[1]拐われた二人
空に浮かぶ不可思議な雲の上に、少年と少女は立っていた。
少女は涼しげな顔で、ぜぇぜぇ言って膝に手をついている汗だくの少年を見つめた。
「今日はこれで終わりにしようか」
少女は少年に声をかけた。
「…分かった」
悔しさを滲ませた表情で少年は返事をした。
二人が乗る雲は大きな泡に覆われていて、外から見ても何もないような擬態をしていた。
近くを飛んでいた鳥がその見えない泡へ突撃すると、泡が鳥を優しく跳ね返した。鳥は訳の分からない様子でUターンして飛び去っていった。
「今日も訓練付き合ってくれてありがとう、真燐」
真燐と呼ばれた少女は無表情のまま、小さくコクリと頷いた。
「じゃ、降りるか」
真燐がそう言うと、泡が雲とともに降下していき、人気のない公園へと降り立った。二人が周囲に誰もいないことを確認したのち、「せーの」の合図で泡と雲が消えた。
「ふぅ、」と言って少年がベンチに座った。
「勇樹、大丈夫か?」と言って真燐は少年――勇樹の隣に座った。
「うん、平気。それにしても俺、まだまだだなぁ。真燐は俺の相手なんかして退屈じゃない?」
「いや、十分成長してるよ。本気でやらないと危険な位で退屈してる余裕はないかな」
「そうなのかなぁ…」
真燐は不服そうな表情の勇樹をちらりと見た。
自分は嘘をついていないし、勇樹も自分が嘘をついていると思ってはいないと思う。しかし力の差があることは恐らく客観的に見ても明瞭であった。
何て声をかけようかと考えていたが、勇樹の方から沈黙を破った。
「ねえ、どこか改善した方がいいことはない?」
「そうだな…咄嗟の判断が遅れるのは気になるかな。実践積むしかない気はするけど」
「確かにそうかも。ありがとう。明日もお願いします」
真燐は勇樹に頼まれて休日は訓練に付き合うことが多かった。その中で二つ疑問に思うことがあった。
一つ目は勇樹がなぜこんなにも訓練して強くなろうとしているのか。普段から戦う必要があるわけではないし、近々戦う予定があるわけでもないはずなのだが。
二つ目は…なぜこんなにも力の差があるのか、だ。
「真燐、帰ろう」
「…そうだな」
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少年の名前は天光勇樹。
髪は緑がかった黒色で、右目を長い前髪でしっかりと隠している。脚についた筋肉はサッカー部で培ったものだ。優しそうで爽やかな顔立ちである。スポーティーな格好をしているのは今しがたやっていた訓練のためだろう。
少女の名前は蔭内真燐。
髪は青がかった黒色で、長髪、前髪は作らずセンター分けにしている。無表情かつ無愛想な物言いで可愛げは感じられないが、顔は整っていて綺麗系だ。寒がりなのか、秋らしくなったばかりなのに首まで覆うパーカーを着ている。
二人は同じ中学の三年生で、小学校からの付き合いだ。特殊であるが近い境遇である二人は意気投合し、休日も一緒にいることが多い仲である。
今日は3連休の2日目であるが、訓練と宿題で1日が終わってしまうという日々を過ごしている。
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二人はベンチから立ち上がった。
しかし、立ち上がった途端、視界の一部が黒で覆われた。二人は立ち眩みだと思ったが、どんどん視界は黒に染まっていく。
端から見たら、二人が黒い物体に包まれて公園から消え去っていったが、当の本人たちは気付いていなかった。
「何だこれ!?」「勇樹もか?」二人は目を合わせる。
すると周囲は黒く染まりきったにも関わらず、お互いの姿ははっきりと視認できていることに気付いた。
「不思議な空間…異世界に飛ばされたのかな?」と勇樹が言う。
「異世界って…でも確かに、うちらが知ってる場所じゃない気がするな」と真燐が言う。
―ここは わたしが生み出した 空間
耳で聞いたのか、心に語りかけられたのか、よく分からないが、その言葉が頭に浮かんだ。すると目の前に白い光がぼうっと現れ、やがて人の形となった。
「誰だ?」真燐は鋭く睨んで言った。
―名乗る意味は ありません
―あなた方は わたしが ここに 連れてきました
―あなた方に お伝えしなければならない ことが あります
「それは一体…?」と勇樹が尋ねた。
―世界が 滅びようとしています
―あなた方に 世界を 救っていただきたいのです
「どういうことだ?」
「世界が滅びるって…?!」
―わたしは 本来 命に干渉してはいけない身
―干渉できる 時間は わずかなので 一つだけ 伝えます
―間もなく 世界に 異変が訪れます
―世界を巡り 全世界を 救って下さい
人の形をした白い光が崩れていく。
「待っ…」
―真燐 忠告します
「…うちの名前」
―その能力 今すぐ 解きなさい さもなくば…
光は消えて、再び二人の視界は黒に満ちた。
と思うと、黒の景色が剥がれていき、外から光が射し込んできた。二人は眩しさに目を閉じた。
次に目を開けた時には、公園ではなく、空と草木だけの景色に囲まれていた。爽やかな風が吹き、温かな日の光が射している。
「今のは一体…そしてここは…?」
「あれ、ここ、多分天界だよ」
「天界?何が起こってるって言うんだ…」
そう言った刹那、世界が重くなったような不思議な感覚がした。
「何だこの感覚は…?もしかしてさっき言ってた世界の異変…?」
勇樹がそう言い切る前に、真燐が血を吐いて倒れた。
「ちょ、真燐?!」
真燐は薄れゆく意識の中、さっきの謎の光に言われた通りに能力を解かなかったからなのかと冷静に考えていた。