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語章

 

 残念ながら妹に特効薬はない。触れれば溶ける結晶ではなく投げて落としてびくともしない石のように変化のない妹を、どうすれば目覚めさせられるだろうか。

 納雪は、引っぺがした掛布団をもとに戻して、妹の寝顔を眺めた。

 ……よく眠っているなあ。

 毎朝早くに起きていて普段は眠くならない納雪も、目の前でこうもぐっすり眠られてはつられて眠くなるような気がした。

 瞼が落ちかけたとき、糸状の光が集まって弾けた。そこには、和装の小人が立っている。

「ナユキ、お困りかい」

「あ、おはようございます、織師(おりし)さん……」

「あぁっ、わたしが潰れてしまうから起きてくれると助かるよ」

「んぅっ、ごめんなさい、眠くなってつい……」

 織師の広げた布に押されるようにして正座し直すと、納雪は少し目が覚めた。

「どうしたんですか、織師さんがいるのは少し希しい気がします」

「わたし達は一日一善を竹神家のサポートに当てることにしてるからね」

「手伝ってくれるんですね」

「何をしたらいいかな」

「それが思いつかなくて」

 鼻を抓まれると息ができないので起きるほかないはずなのだが、妹はすぐさま夢の世界に引き返してしまった。

「人間の体というのは第六感を持っているらしいよ」

 とは、織師のアドバイスである。

「お、おとぉさんがいう、霊が見えるっていうあれですか」

「オトのそれはナユキの反応を愉しんでの噓じゃないかと思う」

「……っせ、精霊の光とかも見えますから、わたしは恐くないですよ」

「主張しないほうがいいね、噓っぽくなるから」

「うぅ……」

 恐くない。霊なんて。「織師さんや糸主さんも精霊で、幽霊みたいなものですよね、恐くない、ですよ、全然、恐いくないです、すごく恐いくないですから恐いくないですっ」

「ふふふ、素直でいい子だね、キミは」

「し、信じてください」

「信じてるとも、キミの素直さをね。ただ、わたしがいった第六感と霊とは関係がないよ」

 霊が見える感覚と異なる第六感があるらしい。

「それはいったい……」

「ひとは太陽を身に宿すことができる」

「太陽を。溶けちゃいそうですね」

「言葉が少し難しかったかな。ひとは光を感じると活き活きとするってことだよ」

「あ、日の光を浴びると起きられるんですか」

 窓から朝日が入っているが、「磋欄さんと霊欄さんは起きそうにないです」

「木木から洩れた光ではちょっと弱いね。ヴァイアプトに呼びかけてごらん」

 南部屋であるここには日陰に四つの鉢植え。その一つ一つに発光する植物ヴァイアプトが植えられている。今は光っていないが、納雪達が呼びかければ明るい光を発してくれる。

「ヴァイアプトさんの光で二人を。いいアイデアですね」

 叩き起こすのは気が引けるので、なるべく穏便に済ませてあげたい。

「ほら、早速」

「はい。ヴァイアプトさん、磋欄さんと霊欄さんに光を当ててくれますか」

 呼びかけて間もなくヴァイアプトが強い光を妹に照射した。

「わっ、すごい光っ」

「『ん……うぅ〜、昼ぅ……』」

 昼まで寝る予定があるようだ。

「二人とも〜、おはようございま〜す、起きてくださ〜い」

「やっぱりまだいい……」

「やっぱまだいい……」

 声を揃えて。

 ……まだ寝足りないのかな。

 そうだとしても、織師のいう第六感が働いているのか、ぼんやりと磋欄が瞼を開けて、霊欄がベッドの外へ脚を投げ出す。

「『昼……』」

「早い昼です」

「やっぱり──」

「やっぱ──」

 瞼を閉じたり脚を戻そうとする妹に、納雪はヴァイアプトを嗾ける。

「ヴァイアプトさん、お願いします」

 何枚もの鏡で一点集中した太陽光のように料理もできる熱量、には、ならないが、明るさだけはそれに匹敵する光だった。

「わあ、イジメだわ……」

「うぅ、イジメだな……」

「三文の不徳ですから、昼起きは。お得ですからおはようございます」

「ユキ姉さん、ムチャクチャだわ……」

「サラ、諦めて起きよう。目、覚めてきたし」

 どちらも不承不承ではあるが、霊欄が少し機敏である。「ヴァイさん、もうやめてくれ。ずっとこれを当てられたら普通の人間は眼がやられるって」

 ヴァイアプトの光が治まって霊欄がベッドを跳び起きると、フリルとレースで彩られた寝巻がふわっと香る。

「おはようございます、霊欄さん」

「おはよう、お姉さん。どうしたの、わたしをじっと見つめて」

「可愛いなあと思って、つい」

「ありがと。目覚めの挨拶はヴァイさんの光よりそっちのほうが嬉しいな」

「すぐ起きてくれるなら毎日いいますね」

「効果薄れそうね。う〜んしょ〜……」

 と、磋欄がのっそりと上体を起こした。「姉さん、騙されたらダメよ。レイは勢いでいってるだけだから明日は効かないと思うわ」

「そうですか」

「そうよ。わたしにもいってみて」

「磋欄さんも可愛いですよ、おはようございます」

「おはよう。姉さんのそれは噓じゃないって解るけど……、やっぱり薄れそう、ダメよこれ」

 磋欄がパジャマを脱いで枕許の可愛らしい服に着替えてゆく。「ところで、強引に起こしてきたのはなんで。なんか、姉さんらしくないわ」

「おとぉさんにノートを読んでもらう約束があって、その条件が磋欄さんと霊欄さんを起こすことだったんです」

「父さんのノート……」

 のろのろと着替える磋欄。

 ベッドの霊欄がすぽんっと着替えた。寝巻と対照的なマニッシュな服装は美顔もあって恰好がいい。もう少し身長があったら男装の麗人を演ぜられそうな風貌である。

「自堕落なお父さんが書き物をしてるイメージが湧かないけど、ちょっと気になる」

「どんなものなの」

 とは、磋欄も気にした。「三文の徳はノートの内容で、姉さんはワタシ達にもそれを共有しようとしてたの」

「もしかしたら、みんなが知らないおとぉさんを知られるかも知れないので」

 徳になるかはさておき、納雪は磋欄の着替えを手伝う。「一緒に行きますか」

「発光プラントで叩き起こされたのは父さんのせいだから睨みに行くか迷うわ」

「カリカリしないで仲良くしなって」

 霊欄も着替えを手伝うと、

「二人だけ仲良くすれば」

 と、磋欄がぼそっと。「ノートの内容はあとでレイから聞けばいいし」

「サラはすぐ怒るんだから」

「先にご飯がほしいだけ」

「お父さんにいえばもらえるだろ。ま、その前に──」

 霊欄が織師を見下ろす。「お母さん達に連絡して、わたしらのご飯用意しといてって」

「わたしの一日一善はさっき終わったんだが」

