[7]かのじょとかれのであい[過去編1-2]
真凜は手提げ鞄から一冊のノートを取り出した。
ノートを開くと、そこには悪口などの言葉がびっしりと書かれていた。
『相変わらず陰湿な奴等だな…』
これまで真凜が受けてきたいじめは、誰がどう見てもいじめであるとは分からないようにされてきた。偶然を装って、わざと足をひっかけたり、習字の墨を服にこぼされたり、小物を隠されたりしていた。
今回は、提出のない教科のノートの、後ろの方の白紙ページにだけ書かれている。しかも見ただけでは、誰かに書かれたのか、真凜が自分で他人の愚痴を書いたのか、判断がつかないような書き方をされていた。
真燐がノートに書かれた字を真凜の瞳越しに見ていてふと気付いた。
『これ、マナとかいう奴が書いたのか』
精神世界から真燐は真凜に問いかけた。
マナというのは、同じクラスで唯一仲の良い真凜の友達だ。
「…うん。貸したら、こんな状態で返されて…」
『あいつが進んでやったのかは分からないよな、例えば脅されて書いた可能性もあると思うけど』
「ま、まなちゃんはそんなこと進んでしないって…思ってるけど、でも、書かれた事実が辛くて…」
真燐は涙を流し始めた真凜に静かに話しかけた。
『まぁ、うちから見ても悪い奴とは思えないし、信じてもいいんじゃねぇの』
真凜は軽く頷いた。
『で、お前はどうしたい?本人に確認する?それともいじめた奴等に報復する?』
真凜は真燐の冷たい声にびくっとした。
真凜は恐る恐る答えた。
「別に、どうしたいとか、ないけど…でも、まなちゃんを責めることは、しないでほしい…。あと、真燐ちゃんが、いじめられるのも、嫌」
『要望は大体分かったけど、ちゃん付けやめろ、うざい』さっきより格段に冷たい声で真燐は言い放った。
「えー…」
『ちょっとこっち来い』
真燐は精神世界から真凜の意識を引っ張り、再び精神世界に降ろした。
真凜の身体はその場で倒れ込んだ。
真燐は真凜の目をしっかりと見て言った。
『明日うちはお前に代わって学校に行く。目的は、マナがしたことの背景を探ることと、お前のいじめにケリをつけること。結果として、さっきのお前の主張に反して自分の人生を自分で生きたいと思ったらそうしてくれ。また死にたいと思ったら次は止めないから今度こそ好きに死んでくれ』
真凜が物憂げな様子をしていた。大方、好きに死ねと言ったことを不満に感じたのだろうと真燐は考えたが、自分の意志を変えるつもりはなかった。
『どうした、別に問題ないだろ?』
『…一つ、質問してもいい?』
『…何?』
『私が死んだら、貴女も死ぬの?』
真凜の言葉と表情に、真燐は口をつぐみかけたが、目を反らして話した。
『…そうだな。でもうちのことは気にしなくていい。これはお前の身体だし、うちはただの居候だ』
『違うよっ』
真凜は珍しく語気を強めて言った。
『私たち出会ってしまったから、貴女に救われたから、もう【ただの居候】じゃないよ…。貴女はどうして…自分が死んでもいいかのように言うの…』
真凜が大粒の涙を流しているのを横目で見て、真燐は手を差し伸べかけたが、やめた。
暫く、真凜のすすり泣く声だけが精神世界に響いた。
『………自責の念、なのだろうか』
漸く真燐が発した言葉は、小さすぎて真凜には届いていなかった。
『え、今なんて…』
『…どうでもいいだろ、そんなこと。自殺しようとしたお前に言われる筋合いはないし』
言葉遣いは乱雑であったが、真凜は、真燐が穏やかな口調で話しているように感じた。
『けど、悪かった。別に自分がどうなってもいいんじゃなくて、お前の意思を尊重したかっただけだけど。存在が認知された以上、他人事にするのはもうやめる』
真燐は真凜の涙を人差し指で軽く拭った。
『とりあえず一緒に生きていく。今後についてはお互い相談する。それでいい?』
真凜はこくりと頷いた。
翌朝一番に登校した真燐は教室に入って教壇に立った。
『どうするの?』真凜が精神世界から声をかけてきた。
