逆章
〔バルァゴアの両親が暮らす城は、魔物の始祖のための城。始祖たる両親を持つバルァゴアに取っては生家であるが、始祖を頂点と仰ぐ一魔物としては配下の身であり、息子の体で城に住む気にはならなかった。配下として従う暮しも受け入れがたく、警邏業務等に従うそぶりで自らの配下を求めて城を出て、今に至る。
硬い体と耐久力が自慢のマスブラック。
並ぶ者のない大きな体が特徴のヒュージ。
それから、配下とは呼べないものの、魔物の脅威たる力を持つ細身の花女。
筋骨隆隆のバルァゴアは、生家たる城がある台地を三者とともに仰いだ。ヒュージが体を反って見上げる卓状台地はこうして間近で仰がずとも超越しがたき存在感だ。それもそのはず、風化や侵蝕で表出する卓状台地が、鋭角で突き刺さった剣のように大地から六キロメートルを超える高さで聳えているのだ。肩を並べるものがなくなったそこは地震にも耐えて城を掲げているのだからマスブラックにも優る頑丈さであることが窺える。時を置き、配下を得て、その存在感を無視できるくらいになった気でいたが、
……何も変わってねェな。でけェ。
城もろとも台地を破壊することは不可能ではないだろう。が、顔を見せずに手に掛けたのでは力を示したことにならない。魔物の王、ひいてはこの世界の統治者となるべき存在として、立ち塞がる障害を正面きって退けなくてはバルァゴアは配下に示しがつかない。
……何より、貧弱だぜ。不意打ちの必要なんざねェ。
顔面に頭突きを嚙ます。それを、両親打倒の初手と定めているバルァゴアである。
「眇め見るおぬしは敵意満面である」
と、花女が言うが構わない。
「貴様がいうように話してやるつもりはねェ。オレサマは腕っ節でやる」
「ボク達はここで待っていればいい」
と、ヒュージが尋ねる。「この体で登るのは、難しいよ。崖、折れちゃっても困るし」
「折れたら折れたで構わない。砂山崩しみたいに足下から崩れ落ちるサマも観てみたくねェわけじゃねェ」
台地の頂点ごと城を落としてからでも頭突きは可能であるが、それでは初手を頭突きと捉えることが難しくなる。
「ヒュージィ、貴様にはここに残ってもらうぜ。頼みがあるからなァ」
「頼み。ボクにできることなら」
「任せたぜェ、難しいことでもねェはずだァ」
始祖が住まう城を抱えた卓状台地、傍目には巨大な山たるこれを〈不動哭山〉という。最大一八〇度にもなる崖を登るのにバルァゴアなら一夜も要らないが、マスブラックを歩かせるのは酷であるし、人並に歩ける花女も時間が掛かるだろう。そこで、ヒュージの力を借りることにした。
「──本当にいいの」
「さっさとやれェ」
「解ったよ。じゃあ……ふぅ〜ッ、っえぇいッ!」
バルァゴアがヒュージに提案したのは、バルァゴアと花女を載せたマスブラックを卓状台地の頂点に投げること。近接で投げたのでは崖にぶち当たって転げ落ちるので、放物線を描いて頂点に着地できるように距離を取っている。
「ふん、やればできるじゃねェか」
「戦闘以外にあの鞭の如き体が役立つとは、ひとの持つ力は応用が利くものである。マスブラックとやらもなかなか機転が利く」
バルァゴアと花女に空気抵抗はなく、普通に会話ができた。
「アニキ、オイラの中はどうでやすか。快適でえ」
「ああ、外は見えねェが」
ぶん殴って分裂させたマスブラックを殻状にくっつけて、その中に入っているバルァゴアと花女である。
「ちと目が回るのが難点である」
「時間短縮のためだ、我慢しやがれェ」
「憶えておくがよい。女の覚悟は折れぬものである、と」
投げられた殻状マスブラックが回転することは想定済みだ。その中で転がって怪我をすることも想定内。ひ弱な花女は打ちどころが悪ければ簡単に消えるだろう。バルァゴアは両手の爪をマスブラックに突き立てて体を固定し、花女を背中に載せていた。こうすれば、花女が傷つくことはない。
……ジジババを追い落とす切札だ。確実に連れていかねェとな。
「申しおくが頭突きから話し合いをする流れはないのである」
「殴り合えば理解が深まるぜェ」
「小童同士はそうであろうが、あぬしの相手は卓状台地に優り頑強なる〈侵蝕の焰〉である」
「一種のラベルかァ──」
城を中心とした卓状台地から延焼したかのような赤茶色の大地は、くすんで、淀んで、荒れている。花女の髪や服のような鮮やかな緑色やくすみのない白色はほとんど見られない。
「改めて訊く。貴様、ジジババの何を知ってる。オレサマより深く知らねェかァ」
「交換条件である」
「どんなだァ」
「おぬしが両親と対話し、我が無事に生き延びたのであれば、ゆかりを語ろう」
「条件が一つ多くねェか」
語ることが一つなら達成しなければならない条件も一つであるべきだ。ところが、「対話」と「花女の生存」、二つの条件を達成しなければバルァゴアは花女から話を聞けない、と。
「『割に合わぬ』か。そうであった、おぬしは小童の器量であったな」
「……吞んでも構わない」
「惑いの選択に期待はできぬ」
「迷ってはねェよ」
器が小さいと言われるのは癪である。それだけが条件を吞む理由でもない。
「持ちかけて吹っかけられるのは納得だ。条件が条件だ、意図して増やしたわけでもねェだろォ」
「もっと早く気づくべきである」
花女が自身の生存を条件としたのはバルァゴアが対話する相手に命を狙われていた。ゆえに花女は覚悟が折れないと言ったのである。
花女のペースで話が進んでしまったことを否めないが、
「貴様こそ早くいいやがれってんだァ」
マスブラックがもう投げれられた。じきに城だ。後戻りはできない。
「貴様の浄化の力はオレサマにこそ必要だァ」
「諦めぬやつである」
その力を手に入れるには、配下にするのが一番。花女の出す要望を確実にこなして、確実に味方につけなければ、あるいは、両親に奪われてバルァゴアが不利になることも考えられた。そうなれば、初手が夢のまた夢になる。
「貴様を守ってやるよ、絶対になぁ」
「ひとえに本意であると認めよう」
花女が、バルァゴアの腰をペンッと叩いた。「育まれし筋肉を余すことなく用いるのであるぞ」
「けっ、鼻につく奴だぜェ」
「条件を吞んだおぬしを信頼して一つ我も約束しよう」
「なんだよォ」
「我は、我の意志でおぬしの前からは消えぬ」
「──っけ、何をいってやがるぁ」
バルァゴアは、爪に籠もりそうな力を二の腕に止め、「もうここにいるじゃねぇか……」
「空気が移ろうた」
「アニキっ!」
マスブラックの呼掛けが合図だ。
……着いたか。
身構えて間もなく、爪が剝がれそうな衝撃が走った。マスブラックがどこかに落ち、
「『どぅえぁあっ!』」
崩れた拍子にバルァゴアと花女は宙へ投げ出されていた。
「ふんっ」
「到着したのである」
見渡せば、ここがどこかすぐに判った。
……ヒュージの奴、いいコントロールしてやがるぜェ。
砂煙と無数のマスブラックが舞うのは今まさに打ち破った壁の内側、焼けつくような明るさが満ちたエントランスホールであった。遠目にも威圧的であるのは壁という壁を熔岩が覆っており、突き出した卓状台地に煌煌と猛っている。そう、ここが、不動の城である。
落下時に全ての衝撃を受け止めた殻状マスブラックが粉粉になっているのは想定内。ぴたっと着地したバルァゴアは、ふわりと舞い降りた隣の花女を見やる。
「貴様、存外やるじゃねェか」
「我の身は花弁である。ふくよかなリンゴを愛でるならまだしも、筋肉に這う趣味はないのである。女の覚悟を舐めるでない」
「貴様、いろいろと覚悟してるんだなァ」
「恐れ入ったか」
「恐れは入らねェが」
嫌なことをこなしてでも花女はここに訪れた。覚悟はなおも疑いようがない。
……もしかすると目的はオレサマと同じ、なのかァ。
一人で立ち向かうのは危険でしかないが、バルァゴアを盾にすることを前提に花女が戦うなら浄化の力で始祖を追いつめられるだろう。
……楽観視はできねェか。
バルァゴアと両親の対話を求めた花女。親子の親睦を深めさせるのが真意であるなら、バルァゴアを囮とした不意打ちの浄化を行わないだろう。浄化に全てを託す作戦は打合せ不足もあって足を掬われかねない。
「『アニキ、ここが不動の城ですかい』」
「ああ、そうだ。貴様もここで生まれたんだがなァ」
「『憶えてねえんでさあ』」
「そうだろうよォ」
生まれて間もなく棄てられたのなら記憶にあるはずもない。
……ま、オレサマは生まれてすぐのことも憶えてるがァ。
生まれたその日に、バルァゴアはこの肉体を手に入れた。肉体の成熟度に牽引されるようにして記憶力も高く、両親は勿論、この城のことも憶えられた。
「マスブラック、花女を包めるようメンテナンスして待機しろォ」
「『コイツを守るんですかい』」
「オレサマの命令だ」