「いい度胸だな。二人の乙女の着替えをガン見してた男を見逃してやるっていってるんだ」

「末恐ろしい子だね。布に興味があっただけなんだけど、脅されては仕方ないか」

「誰がいつあなたを脅した」

 霊欄が指先をバチッと光らせた。「わたしを怒らせると唇がくっついて離れないぞ」

「速やかに行ってくるさ。はらはらドキドキ、キミ達といると退屈しなさそうだね」

 くすくすと笑った織師が光を散らせて消えた。

 磋欄が霊欄を見上げた。

「二人の乙女って誰のこと」

「えっ、わたしとサラのことに決まってるじゃないか」

「ワタシは乙女じゃないし。アナタも乙女っていうより少年よね」

「それはこの服装のせいであって、本当はサラみたいな可愛い服で歩き回りたいぞ」

「ワタシには似合わないけどアナタには似合うわ。あげるから着れば」

 着替え中の磋欄。フリフリのスカートを霊欄の鼻先に掲げてむすっとした。穿くに吝かでなさそうな霊欄だが、

「もらえない。サラも似合う。そして可愛いぞ」

「そう。着るの手伝って」

 頭から被るように穿けばいい、と、アドバイスすることもできる。立ち上がった磋欄を支えて爪先から穿くのを手伝う霊欄は付合いがいい。

「ほら、姿見を見て、確認、確認」

「そんなものこの部屋にないわ」

「今度買ってもらおう」

「母さんを財布と思わないで」

「じゃあ自分で稼げるようになってから買う。それならいいだろ」

「自分の顔なんか見たくないからワタシは要らない」

「お姉さん。サラを上から下までまじまじ見て」

 と、促されて、納雪は霊欄と並んで磋欄を見た。

「どう、わたしの自慢の双子だ、可愛いだろ」

「はい、とっても。磋欄さん、自信を持ってください」

「双子じゃないけど。……、ありがとう」

 磋欄がスカートをペンペン叩いた。「贔屓目でも空気読んで悦んでおくわ、ワタシは」

「わたしらが贔屓目しても意味ないじゃないか。素直じゃないな、サラは」

 言いつつ霊欄が部屋を駆け出てゆく。「先いくぞ、ご飯、ご飯!」

「あっ、ちょっと、置いてかないでっわはぁっ……!」

 磋欄が慌てて駆け出そうとすると掛布団が足に引っかかって転びかけた。

「磋欄さん、大丈夫ですか」

「だ、大じょ、っ大丈夫、別に本当に大丈夫だから手を離していいわよ姉さんっ」

 ……主張すると噓っぽいってこういうことかな。

 磋欄の肩を放して、納雪は微笑む。「行きましょう、慌てないでゆっくり」

「……うん、だ、別に、大丈夫だけどね」

「はい、磋欄さんは大丈夫です」

 布団を畳むのはあとにしよう。納雪は念のため磋欄の後ろについて足取りを合わせた。怪我をしてはかわいそうであるし、よちよち歩きだった頃の自分を観ているようで、両親のように手を差し伸べたくなりもした。

 一階にある食堂で早くも箸を取っていた霊欄と合流して磋欄が朝食を摂り始めると、納雪は寝室の父を訪ねた。庭の母達がとっくに洗濯物を干し終えて妹の遅めの朝食を準備したり家じゅうの掃除をしたりと大忙しであるが、寝室の父は縁側で緑茶を啜ってご隠居の趣である。

「織師さんとヴァイアプトさんのお蔭で、二人を起こせました」

「そうか。まあ起こせたことに変りはないから約束通り読もうかね」

「それなんですが、磋欄さんと霊欄さんも一緒でいいですか」

「あの二人が興味持ったん」

「おとぉさんが書き物をしているイメージがないから内容が気になるっていってました、霊欄さんが。おとぉさんの新しい部分を知られるかも、って、わたしがいったら、磋欄さんはノートの内容が徳、三文の、って、思ったみたいです」

「三文の徳にはならんがテキトーに聞かせたろうかね。と、その前に、はい」

 父がスケッチブックを返したので、納雪は感想を求めたい。

「ちゃんと撮れてましたか」

「ピンボケもなく命が溢れとったね。絵のほうも光の反射まで綺麗に描けとったよ」

「褒め褒めですねっ」

「納雪の解説も聞ければなおさら褒め褒めやったね」

 と、父が頭を撫でてくれた。「今日も大自然の表情を見せてくれてありがとね」

「えへへ」

 辛口の評価を何度ももらってきたから、高評価の掌に心がとろけそうな悦びを覚えた。

 父が脇に置いていたノートを開いた。納雪は楽な姿勢で隣に座ってノートを覗く。写真や絵がなく、文字が並んでいる。

「それって、何が書かれているんですか」

「物語やね」

「文字だから小説ですね」

「どうやろね」

「違うんですか」

 文字で書き連ねられた物語を小説といわずしてなんと表するのか、納雪は判らない。

「小説という概念にはいくつかあって──、と、小難しく語ると解りにくいね。嚙み砕いて説明すると、俺のは台詞多めで半分噓っぱちのお話って感じ」

「噓っぱち。約束した運動をしなかったり」

「いや、そういうのじゃないよ。実際に起こったことを書くんじゃなくて、『こんなことがあったんじゃないかな』と、想像の中のことを書いてある」

「それは、そのまま『想像』でいいんじゃないですか」

「言い表し方は自由やね。今んとこ、お前さんに取っては想像の話ってことでいいよ」

 ぱらぱらと頁を捲る父。「噓であれ想像であれ、その中の出来事・人物・組織などは実在のものとは相違可能性が指摘できるためにその出来事・人物・組織などの過去を正しく表現するものではない。その表現は筆者の思想や感情によって主観的に歪められ客観性を失いまさしく虚構と成り果て──」

「っおとぉさん」

「ん」

「ご、ごめんなさい、言葉が難しくてほとんど解らなくて……」

「っふふ、こっちこそすまん、老いたみたいやな、独り言が増えた」

 白髪混りの父に納雪は老いを感じたことがなかった。

「おとぉさんはすごく若いです。頑張ってください」

「贔屓目でもありがとさん、テキトーに頑張るよ」

「贔屓目じゃ、(って、まるで磋欄さんみたいなことを……)」

「俺に似てマイナス思考やからね」

 父に隠し事はできない。

「おとぉさん、磋欄さんの考え方、どうにかできませんか」

 納雪は思うのだ。卑下する磋欄を霊欄が励ます姿が昨日から観られたが、磋欄が際立ってひとより劣っているとは納雪は感じない。付合いが短いから見えていないだけで、いいところがたくさんあるはずだ。

「納雪はどんなふうに変わってほしいと思うん」

 父の問掛けに、納雪は考えながら答えた。取り柄は結晶の絵を描くことくらいで、おまけに声が小さくて学園の子とやり取りできなかった納雪も、スケッチブックを介してみんなと通じ合うことができた。

「磋欄さんより不器用かも知れなくて、何もできないかも知れないんです、わたし。それでもみんなと話せて、愉しかったり、笑ったりできたから、もったいない、って、思うんです。きっとみんなが笑えるから、磋欄さんが笑えば」

