25.
浄福寺の境内墓地はこじんまりした本堂の裏手にあった。
その広さも寺に似合って然したる広さではなかったが、その割に墓石の数は多く、結果として手狭な土地に雑然と墓が並んでいるような印象を与えていた。厚い雲に覆われた漆黒の世界を照らしているのは申し訳程度に置かれた雪見灯籠で、暗がりに幽かに揺らめく青白い光は荘厳でもあり、どこか薄気味悪くもあった。
「では、樋口さんは寺の中で待っていて下さい」
「えっ?」
意外な申し出にそらは驚きの声をあげた。草薙はそらを気遣うように口許に小さく笑みを浮かべた。
「ちょっと墓に手を合わせてくるだけのことですが、外はこの寒さですからな。風邪でもひいたら大変です」
「そうですけど……」
てっきり自分も墓参りをするつもりだったので、そらは肩透かしを喰らったような気分だった。だが、草薙友矩という男のことを何も知らず、一般的な意味で墓に手を合わせるだけの自分に申し出を押し切るだけの理由がないことも分かっていた。
「どこが友矩の墓か、分かるか?」
和尚は足元を照らす為の懐中電灯を手渡しながら草薙に言った。嘲るような口調を隠そうともしない幼馴染を草薙はギロリと睨みつけた。
「分からないと言ったら案内してくれるのか?」
「誰がこのクソ寒い中、案内なんかしてやるもんか。一つ一つ墓石を見て自分で捜せ」
「だったら、分かるかなんて訊くな。友矩の墓を買ったのは俺だ。場所くらい覚えている」
「じゃあ、さっさと行け」
草薙はもう一度、斬りつけるような視線を住職に投げつけて踵を返した。周囲に音らしき音はなく、草履が雪を踏みしだくギシッという音がやけに大きく響いた。
「伊織」
住職の呼び止める声に草薙は振り返らず、ただ、足を止めた。
「何だ?」
「墓参りが済んだら、本堂に来い」
「何の為に?」
「久しぶりにおまえの剣が見たい」
「ここは殺生を禁じられた寺だろう。曲がりなりにも、な。そんなところで剣を振るっていいのか?」
「曲がりなりにもは余計だ。構わんから来い。いいな」
草薙はその場に立ち尽くすように沈黙した。そらはその小柄な後ろ姿をじっと見つめていた。
「……分かった」
それだけ言い残すと、草薙はしんしんと降り続く雪の中へと歩を進めた。
「さてと、我々は中で待つと致しましょうか」
悪友と言ってもいい幼馴染がいなくなると、住職の口調から偽悪的な響きが消えた。だが、それが却って容姿と不釣り合いで、そらは何とも言えない違和感を覚えた。
着替えてくるから先に行って待っていてくれと言いつつ、住職は本堂の入り口までそらを案内した。迷子になるほど大きな寺ではなく、それはどちらかと言えば住職がそらに話しかけるきっかけのようなものだった。
「……伊織と友矩、か」
「はい?」
唐突な呟きにそらは思わず訊き返した。
「草薙兄弟の名前ですが、由来はお分かりですかな?」
「由来ですか……」
兄の伊織の名には何となく心当たりがあった。
「伊織って確か、宮本武蔵の息子の名前じゃなかったですか?」
「お若いのによくご存知ですな。宮本伊織。二天一流の開祖である剣豪、宮本武蔵の養子。では、友矩は?」
「えーっと……」
今度はそらも首を傾げざるを得なかった。住職はシミの浮いた顔に満面の笑みを浮かべた。
「柳生左門友矩。徳川将軍家の指南役で知られる柳生宗矩の次男の名前ですな。三代将軍、家光に仕えた美男子らしいですが」
「はぁ……そうなんですか」
「まぁ、ご存知なくても無理はありますまい。こちらはあまり有名ではありませんのでな。兄弟の父親はもっと有名どころの剣豪の名を付けたかったらしいのですが、分家の小倅に“武蔵”だの“小次郎”だのと名付けることも出来ず、所縁の人物にしたのだそうです」
「それがどうかしたんですか?」
そらは問うた。口調には幾分挑むような響きがあったが、住職は意に介した様子もなかった。
「どちらにしても時代錯誤で大袈裟な名前に違いはありますまい。しかし、どうせ付けるのなら、兄の方は“三厳”とでもつけるべきだった、と伊織を知る者たちは口をそろえたものです」
住職が言う“三厳”が小説や映画で有名な柳生十兵衞であることはそらも知っていた。猛々しさという意味では草薙に通じるものがないではない、とそらは思ったが、柳生十兵衞と言えば演じた千葉真一のような偉丈夫のイメージがあるので、ミスマッチの感は拭えなかった。
「どうして、その人たちはそう思うんですか?」
「それはこれから、伊織の剣を見れは分かるかもしれませんな。では、私は着替えてきますのでしばらくお待ちを」
そう言い残すと、住職は静かに踵を返して本堂と別の棟を繋ぐ廊下へと去った。そらはその場に立ち尽くした。