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セルフサービス

作者: 三沢かも


言いがかりとしか思えなかった。僕はため息をつく。さぁどうしようか、と思った。


「バカやろう!」


10分ほど前、男の怒鳴り声がフロア中に響いた。客も揃って皆、声のほうを振り返る。そこにはおそらく50代くらいの中年男と、すっかり恐縮している美奈の姿があった。中年男は年齢のわりに髪はあるといっていいだろう。厳格な顔立ちに見事な白髪で、顔や体に無駄な肉はついていない。こげ茶色のベレー帽をかぶり、着古しているのか、やや色の落ちた茶色のタータンチェックのシャツを着ていた。下もやはり茶色のコーデュロイパンツをはいていた。

クレームはめずらしくない。僕はまたか、と思った。ただ、怒鳴りちらしているのはたちが悪い。僕はゆっくりと美奈のところまで歩いていき、中年男との間に割って入った。


「どうされましたか?」


男は僕を不審な目でにらみつけた。いきなり臨戦態勢か、と思った。美奈は当惑した顔で僕を見つめていた。


「お前は店長か?」


「いえ、フロアの主任をしているものです。どうされましたか?」


男は僕と、僕の後ろにやや後退気味なミナを交互ににらみつける。そして敵を僕と見定めたか、大きな声で話し始めた。


「おまえが主任ということは、ここではお前が一番偉いということだな?」


「そういうわけではないんですが」僕は美奈をちらりと見やって答えた。


「とにかくお前が今いる中では一番偉いんだろ」


否定すればするほど厄介になると思った。やむなく肯定する。


「はい」


「だったら対応をどうにか改善しろ」


「皆川がなにか失礼を致しましたか?」


「オレはとろろかけご飯のセットに水をくれって言ったんだ。そしたらこの姉ちゃんは水はセルフサービスになっておりますのであちらからご自由にどうぞ、と言ったんだ」


「それがなにか?」


「おかしいだろ」


「はっ?」


「オレは水を注文したんだ。なのになんでオレが自分で水を持ってこなくちゃいけないんだ」


一瞬意味がわからなかった。そして中年男は僕のほうに体を向け直して堂々と言い放った。




「おれはな、セルフサービスというものが嫌いなんだ」




「えっ?」


僕と美奈はもちろん、ぼくらの様子を伺いながら隣の席で食事をしていた40代くらいのおばさんたちもぽかんとした顔をしていた。

そうか、そこが気に食わないのか。

僕は右脇に抱えていた丸いお盆を左腕に抱えなおす。

それは大変だ。



とまぁそんなわけで今僕の目の前には顔を赤らめた中年の男がいる。

僕は美奈に仕事へ戻るように目配せした。美奈はうなずいて厨房のほうへ歩いていく。


「いいか?そもそも人件費削減だかなんだか知らねぇが、水一杯くらいの持ってくるこないで収益なんて変わるもんかよ」


確かにそうかもしれない、と思った。でもここで賛同してもしょうがない。僕はあいまいに「はぁ」とだけ答えた。

どうやら美奈の受け答えの問題というわけでもなさそうだ。


「アンタは今の日本の経済体質をどう思う?」


いきなりそうきたか。


「すみません、経済学は専門でないので」


新聞も読まない文学部の僕にわかるはずもない。男はゆっくり呼吸をし、準備完了とばかりに話し始める。


「いいか、今の日本は低コストとか人件費削減だとか言って経験豊かな労働者を現場から追放しているんだ。経済は管理職以上の人間が動かしているんだと勘違いしてるんだよ。アンタは今そうやって働いて賃金を得ているが、所詮は企業の末端の人材だ。上の一言でアンタの身の上なんてどうにでもなる。それこそ虫をつぶすようにだ」


僕のことを社員だと思っているのだろうか。男はその後も大きな声で日本の経済体質について文句を言い続けた。大体アメリカ式経済資本主義に倣ったことがいけねえんだ、とか、そんなことだから日本人は自主性がないと世界の人になめられていくんだ、とか。僕は中年男の過去に何があったのだろう、などと考えながら、ひたすら怒られ続けた。