「実感が籠もっとるね」

「時折、照れたみたいに笑ってくれて、すごく可愛いです。霊欄さんも、だから磋欄さんをたくさん励ますんです、磋欄さんは自分が思っているよりずっと大丈夫ですよ、って」

「早くもいいおねぇさんやね、納雪」

「家族を支えられるケーキになりたいです、早く」

「ケーキか。甘く優しい思い出になれそうでいいやん」

 父がくすっと笑って、スケッチブックの評価以外では希しく頭を撫でてくれた。大きな温かさがなんだかくすぐったくて、納雪は肩を竦めた。

 父のノートを納雪は見る。

「──、〔花女の力は、穢れを浄化する。〕花女というのは、クムさんやヴァイアプトさんのような、植物みたいなひとなんですか」

 それまでに描写があっただろうが、頁が飛んでいるので納雪は父に尋ねた。

「あとで最初から読んだるけど、まあ、植物っぽくはあるかもね。細い体は簡単に折れそうなくらい弱弱しく見えて──」

 

 

〔──、反面、植物のような生命力に溢れ、未来に根を伸ばしているかのようにその身が枯れることを厭わぬ強さが宿っているようだった。

 その身に浄化の力があるなら、バルァゴアは是が非でも手に入れなければならない。

「おぬしら、あの城へ帰るのであるか」

「貴様も来るかァ」

「なぜ我がおぬしらとゆくのか。左様な暇を持ち合わせておらぬわ愚か者」

 相変らず強気で生意気な花女だ。いっそ触れてやろうか。消し飛べばいい。後悔したって遅い。

「(だがまだだ。浄化の力をジジババに使わせるか、せめてオレサマのものにするァ。)貴様はどこへ行くゥ」

「顔を突っ込むと戻れないのである」

「それは死ぬってことか。問題ねェな、死にゃしねェよォ」

 最強はバルァゴアの自称であるものの、力を磨くことは怠っていない。

「ならば我に侍るがよいぞ。ほれ、運べ」

「ジブンで歩けばいいだろお」

 とは、マスブラックが言った。「バルァゴアサマはオイラが運ぶ。バルァゴアサマには誰も運ばせねえ」

「何か、バルァゴアサマとやらは厳めしき肉体に反して我に劣るのか」

「ナニい、もういっぺんいってみやがれ、吹っ飛ばすぜえ!」

 マスブラックが小型マスブラックを飛ばす。小型とはいっても花女の三倍はあろうかという大岩ではある。その小型マスブラックを巨大な指先が抓んでもとに戻した。ヒュージだ。

「岩のアナタ、やめたほうがいい。カノジョは危険だよ」

「んなこたねえ、一発で潰せばいいだろお」

「だから駄目だってば」

 再び飛んだ小型マスブラックをすぐさまヒュージがもとに戻す。「アナタも感じたはずだ、ハナオンナさんに向かっていったとき、力が弱められたのを」

「それがコイツの力だとでもいうのかよお」

「バルァゴアさんもそういったよ。ちゃんと聞いていたかい」

「そうですっけ」

 マスブラックが窺うので、バルァゴアは腰に手を当て、

「一回で覚えろォ」

「すいやせんっ、ドンくさいんでさあ」

「岩だもんなァ」

 説明しても吞み込めない者はマスブラック以外にもいるだろう。それでも従う相手ならまだいい。手間だが都度教えて、やり過ごせばいい。

「提案があるんだ」

 ヒュージが屈んで手の甲を地面に当てるようにし、「ボクがミンナを運ぶから掌に載って」

「マスブラックもかァ」

「カレはこうしよう」

「おおっ何しやがるこのヤローっ」

 マスブラックを片手で摑んで軽く持ち上げる巨人である。

「ほら、大丈夫でしょう。バルァゴアさん、ハナオンナさん、どう」

「オレサマは構わない。花女はどうだァ」

「おぬしより広くて快適そうである。載ってやろう」

 そうして移動はヒュージが担うこととなり、左手に摑まれたマスブラックを始め、バルァゴアと花女も右手に載って一〇〇メートル超の高さに目線が一気に上がった。

「ほお、これは思うより見事である。赤黒い筋肉に載らず正解であった」

「デカさじゃあヒュージには敵わねェ。オレサマも正解に思うぜェ──」

 遠目にした不動の城が変らず見上げる高さにあるのだ。

 ……いつか崩して足蹴にしてやるぜぇ。

「見上げた野心である」

 と、花女が心を読んだような言葉を発したがバルァゴアは応答しなかった。

 花女が向かう先を伝えると、ヒュージが歩き出す。歩幅が広いので目的地はすぐであろう。新参のヒュージにマスブラックを紹介したバルァゴアは、同じように花女に二人を紹介し、

「──、で、貴様はなんて名前だァ」

「おぬし達の好きなように呼べばよい。呼ばれぬ名など意を持たぬのである」

 ……一応名前はあるみたいだが、それは隠すのかァ。

 花女が意味ある名を誰からもらったか、推測することは可能である。この世界に魔物以外の種族は存在しない。魔物の誕生にはいくつかのパターンがあり、バルァゴアのように親から生まれるパターンと自然物に穢れが集まって魔物化するパターンが主流である。言葉を発する魔物の多くは親を持っており、バルァゴアはこれである。言葉やその意味に対する理解の深さに多少の差はあるが、ヒュージ、マスブラックもバルァゴアと同じパターンで生まれていることが推測できる。その上での説明だが、血を継ぐ形で生まれる魔物のルーツはバルァゴアがジジババと呼ぶ始祖である。つまり、言葉を発する魔物のルーツを辿れば始祖に行きつくはずであり、名を与えられるような高い知能を持つ親となればバルァゴアの知る限り始祖以外には存在しない。よって、ヒュージやマスブラックはバルァゴアの兄弟もしくは従兄弟である可能性が高い。ここで、花女の名に関する推測に戻ろう。

 ……花女はヒュージかそれ以上に、言葉に理解を持ってるゥ。

 ヒュージ以上に始祖の血が濃くバルァゴアよりも始祖に近い位置にいる存在と考えたとき、花女が何者であるか。導き出される答は「姉」である。

 ……ポコポコ子ども作って何を考えてんだ、あのジジババァ。

 バルァゴアは兄弟や従兄弟の存在を知らない。マスブラックやヒュージ、花女を兄弟姉妹として紹介されたこともない。

「ヒュージ、止まれ。花女とちょっと話があるゥ」

「うん」

 大きく上下していた景色が緩やかに止まる。高層の風を避けるためヒュージが腹に掌を寄せると、舞い上がった砂煙が描く風の航跡を皆で眺める。

「花女、貴様もオレサマの兄弟姉妹ならいえばいい。マスブラックやヒュージと同じだァ」

「為になる者のみを集める。おぬしは王子たる者であるが生まれたての赤子も同然である」

「赤子じゃないだろう、この体だぜェ」

 マスブラックやヒュージと比べれば確かに小さな体だが、人間と比べれば巨体であろう。その力はマスブラックやヒュージを超越しているのだから決して赤子のように非力ではない。

