キルレットの街に入ろう
空に足場を作って跳ぶのかと思ったら、空に上がった瞬間ロキシーは一匹の巨大なドラゴンに変貌した。ただ、アンデッドなので骨だけのドラゴンで、さらにはその骨の部分が瑠璃石になっているものになった。どうやら今の彼は「私が万年筆で書いた設定」と「イストワールでの設定」と「この世界の仕組み」が混じり合って瑠璃石不死竜種とでもいう存在になっているらしい。確か、恐竜の骨なんかは長い年月と奇跡のような偶然を経るとオパールという宝石に変わるらしいから、こう、ファンタジーのエッセンスをケミカルエックスを混ぜたようなノリで混ぜた結果「宝石化したドラゴンの化石がアンデッドになったもの」と考えれば、今のロキシーの状態にもある程度の納得がいくのかもしれない。
そんなことを考えつつ、しかし、それにしても何故竜の姿になるのかと問うてみる。こんなことをすれば目立って仕方ないと思うからだ。それにロキシーは軽い調子でこっちの方がスピードが出るし、隠蔽の魔法を使えるから見られる心配も無いから、と答えた。合理的判断の結果の姿らしい。
ならばそれに否やを唱え続ける理由はない。私は彼の説明に頷いた後、その背骨のところに、心もち足の間にスカートの布をたくさん巻き込むようにして座った。そうして、私はまるで箒で空を飛ぶ魔女のように空を駆けた。
掃除の時間に魔女の真似とかしたことある人なら大体わかると思うけど、あの体勢って結構股間にクるんだよね。この時は歩きにくい布たっぷりのスカート履いててよかったって心底思ったね。
己の股間が無事なことに安堵しつつ、魔法で何やらしているのか激しすぎる風を感じることもなく西の空を行くこと暫く。なんと、私達は三日どころか一日も経たずにキルレットの街の入り口を臨む道の端に辿り着いた。
街の見た目は、一言で言うと城郭都市と言うべきものだった。街全体をぐるりと石の壁が取り囲み、その真ん中に他よりも大きな城じみた屋敷があるのである。森の間の平原に突然街が現れたような見目なのは、ここが元は私が復活した村のさらに向こうに聳え立つマカドハ山脈の攻略、兼、ここまでずっと右手もしくは眼下にみてきたアブダの森攻略のための宿営地が起源だから、らしい。そういう来歴だからなのか、ここには二つの魔境での魔物狩りや周辺平野で発生する魔物の退治をしようとする冒険者達が拠点にすることが多く、そういうわけで冒険者ギルドがあるそうな。
でもね、まあそこらへんの歴史とかはね、どうでもいいわ。問題は中に入れるか否かってところだ。この街は周囲何百キロの村や町を束ねるちっちゃな政令指定都市的な存在でもある。試される大地北海道における札幌みたいなもんかな。でも札幌みたいにオープンな都市ではなく、この都市に入るためには、身分証の提示が必要とされている。変な人間が入り込まないように、っていう意図のものなんだろうね。村では確か村長がこの街での売買のための身分証を持っていた。でも、行きに二週間帰りに二週間、計一ヶ月もかかる寒村が旅支度などできるはずもなく、村で自産できないものは一年に一度訪れる徴税官と行商人から買っていた。ということは当然アメリアは身分証なんて持っていないし、この世界で蘇ったばかりの私も、その実体はドラゴンのアンデッドであるロキシーもそんなものは持っていない。であればどうすればいいのか。その答えが、検問所の隣に設置してある、クッソ長い行列を持つ出店みたいな場所にある。
