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死の前兆

 冬子にこのような重い物を持ってくるよう命令した人間は、後にも先にも彼女だけだった。


 ナナコは冬子になるべく水分が少なく、カロリーが高そうな食糧を持ってくるよう命令すると、自分はそそくさとどこかに行ってしまった。


 冬子は腹にすえかねつつも、ナナコの命令に従い、食料庫から食糧を掻き集めてきた。


「あなたに言われた通りの食糧を集めてきたけど」


 冬子はダンボールを置くと、戻ってきたナナコに声を掛ける。

 ナナコは、「ご苦労様です」とダンボールの中を覗き込む。


「菓子類が多いですな。まあ、水分がないとなりますと、必然とそうなりますか。あとはハムにベーコンと、これは火で炙ってさらに水分を抜けば乾し肉代わりなります。というか、それにしてもダイエットの大敵連中ばかりでありますな」


 冬子は「あなたがそうしろと言ったのでしょう」と、文句を口にしようとしたが、それは次の命令で遮られる。


「次は館中が衣類を集めてきてください。できるだけ温かそうなものを大量に」


 ナナコはそう言うと、先ほど持ってきたゴミ袋に鋏を入れる。


「でっきるかな、でっきるかな、はてはて、ふふ~ん♪」


 ナナコの鼻歌を制したのは冬子だった。


「あなた、さっきから一体なにを考えているの? かなえの背中を見てから何か変よ」


 冬子は詰問口調にならざる得ない。


 かなえの背中を見ることにより、すべての数字が白日の下になったわけであるが、実は冬子はすべての情報が揃った今も暗号が解けずにいた。


 数学は苦手ではなかったが、流石に暗号の知識は皆無であり、いまだに検討さえ付かない状態だった。


 しかし、ナナコには暗号が解けたのだろうか。彼女はかなえの衣服を整えると、即座に命令を下し始めた。


「……まさか、あなた、この期に及んで抜け駆けをする気じゃ……」


 そう疑念を抱かざる得ない。


 自分はこのゲームの勝者になる気はない、と公言していたナナコだが、この期に及んで気が変わったとでも言うのであろうか。あるいは最初からそんな気などなかったとでも言うのであろうか。


 冬子は有り得ない、と思いつつも、ナナコの真意を確かめずにはいられなかった。

 冬子は神妙な面持ちで尋ねた。


「今さら、このゲームに勝ちたいとか言い出すのではないでしょうね」


 それに対するナナコの答えは、簡潔にして明快だった。


 ナナコは、

「はい」

 と、微笑みながらそう答えた。


 それはナナコの偽らざる本音だったが、その一言により、バトルロワイヤルの再開とはならなかった。


 ナナコがすぐに次の言葉を発したからである。


「勝ちたいと言っても、美月殿、いや、主催者の思惑通りに勝ち残りたいのではなく、この馬鹿げた空間からさっさと勝ち抜けしたい、と称した方が適切でしょうか」


「……どういうこと?」


 怪訝な表情をせざる得ない。


「暗号の答えが分かったのでありますよ」


「ッ!?」


 絶句せざるを得ない。ナナコの抜け駆けを気にする以前に、勝負はすでに決していた、というわけであろうか。


 もはやこのゲームに勝つには、ナナコを殺す、いや、ナナコから暗号を吐かせ、そのあとに始末するしか方法はないのであろうか。


 ナナコとはこの数週間、一緒に苦楽を共にした仲である。

 友人とまでは言わないが、それに類する感情も芽生えつつあった。

 そんな少女を自分の手に掛けねばならないのか。


 冬子の手は震えたが、それは敗北に怯える恐怖のためか、武者震いのためか、判断は付かなかった。


「――しかし、冬子は意を決すると、ナナコの後頭部にかつお節を打ち下ろすのだった」 

 

