始動
いきなり後ろの草むらが揺れ始めたことで私は動揺してしまい、ケースに入ったままナイフを構えた。
少しの間ガサガサと揺れていた草むらは大人しくなり静寂が場を支配する、私の耳には自分の心臓が鳴らす爆音しか聞こえない。
「だ、誰!?そこから出てきて!」
私は今出せる精一杯の声を草むらに向かって放つ、するとさらに草むらが揺れだし中から男性が現れた。
「や、やめてくれ!この通り危害は加えない!」
出てきた男性はビジネススーツ姿のいわゆるサラリーマンといった風貌で上に挙げた両手には何も持っておらず、全身を見ても何も持っていなかった。
(よかった……まともな人だ)
私は頭の片隅に謎の違和感を感じたが、それより人に会えた安心感が勝り、ホッと胸を撫で下ろした。
「すみません、なにかヤバイものかもしれないと思ってしまいまして……大丈夫ですか?」
私は軽く会釈をすると男性に近寄って傷の確認をする。
「大丈夫ですよ、いやーそれにしても助かった!近くに人がいるかもと歩いていたらあなたがいたんです」
さっき勢いよく飛び出したせいで体についた木の葉と枝を取りながら男性が喋り出す。話し方の感じからも気さくな性格なのが伺える。
「さっきの動画見ましたか?あの連中、殺し合いなんてどうかしてますよ」
私が胸の内を明かす。
「でもあの人たちは本気だと思いますよ、こんな所に連れてきてフェイク画像なんて見せないでしょうし」
それに関しては私も同意だ、多分あのファンタジーな映像は本物なのだろう。しかしそれを私たちの目にも埋めたと言っていたがどういうことなんだろう?
「まぁ、とりあえずここにいても仕方ないですし、先程向こうの方に灯台が見えたのでそっちに行きましょうか」
「灯台ですか?確かにここにいるのもなんですし、目印になりそうな場所を目指しましょう」
正直こんな状況でどうすればいいのか私にはわからない。
(だからこの人の言う通りにしよう、きっとうまくいくはず……)
私は振り返り荷物を取ろうとしてハッとした。
(そういえば動画では『全員』に物資が支給されたと言っていたのに、なんでこの人は手ぶらだったの……?)
画面の男の説明では一週間分の必需品が全員に用意してあるあると言っていた、さっきの会話からあの人も映像を見ているはず、なのに手ぶらなんてどう考えてもおかしい。
(それに私は動画を見てる最中、いやその前からもずっと大声で叫んでいた、近くにいるならもっと早く私に気がついていたはず)
溢れ出す違和感から思わず振り向く、すると男性は手を腰の後ろに回し何かを取り出そうとしていた。
「なにを……」私はそう言いかける。
男が取り出したのは銃だった。
私は今まで出したことのないような素早い動きで近くの木まで走り出した。
「……」男が無言で引き金を引いた……気がした。
私は走り幅跳びの要領でジャンプし、木陰に飛び込む。
「はっはぁっ!はぁ……はぁ……」
私はうまく呼吸ができない肺に無理矢理空気を送り込み息を整える。
見ると私の飛んだ地点に何か箱のようなものが刺さっていた。
「ハァ〜……たくよぉ、こんなハズレ武器持たされるとかとことんツイてないなぁ」
男の口調が変わった。さっきまでのは演技だったと理解し、背筋が凍る。
「一体どういうつもりなんですか!」
「どういうつもりも何もさ、連中の言ってた事をするだけだよ?」
「なんで!?協力し合った方が良いはずなのに!」
「甘ぇんだよ!お前さぁ!」
男が荒れて地面を蹴り上げる。恐怖のあまり手の中のナイフを握りしめる。
「さっきの連中の話聞いてたかぁ!?一人しか生き残れねぇんだよ!協力なんてありえねぇっての!」
声の音量から男が近づいてくるのがわかる。
「俺はなぁ、会社で無能な上司のクソみたいな説教を受けてさぁ、ありえねえノルマを課せられてさぁ、それでも頑張ってきたんだよ。でもそんな生活してても報われねぇ……これは俺に巡ってきたチャンスなんだよ!」
男が何かを銃に嵌める音が聞こえた、多分リロードってやつだ。
(怖い……どうすればいいの……)
「こいつぁ発射式のスタンガンでなぁ、ただの遠距離に使えるスタンガンだが当てる部位と時間次第で人を殺れるんだってさぁ……ションベン漏らしながら逝けよ」
(スタンガン……?ならどうにかなるかもしれない)
私は男の来ている方向を確認する。私は木を背にして座っているが、音の方向から察するにどうやら私から見て左から来ているみたいだ。
私は石を拾うといつでも走れるよう中腰になり、石を左に向かって投げた。
「おわっ!」
男が思わず石に向かってスタンガンを撃つ、どうやらさっきの箱を撃ち出して痺れさせる武器のようだ。
(チャンス!)
