監禁1日目、その1。どうやら男は病んでいる。
私の名前は中条瑠菜。
大きくもなく小さくもない、普通の会社に勤める、ごくごく平凡な会社員です。
なぜここにいるのか、記憶が曖昧で……。いや、多分、私は会社から自分のアパートに帰るところだったはず。ということは、拉致されたのだろうか。
「ルナちゃん。何か飲む? 喉渇いてない?」
男が言う。
確かに喉はカラカラだが、それは恐怖からだ。私は思わず両腕で身体を抑え、ソファの上で後ずさって、首を横に振った。
鎖がシャラ、と音を立てる。
「ルナちゃん……」
身体が強張って声が出ない。
私は男がゆっくり近付いてくるのに、逃げられない。体が動かない。
ヤバい。
ヤバいヤバいヤバいヤバい!
「ひ……っ!」
自分の体を抱き締めて、ぎゅっと目を閉じる――が、男の気配は私の横を素通りして、歩いていった。
「そうだ、ケーキあるんだよ。食べようよ」
「……?」
男は冷蔵庫から、白い箱を取りだし――うん、ケーキだ――私のところに持ってきた。私がいるソファーの横のローテーブルに置く。
男が近付いてくる度、恐怖で私の肩が跳ねたが、男は気にする様子はなくて、柔らかな声で私に話しかけ続けた。
「紅茶淹れるね。ミルクティーが好きだよね」
「え、」
私はケーキと男を交互に見た。
ケーキはふわふわのクリームがたっぷりと、大粒の苺のショートケーキだ。そして、続いて出された温かいロイヤルミルクティー。角砂糖も添えられていた。
どちらも私の大好物。
問題はなぜ、この見知らぬ男がそれを知っているか、だけど……。
男の方をチラッと見れば、笑顔でこっちを見ている。むしろそれが、食べろという圧力のように感じて、私は恐る恐るフォークを手に取った。
この男から出されたものを食べて平気か? という思いもチラッとよぎった。が、この男が私に危害を加えたいなら、ここに拉致した時点でどうとでもなっているはずだ。私は思いきってケーキを口に運んだ。
とっても甘くて、美味しかった。
「あ、あの……」
「なあに、ルナちゃん」
男は私の真正面の床に座り、私がケーキを食べるのを見ている。ずーっと、じーっと見ている。そんなに人に見つめられると食べにくい……いやそれ以前の問題なのだけれど。
「そ、その、食べにくいです」
何とかそれだけ言うと、男は目をすっと細めて――ローテーブルを回って、私の隣に座り――ひいいいっ、――硬直する私から皿とフォークを取り上げた。
や、やっぱり余計なこと言ったかな!? 黙って食べておけばよかったのかな!?
混乱する私をよそに、男はケーキを一口切り分けた。そして、
「はい、あーん」
「……っ!?」
フォークを付き出してきた。こんなこと彼氏相手にしたこともない(そもそも彼氏がいたこともない)私は硬直するが、男からは有無を言わせない空気が伝わってきた気がして、私はそのままフォークを咥える。
「ああ、ルナちゃん、可愛いなあ……」
「…………。」
私はできるだけ心を無にして男の差し出すケーキを食べつつ、心底嬉しそうな男を観察した。
年は私より少し上というところか。見た目は普通で、むしろさっぱり爽やかな感じすらする。
しかし、私に手錠をつけてこの部屋に連れ込み、まるで恋人のような雰囲気で接してくるあたり、普通ではない。かなりヤバイ。
これは……もしや、いわゆる、ヤンデレというやつではないのか?
ヤンデレ……相手が好き過ぎるあまり、精神的にちょっとオカシクなっちゃうという、アレである。
ヤンデレに拉致監禁された時の正しい対処法などわからないが、聞きかじったことのある断片的なヤンデレの知識を総動員して考える。
……もし、この男が私に執着しているのであれば。決して、逆上させてはいけないのではなかろうか。
例えば、この男を拒んだが最後、君を殺して僕も死ぬ! ……的な行動に出られる可能性は十分ある。または、もっとガチガチに監禁され、僕を受け入れるまで離さない! 的な行動に出るかも。
バッドエンドまっしぐらだ。
「え、えっと……」
「なあに、ルナちゃん」
私は慎重に言葉を選ぶ。
「あ、ありがとう。ケーキ、美味しかった」
結局無難なところに落ち着いた。まあ当たり障りはなかろう。
「ルナちゃんが喜んでくれたなら僕は嬉しいよ。他に欲しいものがあったら何でも言ってね、食べたいものとか、何でもいいよ。苺のタルトとか、モンブランとか、ティラミスとか、ミルクレープとか」
「う、うん……」
男がちょっと食い気味にくるので戸惑ったけど、頷いた。ヤンデレ男の好感度が上がったのが、見えた気がした。
さて、と。
私は改めて自分のいる部屋を見渡した。
広々としたモデルルームのようなリビングだ。窓には爽やかな色合いのカーテンがかかっているから外は見えないが、日当たりのいい部屋らしいことは分かる。
が、男が私の視界を塞ぐように立ち塞がった。笑って私を見下ろしているけど、どこか目が……笑っていないのは気のせいだろうか。
「どうしたの、キョロキョロして」
「ふえっ! いやっ、その、素敵なお部屋だなって!」
に、逃げ出そうとしてませんから! という思いを精一杯込めて言うと、男は明るく笑った。
「ルナちゃんに気に入って貰えてよかった! そうだ、これから一緒に過ごすんだから、お部屋を案内しないと!」
「あ、え……」
「ルナちゃんの好きそうな家具をそろえたんだけどね、気に入らないところがあったら何でも言ってね」
男に手招きされ、私は戸惑いながらも付いていく。だけど、私の左の手首にはしっかり手錠がついており……それはリビングの真ん中にある金属の柱に繋がれている。……私はこのリビングから、移動できないのでは、とも思うのだけど……。
私の視線で気付いたのか、男は大丈夫だよ、と言った。
「ルナちゃんのお部屋とトイレまでは、ちゃんと届くからね」
「……。」
さすがに顔がひきつって、言葉が出なかった。
私を当たり前のように鎖で繋いでいる。基本笑顔だけど、その裏に狂気が漂う。
トイレと部屋まで届くという言葉は嘘ではないらしい。意外と長かった鎖をジャラジャラ引きずりながら男についていく。リビングから廊下に続くドアを開けると、私は驚いた。
「広い……!」
確かにリビングは広かった。そして、この家全体で何部屋あるんだろう? 3LDKくらいか? 真っ直ぐの廊下には五つほどドアが並ぶのが見える。廊下の奥には、玄関のドアが見えたが、しかし、そこまで届くとは思えない。
「ここがルナちゃんの部屋だよ」
そう言って、男はリビングから一番近い部屋のドアを開ける。そこには、爽やかなリビングと違って、可愛いピンク色と白の家具で揃えた部屋があった。
家具は、レースのカーテン付きのベッドに、ドレッサーとクローゼット、そしてテディベアがたくさん置かれている。
「え……」
「驚いた? ルナちゃんの好きな感じにしてみたんだ。気に入ってくれたら嬉しいな」
「……。」
確かに、私は本当はこういう可愛い感じの家具が好きだし、テディベアも好きだ……。
だが、問題はなぜこの男がそれをこうも把握しているのかということで……。
「う、うん、ありがとう」
声が震えたのは、仕方ないと思う。