目立たぬよう、街から遠い道の端に降り立ちぽてぽて歩いて街に向かう私は、街の外壁が見えてきたあたりで隣をゆっくり歩くロキシーに右手を出した。ちなみにロキシーがスローモーションで歩いているように見えるくらいゆっくり歩いているのは私の歩く速度に彼が合わせてくれているからである。なんて優しい子なんだろう。
「ロキシー、アイテムボックスから『蜂蜜』を出して」
「はい」
ロキシーが答えるとほぼ同時に、私に差し出した掌の上に、黄金色の液体が並々と入った透き通ったガラス色の瓶が現れる。大きさは……そうだな、わかりやすく言うとちょっと大きいジャム瓶程度、かな。高さ二十センチ弱、直径八センチほどの丸いガラス瓶に入ったこれは、『イストワール』では回復薬の合成に必須のアイテムである『蜂蜜』である。ロキシーのアイテムボックスに入っていたやつだ。
アメリアの知識曰く、この世界では蜂蜜は砂糖ほどではないにしろ超高級な食材らしい。ならば、金銭感覚があんまりないので確実なことは言えないけれど、これ一本で金貨十枚は堅いだろう。量もさることながら、この一片の曇りもない純度がべらぼうにヤベーだろうからな。
私の作戦はこうだ。これを検問所の隣にある買取検査所に持っていき、「この蜂蜜を買い取ってもらうためにこの街にやってきた」と言う。すると、買取検査所で身分証は貰えないけど入街許可証という二日間だけ街に入れるビザのようなものが手に入る。これは街の中にある買取を請け負う店に商品を卸すためのものだ。それを使って街の中に入り、今度は冒険者ギルドに行って身分証を作るのだ。
あ、作戦とか言ったけどこれ腕に自信のある人間なら誰だってやる身分証の作り方らしいです。腕に自信のある、っていうのは、そもそもこの買取検査所でのお眼鏡にかなう品を出せないと入街許可証を出して貰えないからだ。買い取って貰えないこともあれば、簡単な品だからとその場で買い取られることもある。
要は「キルレットの街に有益な人間か否か」を判別するのがこの買取検査所で、有益であることを示すために私が手に取ったのが、この蜂蜜というわけである。
買取検査所に辿り着いたので、列の最後尾にそっと並ぶ。その前にエプロンで蜂蜜の瓶を包み、周りには見えないようにする。なるべく目立たないように小さくなっていようとしたが、その努力は開始一分で諦めた。私の隣に「えっこの中身ホントに人間?」って思っちゃうサイズのでっかい全身甲冑が立っているからね。そらべらぼうに目立つわ。もうバリバリに目立ちますわ。だって甲冑がどう考えても高級なものだからね。言っちゃ悪いが買取検査所に並ぶのは「身分証を出してもらえないほどの貧民」達だ。どう見ても立派な騎士にしか見えないロキシーは、こちらに並ぶのは異質すぎる。
そんなことを考えながら、日本人にはなじみ深い行列に並ぶこと数分。何かしらのイベントが発生するんだろうなぁ、と予知じみた生ぬるい覚悟と予想を胸に抱いていると、慌ただしい足音とガチャガチャと金属同士がぶつかる音が聞こえてきた。音のする方向を見ると、城門を守る兵士が何人か私達の方に駆けてきているのが見えた。
「止まれ、そこの男」
彼らが声をかけたのは、やはりというかなんというか、ロキシーだった。
声をかけられたと知覚し、ロキシーが兵達の方を向く。がしゃり、という硬質で重い音を立てながら、甲冑の上にちょこんと存在している兜はぐいっと首の角度を付け、斜め下にその顔を向けた。
完全に見下ろす体勢だ。見下す体勢にも見えるような気もするが、それは気のせいだと思いたい。
「私に何か用か」
……思いたかったのだけど無理でした! 腰に響くような低い男性の声は私に話しかける時と全く同じ声なのに、この二日で聞き慣れた木訥としたたどたどしさの残る声色はどこにもない!