「『従いやす』」
「頼りにしてるぜェ」
「『任せてくだせえ!』」
「声がでけェ、静かにしてろ」
「『へい、アニキ!』」
……揃いも揃って煩ェ。
始祖を呼び出す前に、花女と一つだけ打合せしたいのである。
心を読むのが得意らしい花女がバルァゴアのの肩に載って耳打ちする。
「我に始祖を打ち倒す予定などない」
……このヤロー、先手打ちやがった。
早速の対立である。手を組んだわけでもないので仕方ないか。
「じゃあ何か、貴様は本当にオレサマとジジババの対話だけが目的なのかよォ」
「ほかに何があろうか」
「命の危険を冒すハードルが低くないかァ」
「低くはない、いや、低くはあるが、先の障りが高くそれを越えられたのであればリターンが膨大である」
「……、済まねェ、オレサマは馬鹿らしい。なんの話か理解できなかったぜェ」
「障害物競走である」
「んだァそりゃあ」
「数数の障害を乗り越えて終着を望む競技である。生存を懸けた争いは我我の本領である」
……イマイチ解らねェ。
「おぬしの障りは両親との不和であり、両親への無理解である」
「無理解……、はっ、ようやく少し理解したぜェ。オレサマには必要がねェことだってな」
ひざまづかせた相手との協和など不要である。暴力による支配を求める両親のことは理解してやらないことが礼儀であろう。暴力とは、理不尽の極みである。相手を屈服させるための不条理の行いである。
「暴力による支配が両親の望み。おぬしがそう考えた理由はなんであるか」
「『魔物の軍隊の結成』だ」
「ほお」
バルァゴアは生き物のように蠢く内装を見渡す。
「生まれて間もない息子にそれを命じたような連中だぜ。頭ん中、他人を屈服させる手段しか巡ってねェよォ」
「哀れもう。切に擁されるべき童心には痛苦であろう」
「それも必要ねェぜ。却って決心が固まった」
暴力による支配を是とするなら、叛逆によるそれをも認める姿勢であるべきだ。少なくともバルァゴアはそうであるし、それでもって両親を打ち倒すことにも躊躇いがない。それでもって理解してやっている側面があるのだから対立を納得してもらいたいところである。
「決心がほどけぬことを祈っておれ」
「あのジジババと対する気もねェくせに、こっちに擦り寄るようなこというんじゃねェよォ」
「我の寄るは穢れ満つる世の玉水である。おぬしらのような騒がしき焰ではないわ愚か者」
……けっ、またわけの解らねェことを。愚か者で結構だぜェ。
バルァゴアは肩に載った花女の喉許に爪を突きつけた。「従え」
「断る」
「……浄化の力でジジババを消せ」
「対話が済んだら考えてやろう」
「馬鹿か。貴様とジジババの関係なんざ、もうどうでもいいんだよ。オレサマはオレサマの支配を敷くための策を講じるゥ」
「ならばなおのこと我を手に掛けるべきでないと申しておこう。おぬしの考える通り、我はおぬしの叛逆のゆく末を握っておる」
「……、……」
指の関節を伸ばすだけで喉を潰せる。横にスライドすれば首を落とせる。だというのに、
……畜生めェ。
「おぬしはひとかどに手を掛けたのである」
「これでようやく半人前か。間違った選択はしてないぜェ」
「過ちを省み後の道を敷けば頂点にも手が掛かろうぞ」
……それじゃ遅いんだよォ。
暴力による両親の支配が始まれば真先に軍隊に組み込まれるのはバルァゴアが探してきたマスブラックとヒュージである。バルァゴアは、二人を消すつもりがない。
……ここで決着をつける。そうじゃなきゃ帰ってはこなかったぜェ。
バルァゴアから離れた花女がマスブラックのメンテナンスを手伝っている。
……花女の奴ァ、強がってはいるが身を守る手段は手放してねェ。
少なくともやられに来たのではない。いざとなれば浄化の力を使わせられるだろうが──、バルァゴアの力で両親を屈服させるのが先だ。
「どうやら参ったようである」
「……判ってるァ」
一目で判然とする気配である。城じゅうの熔岩が波打って、飛沫のような火の粉がエントランスホールまで押し寄せている。
「帰ったのね、バルァゴア」
陰となった上階の廊下から火の粉とともに踊り場に現れた姿は、白い肌に尖った耳と真白な尻尾を持つ人型、赤黒い髪と熔岩のような赤眼。
……まずはババアか。
始祖の片割れ〈ヴァラトルア・テスムナ〉。
バルァゴアより先に花女が口を開いた。
「久方ぶりである」
「……アナタが、なぜここにいる」
声音と熔岩が波打った。
……ババア──。
「我がここにいては不都合であろうが、しばらくは口も手も挟まぬ。成長した我が子と言の葉を交わすがよい」
「……バルァゴア、こっちにいらっしゃい」
……ババアが警戒してる。ってことは──。
花女を知っている。その力と、危険性も知っている。バルァゴアよりも前に。
バルァゴアは花女を横目に、メンテナンスを続けるマスブラックに目を向けず、母ヴァラトルアのもとへ向かう。
熔岩を纏う階段。砂浜の足跡が波に消えるように、バルァゴアの黒い足跡が消えてゆく。
「ババア、話があるァ」
「あとにしなさい。カノジョと話があるわ」
「あいつはオレサマとババアが話すまで話さねェぜ」
「脅されているの」
「オレサマがァ。ねェな」
「自覚がないだけじゃない」
踏み越えるべき存在の言葉に耳を貸す必要はない。とは、思ったが、
……自覚なく、かァ。
花女を手に掛けられなかったのはそういうことか。もしも花女が外見に反した強者であるとしたら、落下に際した受身は身軽さを示す比喩で収まる技術ではない。浄化の力に加えて、花女は、確実に力を隠し持っている。そもそも、一介の魔物が始祖を知り、面識があり、なおかつ恐れられていることなどあるか。バルァゴア以上に言葉を操ることも優れた点だ。認識していた力を傍証として、異次元とも表せれよう力を無自覚に捉えていたから、報復を恐れて手が出せなかった。
……それ以外に、辻褄が合わねェ。
無自覚の恐れに、納得がゆく。……だったら──。
ヴァラトルアの隣に寄り、階下の花女を見下ろす。小さな体だというのに、
「相も変らず恐れておるとは滑稽である」
「……」
尊大な語り口に威力があることを、ヴァラトルアの息遣いに捉える。
……ババアが動きを止めてやがるァ。
次の一手をどうするか、考えているのだろうか。
そんなときになんだが、バルァゴアは口を開く。
「支配を否定する気はねェが、ババア、一つ教えろ」
「……今は忙しいわ。あとに──」
「花女と見つめ合って黙り込んでただけじゃねェか」
「あとにしなさい、と、いっているわ」
「ふん……、びびってんじゃねェよ、情けねェ」
斯く言うバルァゴアもヴァラトルアの赤黒い髪が燃え盛ってゆく様子に身震いしていた。
……こんなババア、見たことねェ。
気配が膨れ上がって、城どころか台地まで覆ったよう。波打つ熔岩が煮立ち、煙を上げて、肺を押し潰すような靄が城内に広がる。
「質問は一つだ、とっとと答えろォ」
「さっさと済ませなさい」
「軍隊結成を生まれてすぐのオレサマに命じたな。何がしたかった。まずはオレサマにメシくらい寄越せって話だぜェ」
「食事なら外にたくさんあったでしょう。雑食なのに不満だった」
「結果オーライなだけだろう、ババアとしての責任、放棄してんじゃねェよ」
「……あそこに転がっている小石の群れ、それから、台地の傍にいる巨人型、兵として優秀そうね。よく見つけてきてくれたわ、どっちも荒くれ者で従えるのは難しいと思ったけど」
……マスブラックはともかく城外のヒュージにも気づいてやがるか。
しかも、もとから存在を知っていた様子だ。
ヴァラトルアを始め始祖が城から出ていないことは熔岩の明るさで判っている。ヴァラトルアが城外の情報を仕入れるには今この場でバルァゴアから話を聞くほかなかったはずだ。
……マスブラックとヒュージも兄弟確定だな。
城から見下ろすことも不可能ではないだろうがどこまで遠くを見通せるかによる。確実に動向を知るため、気配──魔力──を探っていたと考えるのが妥当だ。
「名はなんというの」
「(やっぱ自分の支配下に置く気だな。)マスブラックとヒュージウィップだァ」
「いい名──。確と育て上げ、己の手脚となさい」
「……!」
バルァゴアは息を吞んで、次の言葉が出なかった。
……ババアは、自分の支配下に置く気が、ねェのか。
なぜだ。軍隊を結成したら、王子ではなく王たる始祖が組織を支配するのが普通だろう。
……ジジイのほうが支配したがってる、って、ことかァ。
軍隊による支配を自ら行うことをヴァラトルアは考えていない、と。
バルァゴアは先の発言がそれを暗示しているように感じて思考を巡らせていた。
その目を擦り抜けてヴァラトルアが階下に突撃した。マスブラックのメンテナンスがまだ終わっていない(!)
