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マザーマニア

 酒瓶に詰められた大量の小さな自分。一人としてもがこうともしない。同色の床と壁が血続きになって無限にみえる。こんなイタズラを誰がしたのかは分からないが、今朝はそんな夢をみていた。目が覚めると窓が強く鳴って、酷い雨だ。雨粒には黄砂が混じっていて、もはや目は夕方気分。僕はこんな中を今日も……。今の境遇には常に悩まされる。

 半袖のシャツを選んで正解だった。絶妙に風が吹いていて肌の気持ちがいい。長袖だったら湿気に悩まされただろう。屋根裏に作られた鳥の巣から一匹のヒナが倒れ落ちる。それほどの湿度だ。僕を含め歩いている人はみんな千鳥足だ。車道も赤いランプで渋滞を起こしている。飛行機は指針を失ったまま雲の裏に隠され、茂みから覗いた羽虫の鳴き声が顔の近くで音叉を震わせたときのような不快感を帯びる。捨てられたペットボトルが勝手にひしゃげる。

 僕は医者だ。任されている患者の家に行くには、カフェの路地にある梯子を登り、ベランダから向かいの古着屋へ渡る必要があった。古着屋の試着室には姿見が取り付けられておらず、代わりにまっすぐの白い道が向こうへ続いている。その幅70センチほどの狭い道を、落ちた下は暗すぎて何も見えない道を、材質の推測できない道を歩く。足元のふら付きは増すばかりだ。しばらく歩くと僕の身長ぴったりの扉に辿り着いた。黄土色をした扉を開く。患者の両親に迎えられた。

「天気の悪い中ありがとうございます。父です。」

「母です。娘をお願いします。」

「医者の私にお任せください。」

 挨拶を済ませてからは案内に従って家の中を歩いた。冷蔵庫を入っていくと桃の絵画から廊下に出て、廊下の扉から患者の部屋に入っていくとカーペットのボタニカル柄のカールの内側に出て、その歩いた先にはもう一つ患者の部屋の扉があった。

「それではお願いします。」

 両親は邪魔になってはいけないからと僕だけを部屋に入れた。

 患者が声を上げて暴れていた。暴れてもベッドから落ちないよう拘束が施されていた。言葉になっていない患者の声は今日みたいな天候の頭によく響いた。しばらくは放っておくしかないだろう。「……ママ、ママになった……押しつぶされる!」聞き取れたとしてもこれだ。彼女は息を荒くしている。ひどい量の汗だ。水分はちゃんと取っている様子。彼女はこみ上げてくる苦しみと格闘していた。

 患者も疲労からか少しは落ち着いて来る。ずっと横にいた僕の存在にも気づいたようだ。

「ええ、ええ。ゆっくり寝ていてください。」

「壁のパンジーが私のことを笑うの。私の赤ちゃんが天井から降りて来ないの。ほら、顔もこっちに向けてくれない。先生、先生の思いつく限りのやり方で私を殺して。窓がうるさいよ……。」布団に顔をうずめて泣き始める。

 彼女は自分のことを母親だと思い込んでいたが、そんな事実はなかった。事実がないことは両親から聞かされてはいたが、とにかく以前ハマっていた薬物の影響だろうと……。その薬は、僕が今使っているものと同じですかと聞いても両親はだんまりだった。家族同士コミュニケーションが上手くいっていないようだ。それに患者本人にはとても聞ける状態じゃないだろう。僕は頭を冷やすために少し廊下へ出ていく。「先生、2人になってどうするつもりですか……。」

 廊下には患者の両親が待っていた。

「娘はどうでしょうか。」

「どうもこうも、どうしようもないでしょうね。どうなんでしょうね。」

「どうって、私は父親なんですよ。妻だっています。」

 患者の家庭環境にとやかく言うつもりはないが、ここの家族と自分とは急速に無関係なような気がした。二人のことをどけて歩き始める。複雑な帰り道も、行きの道を辿ればあらゆる道を分かっている。僕はタクシードライバーだ。幅70センチの道を再び通って、帰るともう夕方。まだ黄砂を含んだ雨が降り続けている。古着屋に隣接したPCショップに置かれていたマザーボードが、やけにこの街の航空写真に似ている。これを買えば、退屈なこの街で何かが起きてくれるだろうか……そんな期待をしてしまうほどに似ていた……期待をしてしまうほどに似ていたマザーボードが古着屋に隣接したPCショップに置かれていた……そのマザーボードはやけにこの街の航空写真に似ていた……。

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