あまりのキャラ変っぷりに思わず見上げると、ロキシーの体ががしゃりと動き、彼らから私が死角にくるように体の向きを変えた。どうやら彼は兵士達を危険人物もしくは危険かもしれない人物と認識してしまっているらしい。
そんな物騒な認識はいりません! ていうか、物騒って一言で思い出したけど、この声の調子は私がガチャで当てた有料ボイスの台詞の一つだわ。好きな声優さんのボイスだから遠慮無く課金してガチャガチャして当てた声だわ。どうやらロキシーの(あるかどうかはわからないが)声帯とでも言うべき部位はボイスを提供してくれた声優さんと全く同じものらしい。でも、ボイスの方は「寡黙な剣豪(成人男性)」というものだったのが、当人の内面が生まれて数年の子どもなもんだからロキシーはいい声で片言な喋り方をするのだろう。いやまあ今の私に言わせればそこがまたいいんだけど……それを語ると長くなるので置いておこう。
で、そういうわけで自分で考えて喋る言葉は子どもっぽいものになる。でも、ボイスそのままの声は無理なく出せるし、その声はちゃんと設定通り「寡黙な剣豪(成人男性)」のものになるってことらしい。
たぶん今ボイスの台詞を出したのは威嚇のためだろう。平素の自分、素の自分が、相手を威圧するには足りないから、もっと怖い台詞を咄嗟に放ったってことなんだろう。
(あ~~その思考かわいいんじゃあ~~~~咄嗟にかっこいい姿になって状況に適応しようとがんばる所さいッこうにかわいいようちの子ォ~~~~)
心持ちがるがるしているロキシーの後ろで、私の表情筋は笑顔を作りそうになった。うれしさで。でも、ぴりぴりした空間に笑顔って不似合いだ。だから私は咄嗟にほっぺたを押さえて表情筋を物理的に黙らせた。静まれ私の表情筋。
「お前は何者だ。どこから来た」
私の中が面白いことになっている間にも兵士達の緊張は増していく。ぴんと糸を張ったような空気の中、ぽんと放たれたのはド直球の問いだ。それにロキシーが答えようとするが、どうやら理想的な台詞が思い当たらないらしく沈黙している。そのまま沈黙を貫いて無視ということにしてしまうか。それとも、片言ながら説明するか。説明するにしても、何をどう言うか。
きっとロキシーには荷が重い思考だろう。内面を大変賑やかにさせつつもそれにすぐに思い至った私はロキシーが答える前に私は兵士の死角からそっとロキシーの体に触れ、その声を止めた。そのままずいと前に出て、にこやかな笑みを浮かべて一礼する。
「こんにちは。私は遠方の村から来た者です。こちらは私の護衛です。私達は、この街に、この蜂蜜を買い取って頂くためにやってきました」
そう答えつつ、エプロンを解いて蜂蜜を見せる。無個性な西洋甲冑を一部だけ身につけ、機動力と防御力のいいとこ取りをしたような格好の兵士達は、私が見せた蜂蜜を見ると、ギョッと目を見開いた。
ついでに私達の側にいた他の人間達のうち、何人かもぎょっと眼を見開いた。粗末な格好から察するに、甘いものに縁の無い人間なんじゃないかな、あれは。それで蜂蜜に反応したっぽい。
「は、蜂蜜だと!?」
「これほどの量か!? 貴様何者だ!」
「だから、遠方の村から来た者ですってば。でも、ごめんなさい、生憎村の名は知らないのです」
これは本当だ。何故かアメリアは自分の村の名前を知らなかった。まあたぶん、村の名前を使う機会が無かったから知らないのだろう。人だって自分の名字を名前より先に覚えたりしないしね。名字を覚えるようになるのは家という空間から出る時、それを意識する時だ。アメリアは村から出たことが無いから村の名を知らなかったってことだな。
私の感覚では、こんなおおざっぱな説明では、事情説明には全くもって足りない。もっと突っ込むべきだと思う。けど、兵士はこの答えでとりあえずは満足したらしい。紛らわしい、とかなんとか言いながらも体の緊張を解き、「ならばよし。大人しく待っていろよ」と言うと詰め所の方に帰って行った。
(なんていうか……)
もっと仕事した方がいいと思うヨ、門番さん。私らたぶん、この街始まって以来の超危険人物だよ。いや、仕事されたら困るから、私らはそれでいいんだけどね?