「であるから赤子なのである。二者はマスブラック、ヒュージウィップ、と、申したな。それぞれ岩石型と巨人型であるが、はて、父母(かぞいろ)は」

「かぞ、(ジジババのことかァ、)人型だぜ、オレサマと同じでなァ」

「おかしいとは思わぬか。兄弟姉妹(はらから)であるなら、我とおぬしも体格があまりにと」

「生まれつき恵まれてたんだろう、オレサマがなァ」

「では、なぜマスブラックは人型でないのか、なぜヒュージウィップはここまで巨大なのか」

「そういうものなんじゃないのかァ」

「道理──、おぬしはまだ『魔物の王子』を超える存在にないのである」

「何がいいたい」

 バルァゴアは花女に訊く。「オレサマはジジババを追い落とせない。そういいたいのかぁ」

「目線を上げることを憶えよ。真に頂点を目指すなら、(くう)を摑むべきである」

 ありもしないものを摑めと。砂に描かれた風を氷漬けにでもすればいいのか。

「頓知かァ」

「頓知でもなければ哲学でもなく、ひどく単純な回答も出せ得る問掛けであり提言である」

 バルァゴアは顎に手を当て、額に手を当て、頰に手を当て、再び顎に手を当て、降参した。

「……小童とは認めるぜ。貴様が何をいってるかてんで解らねェ」

「素直でよい。極めるがよいぞ、おぬしの強みである」

 ……いや、だからよく解らねェってんだよォ。

 尊大な態度も姉なら納得である。しかし向こうは弟と判っていてバルァゴアが花女を姉と判っていなかったのはどういうことだ。思えば、

「おォい、マスブラックゥ、ヒュージィ、貴様らはジジババをどう思う、会ったことはあるだろう」

 バルァゴアと同じで、マスブラックもヒュージもそれぞれを兄弟と知らなかった。

「アニキ、オイラは誰が両親か憶えてやせん」

「忘れんじゃねェよ、アホ岩ァ」

「すいやせん。なんで、どう思うと訊かれやしても答えようがありやせんで」

「ヒュージはどうだァ」

「ぼ、ボクも、憶えていない。ごめん……」

「貴様もかよォ……」

 意見交換にもならない。

「オレサマのことを知らなかったのは間違いないなァ」

「へいアニキ、知りやせんでした」

「陽気にいうんじゃねェ」

「ボクも知らなかった。ごめん……」

「いちいち謝るな。確認の応答は噓じゃなけりゃなんでも構わねェよォ」

 バルァゴアのことはともかく両親を知らないというのは不自然なようでそうでもない。どのような状況ならそんな認識になるか想像がつくのである。

 ……あのジジババ、作るだけ作って棄ててやがるなァ。

 魔物の世界を治めるため警邏業務に際して子を討つことも是とする。それも、同じ()の立場にあるバルァゴアにやらせることも厭わない、と。

 ……オレサマにも判る。ジジババは最悪だァ。

 自身が子を持ったら同じことをするであろうことは度外視でバルァゴアはそんなふうに思ったのだった。

 最悪の行為でも暴力であれば魔物としては称賛すべきだろう。そんなことより、バルァゴアがいま気になるのは花女の存在である。

「魔物が魔物を食わず消し去る力を持ってる。こりゃあどういうわけだ、変じゃねェか」

「おぬしの言葉を借りるなら『そうゆうもの』である」

「生まれながらの性質、生まれ持った力、そういうことかァ」

「うむ。ゆえに我とて我の力で消え去るのかも知れぬ。恐れる必要はあるまい、我とて消えとうない」

 マスブラックやヒュージを消し去らなかった花女。

 バルァゴアに取って、自分を含めた魔物を魔物たらしめるのは、邪悪に食い・食われる存在であることだ。そんな基底部分を成し、魔物の根本を支えているのが穢れである。花女の考え方や行動基準はそれと反している。

「貴様、そんな生き方してたら消されちまうぜェ」

「時すでに遅しである」

「あァ、死ぬことが決まってるのかァ」

「首の皮一枚。我はおぬしのその爪で引っ搔かれただけで消え去る、か弱き身である」

「そうかァ」

 バルァゴアの爪は長く鋭い。その気になれば花女を一撃で引き裂くことができる。大きな手で細い身を握り潰すこともできるだろう。実際、警邏中に歯向かってきた魔物を引き裂き、握り潰したのがバルァゴアである。

 花女の言葉をどこまで吞み込めばいいか。

 ……言葉の真偽を今後の姿勢で見定めないとなァ。

 か弱いとの自己申告も頭の隅に置いておくくらいがちょうどいいだろう。出自に関しても、両親に尋ねるまでは断定できない。

 ……ああ、しかし、あのジジババのことだ、憶えちゃいねェかもなァ。

 棄てた子であればなおさら。バルァゴアも、生まれた日にしか会っていないので、そろそろ忘れられているのではないか。

 ……はっ、胸糞の悪いジジババだぜェ。〕



「──口の悪いオッサンね」

 とは、朝食を済ませて合流し、父の物語を聞いていた磋欄が言った。「まるで筆者のジダラクジイそのもの」

 自堕落爺(ジダラクジイ)とは父のことに相違ない。

 父がノートに記した物語は魔物の王子を中心に展開している。モカ村のこともそれほど知らない磋欄と霊欄には未知のことだらけで刺激が強いようである。

「この村の外には、こんな魔物の世界があるのか……」

 と、霊欄が膝に手を置いて身震いした。

「すぐそこにこんなヤバイ世界があるわけじゃないんやけどね」

 と、父が注釈したが、磋欄がそれとなく霊欄の腕に腕を絡めて、

「あるにはあるのよね」

「まあね」

 ……そこは否定しておいたほうが恐がらせなかったよ、おとぉさん。

 噓をつくわけにもゆかないのか(?)だとしたら、半分噓とした物語の残り半分──真実の部分──には本当の魔物の世界を描いていることになる。始祖が支配する大地、邪悪な行いや暴力を是とする価値観、食い・食われる魔物の生態などが実在するのだ。

「思い出してみ」

 と、父がノートを示す。「一部浄化されて暴れんくなったヒュージを」

「ヒュージを」

「ヒュージさんを」

 磋欄と霊欄が顔を見合わせた。

「そう、あれはなぜか。魔物が魔物らしく邪悪に振る舞うのは穢れがあるから、と、いうバルァゴアの考えを頼りに考察してみよう」

「浄化されると、穢れの量が少し減りますね」

 と、納雪は答えた。「それで、悪いことをしたくなくなったってことですか」

「早い話、そういうこと。ある程度浄化されとれば特別危険ってことはなくなる」

「だからヒュージさんはバルァゴアさんやマスさんに危害を加えなくなったのか」

 霊欄が首を傾げた。「あ、でも、それはそれで変じゃないか、矛盾してる気がする」

「ほお。作品や設定に矛盾があるのかも知れん。参考までにどんなとこが変か聞こうかね」

「これって推敲の手伝いだったっけ」

「意見交換やよ。ほら、どこが変かいってみ」

「争いを好まないヒュージさんが暴れたのは、自分の身を守るためだろ。バルァゴアさんが来る前からその調子だったならヒュージさんの行動は正当防衛の雰囲気もある。その攻撃や行動が穢れのせいってのは違うんじゃないか」