 ナナコは妙なナレーションを口走る。


「冬子嬢はほんとにやりかねないので、早めにネタバレしておきますが、それこそ主催者側の思う壺なので、絶対に実行しないでくださいね」


 ナナコはそういうと懐から紙とペンを取り出した。

 そこにはすべての数字が書かれている。


「一八七八二+一八七八二=」


 冬子は何度も読み返した数字を再び読み上げる。


「答えは三七五六四だけど、それじゃあまったく意味が分からないわ。何度大声で叫んでも、美月は反応してくれないし……」


「いえ、三七五六四が答えでありますよ」


 ナナコは平然と断言する。


「まさか!? 単純すぎるわ。こんなの小学生でも答えられるじゃない。暗号でもなんでもないし、それに何度答えを叫んでもなんの反応もないわよ」


「それは読み方が、いえ、暗号の答えを行動に移していないからでしょう」


「実行って……、つまり三七五六四回何かをやれっていうこと?」


 気の遠くなる数字である。

 しかし、それも違うようだ。ナナコはゆっくり首を振る。


「冬子嬢は確か小学生でも分かる、と言いましたが、実はそこが味噌なんです。つまり、この問題は小学生レベルまで視点を落とさないと解けないのです」


「方程式や定理は不要ということ?」


「はい、そもそもこれは数学ではありません。算数+とんち、と言ったところでしょうか」


 ナナコはそう解説すると、一八七八二という数字を指し示した。


「ポケベル世代ではない冬子嬢にはピンと来ないかも知れませんが、これを無理矢理カタカナにわけしてみてください」


 冬子は眉をしかめながら数字に食い入る。どうやら幼少の頃、怪盗たぬきと勝負をしたことがないようだ。


「ヒント、一がイであります」


「イヤナヤニ、……違う、これじゃ意味が……、ああ、ここだけ英語読みをするのね」


 冬子の顔は晴上がり、次いでナナコの瞳を見ると、嬉しそうに答えを紡ぎ出した。


「イヤナヤツ、だわ。最初の数字は嫌な奴、と読むのよ。それに次も同じ数字だから、嫌な奴+嫌な奴と読ませる。ええと、あと、その数字を足した三七五六四も今みたいな要領で読み上げるのね。ええと……、ミナ……」


 冬子はこの段階でやっとその暗号の恐ろしさに気が付いたようだ。

 顔からは血の気が引いている。


 ある意味、先ほど冬子の中に目覚めた感情は、ここ一週間のかなえの行動は、すべて正しかったのだ。無意識に主催者の意図を汲み取り、実行していたにすぎないのである。


 そして、主催者は端から六人全員を殺す気でいたのだ。


「つまり、美月殿は最初から誰ひとり生かして返す気などなかった、ということでしょう。卓弥を殺した人間の目星くらいは付けていたのでしょうが、確信は持てなかった」

「……だから関係者を、容疑者を全員……、三七五六四(ミナゴロシ)にするというわけね……」


 ――もし仮にこの場にかなえがいたら、「分かりやすくていい」と拍手をするのだろうか。


 冬子は思わずその場にへたり込む。


「こんなことのために、私たちは命を賭けていたというの……、こんなもののためにあの娘たちは死んでいったというの……」


 冬子の唇から乾いた笑いが漏れる。

 笑うことでしか感情を表現しようがなかった。


冬子はひとしきり不健康な笑いを体外に漏らすと、意を決したように立ち上がった。


 女子供のように惚けているのは自分に相応しくないと思ったからだ。

 もはや卓弥を殺した人間の謎は永遠に闇の中かもしれない。


 先ほどかなえに発した今すぐに死にたい、という言葉に嘘はなかったが、それでもこんな場所で、不快な連中が見守る中、死にたいとは思わなかった。


 できることならこの館を脱出し、この館で起こった惨劇を世間に知らしめたかった。

 高梨家の権力を使ってこの馬鹿げたゲームの主催者に法の裁きを受けさせたかった。


 そうすればあるいは卓弥の死の原因を確かめることができるかもしれない。


「ナナコ、私も手伝うわ」


 冬子はナナコが先ほどから何をしているか、やっと得心がいったのである。


「さっきから手伝っているじゃないですか」


 ナナコは笑ったが、快く冬子の決心を受け入れてくれた。

  


 ナナコは、某アニメの猫型ロボットのような口真似をしながら、

「簡易防寒具ぅ」

 と、ビニールの素材を掲げた。


 先ほどから一生懸命に工作していたのは、これを作るためだったのだ。


 冬子には「ゴミにしか見えない」が、ナナコは短時間で作った割にはかなり自信があった。


 まず、インナーとしてこのシースルーの物体を下着の上に装着し、ガムテープで密閉する。そうすれば雪の進入を防ぐと同時に、体温を逃がさない機構になるはずだった。


 そしてその上に幾重にも服を着て、最後にこのお手製ポンチョを上から被る。ついでに貴婦人用手袋の上にビニール手袋も装着すれば長い時間体温を保持できる計算となる。


 冬子はナナコの手際の良さに驚いたが、やはり肝心なことは聞かずにいられなかった。


「……無事下山できると思う?」


 ナナコはふたつ返事で「もちろんであります」と言うと、質問を返した。


「仮にもし、冬子嬢が飛行機に乗ってる際、未開のジャングルに不時着したとしましょう。その場合、どうしますか?」


「その場に留まって救助を待つわ」


「まあ、それもひとつの正解でしょう。ですが、今回の場合、救助は来ないのですから、その選択肢を選んだ時点で豹かワニの餌エンドは確定ですな」


「………………」

 