『ほぼノープラン。まぁちょっとズルしつつ昨日のこと探ろうかなと』真燐は口には出さずに精神世界の真凜へ語りかけた。
『ズル?』
『あ、来たな』
真凜が真燐の瞳越しに見たのは、マナと呼ばれる友達の姿だった。
マナは教室に入るや否や、真凜の席に向かった。
真凜のことは見向きもしない。
『…私のこと、完全に無視してる…』
『無視とは違うな、うちらの姿が見えてないだけだ』
『え?』
マナが何かを真凜の机の中に入れたのを視認した。
自席へ向かうためマナが後ろを向いた所で、真燐もさっと自席へ向かい、入れられたものを取り出した。
「ま、真凜ちゃん…」
今度はマナの目に映っていたようで、真っ直ぐに真凜の身体に目を向けていた。
真燐は気にせず取り出したものを見ると、それは手紙だった。
そっと開くと、中は謝罪の言葉が書き連ねられていた。
「あの、昨日のこと、本当にごめんなさい…」
マナは深々と頭を下げた。
「脅されてやったんでしょ?」
「うん…りかちゃんに」
リカはいじめグループのリーダー的存在だ。
「なら仕方ないとは思うし、ワタシも貴女のことは信じてたけど、それでもされたことに対して本当に辛いと思ったよ。今日登校できるか分からない位には」
真燐は真凜の口振りを真似て言うが、マナは真凜のいつもと違う雰囲気にびくりとした。
「ごめんね…」
「いや、もういいよ。こっちこそ巻き込んでごめん。一応今日何とかするつもりだから、解決できた暁にはまた仲良くしてね」
「今日…解決…?」
きょとんとするマナに、真燐は作り笑顔を向けた。
「とりあえず、今日ワタシに謝ったことばれないようにしててほしいな」
「何かするつもりなの?」
心配そうに見つめるマナに対して真燐は無言を貫いていたが、やがて遠くからワイワイと話し声が聞こえてきた。
マナが真凜に背を向け教室後方のドアを見やると、続々と他のクラスメイトが教室に入ってきて、その中にはリカやリカの取り巻きもいた。
リカはマナに気付いて話しかけた。
「おっはよー、昨日は協力ありがとねー!」
慌てて真凜の方を向いたマナは、真凜がいなくなっていることに気付いた。
真凜もまた、その場に留まっているのにも関わらず、自分の身体が再び他の人から見えなくなっていることに気付いた。
「あっあの、約束は守ったからこれでアレ返してくれるんだよね…?」
「そうだねー、でもあんなに面白いならもうちょっと手伝ってもらってもいいかな」
「そ、そんな…」
「ま、あいつがめげずに学校来れたらの話だけどー」
そう言ってリカはけらけらと笑った。
『これで脅されてたのは確定だな』
真燐に言われた真凜はコクリと頷いたが、その表情は暗かった。
「しかしまぁ、動揺してたカゲ子見れて面白かったわ」
蔭内真凜の頭文字から、カゲ子。
勿論親しみを込めたあだ名などではなく、性格が暗いからカゲって名前がぴったりと言って呼ばれ出したものだった。
真凜は、自分がノートを見て涙が溢れて慌てて帰ったのをリカに見られていたと知り、また涙が出そうになった。
『マナの件は分かったし、あとはいじめ集団をどうするかだな』
姿を隠している真燐は、人気のない所で姿を現す為に一度教室を出ようとした。
「これ以上、真凜ちゃんをいじめないで…!」
マナが体を震わせながらリカに言った。真燐は教室へ出ようとする足を止めてマナを見た。
「あれ、カゲ子の肩もつ気?」
リカはマナを鋭く睨んだ。
マナはリカの取り巻きに囲まれながら、必死の思いで声を出した。
「わ、私後悔したの。やっぱり、友達を見捨てることなんてできない…」
「気に入らないなぁ」
リカはマナの腕を掴んだ。
「ちょっと来な。そういうことなら一緒に遊んであげる」
リカもその取り巻きも、にやりとしてマナを廊下へと連れ出そうとしている。
「い、嫌…」
『あいつ…余計なことを』
『ま、真燐ちゃん…!』と真凜は助けを求めた。
姿を隠したままの真燐は教室を見渡した。
やり取りに気付いてない者、見て見ぬ振りをする者。止めに入る人はいなさそうだった。
『助けることは簡単だけど、怪奇現象の目撃者多数ってなりそうだな…どうするか』
