流血の中の出会い
「はぁ……うっ、く……はぁ……」
ひとしきり吐いたあと、四つん這いのまま呼吸する。
目の前の汚物と口の中から上がってくる胃酸の臭いに意識がボヤける。
すぐ近くにはさっき私が殺……倒した男が倒れていて、血の匂いが漂ってくる。
(こんな所にいたらおかしくなる……荷物を回収してどこかに逃げないと)
私はふらふらと立ち上がり、一応ナイフを拾うと森の中を私の荷物が置いてある場所まで歩いていく。
「もう……嫌だ、なんで私がこんな目に遭わないといけないの?タカ君に会いたい……」
そんなことを考えながらゆっくりと歩を進める。
私は人殺しだ、もう誰かの伴侶になる資格なんか無い、いっそのことここで死んでしまおうか……そんな考えも頭の片隅に芽生え始めていた。
私は森の入り口までふらつく足でなんとか到着する。私が最初にいた場所は日当たりがよく、日向の明るさがすごく眩しく見えた私は、急に木陰の冷たさが恋しくなり近くの木に寄りかかって休憩した。
「ふぅ……何やってんだろ、私」
そして自分の荷物のある方をぼんやりと見る、そこでは予想外の事が起きており、それを見て私の心臓が大きく跳ねる。
「…………え?」
幻覚かと思ったが違う、霞む目を擦って再度見るがやはり見間違いじゃない。
私の荷物を女の子が漁っている。
(なんなのよこれ……もうホントいい加減にして……!)
私がどうするべきか決めあぐねている間も少女は荷物を漁って物を取り出している。
(戦う?嫌……相手はどう見ても子供なのよ、どうすれば……)
その時少女の腕に何かが刺さり、そのショックで彼女が尻餅をつく。
「え?」
突然の出来事に私は思わず声を出した。
「へ、なんだよ頭狙ったってのに外れちまったなぁ」
木々の間から出てきたのは全身に刺青を入れたスキンヘッドで小太りの大男だった。さっきのサラリーマンとは違う、本当にヤバい奴だと雰囲気でわかった。
「ヒ、ヒィ……!ああ!嫌ぁ!」
少女が足を空回りさせながら後退しようとする。
「大人しくしろよ、せっかく楽に死なせてやろうとしてんだからよ」
そういうと男は手に持っているボウガンをリロードし、少女に向ける。少女の顔は恐怖で引き攣り、声にならない空気の漏れるような音を口から出している。
私は咄嗟に男のハゲ頭に向かって石を投げる。石は見事に頭に当たり、男がよろめいた。
「な、なんだぁ!?どこのどいつだ!?」
男の油断を感じたのか、少女が隙をみて這々の体で逃げる。
「出てきやがれ!どこにいやがる!」
男は姿の見えない予想外の敵の存在に動揺し、それどころではないようだった。私はそれを確認すると音を立てずにその場を立ち去って、少女の逃げた方向へ向かった。
なるべく足音を立てずに私は少女を探す。一応、手には先程私を人殺しにしたナイフを構えているが正直もう使いたくない。
「いた……!」
私は木に体を預けて休んでいる少女を見つけた。どうやら荷物もここに置いていたらしく、その少女の横には支給されたバッグが置いてあった。
そして、先程命中したボウガンの矢は二の腕に刺さったままのようで、彼女は腕を抑えたまま息を切らしている。
その様子を確認したのち、私はナイフからスタンガンに持ち替えて彼女の死角から近づいていく……
「動かないで」
私は少女の肩を掴むとそのままスタンガンを押し当てる。
「!!??!!」
いきなり出てきた私に少女は何が起こったのかわからない様子だったが、すぐに状況を理解し私を見る目の瞳孔が開いていくのが分かった。
「大人しくして、そうすれば殺さないから」
少女は小刻みに震え、小さく頷く。
「両手を見せて、あと武器も出しなさい」
私は少女が何も持ってないかボディチェックをする。頭の片隅で(なんだかドラマの真似事みたい)と、そんな呑気なことを考えながら彼女の身体を隅々まで調べる。
少女は震えながら自分のバッグを指差す、彼女のバッグパックには狩猟に使われるようなライフルが刺さっていた。
私はすぐにそれを奪うと軽くどういうシロモノなのか調べる。私は銃のことはよく知らないがこれが本物というのはなんとなく理解できた、少なくともスタンガンのような鎮圧用じゃない、殺すための武器だ。
「良い子ね……ごめんなさい傷つけるつもりはないの、だから落ち着いて」
私は危害が無いことを確認すると、彼女を宥めながら優しく声をかける。たった今脅しをかけられた相手をすぐに信用できるはずもなく、少女は震えながら硬直したままだ。
「ここは危険よ、治療をしたいけどまずは離れましょう」
そう言って立ちあがろうとした時、遠くの草むらが微かに動いた。
「!?……危ない!」
私は咄嗟に少女を抱いて前に飛んだ。その瞬間、何かがブシュッ!と刺さる音が微かに聞こえた気がする。
私はすぐに立ちあがろうとするが、足に激痛が走り上手く立てない……どうやら足に何か命中したようだった。
少女が起き上がり、私を見る。何が起きたのか理解できない様子だったが、私の足を見ると目を丸くした。
「大丈夫ですか!?」
彼女が心配そうに私の肩を揺する。
「チッ、もう弾が切れちまった」
木陰から入れ墨の男が出てきた、私は痛みを誤魔化すために思考をフル回転する。
(もう見つかってしまった、どうしよう……せめてこの子だけでも……いや弾が切れたとこの男は言っている、なら私の方が有利……でも怪我しているのに勝てるの?いやそんな事よりも……)
私の中でこの状況で一番の疑問がどうしても拭えない……私は草むらが揺れたから敵の存在に気付けた、だが男はその揺れた草むらとは別の場所から現れたのだ。
私はもう一度その草むらを見る、その時また微かに揺れたのが見えた。
(間違いない、あそこには何かがいる!)
