第一話
第一章 不夜城の姉弟妹たち
共州国第一の都市・紐騙の夜空が晴れることは珍しい。湿っぽく薄暗い古ビルの一室から、四條綴は平坦な視線を窓の外に投げかけた。好天、微風、いつもスモッグだらけのこの街にしては良好な視程、そしてビルが乱立する中で見つけた奇跡的な位置。どれもこれもが好条件であった。
窓から入り込んだそよ風が頬を撫でる。冬はまだだというのに、北緯四十度に位置する紐騙の空気はしんしんと冷えていた。綴は黒いトレンチコートの襟を手で合わせ、風を避けるようにしゃがみ込んだ。コートの中は濃緑色のベストに白いワイシャツ、襟元には赤色のネクタイをしている。少し薄着だったかもしれないと後悔しながら、床に置いてあったライフルケースを開く。中に入っていた狙撃銃を取り上げると、街明かりが銃身の黒光りを捉えた。綴は白い手袋越しに無骨な金属の感触を感じながら、黙々と銃を組み立てる。わずか十五秒、それはどんなパズルよりも簡単に出来上がった。
「相変わらず馬鹿でかい銃じゃ」
背後から聞こえたのは高い少女の声だった。綴は取り合わず、ついで一二・七ミリ弾を銃に込める。そうして室内の奥に陣取ると、たまたま部屋に置いてあった折りたたみ式のテーブルを広げ、銃の前方下面に装備されている二脚を広げて下ろす。
唇を舌で湿らせ、綴は身を屈めた。光学照準器を通して初めて、対象を視認する。
ミルドットの入ったレティクルの向こうに高級ホテルの一室が映っている。一体、何人を座らせるつもりなのか、長い長いソファを背景に二人の男が向かい合っている。一人は背の高い白人の若い男性、そしてもう一人はけむくじゃらの二足歩行する狼だった。綴はちっと小さく舌打ちした。
「人狼じゃないか。適当な情報よこしやがって、あの狸議員」
人狼は狡猾な性格と強靱な肉体で知られる幻想種だ。特に体毛は固く、並大抵の弾丸では貫けない。
「良かったではおっせんか。馬鹿でかい弾を持ってきた甲斐があったというものじゃ」
「まったくね」
今度は背後に軽く返事をしながら、綴は油断なく千メートル先の光景を睨んだ。ホテル内の両者は握手を交わし、早速取引に入ったようだ。お互い、アタッシュケースのようなものを交換し合っている。綴は人狼の手元を凝視した。大きな鳥からむしったような白い羽が数枚、そしてひからびた臓器のようなものが、シルクと思しき布の中に鎮座していた。
「アアルに至るための『真実の羽根』と『死者の心臓』ってところかな。まぁ、なんにせよ——」
綴は一つ息を吸い込むと、七割ほどの空気を肺に溜めたところで、呼吸を止めてトリガーに指を掛けた。息を吐くと同時に、ゆっくりと真綿で首を絞めるように——引き金を絞った。
「終いだ」
どぉん、という爆発音と共に、綴の全身を強烈な反動が襲う。先端の硝煙制退器が五方向にガスを逃がしているのが見えた。重機関銃の弾にも使われる一二・七ミリ弾は空気抵抗や秒速約一メートルの風をもろともせずに、紐騙の濁った夜気を切り裂いていく。
そして約二秒後、ホテルの窓硝子が割れ、空中に飛び散った。粉々に砕けた硝子が全て落下する頃、ホテルの一室は騒然となっていた。人狼が倒れ、血を流しているのを確認した後、綴はすぐに身を起こした。
「カーテン引いてりゃいいのに」
「夜景を楽しみたかったんじゃろう。うんうん、わっちには分かるぞ」
「僕はこんなもの見飽きたよ」
溜息交じりに返しながらも、綴は手早く狙撃銃を片付けた。手癖でつと腰から下げた長い得物の柄に手を触れる。その固い感触は常と変わらずそこにあり、綴の研ぎ澄まされた神経を正常な状態へと引き戻してくれた。
「さ、帰るぞ」
「あい」
ライフルケースを肩から提げた綴の背後を、地面から浮いた小さな影が、すぃよーと泳ぐようについていく。