第1話 妹に全部あげた日、国の終わりが始まった
初めての連載、よろしくお願いします。
2026/04/18(追記)
2026/04/18、[日間]ハイファンタジー〔ファンタジー〕 - 完結済で1位を頂戴しました…!!ありがとうござういます(感涙)
「お姉様は、いつも楽をしていてずるいんです……っ」
震える声とともに、妹のミリアが涙をこぼした。
王宮の大広間は、先ほどまで祝宴の音楽で満ちていたはずなのに、その一言で空気が変わった。貴族たちの視線が、いっせいに私へと集まる。
涙を浮かべ、震える声でそう訴える彼女の隣には、私の婚約者——第一王子レナードが立っている。
そして私は、その正面で、罪人のように立たされていた。
「ミリア、もういい。あまり気丈に振る舞うな」
妹の肩を抱き寄せたのは、私の婚約者である第一王子レナードだった。優しく慰めるような仕草をしながら、彼が私を見下ろす目には、露骨な侮蔑しかない。
「エレノア。お前には失望した」
静まり返った広間に、王子の声がよく響く。
「聖女の務めを妹に押しつけ、自分はさも努力しているふりだけをしていたとはな。しかも、その成果まで奪っていたらしい」
ああ、始まった。
私は胸の内でだけ、そう呟いた。
ざわめきが広がる。
この半年ほど、ミリアはずっと同じことを言っていたのだ。お姉様は祈りの間に長くいるだけで何もしていない、結界の維持も浄化も、本当は自分がやっているのだ、と。
もちろん、全部嘘だった。
祈りの間で私がしていたのは、王都全域を覆う大結界への魔力供給と、各地の魔脈のひずみの調整だ。見栄えのする仕事ではない。派手な光も出ないし、誰かに拍手されるわけでもない。
けれど、それが止まれば、この国は終わる。
「レナード殿下。発言の撤回を求めます」
私は一歩前に出て、努めて静かに言った。
「私は聖女として、日々の祈祷と結界維持を担ってきました。記録も魔力測定も、祈りの間の管理官が保管しています。確認していただければ——」
「まだ言い逃れをするのか」
レナードは吐き捨てた。
「記録なら、いくらでも偽装できるだろう。お前は昔からそうだ。地味で陰気なくせに、評価だけは欲しがる」
周囲の貴族たちがひそひそと囁き合う。
「たしかに、最近の祝福の儀ではミリア様のほうが目立っていた」
「エレノア様は顔色も悪いし、ただ立っているだけに見えたわ」
「聖女としての華がないのよ」
華。
そんなもので、国を守る結界は維持できない。
けれどこの場で、それを理解する者はいなかった。
ミリアは王子の胸にしがみついたまま、可愛らしく顔を伏せる。
「お姉様を責めたいわけではないんです……でも、私、もう耐えられなくて。ずっと、お姉様の分まで頑張ってきたから……っ」
その言葉に、同情の気配が広がる。
私は笑いそうになった。
ずっと頑張ってきたのは、どちらだろう。
夜半過ぎまで祈りの間にこもり、魔力を流し続けたのは。
魔脈の異常で倒れ、侍女にも隠れて吐いたのは。
祭礼の日も、舞踏会の日も、誰より先に抜けて結界核の調整に向かったのは。
全部、私だ。
だがミリアは、私が整えた祝福陣の上に立ち、最後の簡単な祈りだけを捧げて「奇跡を起こした聖女」と呼ばれていた。
それを、私は訂正しなかった。
妹だから。
まだ若いから。
いつか分かってくれるかもしれないから。
その結果が、これだ。
「エレノア・ルーヴェル伯爵令嬢」
レナードは大仰に腕を振り上げ、広間中に聞こえる声で告げた。
「私はお前との婚約を破棄する。加えて、お前を王国聖女の座から罷免し、国外追放とする」
ざわめきが大きくなる。
あまりに乱暴な処分だ。だが誰も止めない。王子の顔色をうかがい、妹の涙に同情し、私を悪者と決めつけている。
「今この場より、王国の聖女はミリア・ルーヴェル伯爵令嬢だ。皆、祝福してやれ」
拍手が起こった。
