3.百五十年ぶりの公女
そして昨晩からクリスティアーナの陣痛が始まった。
その知らせが伝わった今現在、シュテルン領は『無事に生まれますように』の他に、『まさかまさか』があるのではと、領民全員が気持ちが落ち着かずソワソワしていた。
「シュテルン領は王国一広いというのに、北端から南端まで領内全ての砦の騎士団長から『陣痛が始まったようだが、生まれ次第すぐ教えて欲しい』と次々伝令が届いています。昨夜遅く始まった奥様の陣痛を、何故もう団長達は知っているのでしょう」
屋敷の警備にあたっているシュテルン騎士団、通称黒騎士団の第一騎士団副団長カミルが、団長のイザークに溜め息交じりに問いかけた。
「ああ、気が動転した閣下が昨晩風魔法を使い、『陣痛が来たぞー!』と全砦に伝令を出していたからな」
イザークは辺りを警戒しながら返答する。
「……魔法の無駄遣い。まぁ閣下のそういうところ嫌いじゃないです。おめでたいことだからいいんですけど」
「予定日前からずっと各地で今か今かと待っている状態だったから大目にみよう。お生まれになり次第、また閣下がお触れを出すだろう? もうその瞬間から領地全体で祭開催だ。はは、露店が楽しみだよな」
領民達は各地で数十年ぶりとなる公子誕生祭の準備をしており、誕生のお触れと同時に盛大に開催しようと楽しみに待っていた。なにせ前回の公子誕生祭はエドガーの末弟の誕生祭だったのだから、初めて体験する者も多いのだ。
「他領からも人が訪れるでしょうから、全域で警備強化致します」
「公女様だった場合どれだけの騒ぎになるか。油断せず任務遂行だ」
王国一広大な領土のシュテルン領は、治安も良く経済も発展して栄えているため観光客も多い。誕生祭が始まれば、その数は数倍になるだろう。黒騎士団としては警備の面で気を引き締める必要があった。
「期待し過ぎては奥様に悪いと思うのですが、鬼のゲオルグ様と閣下のデレデレを見てみたい気もしますね」
カミルは鬼上官のゲオルグと仕事の鬼のエドガーが、赤ん坊にデレる姿を想像出来ず苦笑いした。
そしてその頃、邸内ではまさにクリスティアーナがラストスパートを迎えていた。
「奥様! 頭が出てきました! もう少しですよ! 肩が出てしまえばすぐですからね!」
「ううぅぅぅーー!!」
産婆の声とクリスティアーナの呻き声が、廊下にひと際大きく響いていた。
「クリスタ! 頑張れ……!」
壁に頭を打ち付けていたエドガーが、ハッと顔を上げて呟くと、ゲオルグも足を止めてエドガーの肩に手を置いた。
「代わってやりたくても、こればかりは任せるしかないからな……。自分の子が生まれるというのに、男とは無力なものだ」
「次の痛みの波が来たらまたいきみますよ! 私の手を押すつもりで力を込めて下さい!」
「うぐぅぅぅぅぅーーー!!!」
汗だくのクリスティアーナの鳩尾辺りに産婆が自身の拳を置き、クリスティアーナが痛みの波の訪れと共にその拳を押し返すように力を込める。
そして
「生まれましたーーーーー!!!!」
瞬間、全員が顔を上げて目を見合わせ、次の言葉を聞き取ろうと耳を澄まし、屋敷中がシンとなる。
「こ、公*様です!!! 非常に元気な公*様がお生まれになりました!!!」
「ふぎゃぁぁぁぁああああああ!!!」
産婆の声に大きな産声がかぶってしまい、ちょっと何言ってるか分からない状態であった。部屋の外で一同がざわつき始める。
「え、なんて」
「え? 公女って言った? 公子? 公女? 公子?」
「いやいやいやいや待て待て待て待て。先走るな。ちゃんと聞こう」
一同またシンとなるも
「公「おぎゃぁぁあああああ」」
「こ「ぬぎゃぁぁあああああ」」
「……「みぎゃぁぁああああ」」
「産婆諦めかけてる」
「諦めるな頑張れぇぇ! 我々に情報をくれえぇぇ!!」
「も、もう部屋に入ってもいいだろうか!!」
「お待ち。ここは女性の私が先に入ります。クリスティアーナの状態が整い次第、あなた達を招き入れましょう。ほほほ」
「何それずるい」
「お黙り。出産直後に許しもなく男は部屋に入ってはいけません。私は同じ女性であり経産婦として、気持ちが分かるからこそ先に入るのです」
我先に赤ん坊を見たいゲオルグ、テレーゼ、エドガーの三人がもめているのを横目に、レオンハルトがドアをノックした。
「母上、ご無事でしょうか。皆で入ってもよろしいでしょうか」
「レオ「うぎゃぁぁあああ」、どうぞ入っ「めぎゃぁぁあああ」」
「どうぞって仰いました!」
四人全員で高揚した顔を見合わせ、ガッツポーズをしてから恐る恐る部屋へと足を踏み入れた。
侍女達がいそいそとクリスティアーナの髪を軽く整えたり、喉を潤す白湯を口へ運んだり、忙しそうに世話をしている。ベッドの上のクリスティアーナは疲れはあるものの、満足げな様子で微笑んでいた。
「あなた、お義父様、お義母様、私やりましたわ……!!」
「「「「 !!!!! 」」」」
その言葉が何を意味しているか四人全員が瞬時に理解し、バババッと産婆の腕の中にいる生まれたばかりでふやけた赤ん坊に顔を向ける。
銀色の短いパヤパヤとした髪の毛のその子は、もしもの時に用意されたピンク色の産着を身に着けていた。
シュテルン領に百五十年ぶりの公女が爆誕した瞬間だった。