教室には既に20人ほど人がいて、姿を現す時、誰かには目撃されそうだった。
ふと真燐は一番前の窓側の席を見た。
「…あれは」
「やっぱカゲ子の友達なんか信じるんじゃなかったな。ま、あいつ今日来ないだろうから、新しいオモチャができてよかったかもな」
「やめて…」
マナは教室のドアにしがみついて必死に連れていかれまいとしていた。
「やめなよ」
教室内から、真凜の身体を操る真燐が真っ直ぐにリカ達を引き留めた。
「あれ?来てたんだ」
リカは冷たい視線で真燐を見た。取り巻きがマナから離れて真燐を囲んだ。
「てっきり今日は来ないかと思ったのに。マナからのプレゼントはどうだった?」
真燐は自分より背の高いリカを見上げて睨んだ。
「マナチャン脅してまでワタシを虐めようとするのは流石に屑すぎない?」
リカはハッと笑って腕を組んだ。
「今日は強気じゃん、裏切られたくせにウケるわ」
見下すように言うリカの言動に、真燐はため息をついた。
「そんなことはどーでもいい。関係ない人巻き込むのはやめてくれないかな」
「…へぇ、もっとやらないと足りないのかなぁ。マナ、もっとやってやりなよ、昨日したみたいにさ。そうしたら許してあげるから」
真燐の肩越しにリカに見つめられ、マナは青ざめて俯いた。真燐はマナをちらりと見て、再度リカを鋭く睨み付けた。
「話聞いてる?関係ない奴巻き込むなって言ってるんだけど?日本語通じてるのか?」
「さっきから…調子に乗るなよ」
カッとなったリカは真凜を思いっきり殴ろうとした。
真燐は避けることなく、もろに顔にくらった。
「ま、真凜ちゃん…」マナが心配そうな顔で真凜を見つめた。
真凜の左頬が、変色して腫れてしまっていた。
「痛いな。…次やられた時にやり返しても正当防衛だな」
避けたりガードしたりする素振りすらなかったこと、痛いと言いながら平気な顔して睨み返してきたこと、そしていつもと違う冷たい鋭い言葉を放つ真凜に、リカはぞくっとした。
「もっと来るなら来たら?次は容赦しないけど」
真燐の放つ圧と、やりすぎだと言わんばかりのクラスメイト達の視線に気圧されて、「なんか冷めたわ」と言ってリカは教室をあとにした。取り巻きもそれに続いた。
「ま、真凜ちゃん大丈夫?!ほ、保健室…」とマナは慌てた様子で寄ってきたが、真燐はさっと避けた。
「痛いけど大丈夫。一人で行ってくる」
真燐がそう言って廊下を出ると、一人の男子が追いかけてきた。
「僕、保健委員だから、連れてくよ」
真燐は少し驚いたが、「ありがとう、じゃあお願いします」と返した。
二人はざわざわとする教室を去った。
保健室に先生はおらず、連れ添った男子がてきぱきと処置をしてくれた。
「ありがとね」
真燐は口角だけ上げてにこりとして、感謝の意を述べた。
しかし男子は口を固く結んで、拳をぎゅっと握った。
「…っ、あの!ごめん!」
「何が?」真燐は少し首を傾げて尋ねた。
「僕、いつも蔭内さんを助けたいと思ってたんだ。いじめられているの、知っていたから。でも怖くてできなくて」
「気にしなくてもいいのに。さっきも黙っててくれて助かったし」
「あ、さっき…突然何もないところから現れたよね…?」
先程真燐は、窓際の一番前の席と教卓の間に座り、出現していた。
突如現れたのを目撃したのはその席に座っていたこの男子一人で済んでいた。
「その話、もう一人のアンタとしたいんだけど」
「え、どういうこと…?」
「やっぱ知らないのか。…できれば話がしたいんだけど、出てきてくれねえかな」
男子は困惑した顔でたじろいでいたが、やがてふっと意識が途切れたかのように目を閉じたかと思うと、ぱっと目を開いて鋭い眼差しで真燐を見た。
「どう気付いたの?本人にも知られてなかったのに」
「地人や天人の気…オーラみたいなものを読み取れるんでね。精神世界にいてもアンタの気がだだ漏れていたよ」
男子はそんなことできるのか、と驚いた様子で目を見開いた。
「うちは地人の真燐。ちょっと話しませんか、天光クンの居候の天人様」