悪役令嬢が現れませんでした
今日は高校最後の日。
卒業式を終えた生徒たちは、そのまま卒業パーティーへと向かう。
社交界へのデビューを兼ねた日。
婚約者がいる者はその相手を伴い、いない者は父兄をエスコート役とする。
それが、この名門校に古くから伝わる伝統だった。
華やかなドレスに身を包み、クラスメイト達は各々輪になり別れを惜しんでいる。
そんな華やかな会場の片隅で、私は一人グラスを手に立っていた。
その輪に私は入れない。
父が来るまで、あと少し。
それだけのはずだった。
――なのに。
「朝比奈菫!」
突然、会場中央から私の名が響く。
一斉に視線が集まる。
舞台壇上には、見覚えのない男子生徒。
その隣には、これまで話した記憶もない女子生徒が、勝ち誇ったように誰かを探すかのように周りを見ている。
「あなたには今日、この場で話がある!」
……えっと。
どちら様でしょう?
「こんなことは本意ではありません。ですが、皆様の前で申し上げます! 私は、朝比奈菫との婚約を、ここに破棄する!」
「……婚約?」
(えっと……私、婚約してたの?)
今まで誰にもその手の話はされていないはずだ。
お父様にも、お母様にも、そんな話は一度も聞いていない。
そもそも、この人のお名前すら知らない。
「あなたがこちらの御令嬢に対して行った悪逆非道の数々を私は訊いてしまった」
大袈裟に手で顔を覆う仕草。
(悪逆非道って具体的に何したの?私…)
思い返してみる。
授業、生徒会活動ーー。
私は校内で目立つ事はない。
静かな生徒の一人。
「あれ? 同じクラスだった?」
とさっき言われたばかりだ。
……思い当たる節がない。
男は顔を覆っていた手を大きく薙ぎ払った。
「だからこそ!許せなかった。そして、あなたから非道を受けつつも最後まであなたを庇い、最後まで耐え抜いたこの彼女の姿に私は心を奪われた!これは真実の愛だ!」
まだ舞台中央で続く力強い演説。
クスクスと笑い声が広がる。
周りはざわめき始めたが、誰も止めようとしない。
皆、面白い見世物でも眺めるように成り行きを見守っている。
「……」
まだ続くらしい。
私はグラスを口元へ運び、小さく一口飲んだ。
父が来るまで、あと十分ほど。
時間はある。
せっかくだし、最後まで聞いてみよう。
いろいろ罪らしきものを挙げていくが、どれもこれも思い当たる事はなく、寧ろ必要なプリントが足りなかった、当番があたりやすかった等は菫の方が被害にあっていたぐらいだ。
そもそも学校行事の日は私は体調を理由に休んでいた。
「さぁ!異議があるならば、正々堂々と名乗り上げたまえ!」
「証人はおります!」
「はい!」
一人の女子生徒が胸に手を当て、一歩前へ出る。
「朝比奈さんの親友だった私が証言いたします!」
「私はずっと見ていました。彼女は、あの方の命令で、数え切れないほど酷い目に遭わされて……!」
そう言って、名前の知らない彼女の手を取る。
「私は今、勇気を持って告発します。だから、許して下さいね」
「許します。あなたは脅されていたのでしょう?」
フフと微笑み合う二人だが何故か目が笑っていない。
「……親友?」
(この学校で?)
体調を崩して、高校生活の前半はリモート教室だった。
登校できるようになっても、誰かに気にされる存在ではなかったはずだ。
この学校には自分では知らない間にいろんな関係者が生えてくるんだ…。
兄達ならまだしも、私になにをしろと言うのだろうか?
まだ続く壇上の芝居を観る。
「そして、先程発表された成績順位にも不正があったと確信している!そんな卑怯な人間と縁など結べない!私に関わるのは許せない!金輪際、接近を禁止する!」
(……成績?)
成績に不正なんて、できるはずがない。
先生のお仕事を侮辱しているのかしら…。
(それに、さっきから来いと言ったり、来るなと言ったり……どっちなんだろう?)
「ワタクシのお友達にまで色目を使い、男の方々を惑わせていたことも存じています! そのせいで……ワタクシは彼らから見向きもされなくなりました!」
(関係が〝友達”なら好き嫌いはその人の自由じゃないの?いちいち友達が口を出すの?)
ヨヨヨと啜り泣くフリをする、誰か知らない彼女を知らない男が慰めている。
「泣かないでおくれ。キミにはもう私がいるんだ」
手を取り合い向い合う男女。
意味不明な間。
「これにて、一件落着!」
パチパチと何人かが拍手している。
私は何一つ解決していない壇上を唖然と見つめる。
(結局、いまの…何?)