「さぁて、殴り殺されるのと締め殺されるのはどっちが良いんだ?」
私が草むらの違和感に注視している間にも目の前の危機は確実に近づいている、この状況を打開するにはスタンガンを確実に当ててそのうちに逃げるしかない。
(でもこの怪我じゃ逃げ切れない……!もうひるんでる間にナイフでやるしか……)
男が私たちに手が届きそうになり私がスタンガンを構えようとしたその時、草むらから何かが飛び出して男に襲いかかった。
「な、うわぁ!」
飛び出してきたのは、ネコ科の肉食獣ジャガーだった。
おそらく熱帯にしかいないであろうその乱入者にその場の全員が驚きを隠せず、顔にありありと焦りが出ていた。
ジャガーは私たちと刺青の男との間に割って入り男を威嚇する。
「ぐうっ!どういうこったよ!?」
私はすぐに無理矢理体を起こして少女の手を引っ張って逃げ出す。
「ここにいたらまずい!早く逃げましょう!」
「おい待て!くそっ!」
男がすぐに退散する、私はその様子を見てすぐにスタンガンをいつでも撃てる状態にする。
「……守ってくれたの?」
「いや違う、私の後ろに隠れて!」
私は少女を後ろに隠しながらジャガーと対峙する。こちらを向いたジャガーは既に口の中を唾液でいっぱいにしている。
「こいつは私たちを狙ってたんだ……手負いの私たちはこいつにとって餌なんだ!」
昔タカ君が動物のドキュメンタリーを見ながら教えてくれた、過酷な環境では狩れる獲物を他の生物に取られないように動物たちは全力で守る……この猛獣はただそれをやっただけ。
私はジャガーから目を逸らさず、少しずつ距離を取る。
「目を離したら多分不味い、上手くスタンガンを当てて気絶させるしかない……!」
焦りの中で私は生き残るために必死に考える。
(あれ?なんでこんなに必死なんだろう?)
よくよく考えたらなんでこんなに生き残ることを必死に考えていたのか、ふと疑問に思う。
私は人を殺した時、もうこんな状況で頑張る必要があるのか?という考えが生まれていた、それなのになぜ今になってこんなに頑張っているのだろうか?
そんなことを考えていると、私のシャツの裾を強く握る手があった。
(ああ、そっか……私、この子を守りたいんだ)
私は毒にも薬にもならないレベルの中途半端なお人好しだ。この性格のせいで損な役回りになる事もしょっちゅうだった、だけど……タカ君はそれを私の良い所だと言ってくれた。
「それなら、せめて死んででも私はあなたを守ってみせるよ」
「え?……あ、前!」
少女の方を向いて宣言する私に彼女は前を指差して叫ぶ、前に向き直るとぼやけた視界の中をジャガーがスローモーションのようにゆっくりと飛びかかっている。
(随分と遅く感じる……これなら私でもどうにかなる)
私はぼんやりとそんなことを考えながら、スタンガンを構えてジャガーの鼻先に撃ち出す。
そのあとは少女を掴んで横に逸れジャガーの攻撃を避ける、なぜかジャガーの鼻先にくっついたままのスタンガンはそれに電流を流し続けている。
「へぇ〜、これって押している間ずっと電撃を流すんだね、こんな危険な物普通に売ってるのかな?………………え?」
私は正気に戻って思わずスタンガンを落とす、さっきまでのあれはなんだったんだろう?その疑問が恐怖と驚きと共に私の中に湧き出る。
「え、あれ?私いまなんであんなことが出来たの……?」
一人混乱する私を背中から誰かが強く抱きしめる者がいた。
「はぁ……はぁ……私たち助かったんですか……?」
私は少女の存在を思い出し、少女を向き合う。
「大丈夫?早くここから離れましょう、荷物持てる?」
「はい、それより足……」
「治療すればどうにかなるはずよ、とりあえずどこか安全な場所へ」
私はジャガーの鼻からスタンガンを引き剥がすとナイフとスタンガンをしまって、ライフルを見よう見まねで構える。
そして、少女は怪我した右腕を庇い左肩だけでバッグを担ぎ、私は怪我した足を引きずりながらその場を後にした。