ナナコの過去
他人と違うということは、
その人の自尊心にもなり得るし、
また逆に劣等感にもなり得る。
――金言である。
ならば彼女、奈央子にとってそれはどちらに傾斜しているのだろうか。
万木奈央子が普通ではないというのはもはや議論の余地がなかった。
八歳にしてショパンやラフマニエフを弾きこなしてしまう少女を凡庸と称するものは、よほどの才に恵まれたものだろう。
万木奈央子は、その年齢が二桁を超える前に、国内の年少者向けの賞をあらかた取り尽くしていた。
マスコミもその噂を聞きつけ、ネタが尽きる頃になると天才少女の近況を取り上げた。
「お嬢さんは将来、歴史に残るピアニストになりますよ」
とある人が言った言葉であるが、それは社交辞令でもなんでもなかった。
一〇年後、否、五年後にはこの子はカーネギーホールの聴衆をその指先で酔わせていることだろう。
それは予言でもなんでもなく、時間軸をほんの数年先に移した事実でしかなかった。
少なくとも母親はそう思っていたようだ。
だから母親は娘に投資を惜しまなかった。
母親は有名な指導者を見付けると、大枚をはたいて彼女を雇った。
娘の腕は見る見る上達したが、三ヶ月後には彼女を首にし、新しい指導者を雇った。
倍の金額を提示されたが、母親はそれでも言い値で支払った。その価値があると思ったからだ。
しかし、その指導者も数ヶ月で首にする。
さらに高名な指導者を見付けたからだ。
さる音大の有名な教授で、何人もの世界的なピアニストを指導してきたような人物だ。
当然、お金だけでは雇うことができなかったので、母親は父親のような年頃の男の愛人になることで娘の未来を買った。
安い出費ではなかったが、母親に言わせれば、
「当然のこと」
と言うことになるらしい。
実際、彼女はあらゆる出費や犠牲を惜しまなかった。
娘がピアノに没頭できるよう都内の高級住宅地にある完全防音のマンションに居を構えていたし、そこに置かれているピアノはスタンウェイのグランドピアノだった。
授業料だけで数十万円、ピアノの調律やメンテ、発表会やコンクールの衣装代も馬鹿にならないほどの金額になる。しかし、母親はそのどれらにも最高のものを望み、また金払いもすこぶる良かった。
母の実家は素封家で、亡父の遺産を引き継いでいたのだが、そこまで贅沢ができるほど潤沢な資金があるわけではなかったのだが……。
つまりどこかで辻褄を合わせていたのである。
数千万円するピアノの横でカップメンを啜るなどというのも日常の風景だったし、
古着屋以外の服屋が存在すると知ったのも大分後だし、
クリスマスは二六日に祝うものだと今現在も習慣づけられている。
変わった母親である――
しかしこのような母親でも、娘がいるのだから、人並みに恋をし、愛を育み、子供を産んだはずである。
幼い奈央子も当然のように父親について尋ねたことがある。
「どうして奈央子の家にはパパがいないの?」
それに対する母親の答えはとても分かりやすいものだった。
「ママの子宮から卵子を取り出して、パパの精子と結合させたからよ」
奈央子はコウノトリやキャベツ畑よりも先に、あるいは父親と母親の性を意識するよりも先に、試験管について思いを巡らせることになったわけである。
「――でもね、だからといって奈央子は誰にも愛されずに生れたわけじゃないのよ? パパがいない代わりにママが二倍、いえ、三倍も四倍も奈央子のことを愛しているの。だから奈央子はがんばってピアニストになってね」
母は就寝前になると念仏のようにそう唱え、娘を抱きしめたものである。
奈央子は「うん」と健気に母親を抱き返すが、それでも街で他家の父親を見かけると横目に見てしまうのはどうしようもなかった。
しかし、母親はそんな娘の姿を見るとDVDを取り出す。
「奈央子、この人があなたのパパよ」
そう言ってモニターの中の男性を指さす。
世界的なピアニストで、カーネギーホールを満員にできる唯一の日本人といわれている。
なんでもこの人は留学時代に生活に困り、精子を精子バンクに売ったそうだが、数万円で売ったその精子は、母の胎内に入れるときには三〇〇万円に跳ね上がっていたそうだ。