「っババア!」
「対話が途中である」
「すばしっこいこと」
ヴァラトルアが全身から放った火の粉を浴びることなく、花女がバルァゴアの隣に舞い降りていた。
「花女……、貴様ァ、やっぱタダモンじゃねェな」
「繰返しの言にはげんなりであるが、か弱き身であるからこそ躱しておる。約束を破らせるのも酷である愚か者」
「……そんなこと気にしてんじゃねェよィ」
バルァゴアは、ヴァラトルアを見下ろす。波立ち煮立つ熔岩の中心にいる母は、花女から目を逸らさない。
「バルァゴア、今すぐここを離れなさい」
「あァ、帰ってきたばっかの息子にいうことかよォ」
「いいから離れなさい」
「話してェことがまだあるァ」
始祖の片割れ、父が、軍隊による支配を求めているかどうか。それを聞かなくては、対話は完了しない。
「ジジイを呼べ。いや、気づいてんだろォ、」
天井に声を発する。「息子の出迎えぐらい、しやがれぁクソジジイッ」
「アノヒトは来ないわ。ソノヒトがいる限りね」
「っは、こんな弱小にビビって腰抜けが。そんなに浄化の力が恐ぇかよォ」
「……バルァゴア、」
ヴァラトルアが、目を見張った。「それを知ってて、どうしてここに招き入れたの」
「──、花女の力は確かに脅威だ、魔物から魔物らしさが消えちまうだけじゃねェ、存在まで容赦なく消しちまうんだからよ、そうだよなァ、恐ェよなァ」
「質問に答えなさい。花女、それは、アナタが名づけたの」
「そうだぜ、見たまんまだ。魔物らしくねぇ、荒れた大地を潤すみたいな、オレサマ達から毒気を抜いちまう植物みたいな、そんな、存在感があるぜぇ」
「誉を慎んで受け取ってやろうぞ」
……慎んでる気が全然しねェが、こいつはこうだなァ。
バルァゴアは隙だらけだ。未だかつてなく頭の中が混乱していて、ヴァラトルアの行動も花女の行動も摑みきれず、対応できる自信もない。隣の花女は、それを誰より感じ取っているだろうに、浄化の力で消し去ったりしない。その圧倒的な力で魔物を消すことをよしとはしていないのだ。
……ババアだって、オレサマの力を奪おうとしてるわけじゃねェ。
暴力による支配は魔物の性だがヴァラトルアに限っては息子たるバルァゴアを暴力によって支配したりバルァゴアの配下を力任せに奪おうとは考えていない。
……そうでなけりゃ反抗的な手脚を育てろなんてこたァ、言えねェんだからよ。
軍隊の結成は建前。いの一番にそれを命じたのは、反抗心をいだいたバルァゴアが始祖への叛逆のためひいては支配のための配下を得る行動へいざなっていた。
……なんてこった、意味が、解らねェ……。
踏み越えて見下ろすべき存在の片割れが、自分の成長を後押しし、願ってもいるのだ。バルァゴアこそが顔面に頭突きを食った気分であった。こんなことは思いもしなかった。
……花女の浄化は強ぇが、駄目だなぁ。
花女の力を頼って頂点に立っても意味がない。王子として、後の王として、自らの力で正面から蹴落とさなければ暴威の実体がなく、誇れはしない。
「──バルァゴア」
「ババア……、──!」
「どきなさい」
瞼を下ろした一瞬間、炎と化したヴァラトルアがバルァゴアを熔岩に押しつけ、花女に絡みついた。絡みついた炎は右手となり、花女の首を締め上げる。
「ババア、よせッ、そいつは──!」
「ワタクシ達を『消さない』、そういいたいの。腹の中は誰も見えない。アナタが喩えた植物になら心すらない。自然任せに浄化するのがコノヒトよ」
「ぐっ……!」
熔岩が背面を隈なく焼く。バルァゴアの総身を押さえつけた炎はヴァラトルアの左腕といったところか。
「バルァゴアよ」
花女が瞼を閉じた。「いとをかしき目振る間に感謝しようぞ」
「何、いってやがるゥ」
「おぬしはここに及び、切なるものの欠片を手にしたのである」
対話を求めた花女。始祖を知っている花女。彼女が示す、大切なものは──。
「こんなちっぽけなもんの為に、貴様は、死を覚悟してたってのかぁ……」
「仄かなれども星が如しである」
「……」
花女の言葉を、バルァゴアは十分に理解できなかった。むしゃくしゃした。理解できない自分に伝える尊大な口は、掠れた声しか出ていなかった。自らが死するときに、なぜ、他人に言葉を向けている。
「苦しいと、いいやがれ。貴様は馬鹿か……、魔物なら、抗いやがれぇぁッ!」
「バルァゴア──!」
熔岩を蹴り、総身を押さえる炎を押し退けて、バルァゴアはヴァラトルアの右手に嚙みついていた。
「……初手、曲げちまったぜぇ。王には、程遠いらしいな、オレサマはぁ!」
「っ、離れなさい、バルァゴア」
「放すのは、貴様だ、ババアッ!」
「バルァゴア、アナタ……──ッ!」
ヴァラトルアの右手を嚙みちぎるか否か、緩んだ手から花女が零れ落ち、床に崩れる。
「マスブラックぁぁ来いィ!」
「『へいッ!』」
無数に分裂して身軽なマスブラックが花女に雪崩れ込む。
「そいつと一緒に失せろぉッ!」
「任せてくだせえっ!」
マスブラックが花女を包んで殻状となって階下へ飛び出す。
……多少、怪我はするかもなァ。だが、死にゃしねェ。
ヴァラトルアの拘束にしばらく堪えた彼女の体力を、信ずる。
「させないわよッ!」
「動くんじゃねェ!」
「バルァゴアっ……」
マスブラックを見送りながら、バルァゴアはヴァラトルアを羽交い締めにした。
「首ィ、圧し折るぜ、ババア」
「アナタ、あの力を手にするつもり。配下を、同胞を、消すつもりなの」
浄化されれば、完全に消えてゆく。
増長する輩は食らい尽くしてやるが、
「誰もいねェ大地を支配したって意味ねェだろが馬ァ鹿」
「ならばこそカノジョを摘むべきと解っているはず。存在自体が危険だともね」
「貴様らの勝手な見立てだろう。勝手にびびって勝手に消そうとしてんじゃねェ」
「バルァゴア……、解ってくれないのね」
「いずれ降る貴様なんかに耳を貸してやるかよォ。オレサマは、オレサマの考えで動くと決めてんだッ!」
城外へ転がり出てゆく殻状マスブラックを見送る。……そのまま台地から落ちろ!
そうすればヒュージが受け止めてくれる。
「そう──」
「ッババア……!」
ヴァラトルアの足下から噴き出した熔岩が凄まじい勢いで床を覆い、城外へ流れ出た。
「マスブラックァッ──!」
「ぐぁぁぁああっ!」
殻状マスブラックに追いついた極熱の熔岩が、逃げ道をなくすように彼を覆い尽くす。
「っやめろババアッ。オレサマの配下を殺す気かァ!」
「ならば命じろ、カノジョを殺せ、と」
ヴァラトルアが睨む。
……動、けねェ。魔眼か!
