監禁8日目。私もヤンデレから離れられない。
私の名前は中条瑠奈。
この名前は三番目の名前だ。
最初は、宝條瑠奈という名前だった。
8歳の時、私の両親は離婚した。
理由は単純で、両親の仲が悪くなったから。お互いの怒鳴り声が響くから、私はいつも子供部屋の隅っこで息を潜めていた。
離婚後、母方の姓に変わり、私は城島姓を名乗ることになる。しかしそれも長く続かなかった。
母は再婚する際、私を実家に預けたからだ。母は父と別れてすぐ再婚したと聞いているけれど、連れ子の私がいたら邪魔だと判断したのだろう。
祖父母は、子供は親の手で育てるべきと母を諭したし、母にその気がないならと、父にも連絡を取って私を引き取るよう説得したが、うまくいかなかった。程なくして相次いで祖父母は亡くなった。
私を何とか親元に戻そうとしたのは、二人とも自分が長くないことを知っていたからだろう。
しかしこの件で母は実家と距離を置いてしまい、祖父母が死んだ時でさえ完全に連絡がつかなくなってしまった。
まだ中学生に上がる前だった私は、親戚同士の問答の末、叔母の家に預けられる。中条姓は叔母の姓だ。
「うちの姉はなんであんなに非常識なのよ! 迷惑以外のなにものでもないわよ!」
ごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
生まれてきてごめんなさい。
目が覚めた時、私は一人だった。
フリルの天蓋付きベッド、そして、ふわふわの、ネグリジェ。足に延びる鎖。
「え……?」
時計を見たら、もう朝8時だった。いつもより遅い。その理由は、すぐわかる。いつもは私の寝顔を覗き込むヤンデレ男の気配で、眠りの浅くなった私は目を覚ますのだ。
なのに今日は、誰もいない。
しん、と静まりかえった部屋で、私は起きる。
リビングに行くが、誰もいない。冷えた床が裸足に冷たい。いつも、すぐ紅茶やハーブティーが飲めるように湯気を立てている電気ケトルの電源がついていなくて、部屋の空気は乾いていた。
リビングの、柱からは、私の足に繋がる鎖が延びている。それはしっかり鍵がかかっている。
「嘘、でしょ……」
男がいない。そのことに衝撃を受けた。
それは私にとって……絶望だった。
トイレやキッチンまでは届くから、水は飲めるし、ある程度は食事も取れるはずだ。だが、それ以降も男がいなかったら?
私はここから出ることも、助けを呼ぶこともできない。ここで餓死してしまうのだ。
一瞬で最悪の事態が組み立てられ、私は床に崩れて座った。
「ちょっと、ちょっと、そんな……」
その時、リビングの扉の向こうで物音がした。
■
男は目を覚まし、時計を見てはっとした。
寝過ごした。そのことに気付く。
最近、睡眠不足だった。瑠奈をここに連れてくる計画を実行する前から、緊張と興奮で眠れなかったし、瑠奈が来てからもしばらくは、彼女の行動が気になって、一睡もできなかった。
最近はさすがに仮眠を取れるようになってきたが、一方で、昼間に進めていない分の仕事を、夜の間にリカバリーしているため、今も眠る時間を削っている。
やむを得ない。仕事に支障が出れば出勤しなくてはいけないし、自分が仕事をしなければ瑠奈を幸せにできない。
そのために男はどれだけ自分を削っても構わなかったが、それでもやはり体は限界だったのだろう。
急いで支度をして、瑠奈の朝ごはんを――と、男が自分の部屋を出たときだった。
「いやあっ!」
瑠奈が叫び声をあげて、リビングから飛び出してきた。乱れた髪は寝起きのままで、足には鎖がついている。
そのまま、男を見るなり走ってきて、そしてピンと鎖が張られ、前に転んでつんのめる。
「ルナちゃん!」
ただ事ではない様子の瑠奈に、男は慌てて駆け寄り、彼女が床に倒れる前に抱き止めた。勢い余って男は瑠奈を抱えたまま、尻もちをつく格好でしたたかに後ろに倒れる。
「どうしたのルナちゃん、何が」
「いやっ、行かないで、どこにも行かないで、お願い!」
「――っ!」
男はもがくように体を押し付け、錯乱する瑠奈を力いっぱい抱きしめる。
「どこにも行かない。ずっとルナちゃんの傍にいる。絶対に離さない。大丈夫。大丈夫」
「いかないで、いかないで」
「行かない、どこにも」
捨てないで。愛してる。行かないで。どこにも行かない。
男は何度も言い聞かせた。
「離さないよ、大丈夫だよ……愛してるよ、愛してる」
瑠奈が泣き疲れて眠っても、男は壊れたテープのように愛を囁き続けた。
■
内藤が会社から教えられた住所に行くと、そこには小さなアパートがあった。
中条さんは一人暮らしだという。実家に戻ったのなら、緊急連絡先である実家の連絡先にかけた方がいいのではないかと思い、総務に問い合わせたが、会社に登録がないという。
「そんなことあるものですか?」
普通、独身であれば、実家などを緊急連絡先として登録しておく。万が一、業務中に本人に何かあった場合に連絡する先が必要だからだ。
総務課の回答はたったこれだけだった。そもそも本人に身寄りがない場合は、やむを得ないと。
おかしい。
実家の都合という、中条さんの退職理由と矛盾する。
課長の言う通り、彼女は嘘をついて仕事を投げ出したのか? 確かに、残業も多かったとは思う。しかし内藤は、それはありえないと思うくらいに、彼女のことを信用し、好意を持っていた。
「ここの104号室……」
だが、そこは空き部屋だった。内藤はアパートの大家の部屋を訪ね、事情を聞く。
「ああ、先週、突然引っ越して行ったよ。大丈夫なのかねえ……」
「え? どういう……」
「病気で倒れたって聞いたよ。それで実家近くの病院に長期入院することになったからって、お兄さんが荷物をまとめて、全部持ってったよ」
「それ……いつですか?」
愕然とする内藤に、大家はカレンダーを見ながら答えた。
「ああ、先週の金曜日だよ。昼頃に突然手続きに来て、お兄さん遠方の人だからって、その日の夜から引っ越し作業があって……間違いない」
「は――?」
先週の金曜日。
中条さんは、内藤と仕事をしていた。いつもと何一つ変わらない様子で、出勤していた。
そしてもう一つ。
内藤は彼女から聞いたことがあった。それ自体は何ということもない雑談だったのだが。
「兄弟ですか? いないですね。多分一人っ子なので」
内藤はその時、多分、とはどういうことだろう、と疑問に引っ掛かったから覚えている。
内藤は、話を切り上げようとする大家にすがりついた。
今回の突然の退職と、引っ越し。それぞれ語られた事情は嘘であり――経緯をよく聞けば、張本人であるはずの彼女の意思確認がされていない。
……彼女の身に何かがあった。
内藤はそう断定した。




