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『大人になるとはどういうことだろうか』

作者: 文月優

 庇護されている子供から、ジリツした大人へ。こんなふうに私は大人というものがどんなものであるのかを漠然とイメージしていた。子供とは自律も自立もしていないもので、大人になるとは自分で自分を律し、自分でお金を稼いで親とは違う家計を持ち、一つの世帯として独立するという自立を求められる。では子供と大人の線引きは一人で生きていけるかどうか、ということにならないか。しかし大人というのは色々なしがらみに縛られ、他者との関係に頭を悩ませているように思う。大人はそれらを放りだして好き勝手に生きることはできない。仮にできたとしても、それは大人として認められるだろうか。それを考えると大人には、他者との折り合いをつけるという能力も求められる。昨今問題になっている児童虐待や高齢者の虐待や無視のことも顧みると、大人は弱い立場の者を庇護することも求められる。守られる子供から、守る大人へ。一足飛びに大人になるのは難しい。段階を得て、大人になっていくのだろう。大人は強くないといけない。負けても勝つまで立ち上がり続けなければならない。勝っても勝ち続けなければならない。そして他者のことも気にかけなければならない。他者を信用し、警戒し、助け合わなければならない。完璧な大人像なんて、結局は頭の中にしかいない。現実にはそんな強い人はそんなにいないように思う。失敗もすれば軽蔑もされ、時には足を踏み外し穴に落ち、這い上がろうとしたら梯子が外れる。やっと這い上がっても、真っ暗だ。その暗闇に光を見つけることも自分でしないといけない。光を見つけてもその光はフッと消えるかもしれない。それでもずっと光を探さないといけない。闇に溶けるなんてことはできない。

 大人になるとは、そんなに言うほど簡単なことだろうか。私の思い描いている大人なんてきっと私の頭の中にしかいない。私は強い者に憧れるが、私は彼らほど強くない。私は頭の良い人に憧れるが、私の頭なんて彼らと比べることもできない。私の理想は、どれも大きく現実と乖離している。大人になるということも、私にはまだわからない。どれだけ言葉を並べても、私にはまるでわからない。私は私の思い描く理想の大人になりたかった。しかし私の能力のどれを取っても足下にすら及ばない。しかし諦めることはしない。私は一生を掛かってでも理想を現実に近づけたい。現実はよくわからない。世界のことはもっとわからない。しかし、私には夢がある。この夢というのは確固たる目標ではない。大まかな方向性であり、目的である。私は夢を達成する為の武器である手段をコツコツと集めている。現実に流されて、何も解らないままに死ぬのは御免だ。よく分らないものによく分らないままに殺されることほど屈辱なことはない。私は理不尽には殺されてやらない。私は理不尽に殺されるのではなく、私が理不尽を殺すのだ。死ぬにしても私は納得して死にたい。悔しいまま死にたくはない。この世界を覆う理不尽が今も大勢の人を殺している。殺された人の無念は如何ほどか、私にはその痛みのほんの少しだけしかわからない。痛みの大きさは問題ではない。理不尽が在ることが問題だ。原因と結果の関係性が問題だ。くだらない小さな原因の入力で、死や痛みや喪失等の大きな出力がなされることもある。その入力や出力までの過程が完全にブラックボックスであることも少なくはない。この黒い箱の解明こそが私の望むことだ。私の人生の目的だ。しかしそれは大それたことだ。20年やそこらしか生きていない若造である私が今すぐにこれを為し得ることはできない。だから私は力を蓄えようと思う。私の大それた夢を実現するには力がいる。地位も権力もお金も必要になる。それらをすぐに手に入れられたとしても、今の私には大それた夢に見合うだけの能力も無ければ力もない。だから私はあえて遠回りをする。遠回りをしながら力を蓄える。私は全てを拾って歩いて行こうと思う。目的地は私には見えている。幸い私には時間がある。理不尽が私を殺すのが先か、私が理不尽の尻尾を掴むのが先か賭けてみるのも悪くはない。人はどう頑張っても死ぬ。どうあがいても死ぬ。どうせ死ぬなら私は一生懸命にこの人生を生きて死にたい。なんでこんな世界に生まれてきてしまったんだろう、なんて後悔して死にたくない。そんな悔しい死に方をするために生まれてきたわけじゃないと信じているからだ。今も誰かがこの日本で自ら命を絶っている。一方では誰かの大切な人が亡くなっていく。私はそれがとても悔しい。彼、彼女達、そして大切な人を亡くしてしてしまった人達の無念はどれ程のものだろうか。私がその人達であってもおかしくはなかった。私は私だ。その人達は私ではない。頭では解っていても、心はそれを理解できない。他人の心の痛みは私の心の痛みではない。本当にそうだろうか。私はいつか来る痛みに怯えている。私はこわい。一人取り残されることを、心から恐れている。私の世界には、私と近しい人しかいない。近しい人が全員居なくなってしまったら、私は一人になってしまう。私は一人になる前に死んでしまいたい。私は死にたくない。けれどそれ以上に私の大切な人達が私の世界から消えていって欲しくない。去る者は追わない。追う必要がないからだ。生きていてくれさえすれば私はそれでいい。どこで何をしてようと私はその人が元気なら、その人が私のことを嫌っていても構わない。雪の日にそっと傘を差してあげられる。それさえ出来れば私は何も言うことはない。私に大切なものをくれた、何よりも大切な人たち。その人たちの幸福を私はささやかながら見守りたい。私が生きていこうと思えたのは、半分以上その人たちのおかげだからだ。無念にも死んでいった人たちには何もできないけれど、生きている私達はその人たちの無念を汲み取って、次の犠牲者を出さないように「何か」を変えることができる。その「何か」はその人が変えたい何かで、私はその何かを見つけるのが人生の始まりだと生意気にも思っている。実際には独りでその何かを変えることはおそらく無理かもしれない。けれど同じ志を持った人達が集まって何十・何百・何千ともなるとおそらくほとんどのことは変えられる。

