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異邦人紳士の消失と余談

ラスト以外ほぼ改訂

 アクアータス氏にとって悪夢のような夜が明けた。

 しばらく滞在してもらうと言われて案内された部屋は、迎賓館と思われぬ簡素な居室だった。

 記憶が確かならばここはリネン室だ。

 本当に儂はこの世界に存在しない何者かなのだ。

 そんな絶望を抱いて一夜を明かし、朝を迎え、アクアータス氏は尿意を覚えた。

 元リネン室の居室に厠はない。

 恥ずかしさと口惜しさを噛みしめ、治安維持課と名乗る男たちに案内を乞おうと自ら扉を開けた。


 すると。


 毛先がゆるくカールした赤毛をカチューシャでまとめ、バラ色のスカートの裾を持ち上げ、忙しなく廊下を進んでいた年配の女性が、まぁ、と両手を口に当てて驚いた表情を浮かべた。

 そして、アクアータス氏に小走りで駆け寄り縋りついてきた。

「アクアータス様、いままでどこにいらしたのですか」

 王都での療養中、見舞として何度も病床を訪れたパレアトゥスの使いの女官だ。

 アクアータス氏は思わず返した。

「お主、儂が分かるのか?」

 女官は妙なことを聞くものだと一瞬訝しい表情を見せ、

「何を仰るのですかアクアータス氏様。昨日明朝、下船されてから消息が途絶えたと報告があって、ほうぼう探し回っていたのですよ」

 それがこんなリネン室でかくれんぼのまね事なんて、パレアトゥス様になんと伝えたらよいのです、とほんの少し怒りの色を滲ませ説明した。

「パレアトゥスとな」

「そうですとも、アクアータス様の朋友、パレアトゥス様でございますよ」

 ここに至って初めてアクアータス氏は、ここは本来の世界だという実感が湧いた。

「さ、参りましょう、アクアータス様、パレアトゥス様も大変心配なされます」

 その言葉に戻ってこられた、そんな安堵が湧いてきた。アクアータス氏の涙腺からぶわ、と涙があふれた。





 異邦人紳士が消えてしばらくした後。あの騒ぎの発端となったカルパッチョサンドは女将さん食堂だけでなく異邦人サンドなるメニューとして【よその世界からも食べにくるその美味さ】【話題沸騰、噂のカルパッチョサンド】などの触れ込みで市場食堂全体で大々的に売り出される運びとなった。

 あの件は大勢の目撃者がいたし、どう足掻いても人の口に戸は立てられない。ならば正直にぶちまければいい、と治安維持課の担当官に示唆した人物がいたとかいなかったとか。

 結果、いい宣伝になったから、と女将さんは笑い、メリッサは女将さん手づから作った出来立てのカルパッチョサンドを頬張る栄誉に与った。

 僕もご相伴にあずかったのだけれど、本当に、美味しいサンドイッチだった。

「獲ってすぐに活〆された魚を使うのがミソなのよ」

 とおばさんは小声で耳打ちして種明かししてくれた。


 僕たちは、偽造通貨と異世界からの来訪者という、人類史的な大事件の目撃者となった。だが、商業都市にとって、その事実は「サンドイッチの具を食い逃げした変な客」程度の重みしかなかったらしい。


 この商業都市は、どんな非日常的な事実でさえも、利潤と賑わいという日常に取り込んでしまうしたたかな街なのだ。





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