。
それだけに、私とセレナの故郷が、エルフの集落でありながら精霊教徒どころか1人の精霊すらいない村である、という事を知ったカナエは相当驚いた様子だったけれど……場所が大陸中央部の森の中だと分かると、一転して納得の表情を見せていた。
まぁ、あそこはまさしく辺境の地というか、西でも東でもないが故に、どちらの影響も受けないというか。
そもそも、かなり西寄りだったとはいえあんな所に住んでいるのって、それこそ私達だけなんじゃないかと思う。田舎、なんて程度じゃないし。
また、町と町とを繋ぐ街道も、そのほとんどが精霊教の主導で整備されたものらしい。精霊教徒や巡礼官の人達が、西側で少しでも快適に移動できるように、と。
とは言っても別に、精霊教徒しか街道を使ってはいけないわけではなく、私とセレナがそうであったように、実際それを最も多く利用しているのは旅人や行商人達だ。いやまぁ、その旅人や行商人の大半も精霊教徒なんだけれどね。
しかしあの良くできた街道が、流通や純粋な人の移動のためではなく、あくまで精霊教徒のために作られたものである、というのは驚きというか何というか。私が思っていた以上に、西側は精霊教を中心に機能しているらしい。
こういった精霊教中心的な仕組みや考え方は、大精霊教都市アルベディア、通称教都がある西端へと近づくほどに顕著になっていき、教都とその周辺の町や村は、熱心な精霊教徒で溢れかえっているのだとか。
ちなみに、教都が西端にある理由は簡単。精霊大陸が人大陸の西側にあるから。
アベルディアは人大陸で唯一、精霊大陸への船が出る場所なのだ。
そういった諸々の点からも分かるように、実際人族と精霊は、一部を除いて良好な関係を保っている。
アルミレーダの町からこの町までの間に、結構な数の精霊を見かけたけれど、契約魔法によって物理的な肉体を得た精霊は、人族とほとんど同じような生活を送る事ができていた。
また、そんな彼らに対して町の人々は、手の届くところにいる信仰対象として見ている、というか……あからさまに「崇拝してます」って感じではなくて、普通に目上の人と一緒にいるのと同じように接しているのが感じられた。精霊の側も、そんな空気感を好ましく思っているように見える。
…これが、教都なんかに行ったら、まさしく『崇拝』って感じの扱いを受けるようだけれど。それに味を占めて、教都にかなり長い間住み着いてる精霊も、決して少なくはないのだとか。
そりゃ精霊さんも、ちやほやされて悪い気はしないよね。
まぁ、とはいえ。
そんな、形は色々あれどおおむね上手くやれている人族と精霊の関係にも、例外はある。
それは、獣人。
精霊にとっての絶対の価値基準とは、『魔力』だ。
彼らは、他の生命を圧倒的に凌駕する自身の魔力量に、強い誇りと自信を持っている。
自分達と比べて魔力量が非常に少ない人族と仲良くやっているのも、契約魔法が、肉体を得られる上に自分の魔力を使ってもらえる、つまり自尊心が満たされるような形式になっているからであり、また、少ない魔力を効率よくやりくりする『魔法』というものを編み出した人族を、友好的に見ているからに他ならない。
一方の獣人は、精霊とは比べるべくもなく、エルフや人間といった他の人族よりもさらに魔力量が少ない。そしてさらに悪い事に、彼らは魔法をほとんど行使する事ができない。
エルフや人間が何世代にも渡り、長い年月をかけてその身に定着させてきた魔法への理解と行使に関する素質。
頑丈な体や高い身体能力と引き換えにか、或いはもっと根源的なその身に宿る獣性故にか、とにかく獣人は皆一様に、その素質をほとんど持っていないのである。
当然、魔法を使えないのであれば精霊と契約する意味はないし、精霊の側としても、自身の魔力を扱いきれない相手と契約しても面白くない。
