初めての魔法
私はミリアム・ファン=ベルス。
アドラー王国に属するファン=ベルス伯爵家の一人娘だ。
隣国ジラード王国から嫁いだ母アグネスから力を引き継いだ魔法使いでもある。
とはいえ、アドラー王国には魔法使いが居ないので、周囲には力を隠してひっそりと暮らしている。
お母様の故郷のジラード王国でも、魔法使いが生まれる家は限られているので、魔法使いは知る人ぞ知る存在であり、公にはされていないのだ。
私が初めて魔法に触れたのは、三歳になったばかりの春の日の事だった。
その日の事は今でもはっきり覚えている。
その日、お母様の乳母で私のばあやでもあるポンヌフ夫人が、お部屋に飾ってくれた白とピンクと薄い紫のコロンとしたお花がとっても可愛くて、置いてくれたテーブルに腕をのせ、そこに頭をこてんと載せてにこにこ眺めていた。
すると突然、お花たちに目と口が付いた!
びっくりして目をぱちぱちして見つめていると、同じようにぱちぱちと瞬きしている真ん丸なお目々たちと目が合った。わあ、かわいい!
思わず微笑みかけると、お花たちが話しかけて来のだ。
「あら、こんにちは」
「まあ、なんてかわいいお嬢ちゃん!」
「お名前は何というの?」
お話も出来るなんて素敵! それに『かわいいお嬢ちゃん』って言われたのがとっても嬉しくてお返事をしたのだ。
「こんにちは、お花さんたち。わたしはミリアムっていうのよ。でもね、お母さまだけは、ミリイって呼ぶの。花さんたちもみんなとってもかわいいわ」
そう言うと、お花たちはゆらゆらと揺れながら褒めてくれた。
「まあ、ちゃんとご挨拶できるのねぇ」
「よくわかってるじゃない、とってもいい子だわ」
「ミリアムちゃんっていうのね。ご挨拶できて偉いわ」
褒められて嬉しくてにこにこしていると、ピンクのお花さんに聞かれた。
「ねえ、この中で誰が一番かわいいと思う?」
みんなかわいいのに、と思ってミリアムがうーん、とうなっていると、お花たちはミリアムそっちのけでおしゃべりを始めた。
「まあ、何てこと聞くのよ」
「アナタ、まさか自分が一番だって思ってるの?」
「そうよ、だって小さい女の子はみんなピンクが好きだもの」
そこへ、ばあやがおやつを持ってお部屋にやって来た。
ばあやにもかわいいお花さんを見てもらいたくて『ほら見て!』と指差すと、おしゃべりを止めたお花さんたちは、お目々を閉じてにっこり笑った顔でゆらゆらと揺れている。
「あらあら、まあまあ」
ばあやはいつものようにゆったりした口調で頬に手を当てて、ポケットから片眼鏡を取り出してにこにこ笑顔でお花さんたちをじっと見ている。
しかし、ミリアムは知っている。今、ばあやは怒っている。
理由は分からないけれど、お母様に。
このままでは大好きなお母様がばあやに叱られてしまう。
そう思うと悲しくて、ばあやにぎゅっと抱き着くと、うるうるとした目で見上げてお願いした。
「ばあや、おねがい。おかあさまをゆるしてあげて」
それを見たばあやは眉尻を下げに下げ、とっても優しい笑顔で私をふわりと抱きしめて言ってくれた。
「大丈夫ですよ。お嬢様は何も心配いりませんからね。」
そう言って、侍女のポーリーにお母様を呼んでくるように頼むと、テーブルにおやつの準備をしてお茶を淹れてくれた。
ばあやの淹れてくれるはちみつの入った優しい甘さのミルクティーは世界で一番おいしいのだ。
私がお気に入りのうさぎの形のクッキーをもぐもぐと頬張っている間、ばあやはとっても優しい笑顔で私を眺め、たまにちょっと怖いにこにこ顔をお花さんたちに向けていた。
さっきまでゆらゆら揺れていたお花さんたちは、お目々を瞑ってにっこり笑った顔で固まっている。
うん、こわいよねぇ、ばあやのにこにこ。
ミリアムにはとってもとっても優しいのに。
そこへノックの音がしてお母様と侍女のポーリーが入って来た。お母様の姿を見て嬉しくなった私が駆け寄ると、お母様はとびっきりの笑顔で私を抱き上げて、ほっぺにキスをしてくれた。お母様は私にすりすりと頬ずりをしながらばあやに聞いた。
「サマンサ、何かあったの?」
そう言ったお母様は、にこにこ顔のばあやの視線を追ってお花さんたちに気が付いた。
「あら、ごめんあそばせ」
そう言って、私を抱っこしたままぎこちなく『おほほ』と笑いながらお花さんたちに近づいて手をかざした。
撫でるようにひらりと一振りすると、お花さんたちの顔が消えて、元のコロンと可愛いお花さんに戻ってしまった。
するとばあやがハンカチを取り出して目に当て、震える声でお母様に言った。
「消し忘れた魔法の影響で、お嬢様にもしもの事があったらと思うと、このサマンサはお迎えが来るまで死んでも死に切れません」
お母様は私をそっと降ろすと、よよと訴えるばあやの手を取って慰めている。
「こんなに心配させてごめんなさい、サマンサ。今度から本当に気を付けるわ。だからそんな悲しい事を言わないで」
抱き合う二人を眺めて、ポーリーがぽそっと呟いた。
「それは寿命ですね」
「じゅみょう?」
こてんと首を傾げて呟き、ポーリーと手を繋いでを見上げると、
「大人になればわかりますよ」
と、ぱちんとウィンクされた。
あの時、お花さんから放たれた小さな濃淡の金の粒がほんの少し、きらきらと近くの壁の絵に降りかかったけれど、みんなその事に気付いていなかった。
きらきらの降りかかった絵は、お母さまがニルスと名前を付けたガチョウの絵で、家庭教師の先生と一緒に私が初めて描いたものだ。皆にとても褒められて、お母さまが額に入れてお部屋に飾ってくれていたのだ。
『わあ、ガチョウさんが光ってる!』
と思って皆に言おうと思ったけれど、その時はお母さまとばあやは抱き合っていたから言えなかった。
そして幼い私はその事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
それ以降はそんな不思議な事も起らず平穏な日々を過ごしていた。
この頃はお父様とお母様に大切にされ、使用人たちも皆優しくて毎日が幸せに溢れていた。
そして六歳のお誕生日を過ぎて少しした頃、ばあやが体調を崩す事が多くなり、お仕えするのが難しくなったと申し出て故郷に帰る事になった。
ばあやは元々お母様の侍女で、お母様の専属侍女として一緒にこの国にやって来たのだ。そして私が生まれてからは私のばあやとして今まで留まってくれていたのだ。
お見送りの時、悲しすぎて何も言えずにいつものようにぎゅっと抱き着くと、ばあやは眉をめいっぱい下げて腰を落として目線を合わせ、いつもポケットに忍ばせていた片眼鏡を私の手にそっと握らせてくれた。
「これは私の形見です。お守りと思って持っていて下さいね。いつかお嬢様の助けになる時が来るかもしれません」
そして、あのとっても優しい笑顔で言ってくれた。
「大丈夫ですよ。お嬢様は何にも心配いりませんからね」
お母様と私は、手を繋いでばあやを乗せた馬車が見えなくなるまでずっと見送っていた。




