[2]歓迎されない彼女
幼い少女が泣いている。
何も見たくないと言わんばかりの長い前髪で両目を覆い隠し、暗い部屋で一人泣いている。
その少女が映ったスクリーンのようなものを、似た見た目の少女がじっと見つめている。
泣いている少女は何かを呟き、台所にあった包丁を手に取る。震えた手で自らの喉元に包丁を向ける。
その様子をスクリーンで見ていたもう一人の少女が、スクリーンに手をのばす。
「もういいだろ」
その瞬間泣いていた少女は急に目を大きく見開いて泣き止んだ。
「死ぬくらいなら―――」
そこで真燐は目を覚まし、体を起こして辺りを見渡した。
ログハウスみたいな部屋のベッドの上にいる。不思議にも窓がなく、外の様子が分からない。
懐かしい夢を見たな、と真燐は心の中で呟いた。
ほどなくしてドアが開き、勇樹が現れた。
「よかった、起きたんだ」
勇樹が安堵した表情で真燐の近くまで詰め寄った。
「ここは…」
「すぐ近くにあった小屋。この小屋自体は何なのか分からないけど、やっぱりここは天界みたい」
真燐が改めて周囲を確認すると、天井につけられたライトと、真新しいベッドと机と椅子が一つずつあるだけの質素な部屋で、誰かがいた形跡もなかった。
突然天界にとばされた自分たちのためだけに用意されたのでは、とふと頭によぎった。
「どれくらい寝てた?」
「そんなに経ってないよ。10分くらいかな。というか、大丈夫なの?体調悪かった?」
勇樹が心配そうな顔で真燐を見つめた。
真燐は冷静に倒れた時のことを思い返した。常時使用している能力が急に重くのしかかった感覚がしたのを思い出した。
「いや、多分能力を使ってたからだと思う。普段から防衛のためにバリア張ってるって前に言ったろ。それが急に負担になって…」
「あっ、そうだ。能力が使えなくなっちゃったんだ。俺、真燐を雲で運ぼうと思っていたんだけど、出せなくなってて」
「やはりか。でも、使えない、とは違うかもしれないな」
「どういうこと?」
「じゃあ検証してみようか」
真燐は右手を前に出して、全身に力を込めた。
「…ぐ」
苦悶の表情でしばらく力を込めると、小さな泡が数個ほど手に現れた。そして少し空中に浮かんだあと、ぱっと消えた。
「能力が使えた!?」
勇樹も能力を使おうとしたが、真燐が止めた。
「これじゃあ使えたとて使い物にならないし、無駄な体力消耗だからやめとけ。例えるなら、MPの使用量が100倍になって更にHPも消耗する感じか」
勇樹は驚いて真燐に言い放った。
「辛いなら無茶して使わなくてもよかったのに!ただでさえ倒れて心配したんだから…」
「ごめん」
確かに一度倒れている身でやることではなかったと思い、即答した。
珍しく真燐が申し訳なさそうな悲しい表情をしたことにいたたまれなくなったのか、勇樹は「いいよ」と答えた。
「というか、ゲーム好きの真燐らしい例えだけど、どういう理屈でこんなことになっちゃったんだろう…?」
「…さぁね。というか全容がまだ見えないからな。
急に天界に飛ばされたうちらの能力が封じられているってことは、恐らく広範囲の不特定多数を対象にしているんだろ。一人でやれる犯行じゃないな。」
勇樹はうーんと唸った後、思い出すように言った。
「さっきの人が言ったことを信じるなら、俺たちがそいつらを倒して世界を救えってことなのかな?」
真燐はその言葉に少しどきりとした。
世界に異変が起きると、世界を救えと言われた。
聞いた時には他人事のようだったその言葉が、実際に異変が起きてしまったことで、急に重みを増した感覚がした。
能力が封じられて凡人に近しい自分たちが世界を救うなんて限りなく不可能に近いのでは…と、酷く冷静に、真燐は思った。
「…分からないことが多すぎて何とも」
と勇樹に返答するとともに、自分にも言い聞かせた。
ほぼ何も分からない現状で悲観するのが正しいのかも判別できないのだから、まずは現状を知るべきだ。
「ここが天界なら、まずは中心都市にでも行って情報収集でもするか?」
中心都市は天界の中枢を担う所謂首都であると、真燐はかつて勇樹に教えてもらっていた。
「そうだね。もう動けそう?」
「大丈夫だと思う。まぁ大丈夫じゃなくてもあんまり悠長にしてられないだろ」
真燐は立ち上がった。若干ふらついたものの、平気な素振りでドアの外へ向かった。勇樹もそれに続いた。
外は草木に深々と覆われていて、小屋の場違い感が出ていた。
「能力が使えなくなったことで、うちみたいに反動が生じたり、急に能力が消えたせいで危険に晒されたりしている人がいるかもしれないからな」
「確かにそうだ…!」
真燐はまくし立てるように喋る。