 私は人を応援するにはまだ若すぎるし、人の人生に口を出すことなんてお叱りを受けてしまうと思う。それを承知の上で、人生の引退を考えている方に一つ言いたいことがある。聞き流してくださっても結構だ。この世界には解決すべきこと、分らないこと、発見されていないことがそれこそ星の数ほどある。宇宙にも目を向ければ無限にある。貴方がその気になれば、貴方は今まで誰も見たことのない世界を見ることができるかもしれない。見つけることができるかもしれない。それは頭の良い人の仕事だと思うだろうか。私はそうは思わない。頭が良くても熱意のない人間には恐らく目の前に見えていても、それを見つけることはできない。そもそも頭の良し悪しなんて些細な話だと思う。頭の良さなんて熱意が勝手に引っ張ってきてくれる。そんな持って生まれたような天才的な頭脳が問題になるのは、遙か天上の話だ。そして何より問題なのは、天才の言ったことは常人にはすぐに理解できない。すぐに理解できるとするとその人はおそらく天才ではない。秀才だ。だから天才が発見したことが世の中に広く知れ渡るようになるのは、数世代後になってしまう。だから私や貴方が見つけるしかないのだ。見つけて、遺す。そうすれば、貴方は胸を張って引退できる。芥川龍之介も人生の舞台を降りるのも選択肢の一つだと言われたが、悔しさを遺して降りるくらいなら、見返して引退するのも選択肢として有りだ。貴方が悔しくて仕方のなかったことはなんだろうか。貴方が悲しかったことはなんだろうか。何故自分は失敗してしまったんだろうか。貴方は気にならないだろうか。気になるものがあるなら、その疑念を胸に死ぬべきではない。死ぬのは見返してからでも遅くはない。一眠りして書店や図書館で自分の気になる本を探して読んでみよう。自分の美味しいと感じるものを飲み喰いしながら、他の人の考えに目を通してみよう。本には一つの世界がある。その本を書いた著者が見ている世界がある。違う本には違う人の世界の見方が書いてある。貴方の興味のある本は何日掛けてもいいから、読むべきだ。読んでいくと自分と言うのがおぼろげながら見えてくるだろう。好きな意見と嫌いな意見も判ってくる。それが貴方の癖だ。大切にしてあげてほしい。おかしいなぁと思って調べたいものもでてくるだろう。自由に調べるべきだし、調べていくと貴方が世界をどう見ているかもわかってくると思う。断っておくが世界の見方に良し悪しはない。様々な人達がこの不確実に満ちた世界を理解しようと色々な道具を使って頑張って解釈をしている。面白くないだろうか。疑問をテーマに据えて、その疑問に納得のいく答えを得られるように色々なジャンルの垣根を越えて自由に表現してみよう。貴方の人生経験と読書で得られた知見を総動員して、貴方の立てた問いに貴方が納得する答えを打ち立てる。これができたらまたそれを繰り返す。強く興味の引かれた問いに答えられないとする。どう頑張っても答えられない。貴方はどうするか。四苦八苦しても納得のいく答えが出せない。本にも論文にも載っていない。諦めるのも一つの手だ。けれどその問いは貴方が答えを見つけるに値するとは思わないだろうか。貴方はその答えを知りたい。その問いは人生を賭して解決するに値するか、まずは貴方が見極める必要がある。もしそれが探求する価値のあるものなら、貴方は第一線で真実を発見する現場に居合わせる必要がある。その問題を解決するのに必要な技術を身につける必要がある。つまり、貴方はその問いの答えを見つけられる場所に身を置くべきだ。それには人生を賭ける価値がある。貴方の頭の良し悪しは関係がない。貴方はこの問いの答えを見たい。なら取るべき選択肢は一つしかない。最前線で真実を見る現場に居合わせるために必要なことは何か、徹底的に情報を集めて筋道を描く。そして一つずつクリアしていくのだ。他人に任せるよりは、自分で見つけて掴み取る方が楽しい。貴方が掴み取ることを私は祈っている。この世界をいつ降りるかは、自由なのか私にはわからない。けれど私は貴方にも幸せになって欲しい。そして何時の日か、貴方の見上げる青空を私も見上げていることを願っている。

お久しぶりです!ちょっと長かったですね...すいません。もうすぐ春になるのかな、関西ではちょっと暖かくなってきたように思います。もうすぐ桜が見れるね、やったね。

私事なんですけれど、最近自動車の免許を取りまして。嬉しかった文月です笑。乗る機会は無いけれどちょっと遠出もできるかな、なんて考えたりもして。まあなんていうか、美味しいものを食べている時が一番幸せかもしれません笑。

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[気になる点] 少し詰まり過ぎて読みにくいと思いました。 一行、一行間隔が空いていれば読みやすくなると思います。 [一言] あなたより、私はたぶん少しだけ年老いた若造でありますが、若さ故の信用がない…
[一言] 問いかけることと、その問いに答えることを続けていれば、自ずと問題の核心に迫ることができると私も思います。若いっていいですね。 お話の内容とは直接は関係ないですが、亡くなった人の下りを読ん…
2019/03/02 02:36 退会済み
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