「もし、仮にそんな事態に陥ったら、まず川を探すのです」


「飲み水を確保するため?」


「それもありますが、川沿いを下れば、必ず人間の生活スペースにたどりつきます。人間、水がないと生きていけませんからな」


「山でもそれは有用?」


「恐らく――、どんな小さな水源でも必ず沢に、沢は川に繋がっていますからな。ですが……」


 ナナコは「この白銀の世界で水源を見付けるなど、不可能に近い」とは言わず、できるだけ脳天気な表情を浮かべると、


「山はジャングルとは違い、下れば必ず下山できるでありますから」


 と、笑った。


 冬子もそれに釣られて笑ったが、表情はどこがぎこちなかった。


「どちらにしても、美月たちは私たちを殺す気まんまんだわ。もう食糧が補充されることはないでしょうし、仮に雪解けまで待っていても餓死するだけ。それに餓死ならまだいいけど……」


 冬子は由佳里の死を思い出す。


 今さらながらに痛感したが、ここは敵地なのだ。どんなトラップが仕掛けてあるか分からず、殺し合いを始めない少女たちに、主催者が痺れを切らさない保証などどこにもなかった。


「扉が突然しまって壁から鋭利な刃物が出てきて、部屋が徐々に狭まったり、もしくはガスが流れたり、あるいはシャンデリアが落ちてくる、という可能性も――」


 ナナコがすべて言い終える前に、先ほど冬子がいた場所に巨大な物体が落下する。

 ガラス細工が砕け散る音は思った以上に綺麗なものだったが、ふたりは背筋を濡らすしかなかった。


 ふたりは慌てて簡易防寒具を着込み、その上に衣服を重ね着すると、急いで玄関へと向かった。


 無論、玄関の天井にある一際大きなッシャンデリアの下は通過しない。

 幸いなことに道中、弓矢や槍の類は振ってくることなく、また、玄関も施錠されてはいなかった。


(――この脱出劇こそ敵の思う壺なのだろうか)


 そう思わずにはいられなかったが、ナナコはとある大事な物を忘れていることに気が付き、心配する冬子をひとりその場に残し、二階へと戻った。


 そんな行動をすると、大抵その場に残したものは何物かに攫われているのが物語りの定石だったが、この物語の筋書きを書いた人物は最初からそう言ったお約束の類を完全に無視していた。


 ナナコも無事に帰還したし、冬子も髪の毛一本抜け落ちていなかった。

 冬子から抜け落ちたのは吐息だった。


「……あなた、まさかそれを持って脱出するつもりなの」


 見ればナナコは大事そうにピアノ型のオルゴールを抱えていた。


「こ、これは万が一のときに(たきぎ)になるであります……」


 冬子はその表情から「絶対にそれはない」と思ったが、口にはせず、代わりに諭すように言った。


「それがあなたにとって大切な物だとは承知しているわ。でも、今、この場に必要ではないことくらい、あなたが一番分かっているでしょう」


「………………」

 

 ナナコは女教師に叱られた小学生のようにしゅんとなる。


 その姿には心痛めずにいられないが、やはり今は心を鬼にしなければならない。


「もし、無事に下山できたら、ヘリでも戦闘機でもチャーターして、すぐに取りに来てあげるわ。もし、万が一、そのオルゴールがなくなっていても、高梨家の力で同じ物をまた探してきてあげるから」


 冬子は必死に説得したが、ナナコはオルゴールを服の中に入れて、


「妊娠したであります。処女受胎です」


 と言い放ったり、


「ご、後生です。これだけは手を付けないでください、お代官様」


 と喚いた。

 冬子は呆れ返ったが、渋々その物体を持ち帰ることを認めた。


 ナナコの頑迷さに屈したというよりは、それしか選択肢が残されていなかったといった方が適切であろうか。


冬子は善は急げ、と言わんばかりに玄関の扉に手を掛けた。


 幸いなことに電流も流れず、毒も塗られていなかったので、簡単に開いた。

 外は一面の銀世界だった。


 幸運、というよりは奇跡にかもしれないが、吹雪は止み、粉雪が舞う程度になっていた。


「これならばもしかしたら――」


 冬子はその景色に自分の悪運の強さを重ねたが、ナナコはそれに賛同してくれなかった。


 というか、ナナコは玄関のかなり後ろ方で佇み、微動だにしなかった。

 寒いのが苦手なのだろうか。

 冬子は呆れたが、文句は言わずにナナコの下まで戻ると、ナナコの腕を引いた。

 ナナコの上半身はそれに対応したが、下半身はぴくりとも動かなくなっていた。


 無論、ナナコの背中にはナイフなど突き刺さってはおらず、身体は至って健康体だった。


 冬子はわなわなと足を声を震わせると、

「まさか――」

 と問うた。


 ナナコは少し気恥ずかしそうに、

「そのまさかのようです」

 と、笑った。


 風によってもたらせた粉雪が室内に入り、ナナコの鼻筋に付着する。


 すぐにそれは溶けて水となったが、それはまだナナコの身体に熱量がある証拠でしかなかった。


 ナナコの瞳からはすでに熱が失われていた。

 その瞳は緩慢に訪れる死をすでに覚悟していた。 

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