ぱらぱらと、遠慮がちなものから始まり、やがて大きくなる。まるで正義が執行された瞬間に立ち会ったかのように。
私はその音を聞きながら、ふと、ひどく疲れていたことに気づいた。
怒りより先に、安堵が来たのだ。
もう、やらなくていいのだと。
「……分かりました」
私がそう言うと、レナードは勝ち誇ったように顎を上げた。
「ようやく諦めたか」
「ええ。聖女の座は、ミリアにお譲りします」
ミリアが涙に濡れた目を上げる。そこには怯えではなく、歓喜があった。
「本当に……?」
「あなたが欲しかったのでしょう? 王子殿下の隣も、称賛も、聖女の座も。全部どうぞ」
私は妹を見つめ、初めて、感情を隠さずに言った。
「ただし、譲れるのは座だけです。私が毎日流していた魔力まで、譲ることはできませんけれど」
一瞬、ミリアの顔が引きつった。
だがレナードが鼻で笑う。
「最後まで負け惜しみか。見苦しいぞ」
「負け惜しみではありません。警告です」
私は王子ではなく、国王夫妻のほうを見た。
本来なら、この場で止めるべきだった人たちだ。けれど王妃は扇の陰で黙り込み、国王は深く眉を寄せているだけ。どちらもレナードの暴走を咎めない。
「結界は、私一人で王都防衛領域の八割以上を維持してきました。引き継ぎなしに私を追放すれば、遅くとも明朝には綻びが表面化します」
広間がどよめいた。
数字にすると、少しは現実味が出る。
だが、それでも遅かった。
「大げさな脅しね、お姉様」
ミリアが小さく呟く。
「私はちゃんとできます。だって、今までずっと見てきたもの」
「見ていただけでしょう」
「……っ」
「真似をすることと、支えることは違います」
私が言うと、ミリアの顔が怒りで赤く染まった。だが次の瞬間にはまた泣き顔に戻り、レナードにしがみつく。
「レオ様……やっぱりお姉様、怖いです……」
「安心しろ、ミリア。こんな女は今日で終わりだ」
終わり。
ええ、終わりだろう。
私にとっても、この国にとっても。
私は礼を取った。
「それでは、失礼いたします」
誰も引き止めない。
長年仕えてきた侍女ですら、こちらを見ないふりをした。
私は大広間を出て、冷えた廊下を歩く。足音が妙に軽かった。泣く気にもなれない。むしろ、ひとつひとつの枷が外れていくようだった。
荷物は少なくて済んだ。そもそも私は着飾ることにも興味がなく、与えられた私室にも思い入れがない。
ただ、祈りの間にだけは最後に立ち寄った。
王城の最奥、聖女しか入れない石室。
中央にある透明な結界核は、今も淡く脈動している。長年魔力を流し込み続けたせいか、その光は私の呼吸に似ていた。
「お疲れさま」
誰に向けたでもなく言って、私は結界核に手を触れた。
すると、じわりと熱が伝わってくる。限界が近い証拠だ。本来なら今夜、夜を徹して再調整しなければならなかった。
もう、その必要はない。
私はゆっくりと手を離した。
光が、わずかに弱まる。
それだけで、部屋全体がしんと冷えた。
「ミリアなら、大丈夫なのでしょう?」
自嘲気味に呟いて、私は石室を後にした。
深夜のうちに王都を出るよう命じられていたため、護衛の兵が二名ついてきた。罪人扱いなのだろう。馬車は粗末で、毛布も薄かった。
けれど不思議と、気分は晴れていた。
王都を囲む城壁が遠ざかる頃、私は背後を振り返る。
夜の闇の中、王都の上空を覆うはずの光の膜が、ところどころでちらついていた。
ああ、もう始まっている。
綻びは、予想より早い。
「お姉様はいつも楽をしていてずるい、か……」
妹の泣き声を思い出して、私は静かに目を閉じた。
思い出して、少しだけ笑う。
「それなら、今度は本当に楽をさせてもらうわね」
その瞬間、遠く後方で、ガラスにひびが入るような乾いた音がした。
耳を澄ましていなければ気づかないくらいの、亀裂音。
王都の結界が、最初の悲鳴をあげた音だった。




