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第三話

「ええ。とても……珍しい格好をしているのね」


 彼女は紐騙(ニューテイル)においても一種異様な少女だった。見た目の齢は十一歳で止まっている。幼い顔立ちに似合わず、身に纏っているのは豪華絢爛な着物と呼ばれる東国の服だ。浅葱色の地色に大きな牡丹やその他小花の紋様、それらが金の刺繍で縁取られている。襟を少しずらして肌を露出しているのは、彼女が東国人街の花街にいた頃の名残だ。といっても、もちろん当時五歳たらずの彼女自身が体を売ったことはないのだが。生き別れになった双子の兄のいる――孤児院へ連れてこられる前はそこで厄介になっていたため、華やかな世界で舞う年長者への廃れぬ『憧れ』が今の妹を《《そう形作っている》》と言っていい。


「変か?」


「いいえ、素敵よ。ええと、あなたは――」


 どう言ったものか迷っている店員に向け、綴は言葉を繋いだ。


「見たとおり、ただの幽霊(ゴースト)だよ」


「ただのとはなんじゃ」


 ふよふよ浮いている少女は腰に手を当てて憤慨している。店員は目を丸くした。


「ごめんね、私、あんまり詳しくなくて。それはつまり……死んだ人っていうこと?」


「いや――」


 どこまで話したものか。言葉を濁す綴の顔に、店員と、そして滅多に出自を聞かれない幽霊妹が、きらきらとした視線を送っている。綴はコーヒーカップを置き、後ろ頭を掻いた。


「正しくは、死にかけた魂を現世に繋ぎ止めてるっていう感じかな。僕とこいつは双子なんだ。だから僕に取り憑く形で幽霊(ゴースト)にした……んだと思う。術式を施した本人に聞いてみないと詳しいことは分からないけど」


「なるほど、双子。どうりで仲がいいのね」


『どこがっ!?』


 重なった声に、店員はくすくすと笑いを漏らす。


「私、アーニー。キミたち、名前はなんていうの?」


「わっちは四條(つむぎ)。こっちは不肖の兄・綴でありんす」


「おいこら」


 仕事上、本名をあっさり明かすのはいかがなものか。思わず睨み付ける綴の視線など意にも介さず、紡はにこにこと対応している。


「ツヅルにツムギ、ね。ツムギ、幻想種(イマジナリィ)同士仲良くしてね」


 アーニーの無邪気な態度に紡も絆されたように笑顔を浮かべ、握手を交わした。アーニーは男がぶちまけていった朝食を片付けながら、ふぅと嘆息する。


「最近、なんだか幻想種(イマジナリィ)は肩身が狭いわ。もうすぐイマジナリィ・デイだっていうのに」


「あぁ、それで」


 と、頷いて、綴は通りの工事や飾り付けを見やった。


 幻想種の日(イマジナリィ・デイ)は共州国統一の祝日の一つであり、その歴史は百余年に遡る。当時、迫害の憂き目に遭っていた幻想種(イマジナリィ)達が起こした『イマジン・デモ』を陸軍が武力弾圧したことに端を発した混乱に対して、当時の大統領が幻想種(イマジナリィ)陣営との和解に努めた結果、連邦政府の祝日として制定された。毎年、十月の第一木曜日がそれに当たり、九月の労働者の日(レイバー・デイ)同様、各地で様々な催し物が行われる。ちなみに初めて幻想種の日(イマジナリィ・デイ)の祝祭を開催したのがここ紐騙(ニューテイル)市である。労働者の日(レイバー・デイ)が夏の終わりを告げる祝祭日なら、幻想種の日(イマジナリィ・デイ)は秋の到来を告げる祝祭日と言えよう。


「すっかり忘れてたでありんす。もうそんな時期か」


「そこの通りでイベントが開催されるの。幻想種の日(イマジナリィ・デイ)になった瞬間から始まる、気合いが入ったイベントなんだから。うちもスペシャル・メニューを出すのよ。良かったら来てね」