ぎらつく赤眼には、バルァゴアの巨軀を磔にする威力があった。
「アナタには調教が必要だ。配下の面倒はワタクシが看てやろう」
……このババア、二重人格かよォ。
「返事は」
「するわけグァッ!」
ヴァラトルアの頭突きがバルァゴアの頭蓋を容易く陥没させた。
「返事は」
「……する、かよォ……」
「ふっ。配下を失えば気が変わるか」
「っ!」
ヴァラトルアが燃え盛る髪を振るうと、城壁の熔岩がさらにマスブラックへ押し寄せる。
「ぐあああぁっ!あ、っアニ、キの、命令はあ、絶対だあァァァ……!」
……マスブラック──。
「ぐぅうああッ!」
絡みつく熔岩の中、必死に転がる殻状マスブラック。ヴァラトルアの熔岩に幾度となく覆い被さられ、浮上しては沈められ、転がり出ては絡め取られ、叩き潰され──。限界を超える彼の痛みが絶叫となって城内にまで届いていた。
「ッ……──止まれッ、マスブラック!」
「……っぐ、はあぅ……っへ、い……アニキいぃ……」
マスブラックの停止と同時に、あっけないほどの速さで熔岩が退いた。
……マスブラック……。
抗ううちに、頑丈な体がどろどろに熔けていた。チョコレートを熱したように薄い殻がとろけて、倒れ伏した花女の姿が顕になった。
「くそがァ……」
「アナタは王子として正しい選択をした。マスブラックはあとでアノヒトに治療させよう」
「っ待ちやがれェ、ババア」
火の鳥のように飛び立つヴァラトルア。バルァゴアは魔眼の支配を逃れたものの、ヴァラトルアの高速移動を捉えられず、花女の間近に降り立つさまを眺めているほかなかった。
……クソ、動かねェ。
視界がちかちかとして、景色を捉えるのもやっとの状態だった。首から下がまともに動かず欄干から覗く城外へは手が届かない。
かつてヴァラトルアは、城の地下深くに彼女を封印した。
そのはずだった。
「──アナタがここにいる。この事実が示すのは一つの現実と二つの推測だ」
ヴァラトルアは、彼女の首を優しく締め上げた。
「回り諄いことである。誰に似たか」
「さあ、誰だろうな」
が、彼女がここに現れたことを考えると深刻な問題が二つある。
首を焼き切るのは、問題を解決する情報を吐かせてからでも遅くない。
「事実は示すまでもない。推測に触れよう。アナタが複数人存在し、今後も現れよう」
同じ外見・気配を有する分身を作る魔物が存在する。分身は本体と同じ目的を持って自律行動することがほとんどだ。彼女が多数の分身を作り出して封印の外で活動していたのだとしたら、ヴァラトルア達は封印した一個体に気を取られて油断していたことになる。
「おぬしのそれは懸念と表するのが適切である」
「応えろ。『一、アナタは何人いる』、『二、再来する気はあるか』」
浄化の力を旗印に対立組織を結成されては手に負えない危険性が出てくる。
……コノヒトに魔力はほとんどない。
彼女の魔力はヴァラトルアに劣らない強大さだったのに見る影もない。封印を逃れるために慌てて作った分身だから魔力を込められなかった可能性はなきにしもあらずだが、意図して魔力を込めていなかったのなら強い魔力を持っている分身が余所で活動している可能性を否定できない。一方で、分身が消滅すると込められた魔力が失われるため、魔力のほとんどを封印された彼女が保持している可能性が高く、ここにいる彼女が捨て駒である可能性も高い。最悪の想定は、封印済みの彼女が魔力を持っていないこと。
本来の魔力を持つ彼女の再来は、ヴァラトルア達の敗北を意味し得る。それほどに、侮れない存在である。
彼女が答える。
「創造神に鑑みるがよい。恐るる者ほど数を主義とし、恐るる者ほど他を害するものである」
「アナタは一人もしくは少数であり、再来はない」
「おぬしに克己の超越を求むるは酷。なれども提言はしよう。世を遍く鳥瞰するのである」
「宣うな、アナタとてワタクシ達と同じだ。いいや、」
熔けて小さくなったマスブラック、台地を見上げるヒュージウィップも、同じだ。
「ワタクシ達は兄弟姉妹だ。与えられた知識や力、知能に至るまで、創造神のお遊びに弄ばれた発想のデブリだ」
「さと認識しながら抗わぬとは、まこと滑稽、失笑を禁ぜられぬ」
「危うく首を焼き切るところだ、黙るがいい」
「黙らぬ。我の託されし力は言の葉である。我の言の葉は寄る辺とて制せられぬ」
その言葉は、別個体か協力者の存在をにおわせている。
「寄る辺など台地と城をおいてほかにない。口が滑ったな、〈ルゥヴ〉」
「寄る辺なき者が後生の手ほどきなどするものであるか、ヴァラトルア」
……捨て駒でも、コノヒトはコノヒトだな。
ひとの心理を手に取るように摑んで応答しづらい問をする。
夫のいない場。ヴァラトルアは真剣に交渉する。
「アナタが脅かすことを望まないのなら台地から突き落とすにとどめよう」
「か弱い我が身では消えるのみである」
「装うな」
無重力のように身を翻してどんな高さからでも無事に着地するだろう。
「ババア……!」
城内から叫びが聞こえた。
ヴァラトルアは地に下ろしたルゥヴに手を翳す。炎に変えた右手で、いつでも彼女を焼き払える。必要な情報を吐かせるくらいはしなければ。
「バルァゴアに何を吹き込んだ。アナタに絆されているようだ」
「よい王子になる、と、それとなくである」
「親にでもなったつもりか。アナタの存在は障害となる」
「おぬしらもあやつの障害であろう」
「何が解る!ワタクシ達とアナタは違う!」
「あやつを解放できぬおぬしらは障害ですらなく、肩書の鞭を握らされた砕片である」
「!」
「あやつは、あるいはおぬしらより胆力があろう。我の力を正しく恐れ、我の望みを叶えようと試行錯誤、無駄かも知れぬことも惜しまぬ。はて、おぬしらはどうであるか」
「……」
バルァゴアが言葉だけで彼女の力を信じたとは考られない。彼女はヴァラトルアを浄化できる。だが、言葉が力。そう述べた彼女は、事実として穢れを浄化しようとはしていない。する気がないのだ。
……ワタクシは恐れている。彼女を。しかしそれ以上に──。
バルァゴアを手放したくはない。魔物の王となるべき存在であり、どんな暴虐の宿命を背負っていても、我が子である。
「おぬしの気を、解しようぞ」
「ルゥヴ……」
揺らめく指の隙間から、柔らかな笑みが見えた。
「台地から突き落とせず苦を強いておる。ほんに愚か者である──」
「──」
ヴァラトルアは、右手の炎を維持して、小声を発する。「ワタクシが、アナタを台地から突き落とす。だから……アナタのいう解放を──」
「何をもたついている」
「!」
舞い降りた鮮烈な青い炎が、ヴァラトルアを突き倒した。現れたその青い炎こそ、ヴァラトルアとともに城を猛らせる始祖の片割れである。
「ヴァラァヴ……」
「よもや此奴を野放しにするか」
ヴァラトルアの夫にしてこの世界を統べる魔物の王、彼の青い炎がルゥヴに迫る。
「待て、ワタクシにそんなつもりはない」
「黙れ。情報収集なら二言三言で済ませられよう、首を締め上げたままでもな」
……まずい。コノヒトは容赦しない。
相容れなかったルゥヴを最初に封印すると決めたのはほかでもない彼だった。封印の外にいるのが分身であれ本体であれ、新たに分身を生み出すほどの魔力も抗うだけの魔力も持たない彼女に、封印を施すなどという回り諄いことはしない。
……確実に狙える今、コノヒトはカノジョを必ず滅ぼす。
ヴァラァヴには逆らえない。時間の猶予はない。……ルゥヴ──。
「ジジイまで……!」
視界に飛び込んだ青い炎がバルァゴアに察せさせた。
……花女には荷が重いぜェ。
父ヴァラァヴ、母ヴァラトルア、始祖が二人とも揃ってしまった。浄化の力を恐れているなら先手を打たないはずがない。
這いつくばって欄干を摑んだバルァゴアは歯を食い縛った。
……この体じゃ、まともに動けやしねぇ。
魔力を捻り出し、形にする──。
城を輝かせる片翼の炎が膨れ上がったことを認めた。
……間に合えッ!
己の姿を取った魔力、分身たるそれを渾身の力で城外へ投げる。欄干を突き破って眩い炎へ突撃させた分身は、五感や意識を共有し、我が身のように動く。
「(金輪際いわねぇが先に言っておく、)マスブラックすまねぇッ!」
突撃した先はわずかずつ固まりつつあった小型マスブラック、粉砕した彼を腕力で起こした風と炎で巻き上げ、
「バルァゴア──」
「話も聞かねぇで現れやがってクッタバれジジイッ!」
粉粉なマスブラックを混ぜた火炎放射で両親を吹き飛ばすが、
「愚かなバルァゴア、」
「ガァッっ!」
「消されたあとでは遅いのだぞ」
青い炎に顔面を摑まれ、後頭部から地面に叩きつけられた。その視界の隅で、
「さらばである、バルァゴア」
……花女──!