ひょっとするとこの中年男は日本中にあるセルフサービスの店を回って、毎回このように説教をたれているのではないか。そう思いたくなるほどの雄弁ぶりだった。料理に対するクレームは今までも何度も対応してきた。しかし今回のように店の経営体質、というか日本の経済体質に対するクレームは当たり前だが初めてだった。ついていないことに、こういうときに限って店長は休憩時間で、誰にも助けは求められなかった。34歳の若い店長は今頃頃休憩室でのうのうとタバコをふかしているんだろう。

僕はそうですね、そうですねと、とにかく刺激を与えないよう肯定表現の受け応えをし続けた。頭の中では早く元凶である1杯の水を持ってきて終わらせたいと思っていた。


「じゃないか?ちがうか?」


「はい」


「お前さんは利口そうだから言っておく」


「とんでもありません」


「時代の流れっていうのはな、いつも間違いなく悪いほうへ悪いほうへ向かっているんだ。自

分は善いことをしていると自信満々に言うやつもいる。でもそいつはただの勘違い野郎に過ぎん。今こうしているときも世界は傾いている。絶対にだ。そしてその悪が溜まってはじけるとき、人間というヤツは始めて事態の重要性を思い知るんだよ。多くの犠牲を目の前に、初めて本当の善がなんだったかを思い知る。」


「はい」


「だからおれはセルフサービスが気に食わないんだよ。みんながそれを当たり前と思っていることもな。どうせお前らはこんな些細なことに文句たれやがってこの狂人が、とでも思っているんだろうが」


僕は危うく「はい」と言いそうになったが、口から言葉が出るぎりぎりのところで押しとどめ、「いいえ」

とかろうじて言った。


「が、違う。こんな些細なこと一つ一つを見過ごしているという事態が世界を傾けるスピードを加速させているんだ。」


男はセルフコーナーのほうを見やり、今までよりさらに大きな声で言った。




「セルフサービスが世の中を傾けているんだ」



言っていることはむちゃくちゃだったし、同意は到底しかねたし、言っている態度もめちゃくちゃ気に食わなかったけど、男が最後に言い放ったそのセリフに、僕は不思議と心地よさを感じた。

もっとも、その直後に中年男がソフトドリンクコーナーへ立った若者に向けてバカやろう、と怒鳴り、怒鳴られた若者が「なんだよじじい!」と逆に食ってかかり、騒ぎが起こる頃には、そんな心地よさもどっかへ吹っ飛んでしまった。




「今日は大変でしたね」


サンロードを歩きながら美奈は僕に向かって言った。


「もう今はその話をしたくない」


大皿が2枚と小皿1枚、ガラスコップが1つ。今日の騒ぎで犠牲になった食器たちだ。若い男が中年男に殴りかかってからは大変だった。僕は慌てて若い男を後ろから羽交い絞めにして抑えたのだが、そのあとは信じられないようなことがいろいろと起こった。中年男は僕がやっとの思いで抑えていた若者の前に立ち向かい、ふうとため息をついたかと思った次の瞬間、若者の左ほほに見事な右フックを決めた。腰の入ったいいフックだった。しかし、若者を後ろから抑えていた僕からしたら、たまったもんじゃない。えっ、と思ったときにはすでに若者と一緒に後ろへ跳ね飛ばされ、後ろから抑えていたその格好のまま、向かい側のテーブルにつっこんだ。大皿2枚と小皿1枚、ガラスコップ1つはそのときに犠牲になった。不幸な食器たちだ。つっこんだテーブルが固定式ではなく、移動式のテーブルで助かった。それでも、ケガを負うほどではなかったにしろ、2人分の体重を背負ってつっこんだ右わきの痛みは半端じゃなかった。フロアじゅうに皿の割れる音が響く。悲鳴も少しはあったかもしれない。僕は右わき腹を抱え込んでうずくまり、早くも戦闘不能となった。僕がふと中年男を見上げたとき、彼は殴った右のこぶしを確かめながら「そうか、このこぶしが世界を救っていくんだな」とわけのわからないことを、妙に納得したそぶりでぼやいていた。下敷きになった僕よりいくらかはダメージの少ないはずの若者も、今のフックはかなり効いたらい。足がふらついて立ち上がれない。若者の友人だろう2人が現れ、1人は中年男の胸ぐらを掴み、「おいてめぇ、なにしてんだ。ぶっ殺すぞ」と突っかかっていた。僕はその時、飛ばされた席に座っていた3人家族の父親と、慌てて飛んできた美奈に、大丈夫ですか?と声をかけられていた。僕はいかにも大丈夫じゃない声で「大丈夫です」と返すのが精一杯だった。目の前に散乱している皿の破片と、スパゲッティミートソースが何かの映画のワンシーンを思い出させた。