 アーニーと名乗った店員は尻尾を振りながら、店の奥へと戻っていく。久々に身内以外と会話を交わせたからか、紡は上機嫌に綴の頭上をくるりと一回転してみせた。綴は溜息を堪えるべく、熱いコーヒーを喉へ流し込んだ。焙煎した豆の香りが強く鼻に抜ける。カップに書いてある店名は『レッド&スタンプ』——赤い手形のロゴが目印のようだ。十数年前から流行りだした、一杯ずつドリップする『コーヒーの第三波サード・ウェーブ・オブ・コーヒー』というやつの店なのだろうか。


「いい店じゃな、綴」


「ま、コーヒーは美味い」


 受け流すように返事すると、綴はベーグルを平らげた。カウンターに戻ったアーニーがこちらに手を振ってくる。軽く手を振り返して、綴はベーグルが乗っていた皿の傍に紙幣を一枚置き土産として、その場を立ち去った。


 来た道をとって返し、再び七番街セブンス・アベニュー沿いを歩く。歩道横の道路では紐騙(ニューテイル)名物、朝の交通渋滞が始まっていた。


キャブ(タクシー)で行くか?」


「んなわけない、道路見れば分かるだろ。地下鉄(メトロ)だよ、地下鉄(メトロ)


「ちぇ。あれはどうにも慣れんせん。薄暗いし、こう、息が詰まりんす」


 本来日陰者の幽霊が何を言っているんだか。綴は内心で肩を竦めつつ、歩道の脇にあった地下鉄(メトロ)の駅『二三丁目(ストリート)』の入り口を見つけ、北行き(アップタウン)の改札へ繋がる階段を降りていった。改札機にメトロカードをスライドさせ、ホームへ降りる。次の電車は十分後らしいが、まぁ定刻通りには来ないだろう。綴は壁のタイルに背を預け、ぼんやりとプラットホームを眺めていた。


 低い天井に塞がれたホームは——紡の言に賛同するわけではないが——確かに頭上に迫ってくる感じがした。通勤ラッシュのせいで、ホームに人が多いこともその一因だろう。新聞を広げる中年のビジネスマンに、大きなスーツケースを持った女性二人組の観光客、ヘッドフォンをして足で小さくビートを刻んでいる青年——実に様々な乗客達が、ホームに電車が滑り込んでくるのを今や遅しと待っていた。


 がたん、と僅かな振動を感じたのは数分後のことだった。


 首尾良く、一本前の電車が遅れてやってきたかと思って壁から背を離した綴はしかし、そこから何も音沙汰がないのに眉を顰めた。乗客達も不思議そうに線路の向こう側を覗いている。


 がたん、がたん、と今度は二度、更に激しい揺れがホームを襲った。天井の一部だろうか、コンクリート片がぱらぱらと足元に落ちる。振動は次第に大きくなり、さっきまで背を預けていたタイルの一部がぱらっと一つ剥がれたところで、乗客が騒然とし出した。


「なんだ……?」


 綴が呟いた次の瞬間だった。


 耳をつんざく轟音と共に、地下鉄の天井が派手に崩落した。パニックになった乗客の悲鳴が何重にも聞こえる。もうもうと立ちこめる埃に口元を腕で押さえながら、綴は必死に目を凝らした。


 地下鉄の天井があった場所から、薄い朝日が差し込んでいた。瓦礫の山の上に王座よろしく君臨しているのは——大型トラックほどもあろうかという巨大な化け物だった。


 黒々とした体躯は四つ足で、控えめに言うと犬のそれだ。しかし首から先は二つに分かれており、それぞれ突出した口吻が見て取れた。ライオンのようなたてがみは——おぞましいことに、本来なら毛の一本一本であるところが無数の蛇で形作られている。後方には長い尻尾、足には鋭い爪、そしてむき出しにした赤黒い歯茎の下には鋭い牙。かなり興奮しているのだろう、浅く早い呼吸は蒸気が見えるほど熱く、また口端からは唾液がぽたぽたと滴り落ちていた。


「なんじゃ、あの化け物は!」


 愕然と紡が叫ぶ。綴は逃げ惑う乗客に巻き込まれないよう隅へ下がりながら、頭の中の知識をひっくり返した。


「——オルトロス。ギリシャ原産の幻想種だ」


「しかもあれ、首輪していんす!」


「誰かの飼い犬ってことなんだろ」


「二つもしていんす!」


「首が二つあるからね」

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