青い炎が、花女の首に迫る。……──。
花女は、バルァゴアが両親と対話するためだけに来たようなものだ。謂わば、巻き込まれてこうなっている。命の危険があると最初から判っていて、バルァゴアの決意を促しもした。
バルァゴアは観ていられなかった。暴力支配の権化たる者の手に掛かる彼女は単なる犠牲者でしかない。城や始祖に対立した愚かな魔物として排除されただけで終わってしまう。彼女の言葉はあまり無力で、誰の心にも届かなかったようではないか。支配のためであろうとなかろうと、その力が無駄であると決めつけられたかのような出来事を、バルァゴアは黙って観ていられなかった。
……これでぇ、いいんだろう……。
「うむ──」
……貴様はぁ、馬鹿正直に強ぇんだからよぉ──。
身軽で受身を取れても、命を賭す覚悟ができても、体は細く、か弱い。その首は、投げられた爪が掠めただけで、簡単に切れ、炎のような血を噴き出して、再生する兆しもなく。
「(そこだけは噓でもよかったんだぜ、)花女……、……」
「天晴れで、ある、バルァゴアよ……」
首を垂れた花女から白い光が溢れ出す。ヴァラァヴに打ち棄てられたその身は地を転がる前に消え失せた。
「よくやった、バルァゴア」
「貴様のためじゃねぇよ、クソがぁ」
「我ら始祖を害そうとした上位魔獣を討ち取ったのだ。誇るがいい」
煩い。
ふざけるな。
そう答えるのも馬鹿馬鹿しかった。バルァゴアは、自分のために彼女を手に掛けた。彼女が求めていたのは、両親との対話。それを果たせたなら、いつか、ゆかりを語ってくれるだろう。また、話せもするだろう。
……また、貴様の言の葉を、教えやがれ。
理解できないこと・未知のことを知るためには、両親との対話を蹴ることができなかった。
……ああ、そうだぁ。あんなもん、触れたうちにも入らねぇだろう。
消えたが、花女は消えていない。消えたが、消えない。きっとまた現れる。
……貴様は、噓を言わねぇんだから。
約束を一つ破ったことは、バルァゴアも解っている。
……わけ解んねぇ言葉で文句垂れろ。黙って聞くからよぉ。な──。
纏わりついた青い炎がいつしか退いて、両親の姿がなくなって、異様な猛りの照らす台地。バルァゴアは、弱ったマスブラックを見つけては、不器用な爪でメンテナンスを手伝った。〕
読み聞かせは地の文と台詞の部分で声が異なる。キャラクタごとに声が違うのは当り前、男性・女性、どちらの声も父の口から出ていたのは驚きである。瞼を閉じて声に集中するとさながら音声ドラマのようだった。
「どうせだから、地の文もお父さんの声じゃなければよかったんじゃない」
とは、霊欄の注文である。「地の文だけ現実に引き戻される感じがしたぞ」
「せっかく入り込んどったのにすまんかったね」
「謝らないでください、愉しかったです」
と、納雪はフォロを入れた。「でも残念ですね、花女さん……ルゥヴさんは、消えてしまったんです」
「それもバルァゴアさんにやられるなんてな」
霊欄が頭を搔いた。「展開が強引だろ。悲惨な物語にしたいだけに感じるぞ」
「現実に引き戻されながらなら悲惨なくらいがいいんやない。感じやすいやろ」
「ひどい作家ね、このジダラクジイ」
と、磋欄がぼそりと。「マスブラックのことも責任取ってよ」
感情移入している磋欄としては、こてんぱんにやられてフェイドアウトしたマスブラックの扱いに納得がゆかないようである。
磋欄の気持を切り替えるためか、父が話題を振る。
「前まで観えんかったマスブラックのよさが解ったんやない」
「殻状になってほかのひとを守ったり運んだりできるのね。最初からバルァゴアをそうやって運べばよかったのよ、どんくささを引き立てなくてもよかったわ、かわいそうに……」
「擁護がすごいね。一歩譲るとして、マスブラックがどんな存在でどんな立ち位置なのかもヴァラトルアの視点で示したはずやよ」
「え、どこで」
「ほら、この辺」
父が頁を捲って、磋欄の目を誘う。「ヴァラトルアやヴァラァヴの兄弟、バルァゴアに取っての叔父、それがマスブラックなんよ」
「前はバルァゴアの兄弟っていってなかった。バルァゴアをアニキともいってるし」
「それはバルァゴアの視点やろ。バルァゴアやマスブラック本人も知らんことをヴァラトルアが知っとるんよ」
「花女さんのこともそうだな」
と、霊欄が指摘した。「ヴァラトルアさんやヴァラァヴさんは花女さんのことを〈ルゥヴ〉って呼んだ。〈花女〉はバルァゴアさんの呼び方だし本当の名前じゃないふうにもいってたな」
「忘れてた。そういえばそうだったわ……」
「ルゥヴさんによれば、バルァゴアさんより先にトルアさん達のことを知ってたふうだった。直接会ったトルアさん達もルゥヴさんを知ってたから、お互い知ってたってことになる。要するに、花女さんの本名はルゥヴってことになるな」
「霊欄は時系列込みでよく聞いとるね、俺もすっかり忘れとったわ」
霊欄が笑った。
「書いてる本人が言ったらダメなヤツ。そういいつつもしっかり話を練ってる、って、いうんだろ」
「さあね」
「そこはうなづいてよ」
と、磋欄が苦笑した。「まあ、ジダラク父さんならそんなもんよね」
「そう、そう、暇潰しに書いとるようなもんやから気楽なもんやよ」
「マスブラックのことは許さないけど」
磋欄が再びぼやくと、父が唐突に、
「それは少し重いね。俺がマスブラックに止めを刺したしな」
……え。
納雪が目を丸くした横で、磋欄が唇を尖らせている。
「作者だからよね。これはワタシにも解った。どろどろに熔けて小さくなったあとバルァゴアなんかにメンテナンスさせたから。コキ使いまくって挙句あっさり消すなんて最低……」
「サラ……」
ノートの頁は残りが少なく、マスブラックの逆転的活躍は期待できそうにない。
磋欄の気を知らないわけがないだろう父が、追打ちを掛ける。
「自分もそんなふうになるとか考えとる」
「っ……別に。ワタシ、岩じゃないわ」
「磋欄やったらどろどろになった時点で終りやよ、ひとなんやからね」
「……マスブラックはあんなにバルァゴアに尽くしてたのに、ひどい終りだった」
「独りで消えるよりマシやない」
「もういい、つまらないわ」
「サラっ」
起ち上がった磋欄がどんどんと足音を響かせて行ってしまった。「ああ、もう……へそ曲げたら大変なのになあ、お父さん、加減してくれ」
「知らんよ。自分と重ねたキャラクタの境遇が悪いといわれてもね、そういうキャラクタだからこそ活きるわけやから」
「死に花咲いてもない気がするから嫌なんだろ。わたしでもなんの活躍もなく消えてくのはどうかと思う。だって、不幸でしかないじゃないか」
「納雪はどう思う」
マスブラックは不幸だったか。
「わたしは、幸せだったんじゃないかと思います」
「そんなわけないだろ」
と、霊欄が前のめりで反論した。「あんなに頑張ってたのに、お父さん曰く兄弟っていう始祖の手で熔岩に吞まれて、それでも限界までルゥヴさんを守ってたのに、選りに選って慕ってたバルァゴアさんにやられたんだ、最悪じゃないか」
霊欄にしては圧が強めの意見だったからか父が反論しない。
納雪は少し考えて、落ちついてから口を開いた。
「それは、バルァゴアさん達が恐怖を持っていると思っていたヒュージさんと、同じようなものじゃないですか」
「どこが」
「磋欄はマスブラックに共感しとるが、」
父が霊欄を見透かす。「霊欄は、磋欄に共感しとるんやろうね」
「っ」
霊欄が息を吞んだ。
不確定な最期のことまで磋欄の人生に被せていたわけではないだろう。が、その身が砕けて形を失うまでひとに尽くしても幸せな最期を迎えられるわけではない。そんなふうに捉えたであろう磋欄の気持を酌んで、霊欄は磋欄の擁護のためにマスブラックの不幸な人生を認めたくないのである。
「悪いことか」
と、霊欄が俯きがちに呟いた。
霊欄が作中のキャラクタや磋欄を観察する傍らで、父は聞き手である娘のことを観ていた。
「俺としては物語にのめり込んでくれることより嬉しいよ」
「本当に、そう思ってる」
「同情でもね」
「……サラのこと、みてきていいか」
「いいよ、続きは磋欄を連れてきたらにしよう」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