そうした、お互いの特性や価値基準が、全くと言ってよいほどかみ合わなかったが故に、獣人と精霊はあまり仲が良くないのである。
まぁ、わざわざ人大陸までやってくるような精霊は、その辺はもう織り込み済みだし、わざわざ精霊教が盛んな大陸西部に住み続けているような獣人も、同じくその辺は承知の上なので、仲が良くないからと言って、あからさまに対立しているわけではない、らしい。
そういう意味では、大げさに問題と言うほどの事でもないのかもしれない。
ただし、カナエについては、かなり珍しいパターンだと言わざるを得ない。
巡礼官とは、精霊教徒の中でも特に能力の高い者達のみが成れる役職だ。
その主な職務は、西部の各町や村を回って各地の教徒の話を聞いたり、問題を解決したりする事など。先日のように、精霊宮が出現した時は、それの対処に当たるもの重要な職務の1つだと言える。
なんにせよ巡礼官に成るのは、自身の能力をより精霊教、ひいては精霊のために活かそうとする人達であり、普通はあの2人の巡礼官達のように、精霊に対する信仰心が人一倍強い人が志願するようなもの、なのだけれど。
そう。カナエは、獣人なのだ。
獣人と精霊は微妙な関係にあるし、カナエ自身も、精霊や精霊教に対する信仰心は特に持ち合わせていない、と言っている。
じゃあなぜ彼女が巡礼官になったのかというと……その辺はちょっと複雑な事情がありそうというか、何というか。
残念だけど、今はまだ話してはくれないらしい。
…多分、多分だけれど。
この短い旅の間にも何度か見かけた、先の分からない『扉』をひどく警戒する彼女の振る舞いと、何か関係があるんじゃないかって思う。
触手の勘、ってやつ。
正直気にならないと言えば、嘘になる。けど。
彼女自身が、「近いうちに話します、必ず」と言ってくれたから、その時まで大人しく待っている事にしようと思う。
無理やり聞き出すのは、良くないしね。うん。
とにかく、獣人でありながら巡礼官などという仕事をしている彼女はやはり、周囲の人達の目にもおかしなもののように映るのだろう。
この1か月で訪ねた村の精霊教徒達は皆一様に、巡礼官が来たと知るとまず喜び、そしてカナエのローブと頭の獣耳を見て何とも言えないような顔をした。
彼女と接する時の態度も、どうしたらいいのか決めあぐねているような、腫れ物に触るような感じで。誰も、彼女と深く関わろうとはしなかった。本人曰く、これまでに1人で回ってきた村や町でも全て、同じような扱いだったし、それも当然の事だと捉えていたのだとか。
だからこそ、そんなちぐはぐな自分と普通に接してくれて、あまつさえ一緒の部屋で寝泊まりしようと提案し、その後も友人として仲良くしてくれた私とセレナと、一緒に旅をしたかったのだ……と、彼女が顔を赤くしながら話してくれた時には、何というか。こう。
テンション上がっちゃって、思いっきり抱き着いてしまった。
…いや。つい、ねっ。
いつかのセレナの時と同じく、こう、ぎゅーっとしながら私の喜びとか好意とかを耳元で延々ささやき続けたら、そのうち彼女は顔を真っ赤にして動かなくなってしまって、セレナに怒られちゃったけれど。
カナエは何というか、すらっとしてるし言葉も丁寧だから、一見クールな感じはする。
だけど。
ただ単に、今まで人と深く接する機会に恵まれなかっただけで、本当は素直で感情豊かな女の子なんだろうなぁ、なんて思って。
その事も耳元でささやいたら、ますます顔を真っ赤にしちゃったりなんかして。
一緒に旅をするうちに、彼女のそういうところを何度も見るようになり。
これが『可愛い』って事か、とか考える様にもなった。
優しくて、かっこよくて、頼りになって、それから可愛い。
…そんなカナエの汗って、どんな『味』がするんだろう、とか。
思ったり、思わなかったり。




