5.不思議な公女
五歳になったシャルロッテは、毎日毎日元気によく食べよく動き、よく笑いよく眠る、超健康優良児としてスクスク育っていた。
美しく優秀な貴公子として名を馳せつつあるレオンハルトも十歳になり、変わらず学問も剣術も手を抜くことなく研鑽を積みながら、空いた時間はシャルロッテと過ごし愛を育む努力を続ける日々である。
「お兄様! このクッキー、サクサクでバターがじゅわぁで、ものすごくものすごく美味しいです!」
「可愛いロッティ、僕の分も食べていいよ」
「きゃー! ありがとうお兄様! あっ! ……でもあんまり食べ過ぎると、ぷくぷくロッティになっちゃうってお祖母様に言われたのです」
「うぐぅ! ぷくぷくロッティって何それ可愛いな! 大丈夫だよどんなロッティもいつでも可愛いから!」
食べたそうにクッキーを見ながらも、涙目でもじもじしているシャルロッテの愛らしさにレオンハルトは目元を片手で覆って叫んだ。十歳にして既に重度のシスコンを拗らせている。
「でも食べたら動けばいいって何かで聞いた気がします!」
そう言うとパクパクとクッキーを平らげて小さな両手でほっぺを包み、幸せそうに『んん~っ』と眼を閉じる。そして立ち上がってピュウッと走り出したシャルロッテを、レオンハルトは咄嗟に追いかけて片手で抱え上げる。
「廊下を走ると母上に叱られるから、走るのは訓練所でね」
「はいお兄様!」
「口の周りにクッキーの粉がたくさん付いてるのも、叱られるからよく拭くんだよ」
「はいお兄様!」
早速袖でグイグイ拭こうとするシャルロッテの手を押さえ、レオンハルトがハンカチでそっと拭きとる。毎日母よりもシャルロッテの世話をしているこの貴公子を、使用人一同生温かく見守っている。
抱っこされたまま部屋へ戻ると侍女が数人待ち構えており、シャルロッテ用に特別に誂えた騎士団訓練用の服に着替えさせてもらう。背中まで伸びた銀色の髪をポニーテールにしてもらい、すっかり動きやすい恰好になって部屋を出ると、レオンハルトも訓練用の服に着替えて待っていた。
「抱っこしていくかい?」
「はいお兄様!」
「ギューッてしっかり摑まってね」
「はいお兄様! ぎゅううぅぅぅぅぅ」
「ぐふぅ! ロッティ愛してる!」
首に思いきりしがみつかれて頸動脈を絞められつつも、レオンハルトは愛するシャルロッテに抱きつかれる幸せを噛みしめた。
今日も拗らせまっしぐらである。
◇◇◇
「レオンハルト様、シャルロッテ様、今日も訓練に精が出ますね」
レオンハルトとシャルロッテが日課の走り込みをしていると、第一黒騎士団副団長のカミルが後ろから追いついて話しかけてきた。
「まだ準備のランニングなのです。急に運動すると怪我をしちゃうのです!」
「ロッティはよく知っているね。誰に聞いたんだい?」
「んーー誰でしょう。思い出せないのですけど、何か飲んで走って球を投げたり打ったりするのです。そのあと体操してまた何か飲んだりするのです。走るのと体操は怪我をしないためです。ロッティはなんでか知ってます」
「興味深いですね。何を飲むのですか?」
「汗をかいた分の飲み物と、筋肉のための飲み物です」
「へぇ。どうやって作るのだろう。お茶とは違うのかい?」
「んー。ぼんやりとして思い出せないのです。思い出したらお教えします!」
訓練所外周を走りながら、シャルロッテが不思議なことを言いだした。思えば物心ついた頃から不思議なことを言う子だった。家族全員シャルロッテの謎の発言に首を傾げることも多い。
あれはクリスティアーナが新しい乗馬服を誂えるために、デザイナーと侍女が採寸していた時だった。
「出産してからお尻周りがきつくなったのよね」
「お母様いいピッチャーになれますよ」
「どういうこと」
もう少しで春という時節にも……
「そろそろセンバツの季節ですねお兄様!」
「せんばつ?」
「爆竹がパンパンパンです!」
「ばくちく??」
訓練後の騎士のズボンが土で汚れているのを見た時も……
「スライディングですか! 出塁ですか! そして盗塁ですか!!」
「????????」
騎士を混乱の渦に巻き込んでいた。
「しっかり思い出そうとすると、ぼんやり分からなくなるのです。でも生まれる前から知っていると思うのです」
そう言いながら淡々と走り続けるシャルロッテは、普通の貴族令嬢の生活とはかけ離れた毎日を送っている。
物心つく頃から、なんだかんだと騎士の訓練を見ては走ったり跳んだりする日々。五歳の今はレオンハルトと同じスピードで会話しながら走り、同じ距離を最後まで付いてくる程の体力になっている。
テレーゼもクリスティアーナもいそいそと淑女教育を施してはいるのだが、『根性はあるけど才能はどうかな……』との共通意見を持っている。
優雅なカーテシーを何度教えても、何故か力強く素早くなる。ただバランス感覚はとても良く、片足で屈んでもぐらつかないと周囲を驚かせる。
それならばとダンスを教えると、ぐらつかずバランスも良いがあまりに力強い動きで優雅ではない。まるで戦いのようだが、まぁ可愛いからいい! と二人は目的を忘れてシャルロッテが踊るのを目を細めて楽しむという謎時間。
『上空ならロッティを独り占め出来る』とゲオルグが鷲の姿のホルストに乗せ大空の散歩に連れていっても、『お祖父様がパイロットですね!』と誰も知らない言葉を使い、高さに怖がることもない。
「このお空は日本にも続いているのでしょうか!」
「にほんとは何処だい?」
「あれ? 日本は何処だろう? 東だと思いますお祖父様!」
この世界に無い地名を言ってニコニコと笑う。
毎晩シャルロッテが眠った後に家族で行う『今日のロッティ報告会』で話してみようと、訓練後のレオンハルトは決心した。愛するシャルロッテの身に何が起こっているか、全員で把握しなければいけないのだ。