「なるほど、穢れを浄化されたから暴れんくなったんじゃなく、ヒュージのもともとの性格が要因で暴れんくなったんじゃないか、ってことかね」

「それか、バルァゴアさん達が自分に無害だって判ったんだろ。征伐なんて言葉も出たから暴れるのはマズイって判って余計に暴れなくなったんだ」

「どういうことですか」

 と、納雪は父を窺う。「ヒュージさんは花女さんの力で暴れなくなったんじゃなかったんですか」

「穢れには、一つの特徴がある」

「特徴、ですか」

「魔物を魔物と呼ぶ理由にも深く根づいた特徴だ」

 磋欄がスカートをぺんぺん叩いた。

「もったいぶらないで早く教えて。実態が解らないから恐いんだわ、たぶん」

「っふふ、それは存外、合っとるね。いいよ、教えよう。穢れというのは、情念と結びついとるんよ」

「情念……」

「簡単にいえば、抑えられへんような強い感情のことね。それが穢れと結びついとるってことは、花女の力で浄化されたらどうなるんやろうね」

「穢れが浄化されて消えるんなら、感情も消えるんじゃないか」

 と、いう霊欄の意見は間違っていたか、

「納雪はどう思う」

 と、父が発言を促した。

「う〜んと……、浄化……、穢れが綺麗になるってことは、そこにひっついている感情も、綺麗になる、んですか」

「なるほど、面白い考え方やね」

「お掃除みたいですね。上から順にやると下まで綺麗になります」

 父が補足するのは、掃除と話の本筋である。

「水場は上下逆転って話もある。情念が治まったヒュージは自然と暴れる理由を失ってった。と、いうのもヒュージの情念は『恐怖』やったからやよ」

「恐怖……ひとを恐がっていたってことか」

「その側面もあるかもね。でも、ヒュージが感じたのは、バルァゴアやマスブラックの恐怖やよ」

 磋欄が苦笑した。

「二人して戦闘もイケイケドンドンな感じだった気がするけど」

「そう。バルァゴア達とヒュージ、どちらかの認識に間違いがあるんやろうね」

「バルァゴアやマスブラックが恐がってるふうはなかったわ」

「そう捉えたとき、どういうことがいえるかね」

「恐怖はヒュージの勘違い……とか」

「正解」

「ちょっと待って」

 霊欄がそれ以上曲がらないくらいに首を傾げていた。「それが本当だとして、なんでヒュージさんは暴れたんだ。辻褄合わなくないか。お父さん、テキトーに書いただろ、それ」

「いいや。納雪は解るかね、ヒュージが暴れた理由と、治まった理由、それからバルァゴアにつくことにした理由まで」

「いきなり問題がいっぱいです……」

 これが、姉の出番というものなのだろうか。答を知らない妹の視線が刺さって緊張感が増した。

 ……えっと、ヒュージさんは恐怖の情念で、穢れが綺麗になったから恐怖もなくなっているはずで──。

 少し考えた納雪は、正しいかは不明であるが素直に答えることにした。

「えっと、え〜っと、ヒュージさんが暴れていたのは、霊欄さんがいっていたように前からだったんですよね、ってことは、たぶん、前から周りにひとがいて、襲われていたこともあったかも知れなくて、それが全部、身を守るためだったら、って思ったら、悪いことじゃないわけですよね」

「そうやね。で」

「(おとぉさんの目が笑っているっ。プレッシャがすごい……。)えっと、で、その、襲ってきたバルァゴアさん達には恐がっていなくて、おとぉさんがいうには二人の恐怖はヒュージさんの勘違いだったから──」

 そこまで口にして、納雪は少し悟ることができた。「──そうか、恐がっていたのは、それまでヒュージさんを襲ってきたひと達のほうだったんですね!」

「納雪はそう読んだんやね」

「っ違うんですか」

「さあね。続きをどうぞ」

 ……え、えっと。

 試すような父の目差がくすぐったい。答えないことには話が進まなそうである。間違いかも知れないが、納雪は思いついたことを伝える。

「それまで襲ってきたひと達がみんな恐がっていたから、ヒュージさんはバルァゴアさんやマスブラックさんも自分を恐がっているって思い込んで、それで、攻撃される前に攻撃することにしたんだと思います。でも、穢れを浄化されて、気持も綺麗になって、勘違いに気づいて、攻撃をやめたんだと思います」

「ふむ。じゃあ、バルァゴアについてったのはどうしてかね」

「たぶん、バルァゴアさんやマスブラックさんを間違って襲ってしまったことを反省したんじゃないでしょうか」

「バルァゴアさんの配下になる条件がないも同然だったのはそういうことか」

 と、言う霊欄にうなづいて、納雪は続きを話した。

「恐がられることはあっても、勘違いで間違って戦うことはなくなる。そう思ったから、バルァゴアさんの仲間になったんじゃないでしょうか。それで、たぶんですけど、バルァゴアさんはヒュージさんのその気持を解ってますよね」

「なんでそう思うん」

「花女さんを捕まえるとき、傷つけなくていいよ、って、わざわざ注意を入れていたから。あれは、命令もあったかも知れないですけど、ヒュージさんが嫌なことをしなくても済むようにしていたんじゃないかな、って、思います」

「ユキお姉さんはホント真白だな」

 と、霊欄が笑った。「邪悪なのが魔物だぁ、って、バルァゴアさんは思ってるんだぞ。善人みたいな配慮はしないって」

「レイの意見に賛成だわ」

 と、磋欄が小さく手を挙げた。

「そうでしょうか……」

 納雪は間違いとは思わなかったが、答は父のみぞ知ることだろう。

「納雪、顔を上げぇよ。議論して少数意見になると凹むのも仕方ないけど、正しいと思う意見なら信じて持っときぃ」

「わたしの意見、正しかったですか」

「さあ知らん」

「筆者が匙を投げるのはどうなのよ」

 と、磋欄がツッコんだ。

 匙を投げたつもりがない父が、こう意見を述べた。

「みんながみんな同じ答になるってのも気味が悪いし、いろんな意見を出し合って議論が深まるならそれこそが物語の意味になると思うからね」

「物語の意味ですか」

「ん。筆者が書きたかった物語以上に価値あるものやよ」

 父の目差が森を巡る。「ひとが、ひとと言葉を交わして、気持を交わして、歩み寄ったり、喧嘩したり、いいことも悪いことも共有する時間のきっかけになれば、物語はひとの作る時空間の助けになれる」

