閑話 見覚えのない少女 1話~2話 ギルベルト視点
ミシェーラ様がお怒りの最中ですが、ここで少しだけ時間が遡ります。
出会いは衝撃的と言えば衝撃的だった。顔を合わせた瞬間に突然全力疾走で逃げ出されたのは初めてだった。
やや長めの茶色い髪が、左右に揺れていたことを今でも覚えている。澄んだ薄いすみれ色の瞳が、俺を捉えた瞬間に小刻みに揺れたのも覚えている。
思えば、女性の顔をこうもはっきり記憶したのは彼女が初めてだったのかもしれない。
背は俺よりも小さく、それに比例して顔も小さかったが、幼さと言うよりは可愛らしさを強く感じた。
高等部の制服を着ていたが、彼女を見た記憶がない。初等部から通わない限り、この学校の高等部に進学することはできないことを考えれば、長い間同じ敷地内を出入りしていたはずなのに、彼女を見た記憶が一度もないのだ。
彼女は、貴族生徒の証である赤いリボンのついた制服を着ていた。
高等部は三回生まであるが、できたばかりの学び舎。俺たち二回生より上のクラスはまだ存在しない。さらに言えば高等部まで進学できる生徒は少なく、貴族クラスは各学年一つずつだ。
俺が知らない生徒と言うことは、明日から高等部に通う一回生だろう。
まだ、会う機会はあるな。あの生徒はなんで今日高等部の制服を着て歩いていたんだ?
まあ、間違えたか何かだろう。或いは校舎の見学とか。まあ、いいか。
そして翌日。新たに高等部に進学した生徒で校舎に出入りする生徒の数が倍増した。
公爵家である俺に声をかける生徒は少なくはない。しかし、それは当然中等部の頃からであり、ほとんどが顔見知りでしかなかった。
だからだろう。昨日ばったり出くわした彼女が、知らない顔だったと言うことが、俺に興味を抱かせた。
だからと言って、率先して逢おうと思いはしないな。
午前中の講義が終わり、昼休みになった途端に俺と教室の扉までの人だかりに、海が割れるように道ができた。
「御機嫌ようギルベルト様」
長い金色の髪を伸ばした背の低い令嬢。桜色の瞳が自信満々に俺を見つめている。幼児体系だが、間違いなく高等部の生徒だ。彼女はミシェーラ・イコスタスタンド・ベッケンシュタイン。我が家と同格である公爵家の人間だ。
「ベッケンシュタイン嬢か。どうした?」
「お時間、宜しいかしら?」
「…………構わん」
本当は断ってやりたいところだが、別に他にすることもない上に、教室にいるだけではただの見世物のように人が集まるし、ちょうどいいだろう。
彼女の呼出しはきっと告白だろう。断り続けて五年の月日が経過したと言うのに、一向に諦めてくれやしない。
「いい加減他の男でも探したらどうだ?」
「あらやだ? バルツァー様こそ、私以外の方といらっしゃらないくせに」
「…………」
別に女性が嫌いなわけではないが、積極的に一緒にいたいと思えた女性など今まで一人もいない。…………いや、つい昨日、面白そうな奴を見つけたが、彼女のことはよく知らない。
そしてちょうど人気のないスポットまで連れていかれる。こんな場所よく知っていたな。
「ギルベルト様、本日もお疲れ様です」
突然、今逢いましたかのように労ってくるベッケンシュタイン嬢。しかし、彼女がこういいだした以上、今日の告白はここで始まるらしい。
「ああ、ベッケンシュタイン嬢。こんなところに呼び出して何の用だ?」
知っている。もう何度もこれに似たやり取りを繰り返した。しかし、それでも彼女が続けるならばいい加減やめさせるべきだろう。
「何の用かなんてギルベルト様。お互い婚約者のいない公爵家の男女が二人きり。察してくださると、喜ばしいのですが?」
「察する? よその公爵家である君に、恥をかかせたくないからこうして人気のない場所で話をきいてやろうとしているが、ベッケンシュタイン嬢からのアプローチは何度も断ったはずだ。察するべきなのは君の方だろう」
高等部にまで進学して、まだ続けるつもりなら、彼女ももう子供ではないのだから、きつく言うべきだ。
「もう五年もこうしているのですよ? 今更私が諦めるとでも?」
五年も断られているのに、諦めがつかない方が理解できない。彼女の想いは爵位関係なしの好意だと言うのなら、恋とはここまで人を盲目にするものなのだろうか。
わからないな。そう感じた時、鈍い音でゴンッと言う音が響いた。
「誰かそこにいるのか?」
金属製のごみ箱の裏。人が隠れられなくもない大きさはある。
「にゃ、にゃーーお」
なんとも下手な猫の鳴きまねが響いた。
ベッケンシュタイン嬢が鼻で笑いながら下手すぎですと呟いている。
確かに下手くそだったが、俺はその下手な鳴きまねよりも、声が何度も頭に響いた。
昨日の少女の声に似ている。
俺とベッケンシュタイン嬢は二人でゴミ箱の裏を覗き込むと、茶色く長い髪をした少女が、澄んだすみれ色の瞳を小刻みに揺らしながらこちらを見つめていた。
「マリー・コースフェルト! あなたなんでこのようなところにお一人でいらっしゃるのですか?」
「え? それはですね、そのとにかくごめんなさい!!」
彼女は、やはりどこかに走り去ってしまった。その時俺は、彼女の背中が見えなくなるまでそちらを見つめていたことだけは覚えていた。
次話もギルベルト様視点にしようかと思ってます。ごめんなさい。
今回もありがとうございました。