驚いたことに、その中年男はとても強かった。若い頃はボクシングでもやっていたのかもしれない。一度は掴まれた胸ぐらを飛ばされ、後ろの席にしりもちをついものの。立ち上がると同時に飛んできた若者のパンチをひらりとよけ、逆に若者のみぞおちに、それはまた見事なアッパーをいれていた。もう1人の若者も殴りかかったが、やはりかわされ、そのすれ違いざまに足をかけられて転んだ。中年男は「そうか、こういう手もあるんだな」と、ひとり自己満足に浸っていた。いや、その手はやめようよ、と僕は思った。

休憩室から騒ぎを聞きつけたのか、そのときになってようやく店長がフロアに現れた。遅すぎる登場だ。店長は皿の破片と料理と、さらには人とが散乱している現場を、派手にやったなぁ、という顔つきで見回し、「警察を呼ばせていただきます。」とひとこと言った。怒っているわけではなさそうだった。自分のこぶしが世界を救うということに気付いた中年男は満足げな顔をしてどっかりと席に腰を下ろし、もはや戦意を喪失させられ、一方的にパンチをもらっただけの若者たちは逃げもしなければ、何も言わずに、ただその場に立ち竦んでいた。中年男が間の抜けた声で「水はまだか」とようやく起き上がった僕に声をかける。僕は「少々お待ちください」と、それには負けないほど間の抜けた声で応答した。

警察にはすでに誰かが通報していたらしく、美奈が弱っていた僕の代わりに中年男に水を届ける頃には2人の警官が到着した。店長は笑いながら僕に向かって「何やられてんだお前」と言った。僕はたいそう不機嫌な顔で「名誉の負傷と言ってください」と答えた。


「事情聴取とか初めてでした私」


「ハハハ」


僕は苦笑いだ。足を踏み出すたびに右脇がうずく。

中年男と若者の3人、そして一部始終を知っている僕と美奈は、そのまま交番に連れて行かれた。店を出るとき店長は「今日は2人ともそのまま上がっていいよ。時給はちゃんといれとくからさ。片付けもこっちでやっておくし。」と親指を上に出したこぶしを僕にむけて言った。まだクローズの時間までは3時間以上あった。店長はさらに「今度詳しいこと教えてな」と、とても憎たらしい顔で言った。

交番で腹が立ったのは、僕もまるで犯罪者のような扱いをされたことだった。美奈に限ってはさすがにそういうこともなかったが、制服を脱いだ僕は現実に若者の友達かと誤解された。結局、最終的には警官の同情を得ることができたのだが、不思議なことに、一方的にどなり、殴り続けた中年男のほうが警官に同情され、一方的に殴られた若者たちのほうが軽蔑した目つきを向けられた。あまり我慢という言葉をお好きでなさそうな若者たちは、そのことでまた警官に食って掛かり、さらに自ら立場を悪くしていた。悪循環だ。その脇で中年男は始終飄々としていた。僕と美奈は詳しい経過を聞かれ、警官が調書を取り終えると、中年男と若者たちより早く帰宅を許された。事情聴取には1時間かからなかった。


「時間ももうけちゃったし、お茶でもしようか?」


わき腹を押さえながら僕は言った。


「その誘い方、かっこ悪いですね」


美奈は笑っていた。


中年男と若者たちがその後どうなったかは知らない。でもきっと今でもあの中年男は、セルフサービスのある店で、僕のようなアルバイトに向かって説教をたれているに違いない。


「セルフサービスが世の中を傾けているんだ」と。






ここまで読んでくださってありがとうございます。

実はこの「僕」の話はほかにもいくつかあります。17、18歳前後というとても感受性が豊かな時期に起こる少し変わったストーリー、これからも書いていきたいと思います。

ぜひともよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言]  「ばかやろう」ら始まり、この話はいったいどうなるんだろう? と思いながら最後まで読みすすめていきました。説教オヤジがセルフサービスに文句を言うというのは、ヘンで面白いなと思いました。  書…
[一言] 全体的に話の組立は面白かったです。 改行と描写のバランスがちょい悪い部分あったように 感じます。 次作も期待しています。
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