霊欄が立ち、磋欄を追って居間のほうへ向かうと、父が納雪に目を向けた。
「さっきの意見、続きを聞きたいね」
「マスブラックさんが幸せだと思った理由ですか」
「ん」
納雪は、父のうなづきに応える。
「マスブラックさんは消えた、って、おとぉさんがいって、磋欄さんもそう感じていたようだったから驚きました。だって、マスブラックさんは生きていると思ったから」
「ほう、捉え方が正反対やね」
「マスブラックさんは何回崩れてももとに戻れました。それに、バルァゴアさんは〔メンテナンスを手伝った〕って書いてありましたから、マスブラックさんが積極的にやっていることをバルァゴアさんがあとから手助けし始めたんだって思います」
父曰く叔父であるマスブラックだが、それをマスブラックが知っている様子がなかった。バルァゴアへの信頼は、間違いなくアニキへのそれなのだ。ならば、バルァゴアにメンテナンスを手伝ってもらえたことは、言うなれば、ご褒美だ。嬉しくないはずがない。
「〔不器用な爪で〕ともあったのでメンテナンスの妨げになっていたのかも知れませんけど、それでも、たぶん、マスブラックさんは嬉しかったと思います。近くにアニキのバルァゴアさんがいてくれるだけで。ルゥヴさんと出逢ったときのバルァゴアさんは、少しも手伝ってなかったですし」
「ま、そのときからバルァゴアはマスブラックの近くにおったけどね」
「あ──、ルゥヴさんは、バルァゴアさんの優しさを最初から見抜いていたんですね」
「ま、特別な配下に対しての、って、とこなんやろうけどね」
「そういえば、バルァゴアさんはマスブラックさんとも戦っているんでした……」
父との会話でもあった、ヒュージとの戦いで暗示されている部分。バルァゴアは自分が触れても消えなかった相手を配下に選んでいる。そうして配下にする者を選ぶまでに何人もの魔物を葬ってきたことが語られている。
「おとぉさん、少し話がずれてしまうんですけど、いいですか」
「いいよ。なんか疑問」
「マスブラックさんやヒュージさんはどうやって生まれたんでしょう。始祖のヴァラトルアさんやヴァラァヴさんと兄弟姉妹なら顔を見知っていてもいいはずですけど、マスブラックさんやヒュージさんは知らないようでした。逆に、ヴァラトルアさんはマスブラックさんやヒュージさんのことを知っているようで、なんか、変じゃないですか、それ……」
「考えられる経緯はどんなやろね」
ヴァラトルアはマスブラック達が生まれたことを知っているが、マスブラック達は物心がつく前に親に棄てられてしまったからヴァラトルアを知らなかった、とか。それなら、バルァゴアの推測とダブる点があって解りやすくはあるが、そもそも始祖と兄弟姉妹のマスブラック達を棄てるような親が存在するのか、と、いう疑問がある。彼らの親については触れられていなかったように納雪は感じたので、答はあまり多くないようにも感ずる。例えば、始祖とマスブラック達は本当は面識があった、とか。
「マスブラックさんやヒュージさんは記憶がなくなっているんじゃないですか」
「おお、すごい想像力。そんな観点、よう持てたね」
「なんとなく。変でしたか」
「ううん、いい線かもね──。ヒントは花女ことルゥヴがいっとったことで、そこまで行くと神話の話やな。万物は創造神が創りたり、みたいな」
物語の中もそうであったが、納雪には難しい言葉が多い。
「神話は、神様の世界の物語でしたよね」
「実話や創作が入り乱れとる物語やね」
「バンブツ、って、いうのは、なんですか」
「いろんなもの、って、意味。時間や空間、生物、見えんモノに至るまで。万年筆の万に物語の物でバンブツと読む」
「その万物を、創造神さんが創ったんですね。と、いうことは、始祖さん達も」
「ん、そんな感じ」
父のうなづきは、マスブラックやヒュージが創造神に創られた存在であることを指すと同時に、父の物語が創作物に寄った神話であることをも指しているだろう。
「片方が片方を知っていて、知られている片方は知っているほうを知らないなんてことが、創造神に創られたひと達には起こるんですね」
「立場の問題もあるかもね」
「始祖のヴァラトルアさん達と、始祖とは呼ばれないマスブラックさん達……」
同じように創られた存在。始祖と呼ばれるひとびととそうでないひとびとの線引はどこで行われているのだろうか。
「バルァゴアに取って配下にすべき存在が触れても消えんかった子らやったように、創造神の中では始祖は別格。早い話、その世界のトップに相応しいひととして創っとるわけやからね」
「始祖は、学級委員長みたいなひとってことですね」
「学園で喩えるなら、学級委員長はバルァゴア。始祖は生徒会長ってとこかもね」
ひとの上に立ち、下の者を纏め、みんなを引っ張ってゆけるひと。その点は学級委員長も生徒会長も同じだが纏め上げる規模が異なる。
「話を戻しますね。ルゥヴさんも、幸せだったんでしょうか」
「作者の意図を引き出す質問に聞こえる。俺は納雪の意見を聴くよ」
「ごめんなさい、そうでした。ルゥヴさんは幸せだったんじゃないかと思っていて、でも、マスブラックさんと違って消えてしまったから、ちょっと複雑で……」
ルゥヴは最後にバルァゴアの行動を称えていた。両親との対話を蹴らなかったバルァゴアに悦びを覚えたであろうに、ともに過ごすことができない。
「ヴァラトルアさん達がいうように消えたのが分身で、本体のルゥヴさんが生き残っていたんだとしても封印の中なんですよね」
「数を言及されとらんからこの時点で分身が生き残っとる可能性はゼロじゃないんやけど、バルァゴア目線ではゼロやな」
花女が現れるのをバルァゴアは心から待っている。可能性がゼロだとしても願わずにはいられない。
「自分達とルゥヴさんは同じ、って、ヴァラトルアさんがいっていましたけど、浄化の力を持っていて、恐れてもいて、封印までしてしまったんですよね」
「それがどうかしたん」
「結局、ルゥヴさんはどんなひとだったんだろう、って。バルァゴアさん達と話しているルゥヴさんからは、恐れられるだけのひと、なんて、想像できないから、気になります」
「さあ、どんなひとなんやろう」
作者である父が考えていないわけがないが、先にも述べた通りに作者の意図を語りたがらず納雪の意見を聴く姿勢である。
「そのノートに続きはないんですよね」
「ないね」
なんの思い入れもなく物語を書くことはないだろう。登場人物の過去や未来に想像を働かせないなんてこともきっとない。
納雪は質問する。
「おとぉさんに取っては、どんな存在なんですか、ルゥヴさんは」
それは作者の意図と関わりがなかったか、父が答えてくれる。
「遊び相手やな」
「遊び相手」
「バルァゴアの気持をいろいろと搔き乱して愉しくしてくれたからね」
「面白いですね、そういうの」
納雪であれば、観察の対象である霜や雪が遊び相手で撮影に使う魔導カメラが相棒といったところである。結晶はいつも違う表情をしていて二度と同じ顔を見せてくれないが愉しい気持にしてくれる。父に取っては、物語の登場人物が遊び相手で文房具が相棒だろう。父が望めば何度でも愉しさを共有できる遊び相手であり相棒だが、納雪は不思議に思う。
「見たことない気がします、おとぉさんが文字を書いているところ」
当然、文房具も。書き上がったノートはこうして見ているが。
「これは昔のやしな」
「相棒の文房具さんが寂しがったりしませんか」
「納雪のカメラは寂しがったりするん」
「します、すごく。手にうまく収まってくれなかったりしますから」
「そりゃ大変やな。俺もたまには触れてやることにしようかね」
「このノートさんもきっと嬉しがっています」
「そりゃよかった」
父がノートを愛おしむように撫でた。ノートがさらさらと囁く。その手で撫でてもらえれば、文房具も悦ぶだろう。
文房具の一つに、栞がある。父が閉じたノートにも特徴的な栞が一枚挟まっている。
「その栞さん、可愛いです。おとぉさんの愛用ですか」
「いくつかあるけど、そうやね」
「形が文字みたいに見えましたけど、どこの文字ですか」
「はい、よく観てみ」
「ありがとうございます」
頁に指を挟んだ父が、引き抜いた栞を貸してくれた。
「やっぱり読めないですね」
