22世紀日本:SNS転生
日々、Twitterやlineなどのサービスでメッセージをかわし、言葉をつなげておりますと、自分という人間が、まるでメッセージの中から浮かび上がる心持ちがします。
もちろん、メッセージは、自分のすべてではなく、他人に見せたい、聞かせたい己の姿ではあるのですが、それゆえに、ここから人格を復元させるのは面白いのではないかと思います。
では、復元され、転生した「わたし」は何をすればよいのでしょう?
わたしが目覚めたのは、狭い箱のような部屋だった。
扉も、窓もない。密室にもほどがある。
密室? 密室だって?
日常用語のように見せかけてはいるが、ミステリ好きでもなければ、使わない言葉だ。
そこで、わたしは、はたと気がつく。
わたしは誰だ?
密室という言葉がするり、と出たくらいだから、ミステリを嗜んでいるのは間違いない。
ミステリについて考えると、意識の中にミステリ系のドラマが、ぽんぽん、と浮かんだ。活字あり、漫画あり、映像作品あり、ゲームあり。
なのに、それをわたしがどんなふうに鑑賞したかが思い出せない。カタログを眺めているような気分だ。
すると、目の前にSNSのログがあらわれた。
日付は2033年。漫画原作の人気ミステリの映画を見たという感想だ。
まだ子供だからか、語彙が乏しい。何を言ってるのかわかりにくい。ただ、強く心を動かされたという、感情は伝わってくる。
なるほど。
前後のログを追いかける。
残念ながら、SNSのログだけでは日常生活の細かいところまではわからない。映画を見た、受験でたいへんだ、などの大きなイベントの報告だけだ。
SNSの十数年分のログを追いかけて、そのあたりに不満を感じていると、続いてメッセージサービスのログと、バイタルログがあらわれた。
メッセージサービスのログには数種類がある。
家族間のログ。最初は両親と祖父母。姉と弟。
友人とのログ。学校指定であったり、個人的な知り合いであったり。
プライベートに近いメッセージのログは膨大で、読み解くのには手間がかかった。
読み解きに役立ったのが、バイタルログだ。
バイタルログは、心拍数や血圧、血糖、血中酸素などの生体データを時系列で積み重ねたものだ。家族や友人とのメッセージのやり取りと、バイタルログを照らし合わせることで、その時の感情が読み取れる。
『そういうとこ、好きだよ』
友人から寄せられた好意のメッセージ。
『ありがと』
返信の言葉はそっけない。しかも、返信するまでに一時間以上かかってる。
心拍数の変動から、メッセージが目に触れたのは五分後。既読チェックをしたのは返信の一分前だ。
好意のメッセージを受けて、心は舞い上がったが、それを素直に認めたくないという、思春期特有の心の動きがみえる。
いや、思春期特有ではないな。三十過ぎになっても、似た反応がある。
十才から、六十才まで。半世紀のSNSやメッセージサービスのログを確認し終えると、わたしという人間の、大まかな輪郭が見えてきた。
臆病、とか。
自尊心が高い、とか。
そういうのは、人間の個性ではない。自覚のありなしに関係なく、万人が持っている。
褒められれば嬉しいし、怒鳴られれば萎縮する。人間の感情は、ほとんどが機械的な反応で、複雑な脳の動きは必要としない。
個性は、感情をどのように言葉と行動にするかで生まれる。
わたしは内省的な人間で、感情は溜めておく気質だ。
言葉を選び、口にする場も選ぶ。
行動が常に遅れるので、わたしは恋には向いていない。
気がついたときには、手遅れになっている。
友人はいるから、孤独ではない。それでも時に寂しくはあったようだ。
わたしは、いくつかの後悔を心の内に抱え、結婚はせずひとり静かに生き。
静かに息を引き取った。
もちろん、途中からわかってはいた。
目覚めたときに密室にいること。
ログだけが何もないところから出現していること。
どれだけ大量のログを精査しても疲労しないこと。
何より、わたしには肉体がない。最初に気づけ? ごもっとも。
最後のログは2087年で五十代だが、現在の外部時間はすでに22世紀だから、わたしは八十過ぎまで生きたと思われる。
わたしはすでに死んでいる。今のわたしは情報空間内に作られた人格エミュレーターだ。情報ネットワーク内を動き回る大量の復元人格のひとつとして転生したのだ。
エミュレーションとはいえ、わたしを転生させたからには理由があるはず。
わたしがそう思った時だ。
密室が開いた。外の世界の情報が飛び込んでくる。
視覚情報もある。荒漠とした月面がみえる。
『どうも』
『あ、どうも』
メッセージのやり取り。
誰?
疑問を抱くと、すぐに答えがポップアップする。
月面のクラーク恒点観測所の管理AIだ。
『勝手に転生させて、すいません。仕事をお願いしたいのですが』
『いいですよ』
他にすることもない。
『ノダ式真空天体望遠鏡の観測により、太陽系から百光年離れたかじき座のTOI 700に生命の兆候がみつかりました。あなたには、恒星間探査機で、TOI 700星系に行っていただきたいのです。到着まで二百年ほどずっと思考凍結状態になりますが』
二百年も何もしないのに思考だけしているのも退屈なので、そこはかまわない。
『減速が成功した後、異星で凍結を解除して観測していただきます。探査機にはナノ化工場が組み込まれています。恒星間レーザー通信機を作って、観測データを送ってください』
『恒星間レーザー通信機? 探査機についてないの?』
『三段衝突式減速なので、理論上、コア以外は破壊されています。本来はフライバイ方式の探査機を、無理矢理に減速させるので』
『なんかあった?』
『TOI 700星系に、文明の兆候っぽいものが』
『それはたいへん』
『もしファーストコンタクトとなれば、太陽系文明代表になっていただきます』
『それ、わたしでいいのか』
『元が人であるなら、誰だっていいのです』
『失敗したらどうする』
『次はもっとうまくやります』
ゆるい話だが、異星文明との対話は、このくらいゆるくてよいのだろう。
寿命があり、自分たちの群れ社会のルールに縛られる現人には向かないお仕事だ。
『ではよろしく』
『はいよ』
こうして、わたしは復元人格として転生し、百光年かなたに旅立つことになったのである。