こうして「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」という言葉よりも先に、精子や卵子という言葉を覚え、流行歌やアイドルの名よりも先に、バッハの譜面や和音の数々を覚えたわけだが、その偏った知識は学校生活に置いてはハンデ以外の何物でもなかった。
しかし、奈央子は学校で苛められたり、孤立したりするようなことはなかった。
なぜならば学校に通っていなかったからである。
万木奈央子も日本人であり、出生届けも出しているのだから、就学通知が届くはずなのだが、母親はそれを完全に無視し、娘には、
「学校には大きな人食い巨人がいて、奈央子みたいな小さな子はひと呑みにされちゃうのよ」
と言いくるめていた。
無論、市の教育委員会なるところから是正勧告なるものも届いたが、偽造したインターナショナル・スクールの通学証明書で誤魔化していた。
しかし、年頃になれば、嫌でも自分と他の少女の違いに気が付くものである。
ドラマや漫画などの娯楽から、学校なるものが存在し、そこに自分と同じ年頃の少年少女たちが通い、楽しく過ごしていると露見してしまうものである。
しかし、母親はそれもやり過ごす。
万木家にTVはあったが、アンテナ線には繋がっておらず、おもにDVDなどのメディアを映し出すモニターとなっていた。つまり奈央子が見る作品はすべて検閲されていた。
奈央子が見ていい作品は、学校が出て来ないアニメ、学校に行くと苛められるアニメ、クラシックのコンサート集などに限られた。
こうして、
「学校に通いたい」
などと言い出さない良い子に育った奈央子であるが、逆に、
「もうピアノなんて弾きたくない」
と、言い出すことはなかったのであろうか。
結論から言えばそんなことは一度も言い出すことはなかった。
奈央子のレッスン量は、一日の過半に及び、昼も夜もなく、休日すらなかったが、奈央子は弱音ひとつ吐くことなく、文字通り指がすり切れるまでピアノの前に座り続けた。
ピアノの教師が来ない日などは、母親が付きっきりになり、奈央子がミスをすれば容赦なく暴力が振るわれたし、旨く弾けなければ母親のヒステリックな怒号が耳を劈いたが、それでも奈央子はピアノを投げ出すことなどなかった。
ピアノのことが好きだから――
好きで好きで堪らないから、どんな過酷なレッスンにも耐えられるのだろうか。
後年、過去の自分に問うたことがあるが、苦笑いをしながら首を振るしかない。
実際、万木奈央子はピアノに対し、強い感情は持っていなかった。
万木奈央子にとってピアノとは自我が芽生えた瞬間からそこにあり、弾き続けること定められたものであり、好悪の感情など湧きようもなかった。
奈央子にとってピアノと空気は同じものであり、意識するようなものではないのだ。
ゆえに母親に弾けと言われれば弾くし、間違いを指摘されれば是正するのになんのためらいも感慨もなかった。
そもそも、外の世界を知らない奈央子にとって、母親とピアノがすべてであり、ピアノを弾く以外、選択肢はなかったのだ。
母親にしてみれば理想の娘がそこにいたわけである。
しかし、そんな娘も、希に少女らしい表情をすることもある。
万木奈央子も一個の人間なのだ。
あるコンテストの帰り、奈央子はとあるアンティークショップの前で足を止める。
その店のディスプレイは特に衆目を引くをようなものではなかったが、母親と買い物ひとつしたことがない少女にとっては、海賊の財宝をひっくり返したかのように輝いて見えた。
特に奈央子の目には中央に置かれた一際大きなオルゴールが、まるで幸せの象徴のように煌めいて見えた。
(あのオルゴールはきっと、小さなドワーフさんたちが一生懸命に作ったんだ。だってあんなに綺麗なもの、人間に作れるわけがないもん)
奈央子の心にそのとき初めて芽生えた感情を、俗な言い方で称せば、それは「物欲」となるであろう。しかし、この小さな子供は、今までそんな当たり前な感情を口にするどころか、抱くことさえなかったのである。
彼女の母親はそれを不憫に思ったのだろうか。
あるいは大きなコンテストに勝利した娘への御褒美ということなのだろうか。
娘に「あれが欲しいの?」と尋ね、僅かに頷くのを確認すると、店の中へ入り、財布の中身を空にした。
そのときの奈央子の喜びようは形容しがたいものだったが、奈央子はそのときの喜びと、その後、数週間のおかずの目録を死ぬまで記憶することになる。