 ……ひとの作る時空間の、助けに。

 納雪は、自分のスケッチブックをみつめる──。

 父が妹二人にも目を配る。

「磋欄、霊欄、多数意見やからって過信はいかんぞ」

「さっきは意見を信じて持ってろといってたわよね」

「意見をころころ変えたら信用なくなるぞ」

「柔軟に考えてみ。信じとった意見を頑なに変えへんことを依怙地(いこじ)という。それを続けると石頭だの妄執だのと叩かれまくって信用がなくなる。最後には、判断を間違った自分を責めて自信まで失うことになるんよ」

「それは、……そうかも。うぅ、ワタシなんてどうせ岩のように柔軟性ないわよ……」

「サラを凹ませてどうするのさ。ほらサラ、さっきの意見が間違ってるとはお父さんもいってないし、気にしなくていいって」

「気にせぇ」

「お父さんは黙ってて。今は励ましのターンだぞ」

「まだ鞭のターンやよ」

 容赦のない父である。「柔軟性は理解することから始まる。間違った意見を間違いと認めるには覚悟がいるからそもそも信用を失うような軽いもんじゃないんよ。やけど、意見を翻すからにはそれなりの確証が要るのも確かだ。今回の議論に限らず、自分の信ずる意見をどう信じたのか、それを信ずるに足る情報はなんなのか、ちゃんと見定めて開示することが必要やよ。その上で、自分の意見と対立した意見、どちらがより正しいのかを見極める。ひょっとすると、どちらも間違いなのかも知れんし、どちらも正しいのかも知れん、なんて、こともある」

「そんなことがあるんですか」

「数学なら正解と間違いがはっきりしとるかもね。でも、ひとの心が絡んだことは特に正しさと間違いが混じり合っとるもんやから、境界線があることばっかじゃないんよ」

 ……おねぇさんみたいに──。

 父を殺めようとし、殺めず済んだことに安堵した姉がいた。

 誰も答を知らない自分だけの問題がいくつも転がり込んでくる。問題を解いたあと、その一つ一つに正しい答を出せたか、その一つ一つに正しい答が存在していたか、自分でさえ判らないだろう。ただ、そのどれもに、自分が信じた答を出して歩んできたのが姉だろう。

「よく解らないわ」

「だな」

 磋欄と霊欄が首を傾げる横で、

「さて、続きやな」

 父が再びノートを読み始めた。

 

 

〔ヒュージの歩みが目的地を近くする。

「見えたり。これよりは我らの脚で行くゆえ潜めぬヒュージは待つのである」

 自分を足として利用した花女の尊大な命令を聞いたのではなく、ヒュージが各人を大地に降ろし、その身を屈めて待つ姿勢を執った。

「マスブラックとやらも待っておれ。口を利く岩などお呼びではないのである」

「何い。アニキ、なんとかいってやってくだせえ!」

「煩ェ、待ってろィ」

「へい、待ってやす」

「聞き分く岩である」

「意味が解らねぇがコケにしてやがるな!アニキ、なんとか──」

「煩ェ、黙ってろィ」

「へい、黙りやす」

 バルァゴアは爪の先で花女を促して歩き出した。

 いくら距離があってもヒュージの姿は見える。マスブラックの姿が小さくなる程度に離れてから、バルァゴアは口を開いた。

「馬鹿を煽るな、面倒くせェ」

「うむ、おぬしを煩わせたな、悪しき意はなかったが浅慮を省みよう」

 態度はさほど変わらないが、花女が素直であった。

 花女の目的地は、しばらく歩いた先にあった。ヒュージから降りてやってきたのは目立つのを避けていた。

 ……燃える木に、凍える川、か。

 不思議な土地であった。落雷などで燃える木はあるだろう。極地であれば凍った川など希しくもない。が、両方が同じ場所に存在し、そも、燃えながらに生長する木や凍ったまま流れる川などそうそうないだろう。物理的な法則や植物の生態がねじ曲がったかのようなこの場所に花女が何を求めてやってきたか、何を見せたくてバルァゴアを連れてきたか。

「我に密かに侍るのである。先に申せばうちつけなる垣間見(かいまみ)である」

「うちつけ……、簡単にいえァ」

「不躾な覗き見である」

「オレサマの図体でこっそりは無理だぜェ」

「気配を消せという意である愚か者」

「最初からそういえェ」

 花女の小さな体に隠れるのは不可能である。バルァゴアは彼女の後ろについて、足音を立てないよう、また、息を殺すようにして歩いた。燃え滾る木木を縫って、凍える川を越えて、花女の合図で身を屈めた。木陰から覗いた場所に、バルァゴアより少し小さな、花女よりは大きな、人型の男女の姿があった。

「こんなところにも住んでるもんなんだなァ」

「魔物の好む土地であろう」

「そうかァ。そうだなァ……」

 片や若草色の髪に小柄な人型の花女。片や筋肉質で赤黒い巨体のバルァゴア。魔物らしくない花女に魔物らしいバルァゴアが諭されているのは妙な光景といえばそうであった。

「……ジジババみたいだぜェ、あの二人」

「おぬしに解るか、床旧る(とこふ  )(てい)の二者である」

「とこふるていィ。どういう意味だ」

「あはれをかはし、愛し合うた(お  )二者である」

「愛し合ってるゥ。はっ、人間じみたことを。魔物が聞いて呆れるぜェ」

「穢れが根源たる魔物であるがためであろう。おぬしの価値観は一般的である。ゆえに、否としたきことと承知で申すがな、愛でし心が存在せぬとする確証があろうか」

「ふむ……」

 いわれてみると、愛の有無については特別な考察をしたことのないバルァゴアである。両親が愛し合っていることなど考えたくもないが、愛し合っていないと断ずるほど知ってもいなければ、考察するほど観ていたこともないのである。解っていることがあるとすれば、

「ジジババは、マスブラックやヒュージ、貴様も棄てやがった。愛ってのは軽いらしいなァ」

「軽重を見定めるため傍証を得るときである」

「ふん……、(これは飽くまで、あの男とあの女の場合だァ)」

 観察してみようではないか、と、考えてから影がいくらか傾いた頃、動きがあった。

「ほれ、触れ合うておる。よく観ておれ、ほれ、ほれ、あれは──」

「それ以上は口を開くんじゃねェ」

 表現の自由は定められた範囲でのみ許されている。バルァゴアは興味のないことであるが、男女のその行為が表現禁止の域にあることを理解している。

「何を恐れておる。目を背けるでない」

「ガン見するものでもねェだろう……」

「おぬしも、あのような行為の後に生まれたのである」〕

 

 

「〔あのような行為〕ってなんですか」

「それは父さんに訊いたらダメなことよ」

「それはお父さんに訊いたらダメなことだろ」

 間髪を容れず妹が反応したので、納雪は目を丸くした。

 ……二人はどんなことか解っているんだ。賢いなあ。

 

 

〔「まさに不躾な覗き見だぜェ。意外にえぐいことをしやがる」

「小童には刺激が過ぎたようである」〕

 

 

「〔刺激〕って──」

「納雪、ごめん、それもいえん。あと、ちょいちょいツッコむと進まんから」

「あ、ごめんなさいっ。静かに聞きます」

 なぜか苦笑の妹に会釈して、納雪は父の語りを耳に馴染ませる。

 