菫は理解出来ずに瞬く。
そこへ、
「よぅ!スマイルちゃん、その格好卒業生?」
いきなり声をかけられてびっくりした。
声をかけてきたのは、名前を知らない人。
関係は…
「フィッシュタル抜きさん!!」
バイト先によく来る、変わった注文をオーダーするお客さんだった。
「偶然ですね!ファーストダンスのために父を待っているんです」
「タル抜きさんは?誰かのパートナーですか?いつもの服装と違いすぎて一瞬わかりませんでした」
「俺もスマイルちゃんがこの学校出身で驚いた。ところでアレ何?」
「さぁ?よくわかりません…噂の悪役令嬢の婚約破棄らしいのですが……」
「へぇ。その悪役令嬢、断罪されたの?」
「いいえ。現れないのでよくわからないまま、一件落着しました」
(この学校は最後まで馴染めなかった)
「そうなんだ。そう言えば、パートナーは?」
「私は父が来ます。もうすぐ、来るはず……」
ふと腕時計を確認すると到着する予定の時刻を過ぎていた。
仕事が押しているのだろう。
いつも忙しいお父様、仕方ない。
兄達だけは嫌だった。
あの三人が来れば、それだけで会場が騒ぎになる。
平凡に卒業するために兄達ではなく父に頼んだ。
(まぁ、ダンスはできなくていい)
そう思って壁側の邪魔にならない場所へ移動する。
ヒールに疲れた足を少しだけ引き摺る。
すると、何故かお客さんまでついてくる。
「あの?もうすぐダンス始まるようですよ?パートナーのところへ行かれては?」
お客さんは苦笑して、
「実は、今俺婚約破棄されたみたいだ…」
「え?」
訳がわからずお客さんを見る。お父様より少し顔が上にある。
今まで流れるように入れ替わるお客さんの一人で、よく顔も見ていなかった人だが…。
兄達に引けを取らない。
どこか見覚えのある雰囲気だった。
「今さっきまで壇上にいた女性。一応、親が決めた婚約者だったはずなんだけど…。真実の愛には勝てないよな…」
「はぁ…」
さっきまで茶番だと見ていた中に、被害者がいて更に驚いた。
「今日初めて会う予定だったけど、キャンセル。俺、パートナーいなくなったし。せっかくなのでよかったら踊ってくれませんか?」
手のひらを上に差し出して、一礼をする。
「タル抜きさん…。私でいいんですか?」
菫が戸惑っているとファーストダンスのワルツ曲の前奏が流れ始めた。
「相手がいない同士、お互い楽しもう」
(最後くらいは、いいかな?)
そう思ってお客さんの手のひらにそっと手を重ねる。
すると、少し強い力で抱き寄せられダンスポジションをリードされる。
力強い一歩が大きい。
安定したホールド。
ぶつからないように上手く前後左右を捌く。
「タル抜きさん、社交ダンスお上手ですね」
足の運びがスムーズな上、安定しているので菫も相手を見る余裕ができる。
「それさ」
「はい?」
「フィッシュタル抜きさん、じゃなくて」
「?」
「徳田さん、で」
「徳田さん?」
「そう、徳田新之助」
「あぁ、なるほど…」
(暴れん坊な将軍様と同じだ)
客と店員の関係だった。
お互いの本名など、どうでも良いくらいに一曲を楽しく踊れた。
元の場所へ戻るとお父様がいた。
「菫、すまない。遅くなった。こちらは?」
「ええと、今日不幸な?出来事があった徳田新之助さんです」
「ちぃーッス。じゃあね、スマイルちゃん」
踵を返して去っていく徳田の後ろ姿に菫は慌ててお礼を言う。
「はい、楽しかったです。ありがとうございました。お元気で!」
菫達から離れ、やがて人の輪の中に消えていった。
「足は平気か?」
「お父様。徳田さん、リードが上手でした」
「そうか…」
「あと私、今日婚約破棄されたみたいなの」
「……」
「お父様、ご存知ですか?」
「知らん。なんだそれは?菫はまだまだ嫁に出す気はないよ?」
その言葉に安心したように菫はふふっと笑う。
「もう、いいのか?」
「はい、デビュタントは一応出来ました。これで終わりです」
「じゃあ、早いが帰ろう。今日は菫の祝いに親族集まっているよ」
まだまだ賑やかな講堂になんの未練もなく菫は帰ろうと歩き出した時だった。
お父様が、ふと後ろを振り返る。
視線の先には徳田さん。
徳田さんも、お父様を見ていた。
二人は何も言わない。
ただ、ほんの僅かに一礼を交わす。
この時の私は、あの人が本当に「徳田新之助」ではないことを、まだ知らなかった。
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