私はそれだけ確認すると素早く反対方向の森に逃げる。
(私が持ってるのはナイフだけ、多分力じゃ勝てない……それなら)
私は登りやすそうな木を選ぶと渾身の力を込めて死に物狂いで登る。何か視界がぼやける感覚があったけど問題ない、木登りなんてやったことなかったけど、やってみたら意外とどうにかなるものだ。
「おい、いい加減鬱陶しいんだよ……」
男が低い声で呟きながら森に入ってきた、手の中のスタンガンはリロードされている。
(うまくいくのかな……いや、こんなところじゃ死ねない!)
私はナイフをケースから抜く、ナイフの重量感とギラつく刀身に思わず息を飲んだ。
(こんなの使いたくない……こんなことしたくない……ああ、タカ君助けて……)
男が真下まで来た、私は意を決して声を出す。
「ここだよ!」
男が驚きの表情で見上げる。私はその顔に向けて手に持っていたものを投げる。
「なっ……!」冷静な判断が出来なかったのか、男は咄嗟にそれに向けてスタンガンを発射した。
スタンガンとぶつかったそれはあっさり弾き飛ばされる、私が投げたのはナイフのケースだ、最初から男に攻撃するつもりはなかった。
真上に発射され、ナイフケースとぶつかり勢いを殺されたスタンガンの先端がそのまま落下する。
(お願い!どこでもいいから当たって!)一瞬、またもや視界がぼやける感覚がする。
私の願いが通じたのか落下した先端は男の右胸あたりに落ちる。わずかに聞こえるビリビリッという音と共に男が痙攣し出す。
「あがががががががぁぁ!!」
男は失禁し、そのまま倒れこむ。倒れた後も電撃は続いているようでずっと痙攣が続いている。
「ハァ、ハァ、やったんだ……私」
死を回避した安心感から全身の力が抜け、木から落ちそうになる。
(気を緩めたら落ちる!ここにいたらまずい!)
私は大急ぎでかつ、安全に木を降りて地上に帰還でする。
電撃は終わっているようで男は全身から湯気のようなものをあげて動かなくなっていた。死んでるのか生きてるのか分からないが少なくとも動ける状態じゃないだろう。
私はなるべく見ないようにして男からスタンガンを奪う。先端は二つしかなく使いまわしていくタイプのようだ。
「これがあれば人を殺さずに済むかも、こんなのもう嫌……早くここから逃げないと」
そんなことを考えていると後ろで何かの音が聞こえる、私が恐る恐る振り向くと同時にそれが掴みかかってきた!
襲ってきたのはさっきの男だった。鼻と目から血を流しており、赤く腫れ上がった顔はもはや人間には見えない。
「ヒッ!や、やめて!離して!」
私は短い悲鳴をあげて抵抗する。しかし体格差から徐々に劣勢になっていく。
「死ねぇ!死ねぇ!」
「嫌!嫌ぁ!」
男のくぐもった声が耳に入ってくる。私は思わず後ろに後退りしてしまい。そのまま押し倒されるように倒れ込んだ。
(殺される……!)
そう直感したその時、
「ぐっ……」
男が小さくうめく、その直後私の右手に何か温かいものが伝って来た。
右手を顔の前に持っていき確認すると私の右手は赤く染まっていた、私のナイフが倒れ込んだ拍子に男の胸を刺したみたいだった。
「!!?!?」
私は気が動転し思わず男を跳ね除けて距離を取った、その際にナイフが抜け落ち、男が弱々しく悶える。
「クソ……なんでこんな……お前なんか死んじまえ……お前な…………んか…………」
男が動かなくなった……私がやったんだ、それを理解した途端に猛烈な吐き気が上がってきた。
「うぇっ……おえええぇぇぇ!!」
胃に溜まっていたものを全部吐き出す勢いで吐瀉物が放出される、私の21年の経験の中でも最も最悪の気分だった。