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31.1945年(春和元年)9月 テヘラン③

「せめて一発ぐらい当たるといいな」


 ドイツ製の鹵獲品と思しき拳銃を手に、苦笑い混じりにダニエルが言った。


「それ、弾数八発じゃん。一発ぐらい当てなよ」


 エリザベスがベルギー製の自動拳銃にマガジンを装填しながら毒づく。


「私の腕前を知っているだろう、リズ。当たらないに一ポンドだ」

「あたしは当たらないに十ポンド」

「当たる方に賭けてくれよ。賭けにならないじゃないか」

「だって当たらないじゃん」


 軽口を叩きながら二人は写真館の裏口へ向かった。


 しばらくして、裏口の方から銃声が聞こえた。


 ダニエルとエリザベスが陽動作戦を開始した。


 ━━いきなり撃つのかよ。


 マコトは顔をしかめた。


 カフェと路地にいたソ連の内務人民委員部NKVD(エヌカーヴェーデー)の下部組織の諜報員と思われる男たちは、それぞれ動き出した。


 写真館の正面側の監視が緩む。


「行くぞ」

「……ええ」


 マコトは軍用大型拳銃を右手に構え、硬い表情で頷く睦子(ちかこ)の肩を左手で抱く。


「お上に気安う触れんといてくれるか?」

「俺の側が現状、一番安全ですから」


 棘のある言葉を吐く綾小路を、マコトは一瞥し、一蹴する。


「綾小路殿。あんたは射撃、何発に一発当てられます?」


 マコトは綾小路が手に構えている帝国製の拳銃を見下ろして聞く。

 綾小路が鼻で笑いながら答える。


「人体全体を的にしてええなら、三発に一発くらいやねえ」


 軍人ではない外交官の護身術としては、可もなく不可もない程度の腕前だ。


「じゃあ、自分の身は自分で守ってくださいね」

「言われんでもそうするわ。代わりにお上に怪我させたら承知しまへんで」


 綾小路は苦々しく言ってから、振り返り写真館の店主に愛想笑いを向ける。


「荷物と写真は明日使いの者に引き取らせますさかいによろしゅう頼んます」

「高く付きますよ、旦那」


 綾小路のペルシャ語に慣れたふうに店主は返した。


 前に綾小路、後ろにマコトと睦子の順で店の正面から外へ出た。


 路地に残っていたソ連工作員の男へ向かい、マコトは、一発撃った。


 銃を構えた綾小路の影から威嚇射撃をした。

 さも、綾小路が撃ったと見えるように━━。


「は?」


 そして、間抜けな声を出した綾小路に向かって、マコトは肩越しに囁いた。


「綾小路殿。自分の身は自分で守って、英国大使館にたどり着いてくださいよ」


 ━━綾小路を時間稼ぎのため、囮にする。


 マコトは素早く銃をしまい、睦子を抱き上げた。


「きゃあっ!」


 睦子が短く悲鳴を上げた。


「口閉じてろよ!」


 マコトは睦子を抱き上げたまま、写真館の隣の建物のバルコニーへ続く外階段を駆け上がる。


 バルコニーの手すりから英国大使館とは反対方向の建物の屋根へと跳躍する。


「はあ!? お上をどこに連れて行く気や!?」


 下から綾小路の叫び声と銃声が聞こえたが、構わず屋根の上を走る。


 脆い日干しレンガが、パキッ、と割れて片足が沈む。


「睦子、掴まれ!」 


 睦子がヒュッと息を呑みながらマコトにしがみつく。


 崩れる前に踏み切り、別の屋根へ飛び移る。


 いくつか屋根を飛び移り、少し距離を稼いだところで、道路に飛び降りる。


 道を歩いていた人々が驚き、悲鳴を上げる。


 マコトはそれには構わず、抱き上げていた睦子を下ろして手を引き、叫ぶ。


「走れ!」

「ええー!?」

「あんたをずっと担いでられるか!」


 睦子はスラリとして見えても、胸や尻がそれなりにあり、その上、体幹がしっかりしているので、筋肉量がまあまあある。


 筋肉は重い。

 つまり彼女は見た目以上に重いのだ。


 自動車と馬車とラクダが同時に行き交う通りを、横切る。

 クラクションとブレーキ音、馬の嘶きと蹄の音を背中で聞きながら、走る。


「どこへ行くの!?」

「一旦、南へ引く。英国大使館に向かうは、なしだ。ソ連諜報員も英国憲兵も集まってくる場所を、あんたを連れて突っ切るのは危険すぎる!」


 裏口でいきなり銃声が聞こえた、ということは、敵の数がそれなりに多いと推測が出来た。


 ゆえに、ダニエルの『速やかに英国大使館に保護を求める』計画(プラン)は道中の安全に難がある可能性が高い。


 テヘランの南側は英国管理区域だ。


 ソ連側が深追いするにも限度がある。


 テヘランという街は、表通りは近代的に区画整理されており、自動車用に舗装され、道幅が広い。

 つまり、見通しが良く、身を隠す場所が少ない。

 だが、南側の市場(バザール)周辺の旧市街は古い時代の面影を残し、道も入り組んでいた。


 ━━逃げ込むなら、そこだ。


 マコトはテヘランの鉄道駅から市場(バザール)へ移動した程度━━それほど、土地勘があるわけではない。


 でも、市街地というものには『癖』がある。


 道路の形状、人流、物資の流れ、そういうものを追っていけば、自ずと街の構造は浮かび上がる。


 マコトはそういった構造を読み解くことは、得意だった。


 ━━あそこなら、確実に撒ける。


Они(奴らは) должны(こっちに) быть(いる) тут(はずだ).」


 背後から、ロシア語が聞こえた。


 その声を振り切るように狭い路地を曲がった。

 

 人でごった返すアーケード街の大市場(グランドバザール)を走る。


「ま、待って」


 手を引く睦子の息が上がっている。

 多分、もうあまり長い距離は走れない。


 ━━どこかに身を隠す場所はないか?


 マコトは見渡す。


 平たい種無しの、この辺りでは定番の薄焼きパンを売る店の主と目が合った。


店の中を(パンを)貸してくれ(くれ)


 ペルシャ語で言って、パンを買うには多すぎる英ポンド札を握らせ、店の中へ押し入った。




 ソ連の諜報員が店の前を走り去っていく。


 二人は店の中で姿勢を低くしてやり過ごした。


「お腹も減ってたの。助かったわねえ」

「……よく、この状況で食えるな」

「食べてもいいって言ったじゃない」

「本当に食べるとは、思わなかったんだ」


 睦子は暢気な顔をして、まだ温かい薄焼きパンを食べていた。

 窯から出したばかりの焼き立てをそのまま貰ったので、マコトは毒見をしていない。


 ━━出来立てで、食中毒も毒殺の危険もない。


 睦子は晴れ晴れとした表情で、パンを千切って、頬張る。


「美味しいわね、これ。お肉もあると最高ね。あと、甘い物もほしいわね。確か、両方とも市場にあったわよね?」

「追っ手を完全に振り切れたらな……」

「それから、紅茶を分けてもらえるようにお店の方に伝えてくれない? 喉、渇いちゃった」

「……」


 どんな戦場でも、食欲が落ちない奴は強いと言うけれども━━。


 睦子の図太さに、マコトは呆れ、煤けたパン屋の天井を見上げて、ため息をついた。


次回32話の更新は2025年1月29日(木)です。

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