勇者と賢者
雨はすっかり上がっていた。
街は、何事もなかったみたいに呼吸を取り戻している。
濡れた路面に映るネオンが、少しだけ現実をやわらかく歪めていた。
あなたは僕の隣で、コンビニの袋をぶら下げて歩いている。
「ねえ、これ買いすぎじゃない?」
「未来の自分が食べるかもしれないし」
「絶対こんなに食べないよ」
即答だった。
迷いがない。
やっぱり、あなたはすごいと思う。
僕は、過去に戻ってやり直すことばかり考えていた。
あるいは未来に逃げて、都合のいい結末を探そうとしていた。
でもあなたは違う。
今ここで選んで、
その結果をそのまま引き受ける。
それがどれだけ難しいことか、僕はやっとわかった。
「ねえ」
僕は歩きながら口を開く。
「もしさ、未来が見えるとしても、見ないほうがいいと思う?」
あなたは少し考える素振りを見せて、
でもすぐに答えた。
「たぶん、見ない」
「なんで?」
「つまんなくなりそうだから」
あっさりしている。
でも、その言葉は妙に核心を突いていた。
「未来が決まってたらさ、頑張る理由減らない?」
あなたはそう言って、袋の中を覗き込む。
「あ、プリン潰れてる」
「今そこ?」
「これは大事な問題だよ」
真剣な顔だった。
こういうところも含めて、やっぱり敵わない。
僕はずっと、“勇者”になろうとしていたのかもしれない。
過去という魔王を倒して、
後悔という世界を救って、
完璧な未来を手に入れる。
そんな物語を、どこかで信じていた。
でも現実は違う。
過去は倒せないし、
未来は征服できない。
あるのは、ただ選び続ける今だけだ。
「じゃあさ」
僕は足を止める。
あなたが振り返る。
「未来に行こうか」
一瞬、きょとんとした顔。
「え? どこに?」
「時間的な意味で」
「なにそれ、急にSF」
少し笑ってから、あなたは首をかしげる。
「でもさ、普通に生きてたら未来には行くよ?」
その通りすぎて、僕は言葉に詰まる。
「……まあ、そうなんだけど」
「わざわざ行かなくても、勝手に来るじゃん」
あなたは当たり前みたいに言う。
その“当たり前”が、どれだけ強いかを僕は知っている。
「でもさ」
僕は続ける。
「それでも、ちゃんと選んで行きたいんだ」
あなたは少しだけ真面目な顔になる。
「どういうこと?」
「逃げるためじゃなくて」
僕は、あのバーの金属の箱を思い出す。
そして、そこに打ち込まなかった未来の年号を。
「ちゃんと引き受けるために、未来に進みたい」
あなたは黙って僕を見ていた。
それから、ふっと笑う。
「難しいこと言ってるけどさ」
一歩近づいてきて、軽く肩を叩く。
「一緒に行くってことでしょ?」
たぶん、それで全部だった。
僕はうなずく。
「そう。一緒に行く」
勇者みたいに世界を変えるんじゃない。
運命をねじ曲げるわけでもない。
ただ、これから来る時間を、
逃げずに受け取る。
間違えるかもしれないし、
また傷つけるかもしれない。
それでも考えて、
選んで、
言葉にしていく。
それが、僕の選んだ在り方だ。
「じゃあさ」
あなたは歩き出しながら言う。
「未来の約束しよっか」
「約束?」
「うん。忘れないやつ」
少し考えてから、あなたは言った。
「またどこかで、ちゃんと笑うって」
シンプルで、
でも逃げ道のない約束だった。
僕は静かにうなずく。
「いいね、それ」
「でしょ?」
満足そうに笑うあなたは、
やっぱりどこか抜けているのに、ちゃんと前を見ている。
僕はそんなあなたの隣で思う。
賢者になるというのは、
何かを知り尽くすことじゃない。
正解を持つことでもない。
迷いながらでも、
今を見て、
誰かと未来を選び続けること。
そしてきっと
その“誰か”がいることを、
奇跡みたいに大事にすること。
夜の街に、風が吹く。
もう雨の気配はない。
時間は静かに流れている。
止まらないし、戻らない。
でも今は、それでいいと思えた。
「ねえ」
あなたがまた言う。
「さっきの賢者の話だけどさ」
「うん?」
「未来のプリン守れる人が、賢者なんじゃない?」
「それはただの管理能力高い人」
「じゃあやっぱ無理だ」
即答だった。
僕は笑う。
たぶん僕たちは、完璧にはなれない。
でもそれでいい。
不完全なまま、
同じ未来に向かって歩いていく。
それが、勇者じゃない僕が選んだ、
賢者の道だから。