「古神文語にある古代文字やからな。アルファベットに対応しとるから変換可能やけど、読み取れるかね」
「いわれてみるとアルファベットっぽいですから、なんとか、……」
形がかなり歪で、「(もとの形はD、いや、M、ううん、WやNにも……なんだろう、いろいろな文字に見えちゃう……、)えっと、やっぱり判らないです」
「一度考えてみる姿勢が素晴らしい」
「ありがとうございます。最初がDかMかWかN、次がAかQかOかG、その次が──、だと思うんですけど……」
「よく観察したね、正解が混じっとるよ」
「やったぁっ」
「健闘を称えて答を教えよう。〔DOLCE〕やから……さて、なんて読めるか」
そこまで聞けば、竹神家の子であれば判るだろう。
「みんな大好きなお菓子、『ドルチェ』ですね」
「そう。『甘い』って意味があるらしいから、俺らしいやろ」
「おとぉさんなら『和菓子』もいいですよね」
「今度納雪からちょうだいな」
「『和菓子』の栞、どこに売っているのか教えてもらえれば行ってきます」
「っふふ、そうじゃなくてね、納雪の作ったお菓子が食べたいなあ、と、思って」
お菓子作りがまだまだ上手でないことを父も知っている。
「おかぁさん達からいっぱいもらっているのに、わたしのお菓子を食べたいんですか」
「食べたいよ。強いていうなら、みんなが作ったものもね」
「……失敗したのでも」
「うん。納雪達は、創造神に取っての始祖、バルァゴアに取っての花女と同じやからね」
「……特別」
「そ」
……おとぉさん。
木洩れ日のような目差に吸い寄せられるようにして、納雪は父に抱きついていた。そっと抱き締めてくれる両腕は日溜りのよう。ほっこりとして眠りそうになると、
「あ」
忘れてはならないことを思い出した。「磋欄さん……」
霊欄が戻っていない。磋欄が頑なになっているのだろうか。
「気になるなら行ってきぃ」
「おとぉさんも行きましょう」
「え、嫌や、メンドー」
「えぇっ」
磋欄や霊欄も特別なはずなのに。「嫌われてしまいますよ、そんなこといったら」
「父親は娘に嫌われるためにおるんやよ」
「そうなんですか」
「噓かもね」
「うぅ、もうっ」
「こら、こらあ、揺らさないのぉ、おとぉさんあちこち弱いんやから」
「うぅ、引き籠もっているからですよね……」
「それは関係ない。まともな運動せんからやよ」
同じことではないのか。日溜りのような父も、いつも通りに怠惰である。
「痛めないような軽い運動をしながら待っていてください」
「いってらっしゃい」
「……はい」
積極性の塊である母達でさえ運動をさせられない。そんな消極性が磋欄に受け継がれているように感ずるので、母似の霊欄でも一人では大変だろう。
……最初から応援しに行ったほうがよかったかも知れない。
廊下の掃除をしていた第二の母メリアから磋欄が二階へ上がったと聞き、納雪は二階南西の部屋へ。扉をノックし、「入っていいぞ」との霊欄の応答を聞いて、
「お邪魔します」
と、挨拶して納雪は入室した。今日はこれで二度目であるから、変化は明らかだった。磋欄の姿は見えず、部屋の隅に岩の塊があり、その脇に霊欄が立っていた。
「あ、お姉さん」
「磋欄さんは……この岩の中ですね」
「そう。これじゃ手が出せないな」
岩の下からスカートが食み出ているから、納雪も気づくことができた。
「声は通っているんでしょうか」
「殻状のマスさんを参考にしたんだろうな、魔法で作った薄い岩だから声は通るぞ」
「近くで煩い」
と、反応があった。「さっさとノンジイのとこ行って。三人で仲良くすればいいじゃない」
ノンジイとは父のことだろう。魔法を使ってまで拒絶するとは。
霊欄が両手をひらひらと振った。
「何をいってもこの調子なんだ。今はそっとしとこう」
「磋欄さん……」
「あっち行って」
「……」
岩の中を反響した磋欄の声には張りがない。両脚を抱いて発したかのように、小さくて、くぐもっていた。
納雪は、立ち去ろうとする霊欄の手を握って、空いた左手を岩に置いた。
「マスブラックさんの頑張りを感じて心配していた磋欄さんが、独りになろうとしないでください。出てきてくれたら、みんな大好きになってくれます、強くて優しい磋欄さんを」
「……」
岩肌に、磋欄の息遣いを感ずる。
「わたし、磋欄さんと顔を見て話したいです。それで、あかぁさんやおとぉさん、おねぇさん達がしてくれたみたいに、ぎゅってしたいです」
「……何よ、それ」
「ぎゅってすると、優しい気持になれるんです。ぎゅってされると、あったかくなるんです」
「……」
「わたしはおねぇさん達の妹で、磋欄さん達のおねぇさんで、みんなの家族なんだ、って、感じて、それと、おとぉさん達の娘でもあって、ちょうどここみたいに──」
窓から射す光は柔らかくて、「あったかいんです」
「わたしなんて……」
声が、岩肌を震わせる。「わたしなんてどうせ何もできない。殻状になって転がったって中で目を回して倒れるわ。服の着替えもどんくさくて、そうまでして着ても似合わない。マスブラックみたいに馬鹿っぽく頑張れないし、大好きになんてなってもらえっこない。母さんやレイみたいでもない……最低だわ」
「サラ……」
岩肌に、霊欄も触れるが、言葉が出てこなかかった。
納雪は、父と同じような磋欄のネガティブ思考を変えられるとは思わないが、
「最低なんかじゃないです」
とは、強く否定した。「おとぉさんがいってました。バルァゴアさんに取ってのルゥヴさんと同じ、おとぉさんに取っても、わたし達、娘は特別だ、って」
「特別……」
「はい。わたしに取っても、磋欄さんと霊欄さんは特別です、初めてできた妹だから。いっぱい話して、助けてあげたくて、それは、いっぱい笑ってほしいからで、だから、独りで、苦しんでいてほしくないんです。ぎゅって、したい……」
納雪は、冷たい岩肌に身を寄り添わせて、「磋欄さんの手を、握りたいです」
「……姉さん……、……」
ぽろぽろと岩が剝がれ落ちてゆく。「ワタシの手なんて、この岩みたいに冷たいわ」
「それならあっためます。寒くないように、冷たくならないように、何回でもあっためます」
「サラ、わたしもだ。お姉さんと一緒にあっためる。だから、出てこい」
「……がつがつ来ないでよ」
ぱりっと大きく剝がれた岩を被って、生まれたての雛のように磋欄が出てきた。振り向いても岩の殻を目深に被って顔を見せない。
「ワタシ……解ってるわ、自分がどんくさいことも、頭がよくないことも、綺麗じゃないことも、……父さんと同じで、だらしなくて、消極的なことも。変われるなら変わりたいわ……、でも、」
座り込んだ磋欄が、納雪と霊欄の手を握った。「寝起き悪いし、口悪いし、視野狭いし、父さんの指摘にもイライラするし、いいとこ全然ない。ワタシが一番イラつくのに、煩いのに、それなのに、こんなワタシに、レイや姉さんは構ってくれて……、顔、見せづらいの。どうしたら、いいの。どうしたら、自信なんてつくの……。みんな、頭いい、みんな、前を見てる、みんな、すごすぎるよ……。ワタシ、置いていかれたくないのに、真先に──!」
「磋欄さん……」
「サラ……」
手を握っているだけでは足りなかった。縮こまった妹を、納雪は自然と抱き締めていた。隣の霊欄も、同じようにして磋欄を包んで慄えをともにした。
……恐いよね、置いていかれてしまうの。
納雪にも憶えがある。何を考えているか判らなかった姉の船旅に、心臓が潰れそうなほど緊張して息ができなかった。予兆をなんとなく感じたときから不安で不安でたまらなくなって、長姉を巻き込んで追うこともした。
磋欄のおそれはそれ以上のものだっただろう。自分を好きになれなかったから家族に好きになってもらえるとも思えず、こうして気に懸けてもらえたことに対しても報いることができないと思っているから困り果ててしまう。
……たくさん、抱き締めてあげないと。たくさん、あっためてあげないと。
それしか、納雪にはできなかった。霊欄も同じようだった。それで磋欄が納得できるか、それで磋欄が自分を好きになれるか、判らないまま、そうするほかなかった。もっと、磋欄の内面に寄り添って、前向きにさせられるような言葉を発せられたらいいのに、その言葉が見つからない。
終いには、
「うぅ……」
納雪も、磋欄と同じように涙していた。姉として、無力で、不甲斐なくて、情けなかった。妹をぱっと笑顔にしてあげられない──。
「──幽霊かと思いましたよ〜」
とは、いつの間にか現れた姉の声だった。「三人して泣いちゃって可愛いですねぇ」
「『──』」
三人纏めてぎゅっとしたのは、
……納月おねぇさん。
「どうしたか知りませんけど、ここにいたら恐いことなんてなんもないですよ。我が家はグータラなお父様がずーっと居座ってますから逃げたりしませんし、あまあまなお母様達がわたし達を棄てるなんてこたぁ万に一つもあり得ないですからね」
「!」
「小さいうちは甘えまくっといてください。わたしも、洗濯とか掃除とかしてくれたら、いくらでも胸を貸しますよぉ」
次女の胸には見掛けに治まらない優しさが詰まっている。
「……姉さん、そろそろ放して。苦しい」
と、谷間に埋まった磋欄が言葉通り苦しげだった。
「おっと失礼、元気が出たようでよかったです」
次女がみんなの頭をぽんぽんと撫でて、にこっと。「仲良くしててくださいね。昼の仕事があるんで先にご飯いってきま〜す」
「『いってらっしゃい』」
颯爽たる次女を見送って、磋欄が呟く。
「めっちゃいい匂いだったわね、メロンっぽくなかったけど」
「メロン、って、なんのことですか」
「姉さん、それはスルーしていいヤツだぞ」
と、笑った霊欄が、磋欄の手を引いて立ち上がった。零れ落ちた岩の殻が消えて、頰を染めた磋欄の表情が窺えた。その磋欄が握った石片は、朝露の結晶のように煌めいて消えた。
「思えば、簡単なことだったな、サラ」
「……何がよ」
「お父さんも、お母さんも、サラを置いてかない。勿論、わたしやお姉さん達も。だから、恐がらなくていいぞ」
「……もう解ってるわ、充分」
と、磋欄が俯きがちに手を引いた。
納雪は立ち上がり、霊欄と一緒に、今一度磋欄を包んだ。
「磋欄さん、元気が出なかったら、またこうしましょう」
「うん、……、姉さん、ありがと。……レイもね」
「──気にするな」
抱擁に慣れない手がちょこんと腰に添えられていて、先程よりもずっと近いから磋欄の変化を感ぜられる。
……うん、もう大丈夫。……。
磋欄の笑顔が間近で見られた一方で、固められた拳があることに納雪は気づいていた。
……霊欄さん……。
磋欄に向けた笑顔に噓はないようなのに、どこか、浮かないようで、しかし磋欄のように沈んでもいなかったから踏み込んで話していいか判らなかった。父が言うように磋欄に共感していることが変化の原因ならその原因を作り出している感情はなんだろうか。それも、父は指摘していただろうか。
……確か、同情しているとかなんとか。
共感して同情することは、何もおかしなことではない。磋欄のつらい胸のうちを聞いて納雪もかわいそうに思った。双子のように生まれた霊欄はもっと深いところで感ずるものもあったかも知れず。
……でも、それで積極的な霊欄さんが落ち込むことはあるのかな──。
霊欄は磋欄とは正反対で積極的で前向きだ。納雪や磋欄は勿論ほかの姉にも積極的に話しかける姿が見られるので、わざわざ独りになるようなことが少なそうである。磋欄をとことん励ます姿からは自信喪失も想像できない。
……少ししたら元気になると思うけど。
納雪がそう思っているだけで、霊欄は悩んでいることがあるかも知れない。磋欄のネガティブ思考がその悩みを深めさせるような働きをしている可能性もある。
……霊欄さんの気持をほぐせるように、言わないよりは言ったほうがいいな。
磋欄が落ちついたのを確かめると、納雪はスケッチブックを取り出した。
「それは……」
と、磋欄が覗き込むと、納雪は頁をいくつか捲る。
「写真とイラストの、結晶さんコレクションです」
「ユキ姉さんみたいに白くて、綺麗ね……」
「いつも早起きして描いてるんだろ」
と、霊欄も頁を覗く。「すごいな……アクセサリにしたら可愛い感じになりそうなのがいっぱいだ」
「ですよね。わたし、霜や雪の結晶さんが大好きなんです」
先程は言葉が浮かばず納月に頼ることになったが、今は言葉で妹を励ませる気がした。
「あたたかいものに触れるとすぐに消えてしまう結晶さん達。その中には結晶さんとは全く違うもの、砂より小さな粒があるんです。どこかにそんなのがあってもこんなに綺麗に育つんですね」
話すのが得意でもないから取留めのない話になってしまったか。少し考えてから、納雪は磋欄を見つめた。
「自分を嫌いに思っている部分があっても、結晶の中の粒くらいに、ひとは気にしていないかも知れません」
「あ……」
「磋欄さんが嫌いな部分……、寝起きのぽやぽやしている感じやおとぉさんに突っかかっていくところ、どたばたしちゃったあとになって申し訳なさそうにしてここで泣いていたところとかも、全部可愛い、って、わたしは思います。だから、嫌いになったらもったいないですよ」
「もったいない、の」
「はい。わたしは、こうやっていろいろな結晶を観ているあいだ、特に学んだことなんてなかった気がします。でも、磋欄さんは自分のことをいっぱい見つめて、考えて、悩んでいましたよね。それって、結晶と同じなのかも、って、思うんです」
「どういうこと」
「自分が望んで得たものじゃないないもの、粒がないと、水や水蒸気はうまく結晶になれないらしいんです。こうやって綺麗に育つためには、自分には要らないって思うようなところを見つめて、そこを土台にすることだって大切なんです、きっと」
磋欄が目を見張る。霊欄も同じような機微を顕にしていることを視界の端に捉えて、納雪はスケッチブックを閉じた。
「わたしもこんな小さな声しか出なくて大変なんですけど、こうじゃなかったらできない経験ができていて、わたしはわたしなりに毎日愉しいです」
「姉さん……。そうね、ワタシ、たぶん、変に悩みすぎてた。なんでだろう、あんなに悪いところが気になってたのに……今は、なんか、どうでもよくなってるわ」
「困っていることを話して心が軽くなったからじゃないですか」
「……体も、軽い気がする」
ぴょんぴょんと跳んだ磋欄が、一転して神妙に首を振った。「……キャラクタに変に難癖つけたこと、父さんに謝ってくるわ」
「ついていきますよ」
「ううん、姉さん達はちょっと待ってて。ワタシ一人で行かないと、なんか、嫌だから」
悪いことをしたらきちんと謝る。それくらいのことを一人でできなくてどうする。磋欄はそんなふうに考えているよう。納雪達が保護者のようについて回るのもおかしいだろう。
「解りました。少し待ってから行きますね」
「うん、お願い。じゃあ、行ってくるから」
「いってらっしゃい」
軽く手を振って駆け去る磋欄。納雪は、手を振り返して見送った。
……おねぇさん達も、こうやってわたし達を見送っていたりしたんだろうな。
小さな一歩、されども、長い長い道程の記念すべき第一歩となるやも。そう思うと、小さな背中も逞しくなったようで、
……わたしも、少しだけ支えられたかな。
磋欄のことを。
一方、一緒に磋欄を見送った隣の霊欄のことは。調子を取り戻した磋欄の前で口数が少なかったことに霊欄の心が顕れていないか。
「……、霊欄さん」
「なんだ、お姉さん」
「……ないですか、元気」
直球すぎたか、
「っはは、わたしが元気じゃないことなんてないぞ」
と、霊欄が一笑に付した。「そう見えたなら少しサラにつられただけ。わたしは大丈夫だぞ」
「……」
言葉通り元気そうな笑顔であった。
が、感覚を信ずるなら、無視できない機微ではないか。
「困ったことがあったら、相談してくださいね。わたしが頼りなかったら、ほかのおねぇさんでもいいから、お願いです、独りで閉じ籠もったりしないでください」
「わたしはサラと違って岩は使えないから閉じ籠もったりできないぞ。そんなことより暇潰ししよう」
「え」
タンスから可愛らしいパジャマを取り出した霊欄が素早く戻ってにかっと笑う。
「昨日から思ってたんだ、お姉さんに絶対似合う、って。ほら、遠慮せず着てくれ!」
「えっ、わぁっ」
被せるようにして服の上からパジャマを着せられた納雪は着せ替え人形のように霊欄の服を着回すことになったが、
……調子は、もとに戻っているみたいだ。
杞憂であったなら幸い。愉しそうな霊欄と交換した服を着せ合ったり観賞したりして過ごしたのだった。
──逆章 終──