「更に言えば、物に込めた能力も、有限のものはいつかは効果が切れてしまう。普段は定期的に能力を込めるわけだが、それができなくなるわけだ。
例えば中心都市の建物の幾つかは能力で浮いてるんだったな。能力が切れたら落ちて大惨事だ。もしくは、物に込めた能力すらも封じられるなら、既に…って可能性も。考えすぎならいいけど」
勇樹が咄嗟に口にした。
「あ、さっき浮いてるの見たから、込められた能力は大丈夫そう。けど安心はできないし早く行かないと!」
「見たってことは中心都市の場所、分かってるのか?」
「うん、真燐が寝てる間に周辺を少し調べたんだ。あっちの方だよ、意外と近いみたい」
足早に、しかし走りはせずに二人は勇樹の案内する方へと歩いた。勇樹が真燐の体調を気遣っているようだった。実際、真燐はまだ体の怠さと胸あたりに痛みを感じていたため厚意に甘えていた。
やがて二人は草原を抜けた。
天界と呼ばれるそこは、雲の上の世界である。深い草原を抜けたことで、地面である雲から木々や草花が生い茂っている景色が見てとれた。花の近くでは、桜の花びらを4枚つなげたような蝶のような生き物が舞っている。空の青も美しく、まさに天国かのような場所である。
中心都市の建物が遠くに浮かんで見えた。
もはや建物か分からないような渦巻状の形をしている。おそらく能力で作られたものだろう。
「勇樹様?!どうしてこちらに!」
勇樹と真燐は足を止めた。声のした方に目をやると、フードを深々と被り、手に槍を持ち、背中に白い翼を携えた人が5人いた。
「君たちは、中心都市の兵かい?」
「そうです。勇樹様は中界にいらしたのではなかったのですか」
「えっと、俺もよく分からないんだけど連れてこられたみたいで…」
「む、この女は何者ですか」
「能力が封じられたこの非常事態にここにいるとは怪しい」
兵たちは真燐を取り囲むと、槍を突き付けた。
真燐は無言で抵抗もせず兵たちを見つめた。
勇樹は焦って兵たちに呼び掛けた。
「ちょっと待った。彼女は俺の友達だよ」
「しかし天人ではないのでしょう。名乗れ」
「彼女は次期…」
勇樹が答えようとした時、真燐はわざと言葉をかぶせた。
「名乗るほどの者ではありませんが、泡使いの地人です。彼とは中界で仲良くさせてもらっています」
「地人だと?!」
「余計信用ならん」
「能力が泡とは…大したことはなさそうだ」
兵たちはざわついたが、真燐は気にせず続けた。
「私たちは何者かによって天界に連れてこられました。私も能力が使えませんので、何も危害を加えることはできません。信じていただくほかありませんが、彼とは一緒にいたので証言してもらえると思います」
兵たちは疑惑の念を抱きながら、勇樹に訊ねた。
「勇樹様、この者の言ってることは本当ですか」
「本当だし、彼女は信用できる。まずは俺の友人に向けているその槍を早くどけてくれ」
それでも「しかし」と言って兵たちは渋った。
「早くどけろと言ってるんだ」
普段な温厚な勇樹が珍しく怒りを前面に出した。
「…分かりました」
ようやく槍をどけた兵たちを若干睨みながら、勇樹は真燐の元へ駆け寄った。
「息するように嘘をつくね」と勇樹が小さく呟いた。
「ほとんど真実だろ。それに今本当のことを言っても面倒しかないと思って」と真燐が返す。
「さて、能力が封じられたと言ったけど、君たちはこの状況について何か知ってる?」
勇樹は普段の優しい顔つきに戻って兵たちに尋ねた。
「詳しいことは何も存じ上げません。ただ…」
「ただ?」
「城が何者かに占拠されたようでして」
その時、真燐は兵に一瞬ちらりと見られた気がした。
「…王、そう、王様が捕らわれてしまいました」
「何だって?!王様って…」
天界の王と言えば、植物の根の能力を持つかなり高齢の男性であると真燐は聞いていた。
とても強いが最近は病気がちで城に籠っているとのことで、襲撃に耐えるだけの元気は残っていなかったのだろう。
「我々は城に乗り込むつもりですが、能力も使えないのに行っても危険なので、能力の込められた武器を集めようとしているところでした」
「中心都市への能力注入の儀を始める5時間程前にこの異変が起きて、建物が落ちてしまうリミットが大体あと1日半なのです」
「別の隊が避難を進めておりますが、被害は免れられないので、占拠している敵を倒せば或いはと思い…武器を集めて明日の朝に城への突入をと考えています」
「ふぅん…」
真燐は腕組みをして、考える素振りをした。
「真燐、俺たちも手伝った方がいいかな」
勇樹に問われた真燐はしばらく考えた後、「いや、別の方針でいこう」と勇樹に呟き、兵たちの方を向いて「皆さんにお願いがあります」と切り出した。