 

〔花女が一帯へ目を向ける。「ここは愛蔵の森と呼ばれておる」

「炎と氷の不可思議。愛憎ってのはしっくり来るぜェ」

「愛と憎しみではなく、愛の(くら)、愛でしものをしまう森である」

「焼いて炭にするか氷漬けにして埋めるのか」

「納得である。おぬしは形にこだわる。城を睨み続けておるのもそれである」

「ジジババの居城だぜェ」

 いつか攻め落とし、崩すべき場所である。そのあとには、配下と暮らすバルァゴアの居城を建て直す予定である。

「オレサマの野望の地だァ」

「ふむ。城には何が見えておる」

「頭突きしてひざまづかせた泣きっ面だ」

大望(たいもう)をいだく自由はあれども絵に描いた餅である」

「できねェっていいたいのかァ」

「夢は無形である」

「……」

 花女のいいたいことを、バルァゴアはようやく少し理解した。

「愛蔵……、無形のものをしまう場所。オレサマには理解できねェなァ。城も、配下も、形あってこそだぜ」

「しかし今はただの想像図である。実現する見通しはさほどなかろうに追いし夢を愛でしものとは思わぬのか。おぬしは矛盾しておる」

「してるかァ」

「しておる」

「してるかァ……」

 わずかばかりの理解を集めて花女の言葉を吞み込むなら、バルァゴアは両親を追い落としたあとのことをまだ形になっていないものと知りながら追いかけている。理解できないといいながら、そのじつ、無形のものを追いかけている自分がいる。有形にすべく追いかけていると反論することはできるが、形として現れていない夢を手放していない身で理解できないと主張し続けるのは無理がある気がしないでもない。

 男女の暮らす一帯から離れるようにして歩き、バルァゴアは背後の花女に問う。

「オレサマに、何を教えたいんだァ。ジジババを殺る(や )なってことかァ」

「自由にするがよい。おぬしを止める腕っ節はないのである」

「腕っ節はなくてもよォ──、……」

 無形のものが持つ確かな形や重みを吞み込んだからか、バルァゴアはそれを花女に感じもした。穢れを浄化するという、有形に働きかける確かな力も存在感があったが、それに並んで、鼻につく尊大な一輪を爪で引っ搔く一瞬を想像の中で躊躇う自分がいる。

 ……なんなんだ、これはァ。

 ついさっきまで消してやろうとさえ考えていた。それなのに、男女の触れ合いを知っただけで考えが一転した、のか。

 ……変な感じだ。マスブラックかよ、オレサマはァ。

 理解できないことを諦めたかのように思考停止して、考えの行先が摑めない。気づけば、鋭い爪をぱきぱきと圧し折ってぽいと棄てていた。

「環境破壊ぞ。拾うがよい」

「気になるなら貴様が拾えァ」

「傷を負うて消えたら責任を取るのか。我は取換の利かぬ有形にして無形のものである」

 口を利くマスブラックをお呼びでないと言った花女だが、

「貴様もどっこいだぜ。よく喋りやがるァ」

「ほお、おぬし笑えたか。存外に愛いではないか」

「笑ったかァ」

「うむ、このまなこにてしかと認めた」

 笑った自覚のないバルァゴアは、むしろ花女の笑みを認めるのみであった。その笑みには太太しさがなく、外見通りに花のようで。

 ……、……。

 刈り取る想像が、やはり、できなかった。一瞬の行為だというのに、拾った爪を投げつけることもできなかった。

「やにわであるが父母と話すがよい」

「やにわが過ぎるぜ。貴様に命令されるようなことじゃねェし、(何を話せってんだァ)」

 凶刃に掛けようとしている相手と。

 二の足を踏んだバルァゴアに花女が言う。

「命令か」

「……」

「日頃おぬしが気に留めておる証拠である」

「胸糞悪ィ話だぜ……」

「今のおぬしなら感ぜられることもあろう、と、いう提言、俗にいうアドバイスである」

「……そうかァ」

 バルァゴアはうなづいて、歩を止めない。〕

 

 

 父が栞を挟んでノートを閉じた。

「ここで物語は折返し地点やな。さて、感想はあるかね」

「うん」

 と、磋欄が手を挙げた。「魔物にも感情があるのね、飽くまで父さんのストーリだけど」

「個性がないとキャラが立たんし、感情はその一部やな」

 と、父がいうが、納雪は実際の魔物を知らないので断定できない。

「この世界には魔物さんがいっぱいいるんですよね」

「そうやな、無数といっていいほどおるよ」

「暴れていたときのヒュージさんのように、仲間の、同じ種族の魔物のことも食べてしまうようなひとはいるんですか」

「おるよ。その辺りの生態、魔物が持っとる産まれながらの性質や生活習慣みたいなもんに噓は書いてないからね」

 磋欄と霊欄が目を見張る横で、納雪は父に質問を続ける。

「じゃあ、人間や神様を食べるひともいるんですか」

「おるね。ひょっとすると納雪も憶えがあるかも知れん。一年くらい前に魔物がひとを食べたって報道が惑星アースでもあったはずやから」

「憶えがないです」

「ふむ。音羅(おとら)は報道番組あんま観ぃへんから触れる機会がなかったんかな。謐納(ひつな)の家におったときなんかは納雪が知らんくてもいい恐いことに配慮してくれたのかもね」

「その配慮をあっさりぶち壊したわね」

 と、磋欄がぼそっとツッコんだ。「魔物の生態が正しいとして、感情もあるってことなの」

「あるよ。さっきもいったと思うが、強い感情が情念やから」

「穢れと結びついてるのが情念なんだっけ」

 と、霊欄が思い出す。「バルァゴアさんのそれって、親への反抗心なんだろうな。追い落とすだの、ひざまづかせるだの、何度もいってるし。大男なのに子どもみたいで面白いな」

「霊欄はバルァゴアに興味が湧いたんやね」

「一応主人公だし、今んとこ活発に動いてるだろ。自分から積極的に動かないと何も変えられない、って、誰かがいってた気がするぞ」

 ……たぶん、おかぁさんだ。

 竹神家の積極性は母達が担っている。

 起き抜けの様子からも察せられたことだが霊欄は動き始めたら能動的な子である。今は座って話を聞いて大人しげだが、体の替りに頭をフル稼働させているのではないか。ネガティブスイッチが入った磋欄を透かさず励まして意見を求められればすぐに応える。物語の登場人物に対する観察にも積極的だ。

「無限に分裂して元通りにくっつく体を持ってるマスさんはほとんど不死身だし、ヒュージさんなんて一歩でめちゃくちゃ遠くへ移動できてすごいな。弱肉強食な魔物の世界で二人の強みは補い合っててかなり有利なんじゃないか」

「ほう、二人の補完性に気づいたか」

 と、父が感心した。「具体的にはどんなことを補えるかね」

「ヒュージさんの物理攻撃じゃマスさんは崩れるだけでダメージはないも同然なんだろ。だったら、いざってときはヒュージさんが無類のデカさで暴れ回れば敵なしだ。動くのが遅いマスさんを持って運べるのもヒュージさんの強みだな」

「じゃあ、マスブラックは何を補ってるの」

 とは、磋欄が訊いた。「レイの話だと、ヒュージの足を引っ張ってるだけで、戦力としても微妙な感じしかないわよ」

「そうだな、戦力としてはマスさんは弱っちいんだ、たぶん」

「存在する意味なさそう。まるでワタシみたい……」

「ああっごめん、そういう意味じゃなくてな」

 自嘲する磋欄を霊欄が撫で回す。「ほら、わたしらに取ってのお父さんみたいな感じだ!」

「父さんみたいな感じ。どういう感じ」

「いなくても変わらないはずなのに、いないと変、って感じ!」

 父が自嘲することもなく微笑した。

「よくゆった、霊欄。その見方は、じつはとても大切かもね」

「だろっ」

「結局マスブラックは役立たずじゃない。いるだけでいいならそこらの小石でも持ってればいいのよ」

「サラ、それは極端じゃないか。言葉を話せない小石をキャラとして登場させることなんかないと思うし」

「ワタシの意見、間違ってる。力が物を言う魔物の世界なんだから、ちょっと喋る馬鹿っぽさより馬鹿力のほうが必要だと思うけど」

「う〜ん、そういわれると反論しづらいかも。お父さん、お姉さん、なんかヘルプ!」

「断念早いわ」

 助けを請われても納雪はうまい言葉が浮かばなかった。磋欄が言うように、魔物の世界では力があるに越したことはない。バルァゴアやヒュージのほうが力に優れているとしても、力をつけたマスブラックなら二人を助ける機会は多いだろう。「いないのは変」という霊欄の考え方は、力がなくてもいい平和な世界に生まれた者の意見である。

 仮に力を求められない世界に生まれたとしてもマスブラックが小石に取って代わる存在とは納雪は思えないが、霊欄の意見と似たり寄ったりでは押しが弱くて磋欄の自己否定感を変えられない。

 ノートを膝に置いて、父が掌を合わせた。

「磋欄、こう考えてみ。例えばここが魔物の世界で、俺達が全員魔物だったとする」

「突拍子ないわね」

「譬え話は突飛なもんやよ。で、俺達はみんな花女みたいな特殊な力もなく体も弱っちい。想像してみ。周りは敵だらけで、逃げ場はない」

「『……』」

 納雪は妹とともに、父の話に引き込まれた。

「その場で力を持っとるのは羅欄納とメリア、俺の妻だけ。怪我を負った俺達はどうやっても足手纏いになる。さて、ここで磋欄に質問だ。力がなく足手纏いだから、と、お前さんを見棄てるようなひとかね、母さんは」

「……しない、と、思うわ。母さんは、お人好しだし、ワタシのことも──」

 ……大事にしているから。

「不細工でも、服が似合わんくても、どんなに迷惑かけようと、そうしたりはせんよ」

「……バルァゴアやヒュージに取っても、マスブラックがそういう存在なの」

「手段はひとそれぞれやな」

「なんのこと」

「相手が大事にすべき存在か、見極めるための情報収集みたいなことを、誰でもやっとるもんやよ。マスブラックに対してのそれをバルァゴアは既に済ませて必要としとる」

「そんな描写、あった」

「あったと思うぞ」

 と、霊欄が磋欄の肩を抱くようにして父を窺う。「ほとんど書いてない出逢いのところじゃないか」

「出逢い……そういえば、マスブラックはいつの間にか足下にいた。ヒュージとの出逢いは書いたのにどうして省いてるの」

「決定稿ってのは、概ね必要なところだけが残っとる状態で、このノートがそれ。重複するような場面はあえて省いて、同じような場面を描写することで読者に想像させるんよ」

「……想像できなかった。父さんの描写が足りないわ」

「それも一つの意見やね。想像できるひとは俺の物語と感性が合うってだけやよ」

「想像できないワタシは」

「別の物語を選ぶといい。感性ってのは磨かれることもあれば曇ることもある。そのときの気持や境遇、対人関係なんかも影響して、物語の捉え方が変わることもある。自分に合う物語、文章、作品、あるいはひと、いま想像できんかったこともいつかは想像できるかも知れん」

「ワタシにも、父さんの物語が解るようになるってこと」

「解ろうとすることを諦めさえせんければね」

 微笑みかける霊欄に磋欄がむすっとした表情でいる。

 ……でも、磋欄さんはきっと解っている。

 座り直して、父の物語を聞く姿勢を執っているから。父のように消極的な部分が目立つ磋欄だが、霊欄と同じような積極的な部分もある。理解できないものを理解しようする気持も、同じように持っているだろう。

 ……そういえば──。

 母達と対照的な竹神家の消極性たる父が、今はどこか積極的だ。妹の影響だろうか。

「話が脱線したね。磋欄は誰か気になる登場人物とかおらんの」

「ワタシは……馬鹿っぽいけどマスブラック」

「へえ。どうして。馬鹿なのに」

「馬鹿じゃない。()()()よ、()()()

「っふふ。理由は」

「調子づいてばらばらになってたり、体についた砂を延延と取ってたり、不完全な感じが、人間味あるっていうか……」

「なんとなく可愛いと思ったん」

「別に、可愛いのなんて、レイには敵わないし」

「先入観があるみたいやな」

 磋欄は霊欄が好きなのだろう。が、容姿が似ているはずの自分を卑下している。わざわざ優劣をつけなくてもいいのに霊欄より劣っていると磋欄は感じてしまうのか。

「服だってレイは似合うのにワタシは似合わないし」

「そんなことないだろ。サラはすっごい可愛いって」

「噓っぽい」

「っぽい、だろ。本音だからだぞ」

「っぽい、じゃなかった、本当の噓」

「ああヘソ曲げたっ。お父さん、お姉さん、ヘルプ!」

「丸投げすな」

 ……助けてあげたいけど……、どう励ませばいいんだろう。

 霊欄が可愛い私服を着たほうが似合うと磋欄は言っていた。納雪が観れば磋欄にもちゃんと似合っているのだが、磋欄はことごとく霊欄に劣等感を覚えるようである。

 ……マスブラックさんに興味を持ったのは……。

 可愛さを認める反面不出来なところが重なりすぎていて自分を観ているような気分になったのだろう。自分が劣っている部分を認めたくないから、否定してほしいから、っぽい、を、強調したのではないか。しかしだ、否定されたがっている部分を励ましによって否定されてきたはずの磋欄が自己否定を繰り返してしまっているので辻褄が合わないか。

 納雪は、

「磋欄さんは可愛いです。自信を持ってください」

 月並なことしか言えなかった。案の定、

「……」

 磋欄の反応はなかった。

 ……磋欄さんのことを、先になんとかしないといけない気がする。

 多くを語らない父とたくさん言葉を交わせて愉しいと感ずる一方で、磋欄に笑顔がないことが納雪は気懸りだった。

 

 

 

──語章 終